『10年ぶり徳島開催の麻フェスを終えて…』

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10月末の麻フェスが終わった翌日から、徳島まで来られた方々をご案内する「あわたまめぐり」というツアーを何回かやり、その後麻フェスのお手伝いしてくれた方々やお世話になった方々、参加者の皆さんやご来場の皆さんにご挨拶やお手紙やお礼の品を送ったりとバタバタとあわただしく過ごしつつ、麻フェス前と後に受けた注文の製品作りや発送など麻フェス残務やあわたまの仕事もこなしているうちに、あっという間に11月が終わり、早いものでもう12月…今年も残すところあと20日ちょっとになってしまった…。

ブログをゆっくり書く暇もなかった。

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昨年10月末の栃木の麻フェスで日本麻振興会の会長の大森由久さんから「次回の開催場所は徳島!」と発表され、10年ぶりに徳島県吉野川市の阿波忌部の地元に麻フェスが戻ってくる事になり、10月28日(土)・29日(日)に『第10回 日本麻フェスティバルin吉野川』が開催された。私は実行委員として麻フェスの準備を中心に今年1年が過ぎていった…。

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麻フェスは2013年に徳島県吉野川市鴨島で開催された第2回から私は参加しており(コロナの期間3年間はお休みした)、これまでの10年間で、麻フェスに徳島からずっと出店しているのは私だけなので、メイン会場のひとつのアメニティセンター全体の展示を担当して、徳島の麻フェスならではの、これまでにない新しい風を吹かせたかったので、特にこの半年間は、私の担当スペースの出展者の選定から、展示の内容やレイアウトの打ち合わせ、参加者の宿泊の手配をしたりと、毎日全国からの多くの参加者の方々と打ち合わせしており、チラシも手分けして配り、数ヶ月間ほぼ毎週、実行委員で集まって打ち合わせして、8名ほどの少人数で進めていたのでやる事いっぱいで、もうボランティアの域を超えていて、あわたまの仕事をしながらだったので、本当に大変でした…。

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会場周辺に食事が出来る所があまりなく、キッチンカーの手配もやる事になり、地元山川で安全な食材にこだわって製品作りをやっている「マイスター社」の谷口さんに相談して、オーガニックのコーヒーを安全に空輸で日本に運んで販売している「ブルーファイアコーヒー」の高橋さんをご紹介いただき、徳島の素材を使ったこだわりメニューのキッチンカーや屋台の方々を集めたいただいた。

麻フェスなので栄養価の高い麻の実入りメニューを私がしつこく依頼して、少々面倒くさがられたけど、キッチンカーや屋台で参加の徳島の若い人達も最終的に本気でがんばって美味しい麻の実メニューを作ってくれて、参加者や来場者の皆さんに満足のいく徳島ならではの食事を提供してくれて本当に感謝しております。

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私は関東で日本武道館や埼玉スーパーアリーナなどたくさんの大きな会場でのイベントを仕事としてこなして来た経験もあり、2日間で12万7千人もの人を集め、イベントを大成功させて、知事から感謝状をいただいた経験もあるので「ボランティアだろうが仕事だろうが、引き受けたからには手を抜かず、責任を持って必ず成功させる!」という自分自身の信条があり、妥協しませんでしたが、やはり自分の仕事とボランティアを両立させるのは、本当に大変で、睡眠時間が平均3時間という日々でした。もともとショートスリーパーですが、イベント数日前から徹夜が続き、当日は気合いで動いていました…。

そんな中なんとかやり抜き、結果的に北海道から沖縄まで日本全国からの参加者・来場者多くの人に楽しんでいただき、喜んでいただき、過去最高の売り上げを記録する参加者も多かった様で、美味しい麻の実メニューも食べられて、心もお腹も満たされて、皆さん満足され、大成功だったと思います(^_^)

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今回、良かったのは、徳島の地元の方々に多く参加してもらえた事。キッチンカーの皆さんも含め、受付や駐車場や会場の係を多くの地元の人にお手伝いしてもらったが、皆さんが「素晴らしいイベントだった。声をかけてくれてありがとう!」と逆に言ってくれて、改めて自分達の育った土地の歴史「麻植と麁服」や日本の麻文化を知る良い機会になったと喜んでくれた。

また麻フェス巡回バスで近くの阿波和紙会館や旧川田小学校や忌部神社なども来場者の皆さんに巡ってもらい、紙漉き・織物・藍染体験や天皇即位の麻織物「麁服」を織った忌部神社も参拝したりと、阿波忌部によって日本全国に伝わった様々な技術を原点の場所で体験してもらった。

私はアメニティセンター全体を担当しつつ、あわたまでも地元の特産品コーナーで出店もしていたので、あまりじっくりと展示や催し物を見学する事ができず、たくさんの方々がSNSで麻フェスの感動や感謝を伝えてくれていたので、スタッフや参加者や来場者の友人からシェアしてもらった写真を紹介させてもらっています(^_^)

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いつもは出店者として参加していた麻フェスですが、今年は実行委員をやってみてわかったのは、大森さんは日本一の麻農家でお忙しいにもかかわらず、毎年こんな大変な事をこなして来ているのか…と驚きと共に実感しました。

特に栃木で開催の時は、ほぼ一人で手配して動いているそうで、今回8人で役割分担して、毎日動いてもかなり大変だったのに、改めて大森さんの凄さを感じた。

なぜ大森さんが今回の麻フェスを徳島にしたかと言うと、徳島の麻植(吉野川市)は、名前の通り、古来より阿波忌部がおお麻を植えて、育った麻から繊維を取って糸を紡ぎ、麻布を織って来た場所にもかかわらず、現在は、天皇即位の時に麁服のおお麻を育てる事以外は許可されておらず、おお麻を育てる技術も精麻から糸を紡ぎ、布を織る技術も継承されていないのが現状である…。このままでは、麁服を徳島で作る事は出来なくなる事を危惧して、阿波忌部の方々に本気で動いてもらい、麻植の麻を復活させ、織物の技術も継承し、徳島の重要なお役目を果たし続けてもらいたいという思いから、今回の麻フェスを徳島の麻植(吉野川市)にしたそうです。

『原点回帰』ですね。

これで終わったわけじゃなく、ここからが「阿波麻植の麻復活」の始まりです。

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アメニティセンターのお隣りの山川地域総合センターの「麻植や麁服の歴史」の展示や徳島を代表する染め織り作家の故・アキヤマセイコ先生の展示を見ても思いましたが、阿波の伝統文化である、麻と藍はそれぞれ別々ではなく、両方が阿波の重要な文化であり、古代に麻を染めるために発酵藍のすくもは誕生したはずですから…。

動物性タンパクの絹なら生葉で染まるけど、植物性の麻をきれいな藍色に染めるのに、発酵の力が必要だった…。忌部と海部(あまべ)が手を取り合って日本中に麻や藍染めの技術を広めたのだと思います。だから麻の栽培や織物の技術と藍染の技術は、阿波から始まっている。

『阿波から始まる“麻“と“藍“』なのです。

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阿波和紙も古来に麻で紙を作る所から始まっており、忌部の山川町には「紙漉」という地や今回の麻フェス会場のひとつ阿波和紙会館もあります。麻紙を藍で染めて藍染和紙を献上していた事もあり、阿波和紙も日本の重要な伝統文化です。

これからは、阿波の伝統文化である忌部の麻と藍染に関わる方々が手を結び、阿波文化の復活に力を入れていく事が重要になります。

徳島の阿波藍文化を次世代に伝える永原レキさんとも、最近そんな話しをしております。

彼は藍染・麻・阿波和紙を繋げる展示を仲間と共に今回参加してくれました。阿波の伝統文化を守りつつ、新しい事にどんどん挑戦している彼を私はリスペクトしております。

下の写真(中段左)にもありますが、忌部代表の木村さんと海部(あまべ)のレキさんが握手しています。

これは、徳島のある学校の校歌に「忌部と海部が手と手を繋ぎ…♪」と言う歌詞がでてくるのですが、まさに阿波忌部と海部の再結束を意味した様な写真です(^_^)

忌部の方々との会話で出たのはやはり「次の若い世代に引き継ぐ事が重要。」という事でした。麻や藍の農業や様々な技術が高齢化で、途絶えようとしています。

これで終わりではなく、ここからが始まりです。

若い人達の参加を歓迎します!

ちなみに来年の麻フェスは北陸の石川県で開催で、北陸チーム(石川県・富山県新潟県)の方々が担当するそうです(^_^)

北陸の皆さんがんばってください!

私も母の生まれが富山県で親戚や知り合いも北陸にはいっぱいいるので、ぜひ来年も参加したいと思っています。

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阿波の重要性を詳しく学びたい方のための個人ツアー「あわたまめぐり」もやっています。参加希望される方に合わせたコースやお話しをさせていただいてますので、これまで参加された方々から「参加して良かった!」と喜んでいただいています。他では聞けない事など、お伝えしておりますので、徳島県内の方々にも満足していただいております。

ご都合の良い日を指定してお申し込みください。「個人セッション」も随時受け付けております。詳しくはお問い合わせいただければと思います!