『七色の藍 -Japan Rainbow-』

2月も今日で終わり…今年はうるう年だったのね…。昨年末からずっと、おお麻の本藍染の服づくりが忙しかった。

阿波の本藍染の染液は「天然灰汁発酵」といって微生物の力で発酵しているが、冬場の寒さで染液の温度が下がり、染まりにくくなるので、染工房によっては、ヒーターなどで温めて染液の水温を上げたりするが、あわたまが使わせてもらっている地元の藍瓶は、ヒーターを使わないので、その分染める回数を増やす。f:id:Rei-wa:20240229223038j:image

写真の昨日染めた服は、10回染めて深い藍色に仕上げている。おお麻の布地は厚いので絞るのも大変でそれを染めては、きつく絞って干してを10回繰り返すのだから、何枚も染めると手が腱鞘炎になりそうだ…。

11年前からあわたまでは、おお麻の本藍染のインナーとストールを作って、毎年麻フェスの時に販売して来た。

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写真は11年前にあわたまのパンフレット用に撮影した時のもの。写真のモデルは永野理恵さんで、写真を撮ってくれた人は、有吉裕之さん。二人は、12年前ぐらいに私とちょうど同じ時期に関東から徳島に移り住んだ「移住仲間」で、理恵さんは、私の大学の空間デザイン科の後輩で、年齢は私よりだいぶ若いので、同じ時期に大学に通っていたわけではないのですが、私を徳島に導いてくれた大学の恩師が、同じ頃にご夫婦で徳島の神山に移住した彼女を紹介してくれた。ナチュラルな麻の服のイメージにぴったりだったので、モデルになってもらいました。

有吉さんは元カメラマンの方ですが、埼玉で暮らしていた時に、私の家の近くで、大きなインド料理のレストランを経営されていて、その2号店が、私の経営していた薬草カフェの側に出来て、両方通わせいただいていましたが、有吉さんご家族もちょうど同じタイミングで埼玉から徳島に移住して、徳島でバッタリお会いして、カメラマンとして、写真を撮っていただきました。今は、阿波市で「アワシャンティ」という人気のインドレストランをやっています。移住仲間の協力で、チラシを作って、11年前から、麻フェスの時だけ販売して来たおお麻の服だが、昨年末の麻フェス以降、普段からあわたまで作って販売する事にした。

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ここ数ヶ月、太陽フレア(太陽の表面の爆発現象)が発生し続けて、地球に多大な影響を及ぼしていますが、太陽活動は活発化しつつあり、来年の2025年頃をピークに太陽フレアがどんどん増えると見込まれています。太陽フレアが発生すると宇宙放射線などの電磁波、高エネルギー粒子、プラズマ(電気を帯びたガス)が大量に放出され、地球に降り注ぐ。

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おお麻や発酵藍などから放出されている「グラビトン波」は電磁波や放射線を打ち消し、身を守るには必要不可欠なものなので、太陽フレアで宇宙放射線と電磁波が地球に降り注ぐ、今年から来年は、このおお麻の本藍染の服が必需品となって来ますので、少しでも多くの人の手元に届けられたら…と思って作っております。

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さて、徳島でおお麻と藍染といったら、何と言っても、故・秋山セイコ先生です。昨年の徳島での麻フェスでも私が企画した『徳島の麻と藍の手仕事〜アキヤマセイコ遺作展』を開催して大変素晴らしい展示になりました。

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私は12年前、仕事で関東から徳島に通っている時に徳島を代表する染め織り家の秋山セイコ先生とご縁をいただき、毎月、先生の元に通わせていただきました。残念ながら、数年前にお亡くなりになりましたが、私が先生から学んだ事をコロナ禍の時に小説に書きました。

以前、あわたま仲間の後藤田さんの生き方も小説にして、『生き抜く力』というタイトルでブログで紹介したので、まだ読んでいない方はぜひ読んでいただきたいです。

https://rei-wa.hatenadiary.jp/entry/2021/08/31/231947?

このお二人は私が徳島に来て、本当にリスペクトしたお二人です。今回は秋山先生の事を書いた小説を紹介します。主人公は架空の人物ですが、彼女が見聞きしている事は、ほとんど私が実際に体験した事です。藍染の事が良くわかると思います。では、ぜひお読みください。

 

『七色の藍-Japan Rainbow-』 

日本が世界に誇る色と言えば、Japan Blue(ジャパンブルー)藍色であると、私は思っていた。あの時、あの七色の藍を見るまでは…。

2年前、コロナ禍によって、働いていた店が閉店になり、職を失った私は「今は次の職をみつけるのは厳しい時期かな…いっその事、この時間を有効に使って、スキルを身につける事に専念してみようか…。」と思い立ち、かねてより、その店で扱っていた藍染の服に惹かれて、藍染の原点である徳島県に行きたいと思っていたので、この機会に学びに行くことにした。

サッカー日本代表のユニフォームや、最近では、東京五輪のエンブレムなどで藍染ジャパンブルーの事は、皆よく知っているが、藍染の歴史について知っている人はおそらく少ない。

かくゆう私も、藍染の服を販売して興味を持ち、その歴史を調べて初めて知った事がたくさんあった。

日本の藍のふるさと徳島県は、かつて「阿波の国」と呼ばれ、平安時代阿波国麻植郡で阿波忌部氏が育てた麻で織った布「麁服」を染めるために「阿波藍」の栽培が始まったのが起源とされている。

その藍の葉を収穫して発酵・熟成させた染料を「すくも」と言う。現在もその伝統を引き継いで、藍を栽培し、すくもに加工する「藍師」が徳島県には五人いる。全国で藍染に使われているすくものほとんどがこの徳島県のわずか五人の藍師が丹精込めて作った阿波藍のすくもであり、日本の藍染は、原点の徳島県が今も支えている事を知り、私はこの五人の藍師の一人を訪ねてみる事にした。

平安時代麻植郡(現在の吉野川市美馬市)で始まった阿波藍の栽培は、その後の時代に吉野川下流域が主要な産地となり、江戸時代には、阿波藩の保護奨励によって、日本最大の産地となり、阿波の藍染は一大ブランドとなった。私は現在の産地で出荷量日本一を誇る上板町の藍師の作業所を訪ねた。

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その作業所では、すくも作りが大詰めを迎えていた。阿波藍の天然染料であるすくも作りの工程を藍師の一番弟子の方が説明してくれた。「ここでの作業はまず藍を育てるところから始まります。藍の種まきは3月上旬の大安の日に行い、1年の藍の豊作を祈願して御神酒を奉ります。その後20cm位に成長した苗を畑に定植します。肥料を施し、周りの草を抜き、藍を大きく育て、梅雨明けに一度目の収穫『一番刈り』をします。刈り取った藍は天日で乾かし、裁断して、風力で葉と茎に選別する『藍こなし』を行い『葉藍』が仕上がります。一番刈りの後、肥料を施し、周りの草を抜き、藍を再び成長させ、ニ度目の収穫の『二番刈り』をします。そして同じ工程で、葉藍に仕上げ、『ずきん』と言う俵のような保存袋にて保管します。今、この作業所で行われている作業は、次の工程で、ずきんで保存していた一番刈りの葉藍を千貫ほど積み、水をかけてよく混ぜ合わせ1m位の高さに積む。これを『寝せ込み』と言い、5日ごとに水を打ち、四ツ熊手で『切り返し』元の高さに積む。切り返し作業4回目に二番刈りの葉藍を加え、その後、同じ切り返しの工程を13回ほど行う。水打ちの作業は、熟練の『水師』が担当して行う。すくもがムラなく発酵するようにふるいをかける作業を『通し』と言い、『荒通し』『中通し』『上げ通し』と3回の通しを切り返し、合計20回以上繰り返す間に行う…。」

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説明を聞いているだけで気が遠くなるような大変な作業だ。作業場を覗くと、若いお弟子さん達が、四ツ熊手でひたすら混ぜ合わせ、切り返し作業をやっていた。その熱気と発酵で湯気が立ち込め、室内の温度と湿度が高く感じた。その管理をする水師は、すくもの品質を決めるとても重要な仕事で、温度や水分の管理がうまくいかないと、赤いすくもになり、本来の濃い藍色には戻らないと言う。皆の作業が水の泡となるので、水師の責任は重大だった。私が熱心にメモを取りながら、作業を見学していると、熟練の職人さんらしき方が近づいてきた。その方は徳島を代表する藍師五人の中の一人の方だった。

「君が東京から見学に来た方かい?藍染に興味があるのなら、今日は徳島を代表する染め物の先生が来て、ここの染色工房で藍染しているから、見学するといいよ。」と言って、私を奧の染色工房に案内してくれた。

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そこには白髪だけど足腰がしっかりとされ、てきぱきと作業をするおばあさんがいた。しばらくその様子を見学していると、作業がひと段落ついて私の存在に気づき、「あなたが東京から見学に来た人?」と聞いてきた。

「はい。藍染を学びたくて、徳島に来ました。」「そう。私は徳島で50年近く染織りを教えている三木秋子と言います。」「えっ?50年ですか?」私が驚いて聞くと、「そう。家に昔の地機(じばた)と言う織り機があって、祖母から染織りを教わり、15の時から糸を草木染して、地機で布を織る事を学び、20代は藍染に没頭して、作品を作り続け、28から染織りを教えてもうすぐ78だから50年。通信教育もやっているから、全国に5千人の生徒がいるの。」「えっ?5千人ですか?」またまた驚いた!「あなた藍染の作業を見るのは初めて?」「はい!まったくの初心者です。」と言うと「じゃあ、いちから説明するわね。藍染の方法には、生葉で染める『生葉染』もあり、これは、シルク(絹)やウール(毛)などの動物性タンパク質に反応してきれいな水色に染まるので、植物性の麻や木綿は、染まりにくい。古来より阿波は麻の産地なので、植物性の麻織物を濃い藍色に染めるには、阿波藍を原料にして、発酵建てという方法に昔の人々が試行錯誤の末に辿り着いたのだと思う。この方法は、あなたが先ほど作業を見て来た、葉藍を細かく刻んで、約100日間かけて、水を打ちながら混ぜ合わせる『切り返し』を繰り返して発酵させて作られる『すくも』を灰汁で溶解し染め液を作る事を「藍建て」と言って、発酵藍の染液が出来上がる。それがこれね。」と秋子先生は、横の瓶を指し示した。

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「匂いを嗅いでみて。独特な発酵臭がするでしょう?これは『天然灰汁発酵』と言って、藍瓶の中で藍は生きている。この染め液の表面に浮く『藍の華』は微生物の働きによって泡立ち、染色できる状態まで上手く発酵した証です。大切なのは、この微生物を元気に育てるための温度管理と灰汁を入れて適度なアルカリに保ち、毎日かき混ぜてあげて、生育に適した環境を作ってあげる事。藍の華は微生物の元気印で染め時を知らせるサインでもあるの。熟成した藍瓶の中に布を漬け込み、緑がかった藍液を絞ると空気に触れた瞬間に酸化して美しい青へと変化します。それを何度か繰り返すと濃い藍色に染め上がる。」と言って、目の前で布を染め始めた。藍瓶の中で緑がかった布を引き上げ絞ると美しいジャパンブルーに変わった。「なるほど、微生物の力と酸素のおかげでこの藍色が生まれるのね…」

「そう。この発酵藍の微生物の力と麻布は最強の組み合わせで『着る薬』と言われるほど。藍や麻には、天然の抗菌性や消臭効果もあり、肌荒れ、冷え性を防ぎ、殺菌効果があるで水虫を予防し、防虫効果やまむしをよせつけないので、農作業の野良着や蚊帳にも藍染の麻素材がよく使われ、昔は『雷がなったら蚊帳に入れ』と言われていたが、麻が電気を通さない絶縁物とされ、今問題の電磁波や紫外線など人体に有害な物質から身を守ってくれる力があると昔から衣食住に使用されていた植物だったの。その藍と麻の原点がこの徳島なのだから、大切に守り抜かないとね!」秋子先生は布染める手を休めることなく、話し続けた。「残念なことに今は化学染料の時代になり、天然の発酵藍で染めた藍染は、全体の1%になってしまった。おお麻も日本では自由に栽培することができなくなってしまった…。自然環境を汚さない天然の染料であり、こんなに優れた薬効の薬草なのに、本当にもったいない。色が綺麗で価格が安いと化学繊維や化学染料の服を買いあさり、目先の事にとらわれて、日本人が大切にして来た心を無くしてしまった。この徳島で古代阿波の大切な宝を護り抜かないと…」秋子先生は、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。

「ところで、あなたのお名前聞いていなかったわね。」「そうでした!山の里の麻が美しいと書いて、山里麻美です。」「ここにピッタリのお名前ね!麻美さん、今夜泊まる所は決まっているの?」「いえ。これから探そうと思っていて。」「それなら私の家にいらっしゃい。一人暮らしだから気兼ねする事は無いわ。藍に興味があるのなら、すごいものを見せてあげる。きっとひっくり返るぐらい驚くと思うわ!」と言いながら、秋子先生は、手際よく片付けていき「さぁ行きましょう!」と早足で歩き出した。「せっかちなのかな…?」と思いながら、私は慌てて先生の後を追った。

駐車場に着くと、もうすぐ78歳の女性が乗る車とは思えない4WDのランドクルーザーに乗り込んだ。私は驚きながら助手席に乗り込むと、さらに驚いたのが、ハンドルを握る秋子先生の手だった。手首から指の爪の先まで藍色に染まって真っ青だった。「先生その手は洗わないのですか?」思わず聞くと「もう染まっちゃっていて、洗ったけど落ちないの。でも藍は身体に良いし、虫にも刺されないからちょうどいい。」と言って笑っていた。

「それより、こんな小さなおばあちゃんが、こんな大きな車に乗ってる事に驚いたでしょう?草木染めをやっていると、山に染料になる植物を探しに行くことが結構あって、道が悪いところが多いから、4WDじゃないと走れないのよ。それにこの車なら、染料の植物をたくさん積めるでしょう。」なるほど…。途中スーパーに立ち寄り買い物をした。「お金をあの青い手で支払ったら、レジの人驚くだろうな…」と思いながら見ていると、レジの人は全く驚きもしなかった。よく見ると他にも手首から先が青い人がいた。このあたりは、藍染をする方が結構いるようで、みんな見慣れているようだった。「なるほど。徳島あるあるね。」再び車に乗り込み、先生の自宅兼アトリエに到着した。 

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そこには、所狭しと先生の草木染の糸や織り物の作品が並んでおり、まるでギャラリーのようで、とてもワクワクした!私が作品を見入っている間に、先生は地元の食材を使って手際よく料理を作り、とても豪勢に振る舞ってくれた。

「初めてお会いしたのに、こんなにもてなしてくださり、ありがとうございます!」と感激しながら伝えると「麻美さんは、四国に来たのは初めて?四国には八十八カ所霊場を巡るお遍路の文化が古くからあり、全長1400kmにもなるその道のりは厳しく、私達土地の者は、通りがかりのお遍路さんに親切にすることを子供の頃から教わってきたので『お接待』が身に付いているのね。初めて会った、見ず知らずの人でも、おもてなしするのが、四国のお接待文化なのね。」と教えてくれた。四国霊場のお遍路やお接待の文化など、同じ日本でも四国は精神性の高い、特別な場所の様な感じがした。

「そういえば、先生がおっしゃっていた、ひっくり返るほど驚くすごい物って何ですか?」すると先生は、ニコリと笑みを浮かべて立ち上がり、奥の部屋から、大事そうに何かをかかえて来た。それは昔の木製の大きな二つの糸巻きに巻かれた美しく七色に輝く糸だった。

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「うわーきれいな七色の糸ですね!それぞれの色は何で染めたのですか?」「聞いて驚くなかれ!これは全部藍染です!」「えー!これが藍染?!七色全部?!」私はあまりに驚いて本当にひっくり返りそうになった。「どうやったら、こんな色が出るの…?」「きっかけはね、偶然の出来事だったの。15年前のある夏の日、自分で育てた藍を刈り取って、よく工事現場に使われている一輪車に積んで運ぼうとした時、ぎっくり腰になり、動けなくなってしまった。仕方がないので、藍を積んだ一輪車の上にブルーシートをかけて、置いておき、それから数日間、動けずに寝込んでしまった。5日目に起きて、ブルーシートをはいでみたら、真夏の暑さで内側が蒸れて、藍が変色し、発酵していた。捨ててしまおうかと思ったのだけど、せっかく育てた藍なので、もったいないから、それで染めてみる事にした。すると、驚いたことに絹糸はきれいな黄色に染まった。『藍でこんなにきれいな黄色が出るの?もしかしたら、発酵の状態や媒染などを変えてみたら、もっと他の色も出るかもしれない。』と思い立ち、それから何年もかけ、いろいろ実験をして、研究を重ねた結果、七色の藍に辿り着いたのよ。」「なるほど…長年の研究と努力のたまものなのですね。しかし、長い歴史の中で、藍色といったらあの濃い青だと誰もが認識してきたけど、潜在的にあんなにきれいな色をたくさん秘めていたとは、本当に奥が深い植物ですね。ジャパン・ブルーであり、レインボーでもあるなんて!」「これが、その七色の藍の染め方のレシピ。やってみて。」秋子先生は、印刷された紙を私に手渡した。「えっ?長年かけて研究してきた染色方法を今日会ったばかりの私にも教えてくださるのですか?」私は驚いた。「作家によっては、自分が編み出した技法は、弟子にさえ、一切教えない人もいる。特に男の人に多いわね。でもそれでは、せっかくの技術や知恵が途絶えてしまう。後世に伝え、継承されてゆく事で、新たな発展が生まれてくる。だから、私は秘密にするなんでケチな事はせずに、生きている限り、より多くの人に伝え、分かち合う事が大切だと思うの。それが忌部の末裔である私の使命だと思うのよ。先祖達がこの地に麻を植え、布を織り、藍を育て、藍染を始めた。その技術を後世に継承しつつ、新たな発見である『七色の藍』も未来に残してゆけるなんて、ステキな事じゃない!」

そう話す、秋子先生のお顔は嬉しそうで、とても輝いていた。本当に心の広い方だなぁと感心した。私もこうありたい!

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それから、私はそのまま徳島に滞在して、先生から技術を学び、本格的に染色家を目指して、徳島に移住を決めました。私の人生を変える先生との出会いと七色の藍の奇跡を未来に継承するために…。