『龍脈から流れるエネルギー』

重要な山や神社などを地図の上で繋いでゆくと一つの線上に並んでいたり、図形が見えてきたりします。これは大地の気の流れるルートで「龍脈(レイライン)」と言います。

写真は衛星から西日本を写したものですが、阿波(徳島)の上一宮大粟神社を頂点に伊勢神宮出雲大社二等辺三角形に配置されています。

これが何を表しているかと言うと、古代日本の真の一の宮阿波国の「上一宮大粟神社」で、のちに伊勢神宮出雲大社を配置したのです。

徳島の前に私が住んでいた埼玉では、重要な神社を繋ぐと星座の図形になります。氷川神社群がオリオン座に秩父神社群が北斗七星の形に並んでいます。両方の神社群の星座のエネルギーは、龍脈を通して、私の埼玉の家がある、ときがわ町の萩日吉神社に集まります。

まだ正確な地図もなく、衛星も飛んでない時代にその配置に神社を置いた古代人は、神話の通り、天の鳥船で空を飛んでいたのでしょうかね。

こうやって、私の実家やこれまで住んだ場所・職場などゆかりの場所を繋いで行くと、皇居からの重要ないくつかの龍脈上にあり、それを繋いだら見事な風水の図形になりました。龍脈の気のエネルギーが噴き出すポイントを「龍穴」と言いますが、その風水で龍穴にあたる場所は、埼玉県飯能の山奥の私が住んだ家の場所でした。

そこは、裏に洞窟があり、水が湧き、時々つむじ風の様な風が洞窟を出入りしており、正に龍が住む穴でした。

その龍穴からのエネルギーが噴き出した大きな出来事が江戸時代にありました。

それが江戸末期の慶応2年6月、武蔵国秩父郡名栗村(現・埼玉県飯能市上名栗)で勃発し、瞬く間に関東全域に広がり、参加者10万人以上の幕末最大の一揆武州世直し一揆」です。

私の住んでた家の目の前の小川と道を挟んだ正面にお墓が立っており、そのお墓に埋葬されている人が、その「武州世直し一揆」を決起した宮大工の島田紋次郎で、その生家が昔そこに建っていました。そのお墓には、年間を通していろいろな人がお墓参りに来ていました。

私服を肥やす豪農や時の幕府を震撼させたこの一揆はただの暴動ではない。命を奪わず、金品を取らず、ただ格差社会を打ち壊そうとした、「世直し」というエネルギーで烈火のごとく関東全域に広がった。これが龍穴から龍脈を通して噴き出したエネルギーです。

その首謀者として島田紋次郎は、捕らえられて府中で獄死しますが、その後日本中に一揆が広がって行きます。

宮大工だった紋次郎が建てたのが、私が毎日、犬の散歩で山を登って、お参りしていた千手観音堂でした。その時は、全く知らずにそこに導かれていました。その観音堂の天井に描かれた絵が四国の伝説で徳島の阿波富士と言われる霊峰・高越山の山頂の高越寺の山門にも同じ伝説の絵が彫刻されており、私が埼玉から阿波に導かれた真の要因に繋がっています。

実は、阿波国(徳島)と武蔵国(埼玉・東京)は陰陽の関係にありますが、その事はいずれまたお伝えします。

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