『この2ヶ月の濃厚な出来事』

この2ヶ月間は、様々な出来事があり、多くの人達とも会い、忙しかったが、とても濃厚な時間でした!

おかげで、毎月1回は更新していたブログを書く暇がなく、先月はついにサボってしまった…。感想をくださり、楽しみにされている貴重な読者の方々、すみません…。

ゴールデンウィークに入る直前に徳島から、夫が残した埼玉の家に移動して、梅雨や台風の季節になる前に家の修復をしようと、雨どいを点検して、外れている所や下がっている所を修復し、枯れ葉などのゴミを取り除き、水の流れがスムーズに行く様にして、ウッドデッキの屋根や2階のベランダの屋根に登り、割れている所は交換して、金具を増やしてしっかり固定した。古くなった網戸も新しい物に張り替えました。

昔から私は物を作る事が好きだったのだが、私の家は父や弟など男性陣は家の修復作業や庭仕事など全くやらず、そういう作業はずっと私や母がやっていました。

そんな家の修復や片付けの合間に、親しくさせていただいている方々と会って来ました。

この13年間ぐらい私の身体をずっとメンテナンスしてくれている「自然整体」の村田ゆうほう先生に身体を整えてもらったり、近所に住む元プロゴルファーの片山ご夫妻(現プロゴルファー片山晋呉さんの叔父)に近くの古民家カフェに連れて行ってもらい、厳選した豆を自家焙煎して、何時間もかけて一滴ずつ抽出した「究極の水出し珈琲」とこだわりのワッフルをご馳走になり、片山さんのご友人達と楽しい時間を過ごしました。

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それから、札幌で暮らす友人で中世ヨーロッパの古楽の「祈り」をテーマとした歌や古楽器の演奏を日本や海外で演奏活動している中村会子さんのライブを聴き、彼女の歌とたくさんの古楽器を操って同時に演奏したり、彼女の才能や世界観を堪能しました。彼女のお母さんと私が知り合いだったのだが、お母さんのひろみさんにも久しぶりに会えた(^_^)

そのライブ会場となったギャラリーでは、やはり友人である和紙作家の加茂孝子さんの作品が飾られており、久しぶりに加茂さんともお会いしてお話ししました。

とても心地の良い時間でした。

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そして、15年くらい前に私の「お話し会」に参加されて知り合った、東京の算命学の先生・森田智子さんと章子さん姉妹と一緒にその出会うきっかけをくれたカフェの小嶋由美さんが手伝っている、山の中のおばんざい(惣菜)のお店を訪ねて、たくさんの手作りおばんざいを美味しくいただきました。

山奥のお店だが、買い物難民のお年寄り達が「ありがたい!」と好きな惣菜を選んでゆき、配達もしており、忙しそうだった。

そして森田姉妹と一緒に、30年前に私が生まれ育った東京から埼玉の山奥に移住するきっかけとなった地を訪れました。

そこは秩父にほど近い山奥で、私の夫が木工家の吉川敏夫氏に弟子入りする事になり、東京から移住する事になった場所です。

その地の私の家の裏には洞窟があり、澄んだ水が沸き、わさびがたくさん生えていた。その洞窟には龍が住んでおり、時々洞窟を出入りする時は「ビュー!」っという風と共に私の暮らす家を通過していった。その洞窟のある山の頂上の千手観音堂の天井画の龍の絵は実は私が今暮らす、徳島県吉野川市(阿波麻植)と関係のある天井画なのだか、それは私のツアー「あわたまめぐり」に参加された方々だけに教えているかなり貴重なお話しです。

森田姉妹とその龍の天井画を見た後、私の夫の木工の師匠である吉川さんが建てて、奥さんや娘さんが経営するギャラリーカフェを久しぶりに訪れた。師匠さんが、銘木で内装や家具を作っており、木のぬくもりのある芸術的な空間に、ヒーリングや浄化や波動調整をするシンギングボールやティンシャがたくさん並んでおり、ギャラリーでは「気龍画」という龍の絵の画家・日幸 知さん(写真右上)の展覧会が行われていた。たくさんの絵の中で、私が吸い寄せられた1枚が水の中から月に向かって昇ってゆく白い龍の絵です。作者の日幸さんともいろいろお話しが出来て、とても素晴らしい時間でした。

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5月の終わりに、埼玉から徳島まで車で帰る途中、長野県の八ヶ岳で暮らす姉の所で、高齢の両親と久しぶりに数日過ごしました。

埼玉から長野に行く道をナビで検索すると、東京八王子周りか群馬県周りで行く道が出てくるが「埼玉と長野って山で繋がっているよね?」などと思ってしまったのが、そもそも間違いだった…。

地図を調べてみると、家の近くの国道299号線が長野の諏訪まで繋がっているではないか!「道一本で行けるじゃん♪」と長野に向けて出発!秩父を抜ける所までは良かった。途中から結局群馬県には入ったのだが、群馬から長野までの山越えがとんでもない事になった…。どんどん人里離れた山奥になってゆき、ひたすら山を登り続ける。「これは一体どこまで登れば良いのだろう…。地図で道だけ見て標高までチェックしていなかった…。群馬と長野の山奥って熊がいっぱいいるよね…。確かどこかの県で数日前に釣り人が熊に食われていたな…。」いろいろと不安がよぎる。熊よけに音楽を大音量にして、大声で歌いながら走った。すると突然熊が…いや一台の軽トラックが現れた。その軽トラックのおじさんに「この道は永遠に登り続けるのでしょうか?」と泣きそうな顔で聞いたら「うーんあとしばらく登ったら、頂上に着くからそっからはずっーとひたすら下るだけだから。」と言われ、先が見えた事で折れそうになっていた心が立ち直った。しばらく登って頂上に着くとなんとそこは標高2000m越えで、徳島で一番高い剣山の山頂より高かった!!

そして八ヶ岳の姉や母が暮らす所は標高1300mで徳島の阿波富士・高越山の山頂より高い所だった。標高2000mの山を超えて、標高1300mの所まで一気に700mもの標高をグネグネとしたカーブ連続の山道を下り続け、夕焼け空になった頃やっと山道を抜けた。姉が経営するロッジにたどり着いた時にはぐったりだった…。

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写真は5年前に姉の施設がオープンする時に私が描いてあげた看板です。

姉は八ヶ岳のペンションを買い取り、5年前に老人達のシェアハウスを始め、老人達が自分達で育てた無農薬の野菜で食事をつくり、雪深い冬に備えて薪を割り、皆んなでジャンベや楽器を演奏し、物作りを楽しみ、自立して最後まで生きるための施設を作りました。

検査技師と介護士を長年やって、たどり着いた老人達の「終の住処」です。今は70代〜90代のお年寄り10人と近くの八ヶ岳中央農業実践大学校の学生さん3人が暮らしています。八ヶ岳高原国定公園にあるとても環境の良い所で、まわりはペンションや別荘・各県や企業の保養所などがたくさんあり、美術館やカフェ・ギャラリー・温泉施設などがあり、高原リゾート地になっています。

今回、5年ぶりに行ってみて感じたのは、コロナの数年間で都会から脱出して移住する人が増え、空き別荘やペンションがほとんど埋まり、お店にリノベーションされたりして、とても活気がありました。

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姉の施設も今年の4月から学生さんを迎え、やはり活気がありました。農業学校に通う3人は、実家が農家ではないのに、日本の未来を考えて、農業を選んでいる若者で「こういう若者達がいる事はまだ日本にも希望があるな…」と感じ、嬉しくなりました。

父から「看板が5年間で薄くなってきたから修復してやってくれ。」と言われ、徳島に帰る日を一日延ばして、看板を描き直してあげて、その後、足の悪い母を車にのせて、近くの八ヶ岳美術館に連れて行ってあげました。母は芸術家なので、車イスで美術館内を廻ってあげたらとても喜んでおりました。

久しぶりに親孝行ができて良かった(^_^)

その夜は、姉の施設で縄文文化の先生をしている写真家の繁澤雅人さんにお会いして、日本の国宝の縄文土器の写真を撮られているお話しや縄文スピリットな話しをたくさんしました。楽しかった。

次の日の朝、長野を出発。中央自動車道でゆっくりあちこちで休憩しながら、その地域の美味しい物を食べつつ、お土産を買っていたら、やはり「信州・熊肉大和煮」の缶詰が売っていた。

やっぱり熊いるじゃん!

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滋賀県琵琶湖の側の温泉で夕方から深夜まで休憩してから、夜通し運転して、淡路島に到着。綺麗な淡路の朝焼けを見て、鳴門海峡🌀を渡って、阿波徳島に到着!ゴール🏁めっちゃ疲れました。

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徳島に着いたら、休む暇なく、溜まっていた薬草茶の注文をこなし、ひたすら発送して、家のご近所のカフェ「モノポール」さんにも、たくさんご注文いただきお待たせしていたお茶を納品に伺いました。その時に特別メニューで、スパイシーなマグロカレー(写真)を食べさせてもらいました。

これは、モノポールの谷口さんの長男の和弥さんが、お隣りの和歌山県で釣りをして、なんとマグロを釣って来て、刺身や自家製ツナやいろいろ調理して食べ、マグロのカレーも作ったとの事で「ぜひ食べたい!」とリクエストして、特別に食べさせてもらいました。スパイシーなマグロがゴロゴロと乗っており、お肉感のあるしっかりした食べごたえで、美味しい!大満足でした*\(^o^)/*

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ここは、あわたまの薬草茶がネット以外で唯一、全種類買えるお店です。(美郷の物産館にも、たまに少しの種類を置いてます)

最近は、仕事で疲れたらこの「モノポール珈琲研究所」というお店に大好きなマトンカレーを食べに行きます。ここのカレーは、スリランカやネパールの友人の方々から手ほどきを受けた本場の香辛料を使ったエスニックなカレーで、付け合わせの地元の梅を使った自家製アチャールも酸味が疲労回復に最高です!オーナーの谷口美世さんと長男和弥さんと次男通浩さんが、こだわりの食品加工の会社を地元・吉野川市で経営しつつ、週3日やっているカフェです。

珈琲研究所と言う名前だけあって、インドネシア産の豆を使ったこだわりのコーヒーも絶品です。かなり高価な幻のコーヒー「コピ・ルアク」もある。まだ飲んだ事はないが…。(1杯で豪華な食事ができるくらいの価格)

ここにオーガニックコーヒーを卸している、ブルー・ファイア・コーヒーの高橋隆二さんは、徳島のこだわり食材を使って、味にも手を抜かない人気のキッチンカー仲間の繋がりを大切にしており、10月28日(土)・29日(日)に阿波忌部の地元・徳島県吉野川市山川町で開催される『日本麻フェスティバル』にも山川町アメニティセンター横の駐車場にそのこだわりの食仲間のキッチンカーが勢揃いします。(写真)モノポールの谷口さんも出店します!

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どちらの日にどのお店が出るかは後日発表しますが、皆さん麻フェスに合わせて、麻の実ナッツを使ったメニューを考えてくれるそうなので、乞うご期待!

麻フェスの内容も令和の麁服調進の流れをお見せしたり、阿波忌部や麻植の歴史も堪能できる展示など、麻の聖地・徳島でしか見られない貴重な写真や映像も今準備しております。私も阿波忌部の方々と打ち合わせを重ねながら、良いイベントになる様に動いております(^_^)

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あわたまの活動としては、今年は、梅・ビワ・すももなど果実が大豊作!!昨年はその3種類だけじゃなく、すだち・柿・イチジク・柚子まで全部不作で果実の裏年でしたが、今年は表年!あわたま始めて10年で一番の大豊作で、6月は毎日、梅やビワを発送し続け、残ったものは酵素エキスを作って、夏に販売する赤しそドリンクにブレンドし、傷のついたものは、きれいな所をカットして煮てペースト状にして、無農薬フルーツのジェラートやジャムにする予定です。ここ最近、ひたすら果実の作業に明け暮れています。

無農薬野菜も新玉ねぎ・ニンニクに続いて、新じゃがを収穫して、ナス・ピーマン・インゲン・レタスその他続々と夏野菜が育って来ています。7月になったら、夏野菜の新鮮便もやりますので、楽しみにしていてください!

谷口さんとあわたまのオーガニックフルーツジェラートや高橋さんのオーガニックコーヒーもあわたまで販売させていただく事になると思いますので、また告知いたします!

前回のブログに書いた、「個人セッション」と「あわたまめぐり」も引き続きやっております。

5月は埼玉めぐりを2人、6月は徳島めぐりを3人ご案内しました。それぞれの県民の方も参加されましたが、私が30年間かけてキャッチして検証して来た事で、他の誰も伝えていない、私だけが知っている事がいろいろあり、埼玉の方も徳島の方も衝撃を受けておりました。7月は7日に1人申し込みが入っていますので、徳島で開催します。6月参加の方々は夜ホタルを楽しみましたが、7月・8月参加の方々はひまわり畑を楽しめますよ!

ぜひ前回のブログを読んで、内容をご理解していただいた上で、ご希望の方はご連絡をください(*^_^*)

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2023/04/30/234654

というわけで、コロナで2年間、山の中から全国にオーガニック食材を発送するのみの活動でしたが、それを発散するかの様に、昨年10月の栃木の麻フェス以来、特にこの2ヶ月間は、めちゃくちゃ動き廻って、たくさんの人達に会って、皆さんからパワーをもらって、とても充実した日々を送っております!

睡眠時間が平均3時間半〜4時間ぐらいだけど、元々ショートスリーパーだから大丈夫。

今年の10月の麻フェスまで、この勢いで動きます

*\(^o^)/*

『個人セッション&あわたまめぐり』

今年の1月の半ばに突然襲来した大寒波直前に埼玉の家に車を置いたまま、慌てて飛行機で徳島に戻り、2月の終わりまでは、冬野菜の発送作業と干し野菜作りに追われ、そのまま春が前倒しでやって来て、梅や桜の開花や山菜や薬草の芽吹きが早く、3月から4月いっぱい、春の草花茶作りや山菜の収穫と発送に追われて大忙しでした。

冬から春にかけてあわたま製品をご注文いただいた皆様、ありがとうございました*\(^o^)/*

ゴールデンウィークに突入する直前に最後の発送を終えて、急ぎ関東に向けて出発しました。

11年前から徳島と埼玉の2拠点生活(あわ・たま)が始まり、毎月行き来しておりましたが、コロナ禍の3年間は、徳島にずっとおりました。やっと以前の様に自由に動きまわれる様になり、飛行機が苦手な私は、以前から関東⇔四国間の行き来に使っていた手段で、今回関東まで移動して来ました。

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徳島や大阪にお住まいの方はご存じの方も多いと思いますが、南海電鉄南海フェリーの超お得な切符「好きっぷ」です。

この切符は何がそんなにお得かと言うと、徳島から和歌山経由で大阪のなんばまでフェリーと電車を乗り継いで2200円で行けるのですが、そもそも徳島港和歌山港までのフェリー代が2200円なので、その先の和歌山港駅から大阪のなんば駅までの南海電車代がまるまるタダなのです。

それだけじゃなく、徳島から関西空港高野山までもフェリー代の2200円だけで、南海電車代が全てタダ!

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もちろんその逆の大阪や関空高野山から徳島に向かう時も「好きっぷ」を買えばフェリー代の2200円のみです。コロナ前は2000円だったのが、この所の物価高騰で200円値上げになったのですが、それでもお安い!

ゴールデンウィークまだ間に合います。

南海電鉄南海フェリーの窓口で「好きっぷ」をお求めになり、お得に旅を楽しんでみてください。と南海の宣伝をしてしまいましたが、その2200円の「好きっぷ」を使って大阪に出て、大阪から関東(東京・埼玉・神奈川・千葉)まで高速バスが3500円で出ていますので、徳島から関東まで片道5700円で行けるわけです。往復でも1万円ちょっと。コロナ以前の7年間は、徳島と東京の実家に1台ずつ車を置いて、徳島⇔東京の移動はこの方法で毎月行き来していました。時間にゆとりのある人は、こんな格安の旅もおすすめです。

安くてもっと早く移動したい方は、飛行機で関西空港まで格安航空券で来て、関空から「好きっぷ」で徳島まで来る方法もあります。羽田空港は格安路線が少ないけど、成田空港発→関空行きは、ピーチ、ジェットスターLCCで5000円ぐらいの格安チケットもあり、関空→徳島まで好きっぷで2200円なのでかなりお安く移動できます。

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今年の徳島市阿波おどりは8月の12・13・14・15日で、日本麻フェスティバルは10月の28・29日に吉野川市山川で行われるので、早めにチケットを手配して格安の交通費でぜひお越しください。その際は宿も早めに予約してくださいね(^_^)

さて、格安旅の話しはそれぐらいにして…。

今回は、2週間ほど関東にいて、車で長野県諏訪の標高の高い所にいる姉と母に会いに行きつつ、徳島に戻る予定です。

その間は、あわたま製品の発送作業はお休みです。(次のあわたま便は5月の中旬から後半予定です。)

個人セッションは、数日間のメールのやり取りで行いますので、いつでも対応できます。

「個人セッションについて詳しく教えてほしい」という問い合わせに、これまで個々で対応して来ましたが、今回はご説明しますね。

以前のブログ『巫女体質』

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2020/01/16/234111

でも書きましたので、ぜひ読んでいただきたいのですが、私の父の家系は神官をしており、私は遺伝なのか、巫女体質で霊媒的なものを子供の頃から持っており、そのためにいろいろ苦労してきました。

30年ほど前に、あるセラピスト(音楽セラピーやアートセラピー)の方の元で数年間セラピーを受け、学んで来ました。その方は、世界的に名の知れたマスターやヒーラーやセラピストの元で修行をした方で、霊性も高い方ですが、決して流行りのスピリチュアル系とかではなく、もっと地に足をつけたカウンセリングをする方で、真剣に目の前の人間と向き合い、その人の苦しみの原点やトラウマをとことんまで掘り下げ、数年かけて鎮圧や心の解放をしてゆきました。その方の元で数年間学んだ後、何人かの霊性の高い方に出会いましたが、共通して言われた事が「あなたは、過去世で大切な事を学び、人々に教え伝えたり、薬草の知恵で病いを治癒したりと、心と身体の両面で人々を助けて来ており、今世もそのお役目がある。」と言う事でした。

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薬草は若い頃から独自に学んでおり、薬草茶のカフェや薬膳料理をやってきて、今も薬草の製品を作ってあわたまで販売して、人々の身体のケアをしています。

心のケアとして、20年くらい前は、お金をもらわずに来る人を見てあげていましたが、タダなら見てほしいという人が殺到し、パワースポットにも案内してくれと集団で押しかけてくる人も絶えず、対応していて疲れ果てました。

タダだから来る人は、人の時間とエネルギーを奪う(テイクする)テイカーです。与える人ギバーにはなれません。テイカーは、感謝の気持ちもない。振り回されて疲れ果てるだけです。なので、距離を置く意味でも、今は、こちらの対応に見合った報酬は頂くことにしました。

基本、日中はあわたまの仕事があるので、個人セッションは、早朝や夜に数日かけて、ご相談内容についてメールのやりとりをします。そして最終的に、夜中に集中して御神託を降ろして、お伝えします。金額は、その数日間のやり取りを全部を含めて、1万円です。

これまで、多くの方を見て来ましたが、こちらの伝えた事を素直に実践してみている人は、新たな段階に進み、こちらがびっくりするくらい、とても良い方向に向かっている人が多いです。逆に伝えた事を無視して「我を通す人」は、結局これまでと同じ事を繰り返している。

せっかく、お金も払って真剣に相談したのだから、とりあえず素直に聞いてやってみたら、新たな展開が待っているかもしれないのに、自我が強く、自分の守りが強いために、本気で向き合ってくれている人の言葉も信じる事が出来ないのですね。そういう自分を通してきて上手くいっていない事に気づけない人達も残念ながらいます。

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養などいろいろありましたが、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

真剣に相談したい事がある方はぜひご連絡下さい(^_^)

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それから、徳島・埼玉は陰陽の隠された聖地で、近い将来とても重要な場所になります。

これまで、私は両方の県で重要な場所を巡りお話しする個人ツアーや大型バスを借り切って巡る団体ツアーも何度もやって来ました。10月の麻フェスに合わせて、またバスを借り切って、麻や忌部に関する場所を巡りお話しするツアーをやろうかと思いましたが、予想以上にコロナワクチン接種者の呼気や身体から出ている物質のシェディングがキツく、未接種者の中には、ワクチンを複数回接種している人の側にいると具合が悪くなる人も多くいるので、以前の様に大型バスに大勢乗って1日巡るツアーは難しい事もあり、1回に5人くらい参加の小規模なもの(私の車で巡るとしたら3人まで)の『あわたま(阿波・埼玉)めぐり』を月に1回ぐらいやって行こうかと思います。

徳島または埼玉の重要な場所にご案内して、どうしてここがこれからの日本にとって重要なのかお話しします。これも個人セッション同様に参加費は一名1万円いただきます。(朝9時〜午後3時まで。昼食代・燃料費などは参加費に含まれないので個人で負担。)個人セッション同様に興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りします。あとワクチンを複数回接種されている方もシェディングの関係で残念ながら参加は難しいです。

5月は前半なら埼玉、後半なら徳島どちらかで1回は開催する事は可能です。

真剣に話しを聞きたい方はご連絡ください。

最後に皆さんにお伝えしておく事は「本当に重要な場所や人は、隠されているという意味でも、とても地味で目立たない」のです。伊勢や出雲が最も重要な聖地だと思っている人や見るからにカリスマなオーラを放って、いかにも霊能者っぽい人が本物だと思っている人には、私の見た目はあまりに普通で何のオーラもなく、ご案内する「あわたまめぐり」はあまりに地味な場所ばかりで物足りなく感じると思います。そういう派手なほうが好きな方は、ご遠慮ください。

『WBCの余韻』

早いもので今日で3月も終わりですね。

ここの所、干し野菜や春の薬草の収穫や花茶作りに忙しくしておりました。

大好物のふきのとうでふき味噌を作ったり、つくしで佃煮を作って、ご飯のお供として毎日春の味覚を楽しんでいます。特につくしは、ビタミンB群、ビタミンE、カリウムマグネシウム、リン、亜鉛、銅など様々な栄養が含まれており、ビタミンEは野菜の中でトップクラスで、カロチンやアンチエイジング効果が期待できる抗酸化成分も多く含んでおり、この時期にしか食べられない貴重な山菜です!今年は暖かく、桜も早かったですが、薬草や山菜の芽吹きも早いですね。

毎年の4月の半ばにやる「春の恵み便」という山菜の詰め合わせの準備が早まって、4月の前半になりそうです。

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今日は夫の命日です。3月は、親しかった友人・知人の命日が多く、12年前には東日本大震災もあり、多くの命が失われた月でもあるので、毎年、故人を偲んで、なんとなく物悲しい気持ちで桜を眺めていますが、今年の3月はWBCがあり、日本中が盛り上がり、私も侍ジャパンから元気をもらいました(^_^)

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私の古巣TBSのWBCテーマソングは、以前からずっと80年代に流行ったアメリカのロックバンド・Journey(ジャーニー)のSeparate Ways(セパレート ウェイツ)で、この曲がヒットした当時、私は高校生でジャーニーが好きで来日コンサートに行って、スティーブ・ペリーの生歌で聴いたのを覚えています。

40年近く前の80年代のヒット曲が今も色あせる事なくテーマソングとしてWBCを盛り上げている事が嬉しい。

https://m.youtube.com/watch?v=e0N5hv47r04

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今回、とても感銘を受けたのは、キャンプ初日から合流したダルビッシュ選手が日本代表の若手投手達に公式球を投げこなすコツや自分の技術を惜しみなく、とても献身的に指導している姿で「ダル塾」と呼ばれていましたが、オフの日は皆を食事に連れて行き、その姿は息子に対する父の様な「父性」を感じた。また周りへの細かい気遣いや配慮は「母性」を感じ、カタカムナで言うサヌキ性(男性の本性。目的に向かって突き進む力。現実化させる力。)とアワ性(女性の本性。生み出し育てる力。柔軟性があり、受容する力。)をバランス良く持っている人だと感心した。

栗山監督が最後に「ダルビッシュジャパン」と言っていたのもうなずけた。

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試合で見応えがあったのは、やはり準決勝・決勝の2日連続の死闘でしたね。

日本での試合が終わって数時間後にアメリカに向かい、疲労と時差ボケの中・数日後には、準決勝・決勝という超ハードスケジュールにもかかわらず、世界中を魅了する様な試合展開で、全員メジャーリーガーの強いメキシコに9回裏にツーベースヒットで出塁した大谷選手が二塁から雄叫びを上げて、仲間を鼓舞して、逆点サヨナラという劇的勝利!

WBCではいつも名選手が期待の重圧からスランプになるが、三冠王の村上選手が不調からのサヨナラヒット!まるで優勝したかの様に喜ぶ侍ジャパンの選手達。あの結末は、ドラマチックでしたねー。

その興奮冷めやらぬまま、次の日の決勝戦もドラマが待っていた。

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勝戦入場にそれぞれの旗手をつとめたこの二人が、最後に一騎討ち!

巌流島の武蔵と小次郎の決闘か?!すごすぎる…。トラウトを三振に打ち取った大谷選手もすごかったが、日本の若手ピッチャー達が次々にメジャーのスター選手を三振など打ち取る姿が爽快だった。日本の投手のレベルの高さを世界に知らしめた。

本当に良い試合でした。優勝おめでとう!

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でも私が今回のWBCで印象に残った試合は、佐々木朗希投手が3.11に先発登板した試合です。あの日は、東日本大震災から12年目で被災した佐々木投手の父親と祖父母の命日でもあり、そんな日に世界デビューとして登板する佐々木投手の姿に感動しました。

佐々木投手は、岩手の陸前高田出身で、震災後は隣りの大船渡の高校で野球を続けていた。

私が空間造りでお世話になっていた、伝統工法の大工の棟梁が岩手の大船渡出身の方で、震災の直後にその集落に物資が届いていないとの事で、私が呼びかけて、関東のあちこちから物資を集めて、棟梁のトラックと私が運転する借り物のランドクルーザーに物資を詰め込んで、岩手の大船渡や陸前高田に物質を届けに行った。震災直後のあまりの惨状に衝撃を受けたが、大船渡から陸前高田に移動する時に津波で橋が流されており、自衛隊が車1台がやっと通れる仮設の橋を作ってくれて、そこを渡っている時に、横の海の中から3本の太い柱がニョキっと立っており、その上に照明がたくさん付いていた。なんと、陸前高田の野球場が津波にのみこまれ海に沈み、ナイターの照明だけが、海から立っていたのだった。その光景は今でも頭から離れない。佐々木投手の故郷の陸前高田は、地形から津波の高さが最も高く、一番悲惨な状況だった…。

高台に逃げて命からがら生き延びた彼が、日本最速ピッチャーになって、被災して亡くなった家族の命日に日の丸を背負って投げている姿に泣けて来た。私は宮城県も巡り仙台で楽天の球場のあたりも行ったが、地面は液状化して、野球場の建物も被災していた…。

私が震災後にカウンセリングをやっていて、福島から来られた女性は、実家の近くの野球場に地域の人達が皆んな避難して、大津波に野球場が飲み込まれて家族も近所の人達も皆が野球場で亡くなったと話しながら泣いていた…。

3.11という日はそういう多くの人達の思いの詰まった日なので、東北出身の佐々木朗希選手や大谷翔平選手が活躍する姿は、被災した東北の方々にとって励みになり、喜びはとても大きいと感じた。

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WBCを優勝で飾った侍ジャパンの栗山監督のリーダーシップやチームマネージメントが、今とても高く評価されている。

責任にこたえる→レスポンスリビティ(返す)

自分の言葉に責任を持ち、約束を守る。

栗山監督は『出来るか出来ないかよりもやるかやらないかが重要なんだ。』と言っていた。

出来ないのとやらないのは違う。

やってみて(努力して)出来なかったのは問題ない。問題なのはやる努力もしないという事。まず「やってみよう!」という気持ちを大切にして、やると決めたからには、簡単に「やーめた。」と途中でなげださずに最後までやり抜く覚悟が必要です。

そうやって努力している選手達を信じ抜く。

私も年下の人達に同じ事を伝えている。

口ばかりでやらない(行動が伴わない)人は信用されないし、中途半端で投げ出す人とは一緒に出来ないと思われても仕方がない。やると決めた事は出来る出来ないにかかわらず、時間がかかってもやってみる。自分の発した言葉に責任を持つと言う事。

そう言う人とは、信頼関係が築ける。

「この人を信じてみよう」と心から思える。

大谷翔平選手は18才の時に70才までの自分の人生の計画ノートを作っていた。

そのノートには『27才の時にWBCに出てMVPを取る』と書いてあった。(コロナで開催が1年ずれた)ノートを書いて10年後に有言実行でそれを達成している。

口で「やる」と言うのは誰にでも言えるが、それを実現するために10年間努力をし続ける事は、信念が伴わないと出来ない。努力した結果、実現出来なくてもそれはいい。

大切なのは、自分の発した言葉に責任を持ち、行動する事。

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今回、初参加のアメリカで育った日系のラーズ・ヌードバー選手も9才ぐらいの時の映像で「僕は将来、日本代表選手になる!」と宣言している。そして、彼は努力して、メジャーリーガーになって、WBCで本当に日本代表になる。

彼は、努力し続けていたから、16年後に栗山監督の目に留まり、侍ジャパンに選ばれた。

ヌートバー選手のお母さんの育った実家が私の埼玉の家から近く、年齢も同年代なので、とても親近感が湧いた。今回の侍ジャパンの平均年齢は25才ぐらいだったそうで「私も20代や30代で子供産んでいたら、これぐらいの歳の息子がいたかもしれないなぁ」と思いつつ、母親目線で応援していた。

ヌートバー選手のお母さんが彼に言った事は「郷に入っては郷に従え」で、日本人は時間を守り、挨拶や礼儀を重んじる。その地の風習やその文化を尊重することが大切で、むやみに自分たちのやり方を持ち込んではならない。礼儀作法を学び、無礼のない様に気をつけてとアドバイスしたそうだ。

時間を守る事や挨拶やお世話になった人に感謝を伝える事や迷惑かけたら謝る事などは人としての基本である事を子供の頃からしっかり伝えて来たそうで、子供の頃は「厳しいお母さん」だったとヌートバーも語っていた。

彼はお母さんのアドバイス通りに一生懸命やる姿が、日本人の心を掴んで、すっかり日本に馴染んで、受け入れられていった。

明るいお母さん似でムードメーカーな彼は、真面目な日本選手の緊張をあの明るさと積極的なプレーでほぐして、チームにいいムードを作っていった。

それも全て栗山監督の先見の明で皆を導いた。

これは余談だが、栗山さんは、プロ野球の監督をやる前は、野球の解説者をしており、TBSのテレビやラジオでよく解説をしており「栗さん」と呼ばれていた。

実は、私がTBSで初めてレギュラーセットのデザインを担当した早朝のワイドショー番組で、スポーツキャスターを担当していたアナウンサーの福島弓子さんと私は、いつも番組終わりでTBSの食堂で一緒に朝食を食べていて、彼女は年も近く、とても気さくな性格で、感じが良く話しやすい人だったのですが、彼女が栗さんとお付き合いしていると言う噂が局内であり、真偽の程は聞く事は出来なかったのですが「ご結婚されるのかな…」と思っていたら、数年後、弓子さんがイチローと結婚して「えっ!そうなったの?!」ととても驚いた。

TBSラジオイチローの野球番組のアシスタントを弓子さんが担当してイチローが猛アタックしたとの事。

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「えっ?じゃあ栗さんは?」と思ったら、栗さんは今も独身だった。

ネットでは、栗さんと弓子さんが別れた後にイチローと親しくなったとの事で、イチローが栗さんから弓子さんを奪い取ったわけではなく、TBSが絡んだ泥沼の三角関係という事では無さそうでした。

今回のWBCイチローがあまりテレビに出てこなかったのは、妻の元カレが監督だったから?とゲスの勘ぐりをしてしまった。

栗さんが解説者から監督をやると聞いた時「監督と言ったら厳しいイメージがあるのに、栗さんみたいな優しい人には監督はむかないのでは?」と思ったが、大谷翔平を二刀流の選手に育て、日本ハムを日本一にして、侍ジャパンを世界一にして、名実共に名監督となった。

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「上司にしたいNO.1」に選ばれ、「栗山ノート」という本も売れて、今や時の人となった栗さんが今後何をするのか楽しみです(*^_^*)

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『薬害列島』

2年前の2021年に日本でも医療関係者からワクチン接種が始まり、5月から一般の接種が始まりました。その月の私のブログです。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2021/05/19/061348

内容を読んで頂ければわかると思いますが、ワクチン接種が一般に始まる前から私は『数ヶ月間で作った、遺伝子操作された「即席ワクチン」をほとんど治験もせずに全人類が身体に入れて本当に良いものなのか…』と危惧しておりました。

そして『本当に問題なのは、ウィルスより、ワクチンが危険だと言う事。遺伝子ワクチンを人体に打つということは、人間の遺伝子組み換えに繋がってくる…』さらに『エイズウィルスが組み込まれており…免疫暴走(サイトカイン・ストーム)に襲われる…』と書いています。

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さて、それから2年経って、残念ながら日本国民の8割以上の人が接種済みで接種率世界一になってしまったわけですが、どうなったでしょう?

私が2年前に指摘していた通り、4回・5回と複数回の接種者は本来なら終末期のお年寄りにしか起きない免疫不全症になる人が多く、免疫が著しく低下したエイズの症状と同様で、あらゆる疾患を発症しています。

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この様な事態から、2023年2月2日に薬害の権威である福島雅典・京都大学名誉教授や感染症学・解剖学の井上正康・大阪市立大学名誉教授などが立ち上がり、厚労省に対する訴訟を起こし、記者会見が行われました。

会見の中での福島教授の話しです。

「28歳の男性がワクチン接種5日後に亡くなった…。健常な病気にかかったことのない人がワクチン接種5日後、奥さんが朝起きた時に見に行ったら亡くなっていた。大学病院で彼の遺体を司法解剖したら心臓が溶けていた…。横紋筋融解による心不全で突然死したということ。完全に健康な若者がワクチン接種後数日で突然死し、何万人もがワクチン後遺症で苦しみ、死亡率が上昇した。厚労省は、疑いようのない薬害を無視して接種の推進を続け、日本は『ワクチン無限地獄』に陥った。もう十分である!科学技術立国である日本で、日本人の知力が試されている!

厚労省はワクチン打った人全員にワクチン接種手帳なるものを配備して、原爆の被爆者手帳と同じようなものを配った上で、ちゃんとこれをフォローするように医療機関に周知してワクチンとの関連性があるかないか調べるべきだ!」

さらに福島教授の魂の叫びが響きました。

「科学は悪にもなり善にもなる。一定期間、善だと思ってやって来た事が全部裏目に出て今、後始末でキュウキュウじゃないですか。(ワクチンだけでなく)原子力しかり、農薬しかり、プラスチックしかり、全部次の世代にゆだねるのですか?…このままでは日本は滅びますよ!」本当におっしゃる通りです。

福島教授が今の日本の状況を怒りを込めて伝える動画2本をご覧ください。どういう状況になっているのか良くわかります。

福島教授のワクチンと死亡事例の因果関係を考える勉強会での動画①

https://twitter.com/trilliana_x/status/1623856562921177088?s=12

福島教授のワクチンと死亡事例の因果関係を考える勉強会での動画②

https://twitter.com/trilliana_x/status/1623856921521590272?s=12

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お産の現場では、接種者の流産・死産が多発すると言うありえない事が起こっている。

上のグラフを見てもらってもわかる様に、ワクチン接種が始まった2021年から流産・死産が激増している。

ワクチン接種者の卵巣・精巣・前立腺でスパイクタンパクを生成している事が海外の医学論文で判明し、ワクチンが生殖器に与える影響が病理学的に証明された。

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さらに「ワクチン3回接種した娘の生理がもう1ヶ月止まりません!ナプキンではもう無理で紙パンツです」とか、閉経が近い年齢の女性が「ワクチン接種後、半年間、生理が止まりませんでした…」とか、すでに閉経した高齢の女性が「接種後、突然大量出血が続いた…」など全国的に不正出血が相次いでいる。さらに恐ろしい事に海外のワクチン後遺症でも事例があった「青い血が出た…」という事例が日本でも起こっていた。

こんな異常を放置して、国は表向きは「少子化対策」を唱え、裏では「ワクチンによる不妊・流産・死産」など人口削減をし続けているのが現状である。

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ワクチンによって、子供を失った人、親を失った人、家族が突然死している人がとんでもない数いる。私の友人もお母さんが2回目の接種の5日後に急死した。死因は心筋梗塞とされ、ワクチンとの因果関係は認められなかった。別の友人のお父さんも3回目接種の直後、救急車で運ばれ、生死の淵を彷徨ったが、なんとか命は取り留めた。そのお父さんにお会いしたら「あれは薬害だ。もう二度とワクチンは打ちません。」とおっしゃっていた。

ワクチン接種後、全身にガンができて凄い速さで進行しあっという間に末期ガンになる「ターボガン」や心臓が溶ける「横紋筋融解」やゼリーの様な血栓ができる「血栓症」や脳のあちこちに血栓ができて認知機能が低下し「若年性認知症」になったり、手足の力が入りにくくなり、徐々に腕にも脱力が広がっていき、足も階段の上り下りができないなどの「ギランバレー症候群」など、あらゆるワクチン後遺症で苦しんでいる人がとんでもない人数いるのですが、ワクチンとの因果関係は認められずに泣き寝入りになっている。

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その現実に、日本の「薬害」の権威である福島教授が立ち上がり、国や厚労省に対して今回、訴訟を起こしたのである。なので、家族を亡くされた遺族の方や後遺症で苦しんでいる人達は、このまま泣き寝入りせずに、声をあげる時だと思います。どれだけの人数が被害にあっているのか、正確なデータも裁判では必要となりますので。

全国有志医師の会

https://vmed.jp/

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その福島教授が全国で講演もしている様で、3月に徳島にも来るそうです。オンラインでも参加できる様なので、ワクチンで犠牲になった遺族の方や後遺症で苦しんでいる方は、福島教授はデータサイエンスを重視し、薬害のデータを集めているので、ぜひ、自分の地域での講演など調べて、自分の事例を文章などにまとめて、お伝えすると良いと思います。

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上のグラフは、全国の各地域での2019年〜2023年1月までに発表されている毎月の死者数を統計したグラフです。どの地域も2021年・22年から死者数が上がっており、衝撃的なのは、先月の2023年1月の死者の数値は、どの地域も飛び抜けて増加している。

救急車の数が異常に増えていると思っていたが(年末の都内の救急件数が前年比+12万6千件増)、1月の時点でこんなに多くの死者が出ており、このまま接種が続くと2023年は空前の超過死亡数になる事が予想される。

これは、政府による大虐殺です。

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アメリカのニューズウィークでも、ワクチンの薬害で重症や死者のほとんどがワクチン接種者であることの危険性を警告している。

ワクチン接種者が世界一多い日本は、実験台になっており、今後どのようになっていくか世界から注目されているようです。

「世界一、政府の言うことを聞く国民」として、ワクチンを接種し続けて来た日本人も、このワクチンの薬害にやっと気づいて来たのか、各地の接種会場はガラガラになって来ている。

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すでにアメリカでは、今回の新型コロナワクチンの様に遺伝子操作されたmRNAタイプのインフルエンザワクチンが出来ており、これは新型コロナワクチンよりも大きな危険をはらんでいると井上名誉教授は話しており、今後作られるあらゆるワクチンの毒性や危険性を危惧している。

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さらに、世界的にワクチン接種者が減り、ワクチン薬害被害者や亡くなった方の遺族の方々によるデモや訴訟が激増している海外の現状から、これ以上ワクチン接種が厳しいと感じた人口削減を計画している世界の支配者層は、あの手この手でこの毒ワクチンを全ての人間の体内に入れようとしている。

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全ての家畜にこのワクチンを接種を義務づけ、その肉や乳製品や卵などを食べる事により、未接種者にも遺伝子を破壊するこのワクチンを体内に入れる計画で、オーストラリアやカナダですでに実施され、mRNAワクチンを接種したある牧場の乳牛200頭のうち35頭が即死したそうです。野菜や穀物にかける農薬にワクチン成分を混ぜたり、日本でもその様な肉や乳製品や野菜や小麦を使った麺類・パンや大豆製品などが出回ったり、あらゆる加工品にmRNAワクチンを混入させ、食品から体内に入れる事を実施し始めている。

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今問題になっている昆虫食のコオロギですが、これはいわゆる「日本の伝統的な昆虫食」として昔から各地でタンパク源として食べられて来たイナゴや蜂の子などとは訳が違い、「コウロギを活用した経口ワクチン」としてゲノム編集された遺伝子物質を人工合成した受精卵によって育てられた毒コウロギを粉末にして、食品に混ぜる事により、人間の体内に入れるという話しで、あの手この手で、全人類の遺伝子や免疫力を破壊しようとしているのです。

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実は「廃校を物作りをする場所に活用する」事を将来的にあわたまで考えており、2年ほど前に探していた時にお隣りの美馬市の廃校を活用して事業をやっている団体があり「何をやっているのか?」見学しに行くと「ここは研究所なので、行政の許可がないと見学ができない!」と白衣を着た女性に強い口調で見学を拒否されて、あまりに厳重な感じだったので「ここで一体何をされているのですか?」と聞いてみると「食用コウロギの研究です」と言っていた。「食用コウロギ?イナゴじゃなくて…?」

東京で育った子供時代に冷蔵庫の中にあったビンを何気なく開けた時にイナゴの姿煮がびっしり入っており「ギャー❗️」とぶち撒いてしまい、母に「何で虫が冷蔵庫に⁉️」と聞くと「田舎の知人が送ってくれたのよ。昔から日本では伝統食で虫を食べる文化があるの。」と聞き、それを友達に話したら、その子の長野に住むおばあちゃんは、遊びに行くとお皿に山盛りになったイナゴの姿煮を出してくるけど、よく見るとイナゴだけでなくバッタやカマキリも姿煮になっており「おばあちゃん豪快すぎ…」とドン引きした話しを思い出した。ご長寿大国の長野県では、20種類ぐらいの虫を昔から食べており、その代表がイナゴと蜂の子である。私も蜂の子は食べた事があり、身体が温まり、免疫力が高まるのは知っていたが、コウロギは聞いた事がなかったので2年前、徳島の廃校で食用コウロギを研究している事を知り、調べたら、コウロギには寄生虫や100度で加熱しても死なない細菌(ボツリヌス菌)があり、神経麻痺や呼吸機能障害を引き起こし、生死に関わる事もあり、古くから漢方でもその毒性を注意喚起している。2018年には内閣府も注意喚起しているのに、なぜ、そんな危険なコオロギをあえて食べるのだろう…。

 

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イナゴは昔からタンパク源として食べられており、世界的にもイナゴの大発生で農作物を食い荒らす被害ニュースはよく聞かれるので「農作物を守る意味でも食用にするならイナゴでは?」と思っていたが、今になって、もう何年も前から人口削減計画として遺伝子操作されたゲノム編集食用コウロギを準備していた事がわかった。

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しかも残念な事にその実験台として、私が見学拒否された廃校の食用コウロギ研究施設と徳島大学で育てたコウロギを粉末にして、全国に先駆けて徳島の小中学校の給食で食べさせるという。まさに人体実験に子供達を使うという、なんとも非人道的な事が始まろうとしている。

ゲノム編集された毒コウロギを子供達に食べさせてはいけない。

徳島だけでなく、食用コウロギの研究施設は日本各地にあり、すでに食品に混入され製品化されている。ワクチン非接種の人間に食品で接種させる仕組みが動きはじめている。

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また複数の研究所が、コロナmRNAワクチンの成分分析を行い、以下の金属性物質が検出された。

セシウムバリウム・コバルト・鉄・クロム・チタン・アルミニウム・シリコン・硫黄。

この中で気になるのが、放射性物質を多く含んでいると言う事。

確かに私が福島原発事故の直後の時に身体の中を何かのビームを発射しながらアリが這っている感覚があり、ワクチン接種者が体内から排出する物質によるシェディング(伝播)によって体調を崩した時に、原発事故で被曝した時と同じ身体中をアリが這う感覚を感じた。「まさかワクチンは放射性物質をおびている?」とその時に感じたが、やはりそうだった。

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行政の中には、大阪の泉大津市の様に、ワクチン後遺症に向き合う所も出て来ており、泣き寝入りではなく、皆が今の政権に本気で声を上げる時が来たと思う。

日本人は、場の空気を読み、波風立てず、輪を乱さず、おとなしく素直に国や行政に従って来た結果、この数年で超過死亡率が20万人を超えている。

東日本大震災の死者の4倍もの人がワクチン接種が始まってから死んでいるという異常事態にもっと真剣に向き合わないと、8割の国民が接種してしまった現実を考えるとこの先、本当に国が滅亡する日が来るかもしれない…。

Rebel Newsの記者がファイザー社のCEOに密着取材して問いただした動画です。

「ワクチンが感染を止めないことをいつ知って、なぜ秘密にしていたのですか?」

「役に立たないワクチンにお金をつぎ込んだ国々に払い戻しをする時ではないですか?」

「ワクチンでいくら儲けたのですか?」

https://twitter.com/funasejuku/status/1616265927523471360?s=12

私も大学卒業後、テレビ局で美術スタッフとして働いていたが、日本のマスコミ(テレビ・新聞)は政府やスポンサーに忖度(癒着)して真実を隠ぺいしている事を知り、うんざりして辞めた。

一部の地方局(CBC中部日本放送)や雑誌・週刊紙(週刊新潮・女性セブン・週刊現代週刊ポストなど)の方が忖度なく、今起こっている現実を伝えている。日本のマスコミは、権力や金に踊らされる事ではなく、真実を伝える事が報道の原点である事を思い出してほしい。

真実を隠ぺいして「嘘」を流し続けるから「マスゴミ」などと言われてしまうのである。

SNSや動画サイトでも、権力側の検閲が厳しく、真実や確信をついた投稿は、チェックされ削除される。イーロンマスク以来、ツイッターは検閲が緩くなり、これまでなら削除されていた情報が普通に見られる様になってるので、情報を知りたい時にはオススメです。

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多くの人が日々亡くなっている現実を考えたら、平和ボケしてボーッと過ごしていたり、自分の事ばかりしている場合じゃない。

食の安全が脅かされている以上、自分達で安全な物を作る事など、やらなくてはならない事がたくさんあるはず。

命に関わる事だから、ケンカになっても、その場の空気が悪くなっても、嫌われてもいいから、後で周りの人達が亡くなってから後悔しないためにも、これ以上危険なワクチンを接種しない事や食の安全性の事などをそれぞれが伝えていきましょう。

あわたまでも、ワクチンの解毒に繋がる製品や身体に安全な製品などを新鮮便・健康便・生活便で今後も販売してゆきます。

最後に紹介する動画はYouTubeでは、すぐに削除された「替え歌」の動画です。映像と歌詞の内容が今起きている事を風刺しており、これはなかなか核心をついているので、最後までご覧ください(^_^)

https://twitter.com/j_sato/status/1625511463384412160?s=46&t=WIATjKIjlI6bLj2HOw16Bw

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『年末年始の出来事』

前回のブログでもお伝えした様に、私は東京の実家で年越ししましたが、年末の紅白を父と年越し蕎麦を食べながら観ており、大トリに福山雅治が歌った時にいろいろ思い出して、感慨深いものがありました。

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福山雅治が、まだデビューする前に長崎にいた頃、インデーズのミュージシャン「SION(シオン)」の音楽に出会い、それがきっかけでミュージシャンを志して、長崎から東京に出て来たのですが、その事は『僕らの音楽』と言う番組でゲストの福山雅治が一番会いたい「尊敬すべき存在」としてSIONと対談している数年前の映像があるので、ぜひそれを後でゆっくり見ていただくと良いのですが、そのSIONは、私が高校の時に仲良くしていて、兄の様にしたっていた存在で、上京してきた福山雅治SIONに「お会いしたい!」と連絡して来た時も私はよく知っており、私と夫が親しくなるきっかけでもある人でした。

私は高校の美術学科の時にクラスメイトで新宿出身の女の子と仲良くなり、彼女の影響で洋楽にどっぷりはまり、当時CDは出始めで、まだレコードで聴く事の方が多く、新宿のレンタルレコード屋に通い詰め、イギリスやアメリカのロックバンドの音楽を聴きまくっていた。そのレンタルレコード屋のある西口のビルの片隅にSIONが2坪ぐらいの小さな音楽雑貨を売る店をやっており、友人と私はレコードを借りた後、毎回その店に寄り、好きなミュージシャンのTシャツやグッズを買ったり、借りて来たレコードをかけてもらって聴いたり、SIONと楽しくお喋りして過ごしていた。

当時のSIONは、子供の頃に見た特撮ヒーロー「怪傑ライオン丸」みたいなもしゃもしゃと髪を逆立てていたので「ライオン丸兄ちゃん」と呼んで親しんでいた。

インディーズのミュージシャンとしてアルバムを出し、新宿や渋谷でライブ活動もやっており、時々タダで見せてもらったり、店でギターを弾いてくれたりしたが、そのギターの弾き方に特徴があった。彼は私と同じ左利きで、普通のギターは右利き用に出来ているのだが、左側に抱えると弦が全部逆さまになるが、左手で器用に逆さまになった弦を弾くのだ。「凄い器用だな…」と思っていたが、左利きという事だけではなく、彼とは何か自分と不思議な共通点がある気がしていた。それが何かは、後でメジャーデビューしてからの彼のある曲を聴いて知る事になるのだが…。

私の友人はファッションデザイナー志望だったので、彼のステージ衣装などを古着をリメイクして作ってあげたり、すっかり仲良くなって二人は付き合う様になった。

私はライオン丸兄ちゃんを兄の様に思っていたので、学校の帰りに彼の店に寄っては、悩みを話したり、なんとなく側でただ黙って話しを聞いてくれるだけで、なんか癒されていた。大学に合格した時に、報告に行くと「おめでとう!良かったな」と言って、着けていたペンダントをプレゼントしてくれ、それから私は、いつもそれを身に着けていた。

大学に行ってからも時々ライブに行ったり、会って話しをしたりしていた時に、俳優・歌手としてデビューして売れ始めていた福山雅治の話しが出た。「昨日突然、事務所を通して福山雅治から電話が来て『SIONさんですか?福山雅治と申します。長崎にいる頃からファンで、SIONさんに憧れてミュージシャンを目指しました。今度ぜひお会いしたいのですが…』と言って来たので、『いいよ』と言って会う事にした。」と言っていた。

それからしばらく経ったある日、テレビの缶コーヒーのコマーシャルで福山雅治SIONの『SORRY BABY』という曲をカバーして歌っている映像が流れた。

「えっ!もうこんな事になったんだ!」

と驚いた。その後も福山雅治SIONの曲をカバーしたり、一緒に曲を書いて発表したりしている。

https://m.youtube.com/watch?v=sMKc2helOpI

TBSでセットのデザイナーをやっていた頃、ドラマの主題歌を歌った福山雅治の歌セットを一度だけデザインした事がある。その時、「あーこの人は、ライオン丸兄ちゃんに憧れて、東京に上京してきたんだよな…。」と思って見ていた。それから時が流れて今や紅白の大トリである…。

https://m.youtube.com/watch?v=GChcruOXrvc

私がTBSのデザイナーを辞めてから、車で北海道を一人旅していると、知床の岬でオホーツク海に向かって、ギターの弾き語りをしている変な男が一人いた。

聞けば、彼は住み込みでアルバイトをしながら、日本のあちこちを放浪しているストリートミュージシャンだった。

「普段、どんな音楽聴くの?」と聞いたら

「あまりメジャーじゃないから知らないと思うけど、SIONってミュージシャン…」

「えっ!知らないも何も、私の友達だよ!

このペンダントもSIONからもらった。」

と大学合格の時にプレゼントされたペンダントを見せた。すると

「えーーー!!」と驚いた彼は、SIONの事を根掘り葉掘り聞いてきた。

岡山で暮らしていた高校生の時からの大ファンだったそうで、SIONに憧れて、ストリートミュージシャンをやっていると言う。

私のもらったペンダントをまじまじと見ながら「いいなーー」とあまりも言うので、その男に「あげるよ。そんなにファンなら、私が持っているよりも大切にしそうだから。」と言ってあげたら大喜びしていた。

それが後の夫です。そんな出会いだったから、結婚して、私のすすめで、紹介した家具工房で無垢の家具を作る職人をやりつつも、週末の夜になるとSIONが昔店をやっていた新宿西口に行っては、路上で歌っており、私も何となくついて行っては「知ってる人に会いませんように…。」と内心ヒヤヒヤしつつ、側で座って聴いていた。

毎年、日比谷の野音でやるSIONのライブを観に行っていたが、結婚当初、二人で銘木の家具の材料の残り木で、箸を二膳作って、日本酒の一升瓶と一緒に

ライオン丸兄ちゃんへ。結婚しました。夫も兄ちゃんのファンです。一緒にライブ見に来ました。箸は二人で作ったので使ってください。」と書いた手紙を添えて、スタッフの人に渡してもらった。

するとその晩、SIONから家に電話があり、私が出て「わー!今日の野音のライブ良かったよー!私、兄ちゃんのファンと結婚したんだ。」なとど話していると夫が隣りで緊張のあまりカチコチになっており、「ちょっと、その夫に変わるね。」と言って変わると、夫は緊張のあまり正座しながら電話に出て、「大好きです。箸使ってください…」としか言えなかった。後で「もっと話したかった…」と言っていたが、でもずっとファンだった相手と話しが出来て嬉しそうだった。

長崎でずっとSIONのファンだった福山雅治も東京に上京して、デビューして、SIONと初めて電話で話した時、こんな感じで緊張していたのだろうねと話していた事を思い出す。

その後、夫は若くして30才で亡くなり、夫が残した埼玉県の家を3年ぶりにこの11月・12月に片付けや修繕したりしていた時に、たくさんのSIONのCDと夫が歌ったテープが出てきた。懐かしくなって、掃除をしながら聴いていた。その時に『12号室』という曲を聴いて、昔にライオン丸兄ちゃんに感じていた不思議な共通点を思い出した!

その曲はSIONの実体験を曲にした物です。

ある日とある施設に8才の少年が入所してきます。少年はこの施設にいる人たちを見て、愕然とします。

ここに入所している人たちは「普通の人間の形」をした人たちではなかったからです。

少年はショックで、ご飯も食べず、ただただベットの中に身を隠すようにじっとしている日々が続きます。

そんなある日、この少年が身を隠しているベットの中に、誰かが手紙を入れていきます。

「よかったら、12号室の私の部屋に遊びにおいで。」

手紙の主は、とてもやさしい女性でした。

少年はその女性と話したその日を境に、徐々に心を開いていきます。友達もできました。

そこの暮らしにも慣れてきた3ヶ月目の朝、突然「大人」に言われます。

「ここにいても君の場合はなんにもならない 君も家に帰りたいだろう」と。

「みんなとは違う」と言われ ここに入ってきて、そしてやっとここに慣れたのに、ここも違うらしい…。

少年は元居た教室に戻ることになります。

しかし、少年は元の教室が懐かしいとは思いませんでした。

みんなよその国の人に見えます。

少年はあんなに嫌だった施設の暮らしを思い出していました。

優しかったあの女性ことを。

彼女は、とても美しく、髪もきれいで、声も柔らかだった。

とてもいい香りで、とても温かい人だった。

彼女は全てを持っていた。

「白く長いはずの二本の足」を除けば…。

https://m.youtube.com/watch?v=XthvTgblizU

 という内容のこの歌を聴いた時に、私は子供の頃の自分を思い出して、泣いていました。

この曲の「どこにも居場所が見つからない8才の少年」はSIONで、私が彼に感じていた共通点はここだったんだと…。

以前ブログにも書いた事がありますが、私の心の痛みは、7才の時、小学校に入学したその日から始まりました。

担任の女の先生(とても年配の女性に見えましたが、おそらく50代)は、昭和初期の生まれで、戦争を経験して、昔ながらの考えの人で「皆んなが同じでなくてはいけない。足並みを乱す者は正さないといけない。」という強い信念を持っており、まず左ききの私に違和感を感じ、入学初日に皆んなの前で私の左手を強く掴み「今日から左手を使う事を許しません!」といきなり言われ、何を言われているのか理解できず、ただ恐怖で頭が真っ白になった。すぐに親が呼ばれ「学校の教材は右きき用に出来ているので、すぐに右ききに直す様に、家でも訓練してください!」と言われ、その日から暗黒の日々が始まった。

SIONも左利きだが、世界の人口のうち左ききは、約10%と少数派ではあり、日本では「左ぎっちょ」と差別視されてきた歴史がある。その日から左手で文字を書く事も食べる事も絵を描く事も禁止されたが、習慣でどうしても左手を使ってしまう。先生は常に見張っており、私が左手を使った瞬間、左手をぶったり、つねって「また左手を使って!」と皆の前で怒られた。

今なら「虐待では?」と思われる行為だが、当時は問題にはならなかった。

私は、恐怖と極度の緊張で常に手汗をかくようになり、とても精神的に追い詰められていった。

先生は「左手から右手に持ち変えるだけ!」と簡単に言うが、想像してみて下さい「今日から利き手を使っていけない!」と言われて、その日から簡単に逆の手だけで生活できますか?

右ききの人が右手を骨折して、左手だけで生活しなくてはならなくなったら、どんなに不自由で苦労する事か、利き手を怪我した人なら経験はあると思います。

今なら「簡単におっしゃいますけど、先生はできるのですか?」と言えるが、まだ小学1年生の私は、つらくて毎日ただ泣き続けているだけでした。

右手をうまく使いこなさないと先生に怒られるので、その事に必死で集中するあまりに、授業が全く頭に入らず、テストもまともにできず、

給食も右手がうまく使えずに食べられない日々が続いたので、食べる事だけは左手を使う事を許された。なので今も食べるのは左手、書くのは右手です。

そもそも右手と左手では使う脳が逆なので、脳をバランス良く使うという意味では、両ききになった事で、結果的には良かったのですが、当時は、切り替えがつかず、脳が混乱を起こして、とても苦労しました。

先生に「あなたは、知恵おくれだから、特殊学級があったら、そこに入れるのだけど、この学校にはないから教室の隅で他の事をやっていなさい。」と授業を受けさせてもらえない日々が続いた。

左ききがきっかけで差別され、人権も否定され、さらには教育を受ける権利まで奪われ、それがきっかけでクラスメイトからいじめられ、教室に私の居場所はなかった。

今なら問題教師とされるが、その後その先生は「教育熱心な教師」として当時の女性教師としては異例で「校長」に昇進しました。

多くの大人は、自分の理解出来ないものに「違和感」を感じ「異物」として「排除」しようとする。

私やSIONの様に、左ききの子供によくある症状で左右が逆転して見えたり、鏡文字・鏡絵を描いたり、さらに私は巫女体質で他には見えない存在と話していたので、先生にとっては「異物」でしかなかった。

SIONの場合は、自宅から4時間も離れた、障害者施設に入れられたけど「君はここにいても意味がない。」と言われ、家に帰され、元の学校に戻ったけど、そこにも居場所はなかった。

私が高校の時に彼を兄の様に慕い、親近感を覚えたのは、左利きで、さらに周りの大人達から理解されず、異物扱いや差別を受け、心傷ついた子供だったという事をこの「12号室」という曲を聴いて思った。

20代の時にセラピーを受けて知ったが、そうやってインディゴチルドレンやクリスタルチルドレンと言われる超自然能力(通常を超えた能力・左ききに多い)を持つ繊細な子供達は、それを理解できない大人達によって、幼い頃に虐待を受けたり、心や身体を傷つけられ、精神的に追い詰められ、命を経ってしまったり、引きこもって心を閉ざしてしまい、不幸な結果になる事が多いそうです。

ちょうど昨日、友人2人が子供の頃からの辛かった出来事や思いをシェアしてくれたので、私の事も書きました。

今回のブログはワクチンの薬害について書こうと思っていましたが、次回にする事にします。

最後にSIONの曲を福山雅治がカバーした

ノスタルジア」という曲があるのですが、これは私の高校の友人の事を歌っており、友人はファションデザインの学校を卒業して、ロンドンに留学する時にSIONと別れてしまったのですが、その後私が結婚してから、夫と行っていたSIONの日比谷野音のライブに彼女も誘い、一緒に行った事があり、その時にSIONは彼女が会場に来ている事は知らずにこの曲を歌い、彼女が私の隣りで号泣していた事を後日、SIONに伝えると「そうか。来てたんだ…。」と言っていました。

福山雅治が歌うノスタルジア聴いてください。

https://m.youtube.com/watch?v=jZC5DOcZwaA

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私は、個人セッション(カウンセリング)も仕事としてやっています。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵・仕事の悩み・地方移住・人間関係・家族との関係・いじめや虐待・霊的な話・先祖供養などいろいろです。

ご相談を受けて、数日間やりとりをして、最後に御神託を降ろし、お伝えします。

私に何か聞きたい事や話したい事がある方やご相談がある方もぜひ個人セッションでやりとりしましょう。女性が多いので、男性もぜひご相談ください!基本、日中はあわたまの仕事があるので、個人セッションは、夜にメールのやり取りで、対応していますので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は「個人セッション希望」とご連絡お待ちしております(^_^)

 

 

 

『あわたま』

新年あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願いします*\(^o^)/*

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今年の年末年始は東京下町の実家で過ごしております。その近くに「大鷲神社」があり、初詣に行って来ました。「大鷲」と書いて「おおわし」ではなく「おおとり」と読み、江戸時代まで「鷲大明神社」と呼ばれていました。ここは東京の「酉の市(とりのいち)」発祥の神社としても知られます。酉の市といえば、今では浅草の鷲神社が有名ですが、もともとはこの大鷲神社が始まりでここが一ノ酉(いちのとり)、その後千住の勝専寺がニノ酉(にのとり)、浅草鷲神社が三ノ酉(さんのとり)と広がって行きました。

そして、この大鷲神社は東京最古の寺・浅草の浅草寺(創建628年)の奥の院とされ、古来から身分の高い方々が船に乗り、川をくだって参拝に来ていた最も古く重要な神社です。

さて、この大鷲神社(鷲大明神社)がなぜ「鷲」なのか。それは、徳島・阿波麻植で古来より神聖な仕事をするシャーマン阿波忌部の祖神「天日鷲命(あめひわしのみこと)」から来ています。

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東京で私が通っていた中学校の側にも「鷲神社」があり、そのすぐそばの「普門寺」の境内にある「鷲大明神の祠」は「御酉様(おとりさま)」の元祖でここから、実家側の大鷲神社と中学側の鷲神社に御酉様(おとりさま)つまり阿波忌部祖神・天日鷲命分祀したと地元の風土記で伝えられています。

私の育った東京の地域の土地神様は、徳島の阿波忌部の天日鷲命だったのです。そして、現在の酉の市(とりのいち)は、11月の酉の日(十二支)に、浅草の酉の神社・寺をはじめ関東各地で行われる、開運招福・商売繁盛を願う祭りとなっておりますが、本来の東京の酉の市(とりのいち)は阿波忌部の天日鷲命のお祭りなのです。

ちなみに、私の名前を「玲」と名付けてくれた人も徳島出身の方で、どうやら私は産まれた時から徳島(阿波)と深いご縁があった様で、私が天日鷲命の大元、阿波麻植(徳島県吉野川市)に拠点「あわたま」を構える事は必然だった様です。

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あわたまのマークは天日鷲命を現す「勾玉の鳥(羽はうずしお・尾には麻のマーク)」になっております。

震災の翌年、2012年から徳島・吉野川市の杉を使った家具や空間作りを大学の研究室と阿波麻植森林組合で行うプロジェクトに参加し、徳島に通い始めて、2013年に吉野川市で開催された麻フェスティバル参加に合わせて、個人事業として立ち上げた「あわたま」は10年が経ち、今年2023年で11年目に入ります!

立ち上げて5年目に県庁の方から「活動を大きくしてゆくなら、法人にして助成金を取った方が良い」と言われ、2017年に一般社団法人にして、何回か助成金にチャレンジしましたがダメで、県庁の他の方から「実績ある地元企業に支払われる事がもう決まっているから、他所から来た人は地域おこし協力隊などで、よほど地域で活躍した人以外、無理ですよ。」と言われ、出来レースで事前に結果は決まっており、あえてチャレンジをする意味がない事がよくわかり、法人を続けず、5年目の継続更新はせずに、個人事業に戻す事にしました。

という訳で「一般社団法人あわたま」→「あわたま」に名前は戻りましたが、活動内容はこれまでと変わりありませんので、今後もどうぞよろしくお願いします!

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写真は阿波(藍染の麻)埼玉(勾玉の太陽)です。

実は「あわたま」とは「阿波と埼玉」を表します。阿波と埼玉は陰陽の関係にあり、忌部と中臣の2大シャーマンの原点の場所であります。私は忌部の原点の徳島県阿波麻植と中臣の原点の埼玉県秩父近郊両方に家を与えられ、30年間かけていろいろな事が明らかになって来ました。特にこの10年間は(コロナ禍の3年間を除いて)毎月徳島と埼玉を行き来して、様々な事が、わかって来ました。

私のこのブログは、2019年の11月末に「もう本当の事を皆に伝えてよい。厳しい事も皆に伝えなさい。皆が目を覚まして腹をくくる時が来た…。」と御神託を受け取ったので、ブログを開設して伝え始めました。その直後、中国からコロナ騒ぎが始まりました。

これまで私が書いたブログのランキング・ベスト5にずっと3年間入り続けていた投稿があり、徳島と埼玉が陰陽の関係にある事に触れています。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2019/12/24/064644

今回、久しぶりに徳島から埼玉に来て、この30年間に関わった場所に行き、関わった人に会い、感覚を研ぎ澄まして巡って来ました。

その事は次回にお伝えします。

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最後に昨年は、おととしの戦後最多の死者を更に更新して、多くの方々が亡くなりました。

現在、世の中は金儲けに走ってワクチンで潤っている医者や病院がたくさんあります。

その結果、多くの命が毎日失われている。

埼玉の片田舎を車で動いていただけでも、朝から夕方までに7台の救急車とすれ違いました。都会は一日中救急車のサイレンの音を聞くと都内の方が言っておりました。都内の救急件数が前年比+12万6千件増だとか…。

年末にお隣の家のご主人も救急車で運ばれました。これは異常事態です。

先日、接種を嫌がる子供に接種させてしまい、その日のうちにその子は亡くなってしまって、本当に悔やんでいるご両親のお話しを聞きました。

お父さん、お母さん、本当にこんな危険な薬品を将来ある子供達の身体に入れていいものなのか、この動画のメッセージを受け取ってください。この現役の心あるお医者さん達の声をしっかり聞いて、今一度、よく考えてほしい。

http://www.re-view.sakura.ne.jp/Download/douga1.MP4

ワクチン接種者と接した時に、未接種者の身体に様々な悪影響・症状が出ることを「シェディング」(伝播)と呼ばれる現象で、接種した人の呼気や汗腺から放出された毒素を吸い込むことで、未接種者にも影響が及びます。ワクチンにはその様な副作用がある事を随分前に厚生労働省も認めています。

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私は、4回目打ち立ての人と数時間一緒にいたら翌日顔が真っ赤に腫れ上がりました。

そして先日、未接種の友人と数時間一緒にいたら、同じ様に翌日顔が腫れ上がった。聞けば彼女の両親は5回目打ち立てだった。本人は打っていなくても、打った人と生活しているとこんなにも毒を体内に蓄積してしまうのかと体感し、体調が弱っている彼女にしばらくご両親と距離を持つ事を勧めました。

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年末まで、薬草茶の注文が入り続け、ワクチンを接種して「頭痛が止まらない…」「血栓ができ、病院に運ばれ、死の淵をさまよった…」「職場の同僚が半身付随になった…」「親がワクチン接種後に亡くなった…」「若くしてガンを発症して、あっという間に亡くなってしまった…」など続々とワクチン接種後の体調不良や死亡などの知らせが伝わって来ます。コロナに感染した方は風邪程度で回復し大した症状はなく、ワクチンを摂取した方のほうが亡くなったり、重篤な症状になっている。

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埼玉の山奥で近くに住んでいた、ジャーナリストの船瀬俊介氏が環境・健康にかかわる分野で取材、執筆を続けているが、Twitterで、世界を牛じる権力者達が40年前に今回のパンデミックやワクチンで人口調整をする事を計画し、発言している事を取り上げてツイートしていた。

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こんな事が世界規模で行われている現実を皆さんはどの様に考えますか?

私達の意識が試されています…。

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『懐かしい人々との再会と新たな出会い』

10月の終わりに3年ぶりに関東に来て、バタバタしているうちに12月に入ってしまいましたが、年内は、20年前に亡くなった旦那が残した埼玉の家が物置き状態なので、片付けて、壊れた所を修復して、お正月休み明けに徳島に戻り、あわたまの無農薬冬野菜が元気に育っていると後藤田さんからご連絡を頂いているので「新春・あわたま新鮮便!」を発送します。お楽しみにしていてください(^_^)

さて、前回のブログ『日本麻フェスティバルin鹿沼』の続きで、今回もまだ10月の出来事のお話しです。

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写真は、私が拠点にしている徳島のあわたま山の秋の恵みです!

10月は、畑から終わった夏野菜を取り除き、秋の作物(秋ナス・かぼちゃ・さつまいも・落花生・マコモ・すだち・柿・イチジク・キュウイ・栗・ぎんなん・原木しいたけなど)を収穫して、冬野菜に植え替える1年で最も忙しい時期です。

これにいつもなら、稲刈り・天日干し・脱穀・とうみ・籾摺り・精米などのお米の手作業もあるのですが、ここ2年は、カメムシ被害でほとんどやられてしまっているので、今年は稲作はやりませんでした。

以前は、忌部神社の結界の内側の御神域の田んぼを与えられて、全て昔ながらの手作業で完全無農薬のお米を育てて、令和の天皇即位の麁服(麻織物)調進の準備や儀式をやっている忌部神社にその御神域で育てた安全なお米を御供えさせて頂く事ができたのですが、私の農業をやる目的である、今後の世界情勢を見据えて、もしもの有事で燃料の輸入がストップして、耕運機などの農業機器が動かせなくなったり、自然災害などの断水や停電でポンプが動かせず、水が供給出来なくなっても、手作業でお米や野菜が全て作る事ができる様にしなければと思い、ポンプで地下水を汲み上げている忌部神社の御神域の広い田んぼはやめて、家の近くに山の天然水が染み出す湿地があり、その天然水を利用した稲作を試みています。

しかし、その湿地はマコモは放っておいてもよく育つのですが、水稲を育てるには、天然水が染み出す場所にムラがあり、1年目は上手く行かず、2年目は、水が少なくても育つ「陸稲」に挑戦するも稲穂がついた頃にカメムシが大発生して稲のエキスを吸われて失敗しました。「鉄腕ダッシュ」を参考に自家製の唐辛子や木酢液やその他自然素材をいろいろを混ぜて、自家製虫除け液を作って、カメムシにかけるとすぐにポトポトと稲から落ちるのだが、次の日にはまたびっしり着いている…。

忌部神社御神域の田んぼで、周りの田んぼが、稲の苗を食い荒らすジャンボタニシ避けの薬を除草剤と一緒に撒いており、そういう薬品を一切使わないあわたまの田んぼにジャンボタニシが集まって来た事があったが、それと同じで、周りの田んぼがカメムシ避けの薬をドローンで撒くので、薬品を撒いていない私の所にカメムシが集まって来てしまうわけです…。なんか良い方法はないかと頭を悩ませているのであります(>_<)

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あわたまで育てた稲わらは、天日干しの物なので、関東のわら細工「わらしべ」の作家水野さんから「無農薬の天日干しの稲わらは、今どき貴重だし、足踏み脱穀機で手作業で脱穀しているから、稲わらの状態がいい」と言って以前に買い取っていただき、あわたまのわらが、わらしべの水野さんの手により、様々な稲わら作品となって、里帰りして来ました。写真はあわたまの稲わら作品のいくつかと制作者のわらしべ・水野さんです。

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翌年も天日干しした稲わらをきれいに束ねて、水野さんにお渡し出来る様に準備していたのですが、コロナ禍の行動制限や感染予防のために行き来できずに、我が家で保管していました。

この10月の麻フェスに合わせて、関東まで車に稲わらを積んで届ける事になり、保管してあった稲わらを干し直し、水野さんの用意してくれていた、特注の稲わら用袋に詰め直して準備をしていました。

しかしなぜか「関東に行かない方が良い」と御神託のメッセージが降りて来て、乗るはずの車が真横から追突されて廃車になったり、もう一台の農作業用に使っていた古いバンも故障して立て続けに廃車になり、稲わらや麻フェスの準備したものを運ぶ車が突然2台とも無くなって、本当に関東に行けない状態になってしまった。写真はあわたま山猫ちゃん達の遊び場だった、今回廃車になった車2台。

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2台の廃車手続きをしてくれた自動車屋さんが中古の軽のバンを用意してくれ、整備してくれたのだが、今度はそのバンのガラスが整備中に突然割れた…。

ことごとく、乗ろうとする車に何かが起こり、私を関東に行かせない力が働いている。

「私自身に何かが起こるのか?それとも関東や東京に災いが起こるのか…?」と思い「もし、購入した車(割れたガラスを入れ替える)の納車が間に合わなかったり、台風が来て乗る予定のフェリーが欠航になったら、行くのを断念しよう。」と決めた。

というのも以前に「バスで阿波忌部の地を巡るツアー」を私が企画して全国から申し込みがあって予約で満席になった時に「中止しろ」と御神託のメッセージがあったので、「もし台風が来たら安全を優先にして延期にしよう。」と決めていたら、本当にツアーの日に台風が直撃する予報になった。

天皇の麁服の麻を育てる阿波忌部の三木家で、三木さんのお話しを皆で聞く事にもなっていたので、三木さんに「ツアーを延期して1ヶ月後にしたい。」と伝えたら「奧野さん、台風ぐらいで延期しなくても大丈夫だよ」と三木さんは笑ったが「私はそちらに伺う途中の山道が崩れる気がするのです。参加者の皆さんの安全を優先したいので、1ヶ月後にしてください。」とお願いして、延期した。

すると、ツアーの予定だった当日、四国から上陸した台風が徳島を直撃し、バスで走る予定だった三木家に向かう道が、本当に広範囲に崩れ落ちた…。翌日のニュースでその事を知り、すぐに三木さんに電話した所、三木さんの第一声は「崩れましたね…。」だった。私は心の中で「でしょ。私の直感はあたるのよ。」と思いましたが「延期にして正解でした。」と伝えました。「1ヶ月」と降りて来たので、1ヶ月後にしたら、本当にその崩れた道の修復工事が1ヶ月かかり、延期したにも関わらず、3分の2の人が再び申し込んでくれて、都合がつかなくキャンセルになった残りの席も新たな人ですぐに満席になり、キャンセル待ちが出るほどでした。

工事も終わり、開通した道を通って、1ヶ月後無事にツアーが開催できたという経験がありました。

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なので、今回、乗る予定の車が次々にトラブルになった時「行かない方がいいかな…」とも思いましたが、麻フェスの前日に東京港に着くフェリーが欠航したら、あきらめると決め、天のはからいに任せる事にしました。

すると、出発の前日に車の整備と手続きが終わり、ぎりぎりで納車され、出発の朝まで準備や荷物を積み込む作業をして、そのまま徳島港に向かい、無事にフェリーに乗船出来ました。納車が1日ずれ込んだらアウトだったので、本当にヒヤヒヤでした…。

(関東に行かない方が良いとのメッセージは、もしかしたら、大きな地震が来るのかもしれません。東京に着いてから11月.12月とずっと微振動が下から伝わって来ており、いつ大きく揺れてもおかしくない状態です。念のため備えておいてください!)

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さて、以前にもブログに書きましたが、私は車ごとフェリーに乗せて船旅をするのが大好きで、昔は、東京港から北海道の苫小牧港や釧路港行きのフェリーがあったので、よく利用していたのですが、北海道行きは1999年に茨城県大洗港発になってしまい、その他、東京港から日本各地に行く航路も廃止になってゆき、現在東京発の長距離フェリーは、唯一「徳島行き」のオーシャン東九フェリーが就航するのみとなってしまいました。(徳島港からさらに北九州までは行きます。)

なので、東京港有明フェリーターミナルの立派な建物は、北海道行きがあった頃のかつての賑わいはなく、ほとんどの窓口が閉まってうす暗く、徳島行きの窓口だけが、明るく隅を照らしているという、とても寂しい状態になっています。

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オーシャン東九フェリー」は、東京港徳島港〜北九州の門司港への航路を毎日往復しています。「フェリーびざん」「フェリーしまんと」「フェリーどうご」「フェリーりつりん」と四国4県の地名がついた4隻の長距離フェリーは、自分の車も乗せることができ、船の中は食事のできるラウンジ・お土産コーナー・ゲームコーナー・コインランドリー・大浴場もあり、ベッドの個室型の客室でゆっくりと手足を伸ばして眠る事ができ、雄大な太平洋の夕焼けや日の出を見ながら、大浴場でゆっくりお風呂に入るという事も大型の旅客船ならではの楽しみといえるでしょう。

現在徳島県で暮らす私にとって、東京の実家に里帰りするのによく使わせていただく、とてもありがたいフェリーです。燃料代の高騰で乗船料は値上がりしましたが、ずっと存続してほしい!

皆さんも四国を旅する時は、東京有明港からオーシャン東九フェリーで四国まで船旅を楽しむ所から初めるのも良いですよ!おすすめです(^_^)

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さて、徳島港からフェリーに乗り込んだ私は、徹夜だったので、まずは自分の個室で爆睡して、しっかり身体を休めてから、大浴場で、夕焼けの太平洋を眺めながらゆっくりとお風呂に入り、ラウンジで食事をして、海を眺めながら、まだ終わっていない麻フェスの準備の作業をフェリーの中で夜中までやっていました。明け方5時に「あと30分で東京港に着くので、下船の準備をしてください。」と放送が鳴り、起きて下船の準備をして、車の駐車スペースがあるデッキまで降りて、車ごと下船して、東京港フェリーターミナルの建物の前で、早朝にもかかわらず「わらしべ」のわら細工作家水野さんが迎えてくれて、コロナで渡せなかった無農薬のとても状態の良いあわたまの稲わらをたくさんお渡しする事が出来た。わらを積み替えて、東京有明港からほど近い、豊洲市場に移動して、早朝の漁港に着いた新鮮な魚の海鮮丼を食べる事にした(^_^)

実は、高校の時2年間お付き合いしていた大学生の彼が、当時の築地市場を取り仕切っていた人の息子だったので、築地市場はよく連れて行ってもらっていたが、豊洲市場に移転してからは、初めてだったので、ワクワクしながら早朝の市場を巡った。たくさんの海鮮のお店があり、モーニングセットでお刺身や海鮮の朝食をリーズナブルな価格で出しているお店もいくつかあったが、久しぶりに東京の市場に来たので、せっかくなら豪勢な魚介全部乗せを食べようと思い、マグロが酢めしの上に敷き詰められて、その上に真ん中に巨大なエビが乗り、ホタテ・カニ・ウニ・イクラ・中トロ・サーモンが乗せられた豪華な3300円の海鮮丼を水野さんと注文して食べた。わらしべ・水野さんは、倉谷仙太郎の名前で、神社で数々の和楽器やお神楽を指導して来ており、そんなお話しもたくさんして、稲わら代もいただいたので、それで食事代を支払おうとした所、水野さんがその豪華な海鮮丼も支払ってご馳走してくれた✨

水野さん美味しい海鮮丼とたくさんの稲わら代をありがとうございました!

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豊洲市場を出て、実家に向かってしばらく走ると、標識に「上野」「浅草」の文字が見えてきた。やっと東京下町の子供の頃からのホームグラウンドに帰って来たと実感した。

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しかし、秋葉原・浅草・千住などの下町を通る地下鉄開通に伴い、東京都が何年も前から各駅周辺の街を大規模に造り変えており、実家周辺も通っていた小学校も神社も友達の家も私の実家もすべて更地にして、道路も造り変えてしまったので、全く知らない街になっており、実家がどこにあるかもわからず、カーナビで調べないと、たどり着けなかった。

「こんなのふるさとでも何でもないな…」と思いながら、すでに徳島に戻りたくなった。

新築の実家は整体師の弟が1階で整骨院をやっており、その横に両親の部屋があり、2階が共有スペースと3階が弟家族の住まいの2世帯住宅になっており、コロナ禍で久しぶりに里帰りした私は、よその家に来たような感じで、なんとも落ち着かなかった…。

とりあえず、麻フェスの準備をして、翌朝早朝に首都高・常磐道東北道と高速を乗り継いで、栃木県鹿沼に向かった。

朝の7時に麻フェス会場に着くと、早朝にもかかわらず、前日に会場に搬入していた方々がいた。以前、この栃木の大森さんの麻畑で、麻の栽培を教える「縁農」に一緒に参加していた方々や私の徳島でのツアーに参加された方々などなど、懐かしい顔ぶれが揃っていた。私がフェリーで関東に向かっている投稿をFacebookで見て、さりげなく私のブースを確保してくれていた。(ヤスコさんありがとう!)

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「阿波麻植スタイルの衣・食・住」という、毎度おなじみのタイトルのあわたまブースは会場入り口入ってすぐの所で、急いで飾りつけた。(上の写真)

展示内容は前回のブログに詳しく書いたので、そちらをご覧下さい。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2022/11/08/061156

コロナ禍になってからの久しぶりの麻フェス開催となって、1日目から多くの人が来場された。私のツアーに参加された方々やこのブログやFacebookを見てくれている方々やあわたまの新鮮便や健康便など製品をいつもご注文されているお客様も北は岩手・宮城から南は鹿児島・熊本からも全国各地から何人も来られて、「あわたまの奧野さんですか?Facebookをいつも拝見しております。」とか「玲さんですか?ブログを毎回楽しみに拝見しています。」とか「玲さんに会いに来ました!はじめまして!」と言ってハグしてくる方など、10年間あわたまで草の根運動の様に地道に活動して来た事が、じわじわと日本全国に浸透して来た事を感じた。

あわたまの製品は、無農薬のものや安全で質の良い原材料にこだわっているので、決して安くはない。まだあわたまが認識されていない頃は、麻フェスで今より安くで販売しても「高いわね…」と言われてましたが、今回は、私に会いに来て、あわたまの製品を買いにわざわざ足を運んでくださる方が多く、高額にもかかわらず、びっくりするぐらいな勢いで製品が売れてゆきました。

麻製品は他のブースの販売も結構高額なので、そう高く感じなかったかもしれませんが、これまでの麻フェスで新記録の売り上げでした。コツコツと今の時代に必要な製品を作り続けて来た努力が実った気がして、とても嬉しかったです。

前日にあわたまの稲わらを購入してくれた、神奈川県のわら細工作家の水野さんもご夫婦で2日間麻フェスを堪能されていました。(店番もしていただき、ありがとうございます!)

たくさんの懐かしい人達との再会やあわたまのお客様達と初めてお会いする事が出来て、とても楽しい2日間でした!

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前回のブログにも書きましたが、阿波忌部の方々も今回は皆さん徳島から来られて、麻フェスを見学し、夜は一緒に夕食を楽しみ、同じ宿で忌部代表の木村夫妻ともお話しができ、翌日の麻フェスでは、木村さんが講演をされて、その様子を映像に撮っていただいたので、(私はあわたまブースで販売していたので、まだ講演の映像を拝見していない)後ほど、ゆっくりと拝見したいと思います。

来年は、阿波忌部の地元で麻の発祥地である、阿波麻植(徳島県吉野川市)で麻フェス開催です。あわたまの拠点でもありますので、また「聖地巡礼」ツアーをあわたまでもやろうと思っています。来年のたぶん10月の後半頃になると思いますので、皆さん今から、麻フェス&あわたまツアーのスケジュールを押さえておいてくださいね。

それまでにブログで徳島や阿波麻植の重要性をお伝えしてゆきますので、ぜひ読んで予習をしてから、お越し下さいね!

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