『麻植之市にあわたまも参加しています!』

四国徳島の高越山のふもとの阿波忌部の里に、大正3年からの古民家を再生させた「坂東商店〜藍染と宿〜」が、今月の15日にオープンしました。

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そこのオーナーで建築家のクボタノリコさんからの紹介文をシェアします。

「高越山の麓のかつて賑わいのあった商店街。
阿波忌部の里、吉野川市は旧麻植郡(おえ)山川町で、曾祖父の創業110年、築93年の坂東商店は町の便利な万屋よろずや)として、お米や塩も専売で戦時中も配給をしていました。

昭和初期の吉野川水系川田川の氾濫により堤防ができて道路面が高くなった事で 建物の1階部分の半分が土に埋められ店も衰退し空き家28年となるこの建物は、基礎の土台や柱は朽ちて瀕死の状態となっていました。
建物が解体される危機をなんとか再生させたい!と大がかりな古民家改修工事が始まっています。

屋号はそのままに『坂東商店 guest room〜藍染めと宿〜』として。
この建物が記憶する町の風景を蘇らせたい!場づくりから地域づくりに繋げたい!再び交流の拠点にするべくリノベーションし、この川田の地域が阿波藍の発祥とされるほど盛んだった藍染めの体験宿として、再び息を吹き込みます。」

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3月30(土).31(日)に開催されている「麻植之市(おえいち)」にあわたまも参加しております!

今回のあわたまの展示は、古民家に合わせて、渋めの陶器を中心に無農薬栽培の薬草茶・コーヒー豆も湯呑み茶碗やコーヒーカップなど器と共に販売してますので、麻フェスと違う雰囲気の製品が多いです。

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他にもヘンプコットンの作品や藍染作品やオーガニックの薬草のハンドメイド化粧品や精麻作品やオーガニック食品などいろいろな製品の販売もあり、藍染やウコン染めのワークショップも開催しております!

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徳島のミュージシャン上田耕平さんなどのLiveや麻フェスでも一緒だった、藍染の永原レキくんとその師匠の亀田悦子さんなどの座談会も開催します!

麻心さんの美味しい麻の実・麻炭・藍の粉も入った薬膳カレーやうっかり屋さんのこだわり素材で作ったハンバーガーも食べられますよ!ぜひぜひ見に来てください!

3/30(土)11:00〜20:00 31(日)11:00〜18:00
徳島県吉野川市山川町川東73-3

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私は、この1週間風邪で体調を崩しており、どうなるかと思っていましたが、なんとか参加できました(^_^)他の参加の皆さんに風邪をうつさないように入り口外のエントランスにブースを出店しております。

会場に来られない方のためにFacebookでもあわたま製品の販売をしておりますので、ぜひご覧下さい(^_^)

https://www.facebook.com/share/p/2UjNmL1q1A5aCJNQ/?mibextid=WC7FNe


夕方、藍染のレキ君や阿波和紙会館の中島さんも駆けつけましたが、私は咳と鼻水も出始めたので、片付けて夜のLiveは見ずに明日に備えて帰りました。また機会があれば耕平さんのライブ見たいと思っております!
地元のこだわりパン屋さんモクモクノートさんの吉野しゅうさんの三線と歌とそのご友人のギターと麻心のシンジさんの箱ドラムの即興ライブとても良かったです。

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31日のトークイベントでは、レキ君と藍の師匠亀田悦子さんと阿波歴史博士林博章先生とアワガミファクトリー中島 しげゆきさんとで「阿波忌部と海部」をテーマにお話しする座談会もありました。阿波忌部は脚光を浴びる機会が増えていますが、海部については、地元徳島の人達もよく理解されていなく、とても大切な事で、海部の協力の元、忌部が日本全国に麻や藍の技術や様々な製品を運び伝える事が出来たので、「忌部と海部が手と手を取り合い…」と県内の学校の校歌にもありますが、正に海部の協力なくして、日本全国にシャーマンである阿波忌部の麻や藍染の技術は伝えられなかった事を海部代表のレキ君が伝えており、大きな事業を成し遂げるには、たくさんの人の支えがあってこそ成し遂げられる事忘れてはいけないな…と感じました。

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他のイベント関連情報としては、今年の麻フェスは、北陸チームで石川県で開催予定でしたが、元日の大震災により、今年の開催は来年まで1年延期として、来年は北陸支援も兼ねて行う予定としております。北陸の皆さん、本当に大変だと思いますが、一日でも早く復興する事を祈っております!

そのかわりと言ってはなんですが…今回の会場「坂東商店」さんのオーナーのクボタノリコさんとお話しして、プチ麻フェス的な麻に関する製品販売のイベントを10月あたりやるかもしれませんので、詳しく決まったらお知らせしますね!

それから阿波の重要性を詳しく学びたい方のための個人ツアー「あわたまめぐり」も常時やっております。参加希望される方に合わせたコースやお話しをさせていただいてますので、これまで参加された方々から「参加して良かった!」と喜んでいただいています。他では聞けない事など、お伝えしておりますので、徳島県内の方々にも満足していただいております。

ご都合の良い日を指定してお申し込みください。「個人セッション」も随時受け付けております。詳しくはお問い合わせいただければと思います!

『七色の藍 -Japan Rainbow-』

2月も今日で終わり…今年はうるう年だったのね…。昨年末からずっと、おお麻の本藍染の服づくりが忙しかった。

阿波の本藍染の染液は「天然灰汁発酵」といって微生物の力で発酵しているが、冬場の寒さで染液の温度が下がり、染まりにくくなるので、染工房によっては、ヒーターなどで温めて染液の水温を上げたりするが、あわたまが使わせてもらっている地元の藍瓶は、ヒーターを使わないので、その分染める回数を増やす。f:id:Rei-wa:20240229223038j:image

写真の昨日染めた服は、10回染めて深い藍色に仕上げている。おお麻の布地は厚いので絞るのも大変でそれを染めては、きつく絞って干してを10回繰り返すのだから、何枚も染めると手が腱鞘炎になりそうだ…。

11年前からあわたまでは、おお麻の本藍染のインナーとストールを作って、毎年麻フェスの時に販売して来た。

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写真は11年前にあわたまのパンフレット用に撮影した時のもの。写真のモデルは永野理恵さんで、写真を撮ってくれた人は、有吉裕之さん。二人は、12年前ぐらいに私とちょうど同じ時期に関東から徳島に移り住んだ「移住仲間」で、理恵さんは、私の大学の空間デザイン科の後輩で、年齢は私よりだいぶ若いので、同じ時期に大学に通っていたわけではないのですが、私を徳島に導いてくれた大学の恩師が、同じ頃にご夫婦で徳島の神山に移住した彼女を紹介してくれた。ナチュラルな麻の服のイメージにぴったりだったので、モデルになってもらいました。

有吉さんは元カメラマンの方ですが、埼玉で暮らしていた時に、私の家の近くで、大きなインド料理のレストランを経営されていて、その2号店が、私の経営していた薬草カフェの側に出来て、両方通わせいただいていましたが、有吉さんご家族もちょうど同じタイミングで埼玉から徳島に移住して、徳島でバッタリお会いして、カメラマンとして、写真を撮っていただきました。今は、阿波市で「アワシャンティ」という人気のインドレストランをやっています。移住仲間の協力で、チラシを作って、11年前から、麻フェスの時だけ販売して来たおお麻の服だが、昨年末の麻フェス以降、普段からあわたまで作って販売する事にした。

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ここ数ヶ月、太陽フレア(太陽の表面の爆発現象)が発生し続けて、地球に多大な影響を及ぼしていますが、太陽活動は活発化しつつあり、来年の2025年頃をピークに太陽フレアがどんどん増えると見込まれています。太陽フレアが発生すると宇宙放射線などの電磁波、高エネルギー粒子、プラズマ(電気を帯びたガス)が大量に放出され、地球に降り注ぐ。

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おお麻や発酵藍などから放出されている「グラビトン波」は電磁波や放射線を打ち消し、身を守るには必要不可欠なものなので、太陽フレアで宇宙放射線と電磁波が地球に降り注ぐ、今年から来年は、このおお麻の本藍染の服が必需品となって来ますので、少しでも多くの人の手元に届けられたら…と思って作っております。

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さて、徳島でおお麻と藍染といったら、何と言っても、故・秋山セイコ先生です。昨年の徳島での麻フェスでも私が企画した『徳島の麻と藍の手仕事〜アキヤマセイコ遺作展』を開催して大変素晴らしい展示になりました。

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私は12年前、仕事で関東から徳島に通っている時に徳島を代表する染め織り家の秋山セイコ先生とご縁をいただき、毎月、先生の元に通わせていただきました。残念ながら、数年前にお亡くなりになりましたが、私が先生から学んだ事をコロナ禍の時に小説に書きました。

以前、あわたま仲間の後藤田さんの生き方も小説にして、『生き抜く力』というタイトルでブログで紹介したので、まだ読んでいない方はぜひ読んでいただきたいです。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2021/08/31/231947?

このお二人は私が徳島に来て、本当にリスペクトしたお二人です。今回は秋山先生の事を書いた小説を紹介します。主人公は架空の人物ですが、彼女が見聞きしている事は、ほとんど私が実際に体験した事です。藍染の事が良くわかると思います。では、ぜひお読みください。

 

『七色の藍-Japan Rainbow-』 

日本が世界に誇る色と言えば、Japan Blue(ジャパンブルー)藍色であると、私は思っていた。あの時、あの七色の藍を見るまでは…。

2年前、コロナ禍によって、働いていた店が閉店になり、職を失った私は「今は次の職をみつけるのは厳しい時期かな…いっその事、この時間を有効に使って、スキルを身につける事に専念してみようか…。」と思い立ち、かねてより、その店で扱っていた藍染の服に惹かれて、藍染の原点である徳島県に行きたいと思っていたので、この機会に学びに行くことにした。

サッカー日本代表のユニフォームや、最近では、東京五輪のエンブレムなどで藍染ジャパンブルーの事は、皆よく知っているが、藍染の歴史について知っている人はおそらく少ない。

かくゆう私も、藍染の服を販売して興味を持ち、その歴史を調べて初めて知った事がたくさんあった。

日本の藍のふるさと徳島県は、かつて「阿波の国」と呼ばれ、平安時代阿波国麻植郡で阿波忌部氏が育てた麻で織った布「麁服」を染めるために「阿波藍」の栽培が始まったのが起源とされている。

その藍の葉を収穫して発酵・熟成させた染料を「すくも」と言う。現在もその伝統を引き継いで、藍を栽培し、すくもに加工する「藍師」が徳島県には五人いる。全国で藍染に使われているすくものほとんどがこの徳島県のわずか五人の藍師が丹精込めて作った阿波藍のすくもであり、日本の藍染は、原点の徳島県が今も支えている事を知り、私はこの五人の藍師の一人を訪ねてみる事にした。

平安時代麻植郡(現在の吉野川市美馬市)で始まった阿波藍の栽培は、その後の時代に吉野川下流域が主要な産地となり、江戸時代には、阿波藩の保護奨励によって、日本最大の産地となり、阿波の藍染は一大ブランドとなった。私は現在の産地で出荷量日本一を誇る上板町の藍師の作業所を訪ねた。

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その作業所では、すくも作りが大詰めを迎えていた。阿波藍の天然染料であるすくも作りの工程を藍師の一番弟子の方が説明してくれた。「ここでの作業はまず藍を育てるところから始まります。藍の種まきは3月上旬の大安の日に行い、1年の藍の豊作を祈願して御神酒を奉ります。その後20cm位に成長した苗を畑に定植します。肥料を施し、周りの草を抜き、藍を大きく育て、梅雨明けに一度目の収穫『一番刈り』をします。刈り取った藍は天日で乾かし、裁断して、風力で葉と茎に選別する『藍こなし』を行い『葉藍』が仕上がります。一番刈りの後、肥料を施し、周りの草を抜き、藍を再び成長させ、ニ度目の収穫の『二番刈り』をします。そして同じ工程で、葉藍に仕上げ、『ずきん』と言う俵のような保存袋にて保管します。今、この作業所で行われている作業は、次の工程で、ずきんで保存していた一番刈りの葉藍を千貫ほど積み、水をかけてよく混ぜ合わせ1m位の高さに積む。これを『寝せ込み』と言い、5日ごとに水を打ち、四ツ熊手で『切り返し』元の高さに積む。切り返し作業4回目に二番刈りの葉藍を加え、その後、同じ切り返しの工程を13回ほど行う。水打ちの作業は、熟練の『水師』が担当して行う。すくもがムラなく発酵するようにふるいをかける作業を『通し』と言い、『荒通し』『中通し』『上げ通し』と3回の通しを切り返し、合計20回以上繰り返す間に行う…。」

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説明を聞いているだけで気が遠くなるような大変な作業だ。作業場を覗くと、若いお弟子さん達が、四ツ熊手でひたすら混ぜ合わせ、切り返し作業をやっていた。その熱気と発酵で湯気が立ち込め、室内の温度と湿度が高く感じた。その管理をする水師は、すくもの品質を決めるとても重要な仕事で、温度や水分の管理がうまくいかないと、赤いすくもになり、本来の濃い藍色には戻らないと言う。皆の作業が水の泡となるので、水師の責任は重大だった。私が熱心にメモを取りながら、作業を見学していると、熟練の職人さんらしき方が近づいてきた。その方は徳島を代表する藍師五人の中の一人の方だった。

「君が東京から見学に来た方かい?藍染に興味があるのなら、今日は徳島を代表する染め物の先生が来て、ここの染色工房で藍染しているから、見学するといいよ。」と言って、私を奧の染色工房に案内してくれた。

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そこには白髪だけど足腰がしっかりとされ、てきぱきと作業をするおばあさんがいた。しばらくその様子を見学していると、作業がひと段落ついて私の存在に気づき、「あなたが東京から見学に来た人?」と聞いてきた。

「はい。藍染を学びたくて、徳島に来ました。」「そう。私は徳島で50年近く染織りを教えている三木秋子と言います。」「えっ?50年ですか?」私が驚いて聞くと、「そう。家に昔の地機(じばた)と言う織り機があって、祖母から染織りを教わり、15の時から糸を草木染して、地機で布を織る事を学び、20代は藍染に没頭して、作品を作り続け、28から染織りを教えてもうすぐ78だから50年。通信教育もやっているから、全国に5千人の生徒がいるの。」「えっ?5千人ですか?」またまた驚いた!「あなた藍染の作業を見るのは初めて?」「はい!まったくの初心者です。」と言うと「じゃあ、いちから説明するわね。藍染の方法には、生葉で染める『生葉染』もあり、これは、シルク(絹)やウール(毛)などの動物性タンパク質に反応してきれいな水色に染まるので、植物性の麻や木綿は、染まりにくい。古来より阿波は麻の産地なので、植物性の麻織物を濃い藍色に染めるには、阿波藍を原料にして、発酵建てという方法に昔の人々が試行錯誤の末に辿り着いたのだと思う。この方法は、あなたが先ほど作業を見て来た、葉藍を細かく刻んで、約100日間かけて、水を打ちながら混ぜ合わせる『切り返し』を繰り返して発酵させて作られる『すくも』を灰汁で溶解し染め液を作る事を「藍建て」と言って、発酵藍の染液が出来上がる。それがこれね。」と秋子先生は、横の瓶を指し示した。

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「匂いを嗅いでみて。独特な発酵臭がするでしょう?これは『天然灰汁発酵』と言って、藍瓶の中で藍は生きている。この染め液の表面に浮く『藍の華』は微生物の働きによって泡立ち、染色できる状態まで上手く発酵した証です。大切なのは、この微生物を元気に育てるための温度管理と灰汁を入れて適度なアルカリに保ち、毎日かき混ぜてあげて、生育に適した環境を作ってあげる事。藍の華は微生物の元気印で染め時を知らせるサインでもあるの。熟成した藍瓶の中に布を漬け込み、緑がかった藍液を絞ると空気に触れた瞬間に酸化して美しい青へと変化します。それを何度か繰り返すと濃い藍色に染め上がる。」と言って、目の前で布を染め始めた。藍瓶の中で緑がかった布を引き上げ絞ると美しいジャパンブルーに変わった。「なるほど、微生物の力と酸素のおかげでこの藍色が生まれるのね…」

「そう。この発酵藍の微生物の力と麻布は最強の組み合わせで『着る薬』と言われるほど。藍や麻には、天然の抗菌性や消臭効果もあり、肌荒れ、冷え性を防ぎ、殺菌効果があるで水虫を予防し、防虫効果やまむしをよせつけないので、農作業の野良着や蚊帳にも藍染の麻素材がよく使われ、昔は『雷がなったら蚊帳に入れ』と言われていたが、麻が電気を通さない絶縁物とされ、今問題の電磁波や紫外線など人体に有害な物質から身を守ってくれる力があると昔から衣食住に使用されていた植物だったの。その藍と麻の原点がこの徳島なのだから、大切に守り抜かないとね!」秋子先生は布染める手を休めることなく、話し続けた。「残念なことに今は化学染料の時代になり、天然の発酵藍で染めた藍染は、全体の1%になってしまった。おお麻も日本では自由に栽培することができなくなってしまった…。自然環境を汚さない天然の染料であり、こんなに優れた薬効の薬草なのに、本当にもったいない。色が綺麗で価格が安いと化学繊維や化学染料の服を買いあさり、目先の事にとらわれて、日本人が大切にして来た心を無くしてしまった。この徳島で古代阿波の大切な宝を護り抜かないと…」秋子先生は、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。

「ところで、あなたのお名前聞いていなかったわね。」「そうでした!山の里の麻が美しいと書いて、山里麻美です。」「ここにピッタリのお名前ね!麻美さん、今夜泊まる所は決まっているの?」「いえ。これから探そうと思っていて。」「それなら私の家にいらっしゃい。一人暮らしだから気兼ねする事は無いわ。藍に興味があるのなら、すごいものを見せてあげる。きっとひっくり返るぐらい驚くと思うわ!」と言いながら、秋子先生は、手際よく片付けていき「さぁ行きましょう!」と早足で歩き出した。「せっかちなのかな…?」と思いながら、私は慌てて先生の後を追った。

駐車場に着くと、もうすぐ78歳の女性が乗る車とは思えない4WDのランドクルーザーに乗り込んだ。私は驚きながら助手席に乗り込むと、さらに驚いたのが、ハンドルを握る秋子先生の手だった。手首から指の爪の先まで藍色に染まって真っ青だった。「先生その手は洗わないのですか?」思わず聞くと「もう染まっちゃっていて、洗ったけど落ちないの。でも藍は身体に良いし、虫にも刺されないからちょうどいい。」と言って笑っていた。

「それより、こんな小さなおばあちゃんが、こんな大きな車に乗ってる事に驚いたでしょう?草木染めをやっていると、山に染料になる植物を探しに行くことが結構あって、道が悪いところが多いから、4WDじゃないと走れないのよ。それにこの車なら、染料の植物をたくさん積めるでしょう。」なるほど…。途中スーパーに立ち寄り買い物をした。「お金をあの青い手で支払ったら、レジの人驚くだろうな…」と思いながら見ていると、レジの人は全く驚きもしなかった。よく見ると他にも手首から先が青い人がいた。このあたりは、藍染をする方が結構いるようで、みんな見慣れているようだった。「なるほど。徳島あるあるね。」再び車に乗り込み、先生の自宅兼アトリエに到着した。 

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そこには、所狭しと先生の草木染の糸や織り物の作品が並んでおり、まるでギャラリーのようで、とてもワクワクした!私が作品を見入っている間に、先生は地元の食材を使って手際よく料理を作り、とても豪勢に振る舞ってくれた。

「初めてお会いしたのに、こんなにもてなしてくださり、ありがとうございます!」と感激しながら伝えると「麻美さんは、四国に来たのは初めて?四国には八十八カ所霊場を巡るお遍路の文化が古くからあり、全長1400kmにもなるその道のりは厳しく、私達土地の者は、通りがかりのお遍路さんに親切にすることを子供の頃から教わってきたので『お接待』が身に付いているのね。初めて会った、見ず知らずの人でも、おもてなしするのが、四国のお接待文化なのね。」と教えてくれた。四国霊場のお遍路やお接待の文化など、同じ日本でも四国は精神性の高い、特別な場所の様な感じがした。

「そういえば、先生がおっしゃっていた、ひっくり返るほど驚くすごい物って何ですか?」すると先生は、ニコリと笑みを浮かべて立ち上がり、奥の部屋から、大事そうに何かをかかえて来た。それは昔の木製の大きな二つの糸巻きに巻かれた美しく七色に輝く糸だった。

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「うわーきれいな七色の糸ですね!それぞれの色は何で染めたのですか?」「聞いて驚くなかれ!これは全部藍染です!」「えー!これが藍染?!七色全部?!」私はあまりに驚いて本当にひっくり返りそうになった。「どうやったら、こんな色が出るの…?」「きっかけはね、偶然の出来事だったの。15年前のある夏の日、自分で育てた藍を刈り取って、よく工事現場に使われている一輪車に積んで運ぼうとした時、ぎっくり腰になり、動けなくなってしまった。仕方がないので、藍を積んだ一輪車の上にブルーシートをかけて、置いておき、それから数日間、動けずに寝込んでしまった。5日目に起きて、ブルーシートをはいでみたら、真夏の暑さで内側が蒸れて、藍が変色し、発酵していた。捨ててしまおうかと思ったのだけど、せっかく育てた藍なので、もったいないから、それで染めてみる事にした。すると、驚いたことに絹糸はきれいな黄色に染まった。『藍でこんなにきれいな黄色が出るの?もしかしたら、発酵の状態や媒染などを変えてみたら、もっと他の色も出るかもしれない。』と思い立ち、それから何年もかけ、いろいろ実験をして、研究を重ねた結果、七色の藍に辿り着いたのよ。」「なるほど…長年の研究と努力のたまものなのですね。しかし、長い歴史の中で、藍色といったらあの濃い青だと誰もが認識してきたけど、潜在的にあんなにきれいな色をたくさん秘めていたとは、本当に奥が深い植物ですね。ジャパン・ブルーであり、レインボーでもあるなんて!」「これが、その七色の藍の染め方のレシピ。やってみて。」秋子先生は、印刷された紙を私に手渡した。「えっ?長年かけて研究してきた染色方法を今日会ったばかりの私にも教えてくださるのですか?」私は驚いた。「作家によっては、自分が編み出した技法は、弟子にさえ、一切教えない人もいる。特に男の人に多いわね。でもそれでは、せっかくの技術や知恵が途絶えてしまう。後世に伝え、継承されてゆく事で、新たな発展が生まれてくる。だから、私は秘密にするなんでケチな事はせずに、生きている限り、より多くの人に伝え、分かち合う事が大切だと思うの。それが忌部の末裔である私の使命だと思うのよ。先祖達がこの地に麻を植え、布を織り、藍を育て、藍染を始めた。その技術を後世に継承しつつ、新たな発見である『七色の藍』も未来に残してゆけるなんて、ステキな事じゃない!」

そう話す、秋子先生のお顔は嬉しそうで、とても輝いていた。本当に心の広い方だなぁと感心した。私もこうありたい!

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それから、私はそのまま徳島に滞在して、先生から技術を学び、本格的に染色家を目指して、徳島に移住を決めました。私の人生を変える先生との出会いと七色の藍の奇跡を未来に継承するために…。

 

『2024年・龍神島波乱の幕開け』

Rei-waのブログをお読みいただきありがとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします(^_^)

2023年中は、なんだか慌ただしくて、毎月1回の更新もできない時もありましたが、今年は毎月更新を目指します。

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今回のタイトルは『2024年・龍神島波乱の幕開け』としましたが「龍神島」とは日本の事を現しており、日本列島は龍体の形をしており「世界のひな型」とも言われていますが、龍体の背中の中心にあたる能登半島で、1月1日に震度7地震津波警報発令…。

最初の能登半島震源の震度5の地震から数えて、3日までに震度5以上13回を含む有感地震がずっと続いている。海岸付近は、一部津波による被害も見受けられ、土砂崩れで道路が寸断され、家屋の倒壊や火災により町が焼け出され、まだ下敷きになっている不明者もおり、救出活動が続いて、時間を追うごとに死傷者の数も増えている…。

年末に大掃除をして、家族が帰省して皆でお節料理を囲み、新年を迎えたその日に地震で家が倒壊して家族が亡くなるなんて、誰が想像するだろうか?

本当にいつ何が起きてもおかしくないのが現実で「明日は我が身かもしれない」のです。

これが、自然地震なのか、人工電磁波により誘発された地震なのかはわからない…。

これまでにも何度かお伝えしているが、私は子供の頃から動物的本能が強く、地震の前の地震電磁波をキャッチして血流が悪くなり、首の異常な痛みや頭痛やめまいや異常な眠けなどの体調不良を起こし、寝込んでしまう。その後、大きな地震が発生する事が多く、早い時は大地震の1ヶ月前からそうなるが、今回は大地震の2週間前から頭痛やめまいの症状が現れたので、Facebookに投稿した。

ちょうど、この直前に大規模な太陽フレア(太陽表面の爆発)が起こって、地球に電磁波や宇宙放射線が降り注いでいるので、その影響で頭痛やめまいが酷く、地震が誘発される場合がある事を一応お伝えしておいた。

📸 Facebookでこの投稿を見ようhttps://www.facebook.com/100015161135963/posts/pfbid0JuDULSYsbGkukXeNehU2hAoMjKM7PEsp5Wy1uNur9Fb14rphHhWEMdtzga3Ur1Ndl/?d=n

一部の人は、私の特殊能力かと思っている人もいるが、これは先ほどもお伝えした様に人間に備わっている「動物的本能」で、それが強いか弱いかの違いであって、皆同じ様に、有害な電磁波や放射線を浴びているのである。私と同じ様に敏感な人は「私も同じ症状です」とか「ここ数日、頭痛やめまいがします」とか「異常に眠いです…」とか多くの反応が返ってくる。そういう情報を皆で共有する事で、日本のどこで地震が起きても備える事が出来ると思いSNSで伝える様にした。

東日本大震災の時も事前にキャッチして、その時はSNSをやっていなかったので、会う人ごとに「大きな地震が来るかもしれないから、備えておいて!」とお伝えしていた。

その後、あの大災害が起き、すぐに物資を東北に運んで、被災地の状況を目の当たりにして愕然とした。「皆が情報を共有して備えていれば、避難も素早く出来たかもしれない…。」と思い、以来Facebookで体感を伝える事にした。

今回は2週間前にFacebookで伝えてから、体調が悪い中、溜まっていた注文や作業をこなすのが精一杯で30日に仕事納めをして、大晦日になり、蓄積した疲労と強い地震電磁波による頭痛とめまいで寝込んでしまい、そのまま年越しして元日になっており、具合の悪いまま大地震が起きた…。

以前は大地震の来るしばらく前から自然界に兆候が現れて来ていたが、ここ最近の地震の特徴は、前兆現象があまりなく、地震発生直前(前日)に強力な電磁波を感じるので、これはHAARPなどの装置による強力な人工電磁波により誘発されているのかもしれない…と感じている。今回も北陸を狙った人為的なものが伺える。北陸電力能登原発などが要因として関係しているかもしれない…。

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地球は生命体で人間の身体のように生命エネルギーの通路である経絡や、エネルギーの中枢であるチャクラもある。

人間は氣の流れが悪くなると病気になるように、地球も人間の自然破壊により傷つくと、経絡のエネルギーの流れが悪くなり、その自然治癒力の発動として地震や噴火、異常気象などの自然災害が起って氣の流れを調え、バランスを取ろうとする。

古代にはその事が深く理解されていて、人間の鍼灸師に当るような地球の治療をしていた人達がいて、日本では弘法大師空海はその一人です。彼は、四国香川出身の「讃岐忌部」ですが「阿波忌部」の神通力を身につけるために阿波(徳島)麻植(吉野川市)の修験の山である高越山で修行をした。「忌部」は、阿波忌部・讃岐忌部・紀伊忌部・奈良忌部・出雲忌部などの五大忌部が有名ですが、当時の文化の中心は何と言っても阿波国であり、シャーマンとしての阿波忌部の神通力は最強だった。写真は空海が高越山で瞑想修行をしていたとされる穴です。

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「高越山」は、徳島の人々からは「阿波富士」と呼ばれる美しい山容の山であり、聖なる山です。

遥か太古の昔話ですが、龍神島の動力は列島の腹部の四国でした。先ほどもお伝えした様に地球の経絡のエネルギーの流れであるアザトフォース管(アザトフォースとは磁場の磁束のこと。地磁気。)の出口が阿波の高越山(阿波富士: 1133m)の山頂に開いており、当時の四国は物理的な活性力が満ち溢れていたと思われる。

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高越山(こうつさん)の山頂には真言密教の高越寺が建立され、高越寺から南に600m程歩くと、高越神社の上の弘法大師空海の石像が立っている山頂に地底から続く火山道(アザトフォース隧道)が開口しています。ここは古事記で有名な伊邪那岐命伊邪那美命に会いに行った伝説の場所ですが、日本国全体のエネルギー・スポット、火山運動や地震運動(いずれもガス抜き運動)を司る中枢の場所です。高越山全体がそうなのですが、そのアザトフォースを管理しているのが「蔵王権現」と「大黒天(シバ如来系)」で、山頂の奥の院には、伊邪那美命も祀られています。

さて、その高越山で阿波忌部の神通力を身につけた弘法大師空海は、様々な伝承が残っていますが、今年は辰年なのでその中の一つをご紹介します。

天長元年(824)の春の事。 長い間雨が降らず日照りが続いて庶民が苦しんでいました。

そのため時の天皇が「雨乞いをせよ」と西寺の「守敏」と東寺の「空海」に雨乞いを命じました。

まず、西寺の守敏が7日間雨乞いをしました。

ほんの少し雨が降っただけでした。

次に空海が7日間の雨乞いをします。

しかしまったく雨が降りません。

おかしいと空海が神通力で調べると、なんと、その守敏の仕業で全国すべての龍神が封じ込められていました。

しかし唯一「善女龍王」だけは守敏の呪力から逃れていることが分かりました。

そこで空海は、さらに2日間の延長を願い出て、善女竜王を呼び寄せました。

そして、雨乞いを行ったところ、長さ9尺の龍が姿を現し、たちまち大雨が降り始めました。

しかも、その大雨は3日3晩日本中に降り続き干ばつの日本を救いました。

空海が開山した高野山には、不動堂の南に「蓮池」があります。その池の中央にある小島に、善女龍王を祀る社(やしろ)があります。蓮池の小島に祠(ほこら)を造営した際、善女竜王像をお祀りすると、なんと、瞬く間に大雨が降りだしたそうです。

写真は善女龍王のお姿で、その背景の般若心経は私が皆様の無事を祈って書きました。

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般若心経は、お釈迦様が仏教の修行で使われたので、仏教のものだと思われていますが、実は沈んだムー大陸の王が「生きとし生けるものが、無事に次の世に渡れるため」に月のエネルギーを文字に残した「大般若経」と言う全600巻にわたる経典を霊能者である三蔵法師が276文字の「強力な呪文」にしたものです。西遊記と言う物語は、インドのガンダーラにある大般若経の経典の原本を探しに行く旅の物語なのです。

そしてその般若心経を弘法大師空海が開創されたと伝えられている四国八十八ヶ所霊場を巡礼するお遍路さんが、日々称える事で、四国に一周ぐるっと結界を張り続け、護り続けていると御神託で降りて来ています。

四国の重要性に弘法大師は気づいており、護るために八十八ヶ所霊場で結界を張り、対岸の高野山から四国に向かって祈りを捧げていたのが「阿字観」です。阿字観とは、真言宗における呼吸法・瞑想法で、屏風の中に大きな「月輪」を描き、その中に梵字の「阿」の文字が蓮華の花の上に鎮座している図を表し「阿」の文字と月の「輪」で「アワ」なのです。阿字観とは、和歌山の高野山から対岸である阿波(徳島)の高越山に毎日祈りを捧げていると、私が高野山に行った時に空海の御神託が降りて来て、とても腑に落ちました。高野山ではそうは伝えていませんけどね(^_^)

私が拠点にしている、あわたま山の工房の窓からは高越山が見え、その尾根づたいに繋がる「奥野々山」や「東宮山」が見えます。高越山の住所は「奧野井」と言い「奧野井川」という谷川が流れています。「奧野」のルーツは高越山にあるのではと、勝手に親近感が湧いております。奥野々山から尾根伝いの東宮山の「東宮」とは「皇太子」を表し(東宮御所など皇室ゆかりを意味する)、その東宮山のふもとの木屋平には、天皇即位の際のおお麻畑がある。近年までその辺り一体までを「麻植郡」と言っていた。

ここは、いろんな意味で重要な場所である。

詳しい話しを聞きたい方は、私の「あわたまめぐり」にご参加いただければ、現地にご案内してお話しします。

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さて、地震が人為的の可能性もあり、ワクチンも毒物だとわかってきた今、世界をぎゅうじる大国達は次は何を日本に仕掛けて来るのでしょう?

日本人はもっと怒るべきだと思います。大国の言いなりで、権力者のいいなりで、多くの人が命を落としている…。自分達の命がかかっているのだから、自分達の意志をはっきり伝える。嫌なものは嫌ですとはっきり言う!

いい人やったり、忖度してNOが言えないから、モルモットにされて、殺されている。
本音を言ってまわりから嫌われようが、後ろ指さされようが構わない。命が優先です。

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喜怒哀楽とは人間のもっている「喜び・怒り・悲しみ・楽しみ」の四つの感情。その喜怒哀楽は人間に与えられた平等な感情で、日本人はとても片寄っている。昔から波風立てず、空気を読んで、その場を丸く収めるのが良い事だと教えられ「怒る事」はいけない事と思いこまされている。その日本人の国民性をいいように利用され、日本が世界であまったワクチンの在庫処分場にされ、世界のどの国よりも毒ワクチンを打たされまくって、欧米の作ったワクチンの人体実験場にされている…。 

日本人がワクチンを打てば打つほど、欧米が儲かる仕組みになっている。

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そして、昨年も大勢が死に、知人の経験では今や火葬場が混み合って1〜2週間待ちだそうだ。身内が亡くなってもご遺体を2週間自宅に置いておかないとならないという事態になっている。

そしてその日本の火葬場は中国資本が多く入っており、日本人が大勢死ねば死ぬほど、中国が儲かる…。日本人は、命を落としてまで、大国達の食い物にされている…。

このままでいい訳がない…。

目を醒ませよ!日本人!

大国の言いなりで税金を使って、国民の命を奪っている政府に対してもっと怒りましょう!

命が優先!
「もういい加減にしろ!」って本気で怒らないと本当に絶滅するよ…。

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良く考えてみたら、おかしい事はよくわかるはずなのですが、例えば数年前に、ユッケやレバ刺しで食中毒を起こしたお店は、名指しでマスコミに連日報道され、閉店に追い込まれ、食中毒で死者が出たら、国がユッケやレバ刺しを販売禁止にした。

ワクチンは、薬害による副作用や後遺症がこれだけ多く出ても、マスコミは騒ぎたてず、製薬会社は倒産もせず、これだけ多くの死者が出ても、国はワクチンを禁止にするどころか引き続きワクチンを投与し続ける。

おかしくないか⁉️

ワクチンを打つ派と打たない派で、家族や夫婦や友人関係に対立や亀裂が生まれ、私の身近でも「子供に打つ・打たない」で夫婦で対立し、離婚した人達もいる。私自身も家のリノベーションの事をいとこに相談しに行ったら「ワクチンを打ってから出直してこい!」と言われ、それっきりになってしまった…。

また、最初は社会的に肩身の狭い思いをしていた非接種者が、後遺症や死者が増えるにつれ「ほら見たことか!」と鬼の首を取ったかの様に接種者を馬鹿にした投稿もX(Twitter)などでは見受けられる。「強制ではないので、接種して亡くなっても、自己責任だ。」とまるで、国の責任逃れの逃げ口実と同じ様な事を言う人も多い。しかし、本当にそうだろうか?

接種した人の自己責任ではなく、こんな人類史上最大の薬害を行なっている国や製薬会社の責任だし、それらに忖度して、多くの死者を出している真実をきちんと伝えない新聞・テレビなどのマスコミにも責任があるし、強制ではないのに、接種しないといけないほぼ強制の様な状況にしている社会にも問題がある。

接種したくないと言い続けた中学生が、学校の野球部で全員接種するのだから、しないと迷惑がかかると親に説得され、仕方なく接種して、その日の夜に亡くなった。親は「嫌がっていたのに、無理矢理接種させてしまった…」と泣き崩れていた。

また、他の話で、接種したくなかったが、介護の現場で接種を強要され、解雇を恐れて接種した…。

また、親の入っている施設は、接種した人しか施設内に入れず、面会も親の最後を看取る事もできないので、仕方なく接種した…。

など、ワクチンなんて打ちたくないのに打たざるえない状況にある事も多く、その結果亡くなったり、心筋梗塞脳梗塞を発症したり、ターボ癌を発症している人もいる…。

まだ生きられる命をこんな形で奪われた人達に「自己責任でしょ。」と冷たく言えますか?

人生100年時代と言われ、平均寿命が男女共に80代越えの長寿国日本で、昨年どれだけ多くの80にも満たない、まだまだ生きられる人達が死んでいった事か…。

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日本のミュージシャンを見ても高橋幸宏さん、鮎川誠さん、坂本龍一さん、谷村新司さん、もんたよしのりさん、HEATHさん、KANさん、八代亜紀さんなどなど、皆さん80代までいかずに若くして亡くなっている。

下の写真の人気ミュージシャンなんて全員50代で昨年亡くなっている…異常でしょ?!

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一般の方々もまだ生きたかっただろうに、大勢が無念の死を遂げている。

こんな事、許されるわけがない…。

私は、東京の下町育ちだから江戸っ子気質が強く、筋の通らない事が嫌いで「顔洗って出直してこい!」ってはっきりと言ってしまうタイプなので、人の顔色伺って、空気を読んで、忖度して、権力に媚びて言いなりになる生き方はしてこなかった…。

私はそういう意味では、昔から日本人ばなれした変わり者で、周りから理解されずに生きてきた。先日、あわたまのお客様からメールをいただきました。

「人は、優しい言葉をかけてくれる人は良い人と思いがちですが、果たしてそうなのか…わたしは真剣に考えた事があります。
実は厳しく叱ってくれる人の方が人間身があり、心の底から思いやりがあり温かい人ではないかと…

わたしは生きてきてそう思っています☺️

だから玲さんみたいな方大好きです☺️

これからも玲さんらしくいてください✨
わたしも自分らしくいれる様に努めます☺️」

というメッセージでした。
その通りで、本当に心配しているから厳しく言う。耳触りの良い事しか言わない人達を周りに寄せているだけじゃ、成長しないし、何も解決しない。
厳しくても、本当の事を言ってくれる人こそ、私は、一番信頼の出来る人だと思うのです。
でも人間って図星な事を言われたくないから、私みたいにストレートな人間は嫌われるのです。相手の事を思って言っているけど、なかなか伝わりませんね…。でも彼女の様に何人かは、こちらの真意を理解してくれているので、ありがたいです(^_^)

これからも下町のお節介なお説教ババアを貫き、言いたい事を言わせていただき、口だけじゃなく、さらに行動もしてゆきます!

今年もあわたま・奧野玲共によろしくお願いします(^_^)

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最後に今回の能登半島地震やワクチンでお亡くなりになった多くの皆様のご冥福をお祈りします…。

阿波の重要性を詳しく学びたい方のための個人ツアー「あわたまめぐり」もやっています。参加希望される方に合わせたコースやお話しをさせていただいてますので、これまで参加された方々から「参加して良かった!」と喜んでいただいています。他では聞けない事など、お伝えしておりますので、徳島県内の方々にも満足していただいております。

ご都合の良い日を指定してお申し込みください。「個人セッション」も随時受け付けております。詳しくはお問い合わせいただければと思います!

『10年ぶり徳島開催の麻フェスを終えて…』

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10月末の麻フェスが終わった翌日から、徳島まで来られた方々をご案内する「あわたまめぐり」というツアーを何回かやり、その後麻フェスのお手伝いしてくれた方々やお世話になった方々、参加者の皆さんやご来場の皆さんにご挨拶やお手紙やお礼の品を送ったりとバタバタとあわただしく過ごしつつ、麻フェス前と後に受けた注文の製品作りや発送など麻フェス残務やあわたまの仕事もこなしているうちに、あっという間に11月が終わり、早いものでもう12月…今年も残すところあと20日ちょっとになってしまった…。

ブログをゆっくり書く暇もなかった。

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昨年10月末の栃木の麻フェスで日本麻振興会の会長の大森由久さんから「次回の開催場所は徳島!」と発表され、10年ぶりに徳島県吉野川市の阿波忌部の地元に麻フェスが戻ってくる事になり、10月28日(土)・29日(日)に『第10回 日本麻フェスティバルin吉野川』が開催された。私は実行委員として麻フェスの準備を中心に今年1年が過ぎていった…。

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麻フェスは2013年に徳島県吉野川市鴨島で開催された第2回から私は参加しており(コロナの期間3年間はお休みした)、これまでの10年間で、麻フェスに徳島からずっと出店しているのは私だけなので、メイン会場のひとつのアメニティセンター全体の展示を担当して、徳島の麻フェスならではの、これまでにない新しい風を吹かせたかったので、特にこの半年間は、私の担当スペースの出展者の選定から、展示の内容やレイアウトの打ち合わせ、参加者の宿泊の手配をしたりと、毎日全国からの多くの参加者の方々と打ち合わせしており、チラシも手分けして配り、数ヶ月間ほぼ毎週、実行委員で集まって打ち合わせして、8名ほどの少人数で進めていたのでやる事いっぱいで、もうボランティアの域を超えていて、あわたまの仕事をしながらだったので、本当に大変でした…。

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会場周辺に食事が出来る所があまりなく、キッチンカーの手配もやる事になり、地元山川で安全な食材にこだわって製品作りをやっている「マイスター社」の谷口さんに相談して、オーガニックのコーヒーを安全に空輸で日本に運んで販売している「ブルーファイアコーヒー」の高橋さんをご紹介いただき、徳島の素材を使ったこだわりメニューのキッチンカーや屋台の方々を集めたいただいた。

麻フェスなので栄養価の高い麻の実入りメニューを私がしつこく依頼して、少々面倒くさがられたけど、キッチンカーや屋台で参加の徳島の若い人達も最終的に本気でがんばって美味しい麻の実メニューを作ってくれて、参加者や来場者の皆さんに満足のいく徳島ならではの食事を提供してくれて本当に感謝しております。

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私は関東で日本武道館や埼玉スーパーアリーナなどたくさんの大きな会場でのイベントを仕事としてこなして来た経験もあり、2日間で12万7千人もの人を集め、イベントを大成功させて、知事から感謝状をいただいた経験もあるので「ボランティアだろうが仕事だろうが、引き受けたからには手を抜かず、責任を持って必ず成功させる!」という自分自身の信条があり、妥協しませんでしたが、やはり自分の仕事とボランティアを両立させるのは、本当に大変で、睡眠時間が平均3時間という日々でした。もともとショートスリーパーですが、イベント数日前から徹夜が続き、当日は気合いで動いていました…。

そんな中なんとかやり抜き、結果的に北海道から沖縄まで日本全国からの参加者・来場者多くの人に楽しんでいただき、喜んでいただき、過去最高の売り上げを記録する参加者も多かった様で、美味しい麻の実メニューも食べられて、心もお腹も満たされて、皆さん満足され、大成功だったと思います(^_^)

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今回、良かったのは、徳島の地元の方々に多く参加してもらえた事。キッチンカーの皆さんも含め、受付や駐車場や会場の係を多くの地元の人にお手伝いしてもらったが、皆さんが「素晴らしいイベントだった。声をかけてくれてありがとう!」と逆に言ってくれて、改めて自分達の育った土地の歴史「麻植と麁服」や日本の麻文化を知る良い機会になったと喜んでくれた。

また麻フェス巡回バスで近くの阿波和紙会館や旧川田小学校や忌部神社なども来場者の皆さんに巡ってもらい、紙漉き・織物・藍染体験や天皇即位の麻織物「麁服」を織った忌部神社も参拝したりと、阿波忌部によって日本全国に伝わった様々な技術を原点の場所で体験してもらった。

私はアメニティセンター全体を担当しつつ、あわたまでも地元の特産品コーナーで出店もしていたので、あまりじっくりと展示や催し物を見学する事ができず、たくさんの方々がSNSで麻フェスの感動や感謝を伝えてくれていたので、スタッフや参加者や来場者の友人からシェアしてもらった写真を紹介させてもらっています(^_^)

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いつもは出店者として参加していた麻フェスですが、今年は実行委員をやってみてわかったのは、大森さんは日本一の麻農家でお忙しいにもかかわらず、毎年こんな大変な事をこなして来ているのか…と驚きと共に実感しました。

特に栃木で開催の時は、ほぼ一人で手配して動いているそうで、今回8人で役割分担して、毎日動いてもかなり大変だったのに、改めて大森さんの凄さを感じた。

なぜ大森さんが今回の麻フェスを徳島にしたかと言うと、徳島の麻植(吉野川市)は、名前の通り、古来より阿波忌部がおお麻を植えて、育った麻から繊維を取って糸を紡ぎ、麻布を織って来た場所にもかかわらず、現在は、天皇即位の時に麁服のおお麻を育てる事以外は許可されておらず、おお麻を育てる技術も精麻から糸を紡ぎ、布を織る技術も継承されていないのが現状である…。このままでは、麁服を徳島で作る事は出来なくなる事を危惧して、阿波忌部の方々に本気で動いてもらい、麻植の麻を復活させ、織物の技術も継承し、徳島の重要なお役目を果たし続けてもらいたいという思いから、今回の麻フェスを徳島の麻植(吉野川市)にしたそうです。

『原点回帰』ですね。

これで終わったわけじゃなく、ここからが「阿波麻植の麻復活」の始まりです。

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アメニティセンターのお隣りの山川地域総合センターの「麻植や麁服の歴史」の展示や徳島を代表する染め織り作家の故・アキヤマセイコ先生の展示を見ても思いましたが、阿波の伝統文化である、麻と藍はそれぞれ別々ではなく、両方が阿波の重要な文化であり、古代に麻を染めるために発酵藍のすくもは誕生したはずですから…。

動物性タンパクの絹なら生葉で染まるけど、植物性の麻をきれいな藍色に染めるのに、発酵の力が必要だった…。忌部と海部(あまべ)が手を取り合って日本中に麻や藍染めの技術を広めたのだと思います。だから麻の栽培や織物の技術と藍染の技術は、阿波から始まっている。

『阿波から始まる“麻“と“藍“』なのです。

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阿波和紙も古来に麻で紙を作る所から始まっており、忌部の山川町には「紙漉」という地や今回の麻フェス会場のひとつ阿波和紙会館もあります。麻紙を藍で染めて藍染和紙を献上していた事もあり、阿波和紙も日本の重要な伝統文化です。

これからは、阿波の伝統文化である忌部の麻と藍染に関わる方々が手を結び、阿波文化の復活に力を入れていく事が重要になります。

徳島の阿波藍文化を次世代に伝える永原レキさんとも、最近そんな話しをしております。

彼は藍染・麻・阿波和紙を繋げる展示を仲間と共に今回参加してくれました。阿波の伝統文化を守りつつ、新しい事にどんどん挑戦している彼を私はリスペクトしております。

下の写真(中段左)にもありますが、忌部代表の木村さんと海部(あまべ)のレキさんが握手しています。

これは、徳島のある学校の校歌に「忌部と海部が手と手を繋ぎ…♪」と言う歌詞がでてくるのですが、まさに阿波忌部と海部の再結束を意味した様な写真です(^_^)

忌部の方々との会話で出たのはやはり「次の若い世代に引き継ぐ事が重要。」という事でした。麻や藍の農業や様々な技術が高齢化で、途絶えようとしています。

これで終わりではなく、ここからが始まりです。

若い人達の参加を歓迎します!

ちなみに来年の麻フェスは北陸の石川県で開催で、北陸チーム(石川県・富山県新潟県)の方々が担当するそうです(^_^)

北陸の皆さんがんばってください!

私も母の生まれが富山県で親戚や知り合いも北陸にはいっぱいいるので、ぜひ来年も参加したいと思っています。

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阿波の重要性を詳しく学びたい方のための個人ツアー「あわたまめぐり」もやっています。参加希望される方に合わせたコースやお話しをさせていただいてますので、これまで参加された方々から「参加して良かった!」と喜んでいただいています。他では聞けない事など、お伝えしておりますので、徳島県内の方々にも満足していただいております。

ご都合の良い日を指定してお申し込みください。「個人セッション」も随時受け付けております。詳しくはお問い合わせいただければと思います!

阿波の麻と藍の力

朝ドラ「らんまん」が先月で終わりました。

土佐(高知) 出身の日本の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにした物語で、草花をこよなく愛する主人公が、彼の一番の理解者である妻に支えられながら、夫婦の夢である『日本中の植物が載っている図鑑』を完成させるまでのお話しで、本当にいいドラマでした。

草花の絵を描く主人公の姿を見て、私の母の姿と重なりました。

私の母も富太郎さんの様に草花の絵を描く人で、東京の荒川の河川敷に生えている草花のスケッチをたくさん描いており、ドラマで草花の標本を作っていた様に、採集した草花を押し花にしたり、家には山野草の本や薬草の本がたくさんありました。

そんな母が描いた荒川河川敷の草花の絵が、当時の国の建設省(後の国土交通省)の方の目に留まり、声をかけられました。

東京の荒川と隅田川が合流する岩淵水門の横にある『荒川野草園』で国が、外来種の植物に押されて、絶滅の危機にある日本固有の在来種の植物を守るために、種を採取して在来種を増やし、河川敷の外来種を取り除き、在来種に植え替える活動をしており、母の描いてきた、河川敷の多くの植物スケッチが、とても重要な資料データになるから、国に協力してほしいと、母は60歳を過ぎてから、国土交通省の仕事を頼まれて、バスで荒川野草園に通い、パソコンの使い方を教えてもらい、自分が描いた草花のスケッチをパソコンに取り込み、植物の正式名称を打ち込み、荒川河川敷の野草のデータを作っていった。それだけではなく、国交省が発行している「ARA」という機関紙に、毎回母のスケッチが掲載され、植物の詳しい説明が紹介されたり、母の野草料理のコーナーページも出来て、野草を美味しくいただく野草料理や野草スイーツや野草茶などを母が作り、カメラマンが写真撮影をして、毎回掲載され、60代から70代半ばまで、国交省のお仕事で母は大活躍でした。

15年くらい前に私が大勢乗れる「水害のための防災船」を作るプロジェクトをやった時に隅田川を皆で作った木造船を50人で漕いで浅草の吾妻橋でゴールするイベントで、荒川と隅田川が合流する岩淵水門からスタートだったのだが、その場所に母が協力している『荒川野草園』があったので、野草園の職員の人達や国交省の人達が次々に「お母様に大変お世話になっております!」と私に挨拶をしに来たので、びっくりした覚えがある。皆さんが社交辞令で言っているのではなく、本心から話しているのを感じたので「70代でこんなに世の中の役に立つってすごいな…」と少し母を尊敬しました。

そんな母の影響で、私も子供の頃から山野草や薬草に興味が湧き、東京23区なので野山があるわけでもないけど、道端の草花を採集して、ドクダミやスギナをお茶にしたり、ヨモギを摘んでヨモギだんごを作ったり、春の七草を摘んで七草粥を食べたり、つくしを摘んではかまを取って佃煮にしたり…私は絵を描くよりも野草をお茶にしたり、美味しく食べる事の方に興味が湧き、研究し、東京を離れ、自然豊かな場所に移り住み、薬草カフェをやっていた時期もありました。今も徳島の山奥で暮らし、薬草茶を作っております。

写真は牧野富太郎先生にあやかって陶器に植物を絵付けしてみました。つゆ草・カラスウリ・シロツメ草…野草シリーズの陶器もあわたまで販売してみようかな。

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そんな私が20年以上前に「日本人にとって、衣食住で最も馴染みの深い植物はなんだろう?」とふと思い、調べてみるとそれは、『大麻(おおあさ)』である事がわかりました。

おお麻は縄文時代から衣食住に使われていた事は遺跡の発掘調査でも明らかで、日本人には、最も馴染みの深い重要な植物です。

日本神話にも「天日鷲命」がおお麻で祓い浄める場面が出てくる。その天日鷲命を祖としているのが阿波忌部で阿波国麻植郡(現 徳島県吉野川市美馬市)でまさに麻を植えていたので、麻植(おえ)という地名がついています。

ご縁あって私は徳島県の阿波麻植森林組合とお仕事をする機会をいただき、数年徳島に通い、その後移住しました。「麻」が私を阿波麻植に導いてくれました。

残念な事にその「麻植」も数年前の町村合併で「吉野川市」になってしまい、何とか元の麻植に戻せないかと思っているのだが…。

以前のブログに阿波麻植の麻と阿波忌部について詳しく書いているので、ぜひ読んでいただきたい。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2020/10/12/145514

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その麻植で今回『日本麻フェスティバルin吉野川』が10月28日(土)・29日(日)9時〜16時から行われます!

第10回目の開催になる今回は、10年ぶりに阿波忌部の地・徳島県吉野川市(山川町)で開催されます。日本麻振興会主催の麻フェスは、毎年日本各地から多くの方にご来場いただき、楽しんでいただける2日間になっています。

この阿波麻植の地で、阿波忌部が古来より麻を植え、繊維をとり、麻糸に紡ぎ、麻布を織って来たとても重要な場所で、天皇即位の大嘗祭に必要な『麁服(あらたえ)』を織って、麻植の忌部山にある忌部神社から東京の皇居の新天皇の元までお届けする事業を担って来ました。この日本にとって、とても重要なこの地の歴史や平成・令和の麁服事業の展示・麻の伝統文化の展示や精麻や阿波の本藍染の作品販売など、関心のある方はぜひ、この機会に阿波麻植の地に足を運んでください(^_^)

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具体的な展示内容はこのチラシの裏側に書いてあります。吉野川市アメニティセンターは、ホールで28日10時から日本麻振興会の代表理事で栃木県の麻農家の大森由久さんと阿波忌部麁服保存会の代表理事の木村雅彦さんの講演会が開催され、29日10時からは伝統芸能の祭典として、楽器や舞が披露されます。

各展示スペースでは、日本各地から麻の伝統文化を護っている方々の展示や麻に関する作品や物品の展示販売が行われます。

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山川地域総合センターの方では、平成・令和の麁服事業の展示・映像の上映会や麻植や阿波忌部の歴史の展示と私が一番おすすめしたい展示は『徳島の麻と藍の手仕事〜アキヤマセイコ遺作展」です。

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12年前、仕事で関東から徳島に通っている時に徳島を代表する染め織りのアキヤマセイコ先生とご縁をいただき、毎月、先生の元に通わせていただきました。

故・アキヤマセイコ先生がなぜ偉大かと言うと、藍染は「ジャパンブルー」と言われていますが、実は「ジャパンレインボー」だって事を10年かけて研究したのです。

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この七色に輝く糸は全て藍染です。発酵や媒染の仕方で藍は七色出る事を10年かけて突き止めた。私は、これに衝撃を受けて、12年前、当時はまだ埼玉に住んでいましたが、毎月徳島に通い、アキヤマ先生のお宅に泊めてもらって、しばらく染めや織りを習っていました。よそ者の私を先生は快く受け入れてくださり、この七色の藍染のレシピを惜しみなく教えてくださりました。今回の麻フェスのアキヤマセイコ遺作展にこの七色の藍は、飾られます。

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この麻文様の藍染は、10年前の麻フェスに出すために故アキヤマセイコ先生に型染めを教わり、麻文様の型を作って初めて染めたものです。

おお麻と発酵藍の組み合わせは「着る薬」と言われるぐらい身体を守ってくれる徳島の大切な文化です。おお麻と藍の微生物の力が、紫外線を通さず、電磁波・放射線などからも内臓を守ってくれます。

真に「着る薬」なのです。

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今回もおお麻(ヘンプ100%)の服を阿波藍のすくもで本藍染しました。 あわたまでは、おしゃれ着というより「身体を有害な物から守る服」として、毎回販売しております。

28(土)29(日)の山川アメニティセンターの

「日本麻フェスティバル」であわたまも毎回「阿波麻植スタイルの衣食住」というタイトルで販売します!10年前、徳島県での麻フェス初参加以来、今回で6回目の参加です。

今回は、開催地の実行委員として運営にも携わり、とにかくやる事がたくさんあり、あわたまの製品づくりは夜中にやっておりました。出店依頼から展示の構成や各作家との打ち合わせ、チラシ・ポスターの配布、宿泊の手配、キッチンカーの方々とのメニューの打ち合わせなど幅広く携わり、がんばりました。

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吉野川市アメニティセンターの入り口付近は「地元産お土産品の販売」で

①和菓子処 西川さんのあらたえの郷・阿波だよりなど阿波忌部の麁服にちなんだお饅頭や徳島のすだちやさつまいもを使った和菓子

②阿波茶園さんの地元・美郷の山の頂上で天然水で無農薬栽培された安全な緑茶・発紅茶・ほうじ茶。

③モクモクノートさんの地元・美郷の山上で薪窯で焼くハード系自家製酵母パン。小麦ライ麦は、国産か有機のみを全粒粉や石臼挽きなどにこだわり、徳島県阿波市有機小麦をふんだんに使用。自家製酵母は、オーガニックレーズン中種法で、低温長時間一次発酵で手間をかけてていねいに育てています。麻フェスは種のパン(麻の実、ひまわりの種、かぼちゃの種、ゴマなど)を販売。

④麻心さんの麻の実食品(ヘンプナッツ・ヘンプオイル・ヘンプパウダー・パスタ・麻炭など)麻の実雑貨・コスメなど。

⑤あわたま「阿波麻植スタイルの衣食住」

【衣】おお麻100%布地に本藍染した服(インナー)のオーダーメイドやストールの販売。

精麻の紐のアクセサリーなど。

【食】地元・美郷と川島で無農薬栽培で育てたあわたま野菜と果実に麻の実(ヘンプナッツ)を入れた製品の販売。

【住】(生活品)麻植の土で焼いた麻文様シリーズの陶器などの販売。

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「ワークショップコーナー」は

① 麻のオガラヒンメリワークショップ(有料)

麻ころも・槙田八重子さん

麻幹(オガラ)を使って、正八面体を作成します。ヒンメリとは、フィンランドで始まった伝統的な装飾品で、主にライ麦の藁で作られていて、収穫したばかりの新しい藁には精霊が宿り、幸せを呼ぶと信じられていました。今回はオガラを使い、皆さんの麻(お)守りを作成します。子供さんもぜひご参加ください!

ワークショップ金額

1000円

物品販売…精麻アクセサリー、ヒンメリ、キーホルダ、注連縄など。

② 畳屋さんの畳ランチマットのワークショップ(有料)

ライフネット徳島・森島弘樹さん

鳴門の畳屋さん。畳の端材を使ってランチマットを作るワークショップをしています。今回、麻糸を使用して織り上げられた、い草の端材を再利用してワークショップを行います。

ぜひ、青畳の上品な香りを楽しみながら、自分だけのオリジナルなランチマットを手作りしてみませんか?

ワークショップ金額

畳ランチマット

A4サイズ、500円

A3サイズ、1000円

畳コースター300円

物品販売…畳コースター・畳ランチマット・八角形畳マット

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その他、私が依頼した作家の展示は

アメニティ1階ロビー「作品展示販売」

① 渋小屋(徳島県)

アキヤマセイコ先生のお弟子さんグループ。

藍染と織物作品展示販売

② 布弥・真 和子さん(大阪府)

自作の麻画材(麻墨・麻クレヨン)などを使って描いた絵画・麻テーマ絵本・精麻飾りを展示販売。

③ 吉川実穂さん(香川県豊島)

故郷の福島県会津で苧麻織を学び、草木染した苧麻織の帯やタペストリー・麻ふんどし・麻フンティなどを展示販売。

アメニティ2階エントランスロビー

「作品展示販売」

①〜忌部と海部の繋ぐモノ語り〜

in Between Blues

代表 永原レキさん(徳島県)

阿波藍×麻×阿波和紙×久留米絣

徳島海陽町の若手藍染作家の永原レキさんと地元山川町の阿波和紙会館・中島茂之さんと東京オリンピックのエンブレムの組市松紋をデザインした野老朝雄さんとのコラボ作品の展示も見られます。

②ATELIER nue  宮坂絹枝さん

阿波忌部がその昔、黒潮に乗って船で関東に上陸したとされるゆかりの地・千葉の安房(あわ)から麻フェスに初参加されます。

大麻布の麻ころも

大麻布のヘッドドレス

大麻絹手紡ぎ手織り布の美肌ころも

ヘンプのシーツ

ヘンプのピローケース

③あとりえ樹庵 大西政己さん

『 麻と祈りと守りの形 』

元徳島県小松島市であとりえをやるアーティスト。絵(麻布)・御守り・精麻作品の展示販売。

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今回は、キッチンカーも9店舗出店し、徳島の食材と栄養価の高い麻の実のナッツやヘンプミルクやパウダーや麻炭などを使った料理がたくさんでます!徳島でしか食べられないこだわりのメニューになっておりますので、ご来場の方はぜひキッチンカーにもお立ち寄りください♪美味しいですよ!

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今回キッチンカーとのコラボで栃木県の野州麻紙工房がプロデュースした「麻紙の器」でオーガニックコーヒーと麻の実入りの薬膳カレーを1日限定100食分用意して販売し、使った麻紙の器は回収して、堆肥にするという取り組みをやりますので、関心のある方は、限定100食にご参加ください。

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当日は麻フェス無料巡回バスが走ります。

コースは、麻フェス会場(吉野川市アメニティセンター・山川地域総合センター)→阿波和紙会館・いんべアートスペース→忌部神社からまた同じコースを戻ってきます。(写真のバスが走ります)阿波和紙会館では、様々な展示や旧・川田小学校で織物のワークショップや織物・染め物・つる細工などの展示販売もあります!

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忌部山にある山崎忌部神社は、平成・令和の天皇即位の麁服が出発した場所で、阿波忌部の重要な神社です。今回、麻フェス期間中の特別販売で、阿波忌部の方が作った「祓い精麻(はらいせいま)」と天日鷲命のキャラクターステッカーとクリアファイルを販売いたします。ぜひ麻フェス無料巡回バスに乗って、とても重要な忌部神社にお参りに行って、普段は購入出来ないレアな品々をご購入してみてください。

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盛りだくさんの麻フェスで見応えバッチリです。ぜひこの機会に徳島に見に来てください

*\(^o^)/*

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尚、駐車場は上記のマップの様に会場周辺に21ヵ所ありますが、当日は道も混在が予想されますので、お近くの方々は、お車を乗り合わせたり、会場はJR阿波山川駅から徒歩5分の所ですので、列車をご利用いただくなど、ご協力よろしくお願いいたします! 

では、会場で皆様のお越しをお待ちしております!

『阿波のソコヂカラ!』

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日本最大の盆踊りの「阿波踊り」が今年は、4年ぶりに完全復活しました。

本場徳島の阿波踊り・東京高円寺の阿波踊り・埼玉南越谷の阿波踊り

この有名な3ヶ所の阿波踊りが、お盆から8月の末にかけてとても盛大に行われました。

私は東京の下町で育っており、子供の頃は、浅草の三社祭りや寅さんで有名な江戸川の柴又花火大会を家族で観に行ってました。

祭りは大好きで血が騒ぎます!

東京の祭りといえば、神輿を屈強な男達が担いで練り歩く物が多く、女や子供は見物する感じでした。(最近は、女性も神輿を担いでいるかもしれないが…)

結婚後に移住した埼玉西部の飯能や川越や秩父の夜祭りなどは、立派な山車(だし)を何人もの屈強な男達が引いて、山車の上で笛や太鼓を演奏し、何基も街中を練り歩き、メインストリートに山車が結集して、それはそれは迫力満点で、カッコ良く、大興奮でしたが、やはり女や子供は見物する側でした。

11年前に仕事で通っていた徳島県で初めて見た「阿波踊り」は、日本最大の盆踊りなので、老若男女問わず、誰もが街中で踊っており、徳島県民のパワーが炸裂する祭りで、私の様なよそ者や観光客も「にわか連」で踊りの輪に入ってゆけて、踊りたい人は全員参加出来る祭りで、人間のエネルギーを感じ、魂が共鳴するのですよねー!街中あちこちで踊りまくっていて4日間盛り上がります♪

そんな徳島の阿波踊りが大好きです!!

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男踊りの迫力や大太鼓のパワー溢れる鼓動は動画で撮ったけど、やっぱり生で観ないとあの素晴らしさは伝わらないですね。

年配の男性が貫禄の男踊りを披露したり、年配の女性達の三味線も素敵です!笛や太鼓も男女問わず、若い人も年配の人も外国人も演奏し、小さなお子さん達も踊りを披露し、徳島美人たちの優雅な女踊りも美しくてうっとりです。指先から足先まで優雅に踊っているけど、手は高く上げっぱなしで、足はずっとつま先立ちで腰をひねりながら前に進む。これやってみるとかなりの全身運動なのです。ニッコリ笑いながら、全身運動を優雅に見せる彼女達はすごい!日々の練習の賜物ですね(^_^)

見物客も混ざって踊ったり、日本中の各県から阿波踊りの連が参加しており、私が観た一部だけでも、宮城の仙台の方々・埼玉の南越谷連・大阪のなにわ連・和歌山の紀州連・兵庫の淡路島連・香川の小豆島連・沖縄の琉球の方々など他県にも踊り文化が根付いているのが面白かった。東京の高円寺の阿波踊りも100万人の観客を集め、盛り上がってますしね!あと各県の大学の阿波踊り連もたくさん参加しておりました。

今年はコロナの後の完全復活もあって、阿波踊りを観に来る外国人観光客も増え、踊り手や笛や太鼓や三味線など楽器の演奏にも外国人が増えていました。世界各国の外国人達の連「あらそわ連」といって「世界中、戦争しないで仲良く阿波踊りしよう!」というメッセージで踊っていました。

踊りと音楽は世界を繋げますね!

有料演舞場の最後を飾る1000人の総踊りは大迫力です!

今年私は初日と2日目を観て来ましたが、後半は台風がお隣りの和歌山から上陸したので、3日目は雨の中でも開催した様ですが、最終日は、交通手段も止まっており、観客や踊り手の安全を考えて「中止」になりました。残念ですが、また来年楽しみにしたいと思います。ぜひ、皆さんも徳島に来て、エネルギーを全身で感じてみてください*\(^o^)/*

さて、阿波踊りで盛り上がった夏も終わり、季節は秋になりますが(と言っても9月も猛暑は続くと思う…)、昨年の10月の終わりに、コロナ以降、完全復活した「麻フェス」が、今年は、久しぶりに徳島県に帰って来ます!

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『第10回 日本麻フェスティバルin吉野川

10月28日(土)・29日(日)に徳島県吉野川市山川町にて、日本麻振興会(大森由久会長)主催の日本麻フェスティバルが開催されます!麻フェスは、毎年日本各地から多くの方にご来場いただき、楽しんでいただける2日間になっており、徳島県での開催は10年ぶり2回目となります。ちなみに第1回は大森さんの地元の栃木県鹿沼市で始まり、 第2回の10年前は、徳島県吉野川市鴨島で行われ、私は立ち上げたばかりの「あわたま」で麻フェス初参加しました。その後は兵庫県伊丹市などでも開催され、第10回の開催になる今回は、阿波忌部の地・徳島県吉野川市山川町で開催されます。

ここは、古代より「麻植(おえ)郡」という地名で、この阿波麻植の地で、阿波忌部が古来より麻を植え、繊維をとり、麻糸に紡ぎ、麻布を織って来たとても重要な場所で、天皇即位の大嘗祭に必要な『麁服(あらたえ)』を織って、麻植の忌部山にある忌部神社から東京の皇居の新天皇の元までお届けする事業を担って来ました。この日本にとって、とても重要なこの地の歴史や平成・令和の麁服事業の展示など、関心のある方はぜひ、この機会に阿波麻植の地に足を運んでください(^_^)

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メイン会場は「吉野川市アメニティセンター」(徳島県吉野川市山川町翁喜台95番地1 TEL0883-42-6611  JR阿波山川駅より徒歩5分)とその隣りの「山川地域総合センター」で、その他「阿波和紙伝統産業会館」や「旧川田小学校」や「いんべアートスペース」でモノづくり体験や国際的なアート作品展なども楽しむ事が出来ます。

アメニティセンターホールの催し物は、

28日(土)10時〜日本麻振興会の大森代表と

阿波忌部麁服保存会の木村代表の講演会

29日(日)10時〜伝統芸能の祭典で阿波踊りその他の踊りや太鼓など伝統芸能も楽しめます!

その他各スペースでの展示は、チラシ裏面

(写真)をご参照ください。

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麻に関する伝統文化と生活文化の展示・実演・販売や日本各地の精麻作家の作品の展示販売や「徳島の麻や藍の手仕事」と題して、徳島を代表する草木染め織物作家の故・アキヤマセイコ先生の遺作展や徳島の若手藍染め作家・永原レキさんなどの麻や阿波藍染めの服なども展示販売され、レキさんと東京オリンピックのエンブレムデザイナーの野老朝雄さんと阿波和紙会館の中島茂之さんのコラボ作品も展示されます(^_^)

徳島の方と忌部神社で結婚式された元横綱白鵬関の『精麻の横綱』(大森さんの育てた精麻が使われています)も展示されます。

あわたまは「阿波麻植スタイルの衣食住」として、アメニティセンター1階ロビーで、徳島の物品と一緒に展示販売いたします。麻の実ナッツや食用オイルを使った製品や、阿波麻植の土で焼いた麻文様の入った陶器も並びますよ!

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当日、アメニティセンター横の駐車場では、徳島で人気のキッチンカーや屋台が集合して、麻の実ナッツを使ったオリジナルの美味しい料理やオーガニックコーヒーやこだわりスイーツも味わえます。

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会場は、阿波山川駅から徒歩5分の所なので、徳島の各駅の宿泊先から列車でご来場できます!

当日は、各会場や忌部神社を移動するマイクロバスも走っております。

駐車場は会場周辺のあちこちに用意しておりますが、停めらる台数が限られているので、徳島の地元の方はなるべくお誘い合わせの上「相乗り」してご来場いただければ、ありがたいです。

今、阿波忌部の麁服保存会の皆さんと毎週集まって、着々と準備を進めております。

盛り上がった阿波踊りに続いて、10月の麻フェスティバルで阿波のソコヂカラをお見せします!

西日本の方は日帰りも可能なので、ぜひ遊びに来てください!東日本の方もこの機会にぜひ日本のパワースポット四国まで足を運んでみてください*\(^o^)/*

阿波の重要性を詳しく学びたい方のための個人ツアー「あわたまめぐり」もやっています。参加希望される方に合わせたコースやお話しをさせていただいてますので、これまで参加された方々から「参加して良かった!」と喜んでいただいています。他では聞けない事など、お伝えしておりますので、徳島県内の方々にも満足していただいております。

麻フェスの前の予習として、ご都合の良い日を指定してお申し込みください。

「個人セッション」も随時受け付けております。詳しくはお問い合わせいただければと思います!

『地球の奇跡・ハビタブルゾーン』

1968年にスタンリー・キューブリックが製作・監督した『2001年宇宙の旅』という映画があったが、子供の頃に「2001年は宇宙を皆が普通に旅している時代なのだな…。」と漠然と思っていた。

1990年にTBSの美術部で働いている時に、局員の秋山豊寛さんがジャーナリストでありながら、日本人発の宇宙飛行士として、宇宙ステーションミールに8日間滞在して、宇宙から地球を報道した。私はその『宇宙プロジェクト』にスタッフとして参加していた。

「ついに民間人が宇宙に行く時代が来たな!」と思ったが、その後『2001年宇宙の旅』の2001年に実際になったが、民間人が普通に宇宙を旅する事はなく、2021年にやっと数人が数時間の宇宙旅行に行った感じで、1968年に映画を作ったスタンリー・キューブリック監督からしたら「50年以上経ってやっとか…」という感じだろう…。

地球のように生命が存在する「生命生存可能」な惑星「ハビタブル」の条件は、極めて限られており、地球🌏は奇跡の星と言える。

下の図をご覧ください。太陽からのそれぞれの惑星の位置を示しています。

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地球のように惑星表面に液体の水(海水)が存在できる軌道条件は「ハビタブルゾーン(生命生存可能領域)」 と呼ばれます。ハビタブルゾーンより内側では海水がすべて蒸発する「暴走温室状態」それより外側では海水がすべて凍結する「全球凍結状態」になります。

地球はハビタブルゾーン内にあるため生命が生存可能なのだと考えられます。

太陽の近くを公転する水星や金星は、高温により水が蒸発してしまい、液体の水は存在できません。一方、木星の衛星カリストには水が存在しています。しかし、太陽から遠いため、表面温度は-100℃以下となり、水は凍ってしまい、液体の水は存在できません。
このように、太陽に近すぎれば水は蒸発してしまい、遠すぎれば凍ってしまうため、ハビタブルゾーンにはならないのです。地球は、太陽から、ほどよい距離にあることで水が液体として存在できる奇跡的な位置にあり、生命の生存が可能な「奇跡の星」なのです。

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さらに宇宙の超電磁波帯フォトンベルトという光の素粒子(光子)のベルト状の空間を太陽系の惑星全体が1万年に1回突入し、通過するのに2千年かかると言われている。

地球は1980年代半ばから突入し始め、その頃から異常気象が始まっており、2012年には地球が完全にフォトンベルトの中にスッポリと入ってしまった。そこから2千年間、地球を含む太陽系はフォトンベルトの中なので、その期間、未曾有の天変地異が起こるという。

太陽に異常が起これば、地球は灼熱地獄か、それとも氷河期の襲来が来るかもしれず、人類が生き残れるのか、今後どうなるかわからないない状況にあるのが、今なのです。 

地球46億年の歴史で、恐竜を絶滅させた氷河期や大地震によって沈んだ大陸(ムー・アトランティス・レムリア)や地球に大きな影響を与えるほどの火山の超巨大噴火(インドネシアのトバ・アメリカのイエローストーンなど)多くの地球上の生命が絶滅する事態が繰り返し起こっており、今また地球はその時を迎えている。

人間は地球環境を汚染して、破壊して、地球のどこかで常に戦争をして、核実験をして、地球にとって、一番「負の存在」であり、そのしっぺ返しが必ず来るでしょう。

人間が、飲料水や農業用水として使用するために、地下水を地表にくみ上げると、この水はその後、川や海に流れ込み、地表にある水の質量配分が変化する。

1950年代以降、くみ上げられた地下水の量は20兆トン近くに達するという。

人間が地下水を取水しすぎた結果、1980年以降、地球の地理極(北極点と南極点)は、約4メートル移動してきた。

地下水の貯水量に起きた変化が、地理極の移動に影響を与えるという。

1995年に地軸が急激に移動し始め、これに伴って地理極の移動スピードが上昇し、移動する方向もそれまでと違っていることが判明した。こうした変化を引き起こしたのは氷河の融解だという。気候変動で氷が急速に融解、地理極の動きも加速したという。

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グリーンランドでは1992年以降、4.2兆トン以上の氷が消失し、これにより全世界の海面は約1センチ上昇した。しかも、この氷が溶けるペースは、1990年代には年間360億トンだったものが、ここ最近の10年では年間2800億トンと7倍にまで上昇している。

南極の氷河の融解も加速している。1980年代当時、南極から1年間に失われた氷の量は400億トンだった。しかしここ最近の10年で見ると、この数字は年間2520億トンにまで跳ね上がっている。

さらにシベリアなどの永久凍土の融解が止まらなくなり、そこから発生するメタンガスによって、さらに気温上昇に拍車をかけていく。永久凍土の中には数多くの“未知のウイルス”が眠っているとみられ、実際に『モリウイルス』という高い増殖能力を持つ新種のウイルス が発見されている…。

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ここ最近の地球の灼熱地獄によって、世界各地で自然発火による森林火災がおき、緑を焼き尽くす。そして、強烈な日射によって大量に蒸発した海水が空に溜まり、滝の様なゲリラ豪雨になって地上に戻ってくる。

たっぷりと水を含んだ土壌は非常に重くなる一方で、極端な干ばつが起きると土壌が非常に軽くなることがある。こうした豪雨や干ばつが、地軸をわずかに動かすこともあるという。

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今、日本を含む世界中が水害や干ばつの被害に遭っており、毎日世界各地のニュースで伝えられる。

豪雨で川が氾濫して街がのみこまれたり、気温40℃以上の熱波で山火事が起きて燃え続けていたり、ダムや湖が干上がって、干ばつで農作物を育てられなくなり食糧難が発生しており、このまま行くと世界中で多くの人が死ぬ事になる…。

なぜ私が今回こんな事を伝えているかというと、私の家系が先祖代々神官として護り続けてきた物は、日本の古事記日本書紀の神話に出てくる、水害や干ばつや森林火災などから人々を救う事のできる重要な物であり、その力が発動されるのは、残念ながら、地球が相当なダメージを受け、日本も九分九厘やられてしまってからだという…。

身から出た錆と申しましょうか、人間は「我さえ良ければいい」とやりたい放題やって来た事の報いを受けなければならない様です。

この『生き残りゲーム』の様な現実を平和ボケして、支配者の言いなりで毒ワクチンを打ちまくってしまった日本人は世界で一番最後に気づき「こんなはずじゃなかった…」と悔んでも時すでに遅しです。

私はその事を伝えるために、日本の『食の女神』で伊勢の豊受大神の元神あるオオゲツヒメの国、この阿波の国(徳島県) で10年前に「あわたま」を立ち上げ、衣食住でこれから一番重要な『食』に力を入れて来ました。

せっかく、ハビタブルゾーンの奇跡の星「地球」に生命体として生まれてきたのだから、明日何が起きるかわからない世の中ですが、もしこれからの世のために自分は何をすべきか、知りたい方は【個人セッション】や【あわたまめぐり】や【あわたま薬草教室】など、個人単位でお伝えしておりますので、ご連絡ください。