『地震・水害・疫病を生き抜く』

日本の風土記を読むと、いつの時代にも火山の噴火や地震津波や川の氾濫による洪水、天災による飢饉や今回の様に伝染する疫病などを繰り返し経験している。

その苦難を生き抜いてきた先人達の子孫である私達は、もっとその知恵やメッセージを受け取る必要があると思います。

3.11の東日本大震災から9年ですが、あの津波が襲った青森・岩手・宮城・福島の海岸沿いには、縄文時代貝塚跡が数多く点在しており、震災後調査した所、沿岸の貝塚でそのほとんどが津波の被害を逃れでいた。

縄文時代の集落の大半は、地図上では海の近くだが、標高50メートル以上の高台に位置していた。津波自体の最高波高が30メートル、波が陸上を駆け上がった遡上高が40メートル前後であったから、ほとんどの貝塚群はそれより高台にあり津波の被害を受けていなかったのである。
これは偶然ではなく、1万年以上続いた縄文時代に、東日本大震災規模の津波が10回あったことが確認されており、単純計算で1000年に1回の割合ですが、おそらく縄文人たちは、過去の津波の記憶をしっかりと後の世代に継承し、その最も高位地に集落・貝塚を構えたと考えられます。

これはすごい事です。貝塚が出来るほど魚貝類を食べていたのであれば、海の側に住居を構える方が便利が良い。だけど、不便でもあえて魚貝類を担いで50メートルも高台の住居まで運んでいたとしたら、過去の自然災害による被害を伝承し、強い危機意識を持ち、先人の教えを守っていた縄文人は、海沿いに原発をたくさん建てる現代人よりもとても優れていると言える。

その様に自分の住んでいる場所の遺跡や地層を調べたり、風土記などの古文書を読んで歴史を調べてゆくと、いつの時代にどれ位の規模で火山の噴火や地震津波や川の氾濫があったか記録が残っていたりするので、過去の自然災害の被害を把握して、住む場所や避難経路を検討すると縄文人の危機意識に近づけると思います。

20年くらい前にガイアシンフォニーの龍村監督と少しお話しする機会があり「地球の温暖化についてはどう思いますか?」と質問した所、「縄文に戻るだけだよ」と言って笑っていた。その時は「なるほど縄文ね」と思ったけど、後からよくよく考えると「いやいや、縄文時代って東京は海の中だから!」って家に帰って一人で突っ込んだ。

縄文期は埼玉の川越あたりから陸地が始まり、東京や大阪など海沿いの低い土地はほとんど海に水没している。

27年前、東京から埼玉の秩父にほど近い山奥に引っ越した時、不思議に思ったのが地名で「浜居場」「四海橋」「中海戸」「下海戸」海の無い埼玉の山の奥地なのに海に関係する地名がついているのはなぜ?と思い秩父長瀞の自然博物館に行って納得した。

縄文以前の関東の陸地は埼玉の標高の高い所から始まり、東京湾はなく「秩父湾」があり「秩父クジラ」と言って、秩父湾にはクジラや巨大サメがたくさん泳いでおり、発掘された骨格が展示されていた。それどころか、秩父にはサンゴ礁跡まであり、縄文よりもっと古い時代は、今より相当温暖な気候で、サンゴ礁が美しい海だったのだ。

「埼玉にサンゴ礁?」その恩恵が日本の高度成長期を支えた「秩父セメント」だ。セメントの原料になる石灰岩はサンゴや貝などの海中生物が体積した物で、秩父の造山活動で隆起して石灰岩の山になっている。それをダイナマイトで崩して、東京のビル群や高速道路などができている。しかし、このまま急速な温暖化が進み、縄文の気候に近づいてゆけば、海面上昇から、東京をはじめ、海沿いの県の低い土地は水没する。関東地方の縄文の貝塚を調べると内陸奥深くに分布する。これは、縄文時代に海がそこまであった事を現している。

このことから、縄文の貝塚や集落跡の位置を調べると、今後、温暖化の海面上昇で水没していく場所や津波に安全な場所や地震に強い地盤の場所が見えてくると思います。

疫病もこのまま急速な温暖化が進めば、日本は熱帯性の気候になり、蚊が媒介するデング熱マラリアなどの伝染病が発生しやすくなる可能性があります。

新型肺炎ウィルスが世界中に広がっていますが、前回の『先人の知恵から衣食住を見直す』でも書きましたが、日本人が古来から食べている海藻類が「C型肝炎ウイルス重症急性呼吸器症候群SARS)ウイルス、 エボラウイルス感染症への感染が抑制された。」としてアメリカの国立衛生研究所の医学論文に書かれ、アメリカ保健福祉省が成分の特許を申請したそうです。SARSもコロナウィルスですから、今回のは新型ですが、試してみるのも良いかと思います。

食生活の変化で肉食が増え、海藻類・魚介類・みそ汁・ぬか漬け・梅干し・玄米ごはんという昔ながらの食事を食べなくなった日本人が多いですが、そういうシンプルな食事が、体温を上げ、免疫力を高めるので、子供達に日本人の食の継承として、3食のうち1食はそういう食事にしてみる事をオススメします!

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)も仕事として再開しました。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろありましたが、とても深刻でぜひ話しを聞いてほしいと言う方の力になりたいので、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

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『先人の知恵から衣食住を見直す」

新型コロナウィルスで世界中が、大騒ぎになっていますが、今から100年前のいわゆる「スペイン風邪」と呼ばれたパンデミックを起こした新型インフルエンザは、世界人口の3分の 1である約 5億人が感染して、死亡者数は全世界で 5,000万人とも言われていて、感染した人の約10%が死亡した。なのに何故か日本では、死亡率は約1%ぐらいだった。

なぜ日本人は死亡率が極端に低かったのか?

その答えは、日本人が古来から食べている食にあった。昔ながらの日本人の食事は、玄米ごはん・みそ汁・焼き魚・ぬか漬け・梅干し・納豆などのシンプルな和食ですが、そういった食事がとても体温を上げ、免疫力を高める。そして麹菌・乳酸菌・酵母菌などを多く含む発酵食品や海苔・昆布・わかめ・もずく・ひじき・寒天・トコロテンなど海藻類を多く食べている事がウィルスによる重症化を防いだようです。

アメリ国立衛生研究所の医学論文によると、「海藻由来のフコイダン(海藻のヌルヌル成分)は肺炎や気管支炎の症状を抑制する」そして、岩のりやてんぐさ(寒天・トコロテンの材料)の紅藻は「抗ウィルス作用」があり、ウィルスに感染しにくくなり「C型肝炎ウイルス感染、重症急性呼吸器症候群SARS)ウイルス感染、 エボラウイルス感染症への感染が抑制された。」としてアメリカ保健福祉省が、この紅藻から抽出される成分の特許を申請したそうです。

つまり、当時の日本人は、そういった海藻類や抗菌力のある梅干しや味噌・漬物・納豆など発酵食品を含む食事を日常的に食べていたので、免疫力が高く、ウィルスに強かった事が重症化を防いで、死亡率の低下に繋がったのだと思います。

日本の昔ながらの食事が病気に有効であるもう一つの例を紹介します。

10年以上前、埼玉県の秩父にほど近い山暮らしをしていた時、近くにあった古民家カフェをやっている友人に「ガイアシンフォニー第3番」のDVDを貸してあげました。

この映画は「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考えのドキュメンタリー映画シリーズで、第3番は、撮影直前に不慮の事故で亡くなった日本人カメラマンの故・星野道夫のアラスカでの暮らしや親交の深かった友人達との交流を壮大なアラスカの自然と共に映像で紹介している。

その映画の中での重要なシーンに星野道夫の友人達が集まり、アラスカ先住民の神話の語りべであるシャーマンのボブ・サムが、ワタリガラスの神話を語るのですが、私はそれを友人に見せたくてDVDを貸した所、不思議な事に「引き寄せの法則」が働き、1ヵ月後、その埼玉の友人の古民家カフェにアラスカのシャーマンのボブ・サム本人がやって来ました!私もお会いしてお話ししました。

ボブ・サムはガイアシンフォニーに出演した時よりだいぶ痩せて、小さく見えました。

お話しを聞いた所、ボブの母や妹はガンで亡くなり、ボブ自身も皮膚ガンを患っていた時にアラスカを旅していた日本人の女性に出会い、彼女からのすすめで日本の自然療法である、里芋パスターや生姜湿布を皮膚ガンの患部に当て、玄米菜食の昔ながらの日本食を食べていた所、ガンが良くなっていったそうで、それ以来ずっと玄米ごはんにみそ汁に漬物というシンプルな和食を食べていたら、体重も減ってスリムになり、体調も良いそうです。「自然を敬い、共存すること、不自然な食事から本来の食事に戻ることが大切。」と話しており、彼を救った日本人女性が、その古民家カフェの友人と繋がりがあり、突然訪ねてきたのでした。

次の日、埼玉の三峯神社がある聖なる山・三峰山をボブ・サムと一緒に登り、山頂の磐座で映画ガイアシンフォニーのシーンと同じ、アラスカのワタリガラスの神話を語ってくれ、自然と涙が出て止まりませんでした。

山頂付近で一緒に玄米の梅干し入りおにぎりを食べましたが、ボブが日本語で「玄米おにぎり美味しい!」と言いながら、感謝して食べている姿は日本人そのものでした。

これは余談ですが、数年後に奈良県天河大弁財天社でまたしてもばったりボブ・サムと再会しました。東日本の震災後、恩がある日本を巡って、大切なお話しをしているのだそうです。どうもご縁がある方で、ガンを克服して元気そうでした。私の父の実家が神社で古事記日本書紀に出てくる日本の神話に深い関係があり、その神話をボブに話したら「それとよく似た神話がアラスカにもあるよ」というお話しをしました。

埼玉に住んでいる時、私の本業である空間や家具のデザインや施工を地元の西川材という木材を使ってやっていたのですが、ハウスメーカーが建てた家の新建材から出る化学物質で苦しんでる人がとても多く、なんとかしてあげたいと思い、日本人の昔ながらの暮らしに馴染みのある自然素材(木・土・石・和紙・草・布)を使って、薬草の発酵液で化学物質を無毒化して、安全に暮らせるようにリフォームをしていました。しかし、化学物質過敏症やアレルギーに一度なると、空間を自然素材で直しただけでは、身体は完全には元に戻らず、やはり衣・食・住の全てを見直す必要がある事に気づき、その後、薬草オーガニックカフェをやって、そこで草木染めの自然素材の服を販売したりもしていました。

その後、徳島県とご縁があり、移住して、無農薬の野菜やお米を作ったり、大麻(おおあさ)の布の服を阿波の発酵藍「すくも」の藍染で染めた組み合わせが「着る薬」と言うぐらい、人間の免疫力や治癒力を高める事を知り、インナーを作ったりと、先人の知恵から学んだ衣・食・住を実践してみました。

写真は、徳島での私の暮らしの様子です。

地震・水害・疫病など次々に厄災が起こって来ますが、先人の知恵から、今の自分達の住まいや暮らしや食生活や着るものなどを見直すよい機会かもしれませんね(^_^)

私に真剣に相談したい方に限定して、個人セッションを行なっています。ご希望の方はFacebookメッセンジャーで「個人セッション希望」とご連絡下さい。

(興味本位やひやかしの方はお断りします。)

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『新型肺炎対策・薬草と発酵菌』

今回中国で発生した新型肺炎ウィルスの発生源は、中国武漢にある細菌研究施設からの様です。

そのバイオ研究所は「世界で最も危険な病原体」を研究する施設で、3年前の2017年に「科学誌NATURE(ネイチャー)」がその武漢のバイオ研究所の特集を組んでおります。

内容は、『中国の武漢には、中国で唯一、最高危険度のバイオセーフティーレベル4(BSL-4)の病原体を研究するバイオ施設があり、その「可能性」と「危険性」の特集。』

中国以外の科学者たちは、これらの BSL-4 研究施設から病原体が外部へと広がることを不安視しており、不測の事態に備える必要があり「ウイルスに国境はない」と世界中に拡散してゆく事を懸念していた。というのも、SARS ウイルスが、何度も北京の高レベルの保管施設から外部へと流出して死者を出しているからだ。

中国政府がこのような過剰な研究能力を拡張しているのは、生物兵器潜在的な開発のためであるとも言われている。

そんな事は表ざたにできないので「市場から発生した」と公表しているのでしょう。

でも危険度のレベルは違うにしても、この様な細菌研究施設は世界中にあり、もちろん日本にもある。今回の様な、不測の事態がいつどこで起きてもおかしくないのである。

また遺伝子組換えやゲノム編集などの遺伝子操作した危険な食べ物が出回っており、今後必ずおかしな病気が出てくるでしょう。地球温暖化で気温が上昇するとマラリアなどの蚊が媒介する伝染病も発生する。

そうなった時「自分の身は自分で守るしかない」ので、私の巫女としての経験からの『薬草と発酵菌』の知恵をご紹介します。

私が生まれた50年前の東京は、高度成長期で光化学スモッグで空気が汚染されており、水も工場排水や生活排水で汚染されており、現在の中国の北京の様に環境がひどく汚染されていました。

巫女体質の私は、幼少期から五感が敏感なので、生まれ育った東京の空気と水が合わなく、無意識に息を止めたり、水道水をなるべく飲まない様にしていたら、身体が水と酸素を取り入れにくい体質になって、血液がドロドロになって、20代前半に血毒症状になりました。

その時にドロドロの血液を一瞬でサラサラなキレイな血液に浄化するものを知人から教えてもらい、飲んだら身体中に血液が巡るのがわかる感じでした。それは、「大豆を30種類以上の乳酸菌・酵母菌の菌類で長期発酵」させた有用菌とアミノ酸のかたまりの様な液体で、細胞の真ん中の核の成分「核酸」と言うものでした。匂いが強烈で、納豆の匂いのアンモニア臭をキツくした感じでしたが、とにかくそれを少し飲むだけで、浄化された血液が巡り、免疫力も高まり身体がラクになりました。私は30年近くお守りの様に常にそれを持ち歩いて飲んでいます。

自然療法の先生から「水と空気のきれいな所に移住しなさい」と言われ、結婚を機に埼玉の秩父近くの山奥に引っ越しました。

埼玉の山奥に移住して、犬の散歩で山の中を歩いていたら、犬が「キャン!」と叫んでうずくまり、動けなくなりました。犬を抱えて山を降りて、車で1時間近くかけて街の獣医さんまで向かい、見てもらうと足をマムシに噛まれて、毒が回り、紫色に腫れあがり、呼吸するのも苦しそうでした。「マムシの毒が回って厳しいな…」と獣医は言って立ちすくんでいたので、私はバックに入れていた核酸を取り出して、犬の口から飲ませて、マムシに噛まれた傷口に何滴かたらしました。すると、紫色に腫れあがっていた足が一瞬にしてピンク色になって、苦しそうにしていた犬が立ち上がって、そばに置いてあった水をペロペロと飲み始めたのです。獣医さんも看護婦さんもビックリして「今の何の魔法?何が起きたの?」と聞いてきたので「大豆を多くの菌で発酵させた物です。」と言うと「そんな物で治る訳がない!」と信じてもらえなかったのですが、結局そのまま犬を連れて帰り、核酸を飲ませただけで何事もなかった様に元気になりました。マムシの毒を一瞬で浄化してしまったのです。

その後、私の弟が遊びに来た時に、持病のアレルギー性のぜんそくの発作が出て、呼吸困難で死にかけた時も私が持っていた核酸を口から飲ませたら、一瞬で発作が収まり呼吸も正常になりました。弟が「今、何を飲ませた?」と聞いてきたので、教えたら、「めっちゃ臭いけど、これすごい!」と驚いており、それ以来私の家族は、常に核酸を持ち歩いており、傷口に垂らしたり、体調が悪いと飲んだりしています。

母も狭心症カテーテル手術でステントを入れた後、血液をサラサラにする薬を毎日飲まないといけないのですが、化学薬品が嫌いなので、毎日、核酸で血液をサラサラにしています。

その母が国の野草園で絶滅が心配される在来種の野草を残してゆく仕事をしており、その機関誌で薬草茶や薬草料理を作って紹介していた事もあり、その影響で、私も若い頃から医者や化学薬品が嫌いだったので、薬草をかなり勉強しました。

埼玉県の飯能に移住してからオーガニックカフェを10年近くやり、そこで30種類以上の日本の薬草と西洋ハーブを自分で調合して、その日の体調や病気に合わせた薬草茶ブレンドを作って、お客さんに飲ませていました。

飯能にハーブの老舗の「生活の木」のハーブガーデン・ショップ・レストランがあったのですが、そこのスタッフの人達が私の店にいつもハーブティーを飲みに来るので、なぜか聞いてみたら「ここのはオーガニックだから安心だし、美味しい!」と言ってました。当時の生活の木は、ハーブティーもオーガニックではなく、ハーブのエッセンシャルオイルも天然ではなく化学香料を使っていました。私の店は、お茶もオイルも天然100%でオーガニックのものを販売していました。

同じ時期、飯能じゅうの病院の医者達の会合「医師会」が開かれると、医者達が揃って私の薬草カフェに来て、それぞれのお医者さんの体調に合わせて、薬草を調合してお茶を作ってあげていました。お医者さん達から私は「医者を治す薬草の先生」と呼ばれいたので「あなた達は、西洋医学でしょう?化学薬品を信じているのでは?」と聞くと「化学薬品は副作用があるから、薬草がいい」と言っていました。患者さんには化学薬品を処方しといて、自分達は薬草を飲みたがるのだから勝手なものですね…。

その後、80代の霊能者の巫女さんから「あなたは、薬草の知恵が備わっているので、ガンやうつ病や様々な病気を治す事が出来る。たくさんの人を助けてあげなさい。」と言われました。

日本人には日本の薬草が身体に合うので、今は日本の薬草のみをブレンドした10種類のブレンド茶をあわたまで販売しています。

犬が子宮蓄膿症になって、大量のウミを出して死にかけた時、獣医が化学薬品を投与しても治せなくて、瀕死の犬を家に連れ帰り、私が調合した薬草茶と核酸とブラジルアマゾンの紫イペという薬草を発酵させた「天然の抗生物質」と呼ばれるほどの抗炎症作用がある「パナケア」と言う物を溶かして、毎日犬に飲ませていたら、数日で意識を取り戻し、ウミも収まってすっかり元気になって獣医が驚いた経験もあります。

また、数種の薬草を発酵させた「万生溶液」と言うものがあり、化学物質を無毒化したり、有用微生物を元気にするのですが、その万生に天然100%のローズマリー・柚子・針葉樹系の精油ブレンドした天然の抗菌ブレンドオイルをアロマとして部屋で焚いたり、抗菌スプレーを作ってお部屋やマスクにふりかけたりしたら、インフルエンザや今回のウィルス予防になると思います。

抗菌うがいは、梅干しを漬けた時のエキス「梅酢」のクエン酸には殺菌効果があるので、水で薄めてうがいすると効果があります。

以上、様々な経験から「ウィルスなどの菌には、薬草や発酵菌で立ち向かう!」という訳で、緊急「あわたま健康便」として「核酸」「薬草茶・肺炎予防ブレンド」「万生入りブレンドアロマオイル」「梅酢(抗菌うがい)」を新型肺炎対策として緊急で販売します。

Facebookで販売しますので、ご希望の方は、メッセンジャーでご連絡下さい。

(パナケアは定価2万円と高価でインターネットでは、少し安く販売しているので、欲しい方は検索してみてください。ひと瓶に690粒と大量に入っているので、私は家に常備しており、天然の抗生物質として炎症を抑える時に飲んでおります。犬の子宮蓄膿症・猫の膀胱炎にも効果ありました。)

それから個人セッション(カウンセリング)も仕事として再開しましたので、私に相談や聞きたい事がある方もFacebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

 

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『巫女体質』

古代から日本においての呪術師・霊媒師・祈祷師などは、多くが女性である。

有名なのは、東北地方の口寄せ巫女のイタコ・奄美や南西諸島の神人のユタ・琉球神女のノロなど。そのような女性は日本の各地域にいて、神子・祝女など呼び方は違いますが、総称して「巫女(ミコ)」と言います。

「巫女」と聞くと今では、神社の社務所でお札やお守りを売る、赤白の衣装を着た若いお姉さんをイメージしますよね。

しかし、太古の昔から「巫女」はもっと神秘的な存在で、自分の身に神を降臨させて、そのご神託を皆に告げるという重要な役割を担っています。そう言う体質の女性を「巫女体質」と言います。

今流行りのスピリチュアル系などという、パワースポット好きの軽い感じではないのです。

本物の巫女は、神から選ばれたことで「病気になる」状態を体験させられます。この状態を「巫病」と呼びます。

巫病は、女性が若くして発症し、幻聴や幻覚、さらには肉体的には問題がないにも関わらず、高い熱を発したり、身体に痛みが走ったりするという、なかなか厳しい病気です。

この状態は、神様から巫女になることを要請されていることであり、中には命を落とすこともあるとも言われています。真の巫女になるのに通らなくてはならない厳しい修行です。

前回の「乳児期の記憶」でもお伝えしましたが、私は2才の時に父の実家の神社で神様からの「ご神託」を受け、お神酒を頂き、3才で「巫病」を発症して死にかけ、半年間も完全看護の病院に入院して、その後もしばらく療養していました。その後の人生、巫女体質のためにきちがい扱いされ、いろいろ苦労しましたが…

では、なぜそう言う神がかりは女性なのでしょう?

その答えは「カタカムナ文献」の中に書かれています。古代の神代文字カタカムナ文字で書かれた古文書「カタカムナ文献」には「サヌキ・アワ」という言葉がたくさん出てきます。

サヌキとは男性の本性を表し、目的に向かって突き進む力。現実化させる力。自己中心性。

アワとは女性の本性を表し、生み出し育てる力。柔軟性があり、受容する力。

そして、アワ(女性)は自然界からパワーを吸収し、自ら生命エネルギーを生み出せるが、サヌキ(男性)はパワーを消費し、自らエネルギーを生み出す事が出来ない。なので、男性は女性から生命エネルギーをチャージ(充電)しないと枯渇してゆく。それは、性行為でなくても、手を繋いだり、ハグなど触れるだけでも良い。だから、男は女に触れたがる。性欲だけでなく、生命エネルギーをチャージしたいのだ。なので、女は1人でも生きてゆけるが、男は女が必要なのだそうです。

自然界には神が宿っており、高次のアワ(女性)は、そのエネルギーと繋がるので、巫女など神がかりは女性なのです。

昔から、聖なる山などの御神域は、女人禁制にしています。表向きは「女はけがれているから」と理由づけていますが、真の理由は、神が宿る神域や御神体や御神宝に女性を近づけたくなかったのです。パワーをチャージ出来るから。だから女人禁制にして、男達は高次のアワ性を身につけるために必死に修行したのです。

巫女体質の女性は自分の身に神を降臨させ、神通力を使う事ができますが、男性は、修験者として修行して高次のアワ性を身につけないと神通力は使えない。

サヌキ忌部(インベ)だった空海は、阿波の高越山で修行し、アワ忌部から高次のアワ性を身につけた事で神通力が使えるようになった。

下の写真は、古代日本の一の宮である阿波の上一宮大粟神社に神の依り代である神麻の注連縄を奉納した翌日、年に一度のお祭りの日に私が写した写真です。

青いエネルギー体の上にアワの女神のオオゲツヒメ(紫色のお姿)が降臨しました。当日は大勢の人がいましたが、これは私にしか見えていなかったので、神の許可を頂き、写真に写しました。御光が差してオオゲツヒメはとても美しかった。神麻の注連縄に降臨したのです。

あわたまとして、これからの世に必要な活動していますが、巫女体質の私の役目は、神を降臨させて御神託を皆に伝える事と阿波の封印を解き、高次のアワエネルギーを復活させる事。

なぜなら、今の世界はサヌキ性(男性性)にかたよっており、目的を実現させる為に手段を選ばない独裁的人間達が支配している。失われているアワ性(女性性)を取り戻していかないとバランスが取れていないのです。

そのため皆の意識をクリアにする必要があるので、以前に埼玉で個人セッション(カウンセリング)をやっておりましたが、この阿波でも仕事として再開します。ただ日中はやらなくてはならない事がたくさんあるので、夜にメールでのやり取りになります。

私に聞きたい事や相談したい事がある方は、「個人セッション希望」とご連絡ください。

( Facebookメッセンジャーでも良いです)

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『乳児期の記憶』

皆さんは乳児期の記憶どこまでありますか?

「神童」といわれた三島由紀夫は、産まれた頃の乳母の着物の柄をはっきり覚えていたそうです。

私は、オムツを着けている頃までの強く覚えている記憶は3つあります。

実は私、犬に育てられたのです(笑)

というのは、言い過ぎですが、東京板橋区清水町に住んでいた乳児の頃「アルプスの少女ハイジ」に出てくる「ヨーゼフ」という大きな犬と同じセントバーナードの「キャリー」と言う犬が目の前の家にいて、そのキャリーちゃんに赤ちゃんだった私は子犬の様にいつもくっついていました。大きな犬に包まれる安心感を今でもはっきり覚えています。キャリーも子犬にお乳を飲ませるかの様に私にお腹をかしてくれて、キャリーのお腹に顔をうずくめてお昼寝していました。キャリーがお散歩の時は背中に乗せてもらって、町中を散歩したり、お買物したり、町内ではレイちゃんとキャリーちゃんはちょっと有名だったそうです。

親の都合で引っ越しをしなくてはならなくなり、私は「キャリーちゃんと離れるのはいやだ!」と言ってきかなかったそうで、その噂がキャリーと買い物していた商店街にも伝わり、その商店街にあったぬいぐるみ屋さん(専門店?)のおじさんが手作りでキャリーちゃんそっくりのセントバーナードが寝そべっているぬいぐるみを作ってプレゼントしてくれました。

そのぬいぐるみを抱えて、泣きながらキャリーちゃんと別れたのですが、とにかく悲しかったのを覚えています。それからそのぬいぐるみは、私のまくらとなり、涙と鼻水とよだれが染み込み、10年ほど使われました。小学生になってから、一度キャリーに会いに行きましたが、もう亡くなって、キャリーが産んだセントバーナードがいましたが、もちろん私を知るわけがなく、寂しかったのを思い出します。

大人になってから犬や猫を何匹か飼いましたが、キャリーちゃんのお腹に顔をうずくめる安心感が忘れられず、犬や猫のお腹に顔をうずくめるのがくせでした。みんな仕方なく私にお腹をかしてくれました(=^ェ^=)

2つ目の記憶は、親の都合で1年間、宮崎県西都市の父親の実家で暮らした時の出来事です。

父親の家系は神官で北極星(北辰)や北斗七星の「妙見信仰」の神社を先祖代々お護りして来ました。

北天にあって動かない中心の星・北極星(北辰)を宇宙の全ての最高神・天帝(太一神)として崇め、その傍らで天帝の乗り物ともされる北斗七星(龍神)は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福をつかさどるとされた。そこから、北辰・北斗に祈れば百邪を除き、災厄を免れ、福がもたらされ、長生きできるとの信仰が妙見信仰です。

毎朝母は、赤ん坊の私を背中におぶりながら、神社の境内を掃除してから、ご本殿を掃除しておりましたが、その日は私を本殿に寝かしつけて、境内を掃除していました。私の記憶は一瞬なのですが「レイ…レイ…」と名前を呼ばれて、声のする祭壇の方に近づいていった所だけ覚えているのですが、その後の記憶がなく、母が気づいた時には、私は神様のお神酒を飲んで、祭壇の前でぶっ倒れていたそうです。「赤ちゃんが神様のお酒飲んで、倒れている!」と大騒ぎになったそうですが、後にわかったのですが、その時に御神宝の神通力を授けられたようです。

3つ目の記憶は東京に戻った後、急性の病気で死にかけ、完全看護の病院に入院して、親も面会時間30分と制限され、幼い私は心細く毎日泣いていたのを覚えています。

母から「いい子にしていれば、すぐに退院できる。」と言われ、その言葉を信じていい子にしていましたが、1ヶ月たっても退院出来ず、2ヶ月、3ヶ月と経つうちに「このまま、ここから出られないのでは…」という不安と「大人の言う事は信用できない!」という怒りが込み上げ、家族が面会に来ても口をきかなかったのを覚えています。結局、半年間の入院生活が続きました。

古来より「三つ子の魂、百までも」と言いますが、3歳ごろまでに受けた経験によって形成された性質・性格は、100歳になっても根底は変わらないそうなので、乳児期の経験から、私は動物的本能がとても強く、神様(宇宙の意志)からの言葉を受けとり、人間の大人の言う事はあまり信用しない子供として、成長して今にいたります。

皆さんも3歳頃までの強烈な記憶があったら、その経験が今の自分に大きな影響を与えていると振り返ってみたら、気づく事があるのではないでしょうか。

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『龍脈から流れるエネルギー』

重要な山や神社などを地図の上で繋いでゆくと一つの線上に並んでいたり、図形が見えてきたりします。これは大地の気の流れるルートで「龍脈(レイライン)」と言います。

写真は衛星から西日本を写したものですが、阿波(徳島)の上一宮大粟神社を頂点に伊勢神宮出雲大社二等辺三角形に配置されています。

これが何を表しているかと言うと、古代日本の真の一の宮阿波国の「上一宮大粟神社」で、のちに伊勢神宮出雲大社を配置したのです。

徳島の前に私が住んでいた埼玉では、重要な神社を繋ぐと星座の図形になります。氷川神社群がオリオン座に秩父神社群が北斗七星の形に並んでいます。両方の神社群の星座のエネルギーは、龍脈を通して、私の埼玉の家がある、ときがわ町の萩日吉神社に集まります。

まだ正確な地図もなく、衛星も飛んでない時代にその配置に神社を置いた古代人は、神話の通り、天の鳥船で空を飛んでいたのでしょうかね。

こうやって、私の実家やこれまで住んだ場所・職場などゆかりの場所を繋いで行くと、皇居からの重要ないくつかの龍脈上にあり、それを繋いだら見事な風水の図形になりました。龍脈の気のエネルギーが噴き出すポイントを「龍穴」と言いますが、その風水で龍穴にあたる場所は、埼玉県飯能の山奥の私が住んだ家の場所でした。

そこは、裏に洞窟があり、水が湧き、時々つむじ風の様な風が洞窟を出入りしており、正に龍が住む穴でした。

その龍穴からのエネルギーが噴き出した大きな出来事が江戸時代にありました。

それが江戸末期の慶応2年6月、武蔵国秩父郡名栗村(現・埼玉県飯能市上名栗)で勃発し、瞬く間に関東全域に広がり、参加者10万人以上の幕末最大の一揆武州世直し一揆」です。

私の住んでた家の目の前の小川と道を挟んだ正面にお墓が立っており、そのお墓に埋葬されている人が、その「武州世直し一揆」を決起した宮大工の島田紋次郎で、その生家が昔そこに建っていました。そのお墓には、年間を通していろいろな人がお墓参りに来ていました。

私服を肥やす豪農や時の幕府を震撼させたこの一揆はただの暴動ではない。命を奪わず、金品を取らず、ただ格差社会を打ち壊そうとした、「世直し」というエネルギーで烈火のごとく関東全域に広がった。これが龍穴から龍脈を通して噴き出したエネルギーです。

その首謀者として島田紋次郎は、捕らえられて府中で獄死しますが、その後日本中に一揆が広がって行きます。

宮大工だった紋次郎が建てたのが、私が毎日、犬の散歩で山を登って、お参りしていた千手観音堂でした。その時は、全く知らずにそこに導かれていました。その観音堂の天井に描かれた絵が四国の伝説で徳島の阿波富士と言われる霊峰・高越山の山頂の高越寺の山門にも同じ伝説の絵が彫刻されており、私が埼玉から阿波に導かれた真の要因に繋がっています。

実は、阿波国(徳島)と武蔵国(埼玉・東京)は陰陽の関係にありますが、その事はいずれまたお伝えします。

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『誰もが将棋の駒の一つであるという事』

これまで『名の持つ二つの意味』や『生きて来た場所のルーツを知る』 など書いて「いろいろな事が偶然はなく必然だ」と言って来ましたが、具体的に何が言いたいかと言うと「結局のところ、人生って自分で選択しているようで、そうではなく、見えない何かの力(私は"宇宙の意志"と読んでいる)に動かされている将棋の駒の一つに過ぎない。」と言うこと。よく「お釈迦様の手の平の上で動かされている」と言いますが、そんな感じ。

まず、名前自体、自分で決める事ができず、人から与えられる。生まれた場所も。育った場所も。自立してからは、自分で選択している様に思うけど、実は、何かに動かされて選択している。(選択させられている)

だから、その事に気づいた時に自分に来るものを逆らわずに受け入れてみる事にしてみた。

例えば「水害が来るから船を造りなさい」と言うお告げの様なものを10年以上前に受け取った事があるのだけど、私は船など造った事もないし、造りたいと思った事もなかったのですが、とりあえず、メッセージを受け入れる事にして、動き出したら、人も大勢集まり、場所も提供され、材料や道具などかかる費用も国から1千万円支払われ、週末の土日を使って2年間かかって、50人乗れる大きな木造船を造り、東京の隅田川でお披露目した事があります。

そんな経験から、その見えない何かには大いなる意志や意図がある様だと気づいた時、その意図を知るために自分の名前の持つ意味や生きて来た場所のルーツを知ることで見えてくるキーワードによって「今世、自分に与えられた使命」みたいなものに気づく。それは、全く自分が望んでいた道ではないかもしれません。

私は地方の過疎の山奥で農作業している自分なんて、想像もしていなかった現実です。"宇宙の意志"を受け入れ、導かれるままに動いていたら、東京から埼玉経由で阿波にたどり着いた。50年かかって探求した結果、私が阿波に来るべくして来ており、この先しなければならない「天命」とやらも、はっきりとわかった。

明確になったが、実現できるかは私にかかっている。

これは、私だけではなく、みんなに言える事で、人それぞれ今世の使命(役目)を持って生まれて来ているので、それに早く気づくには、自分のキーワードを見つける事で何をしなければならないか見えてくる。

それに気づかず一生を終えたり、メッセージを受け入れず我を通したり、気づかないふりをしたり、逆らってみたりするのが人間で、生まれた使命や役割りを果たせる者は少ない。

たとえ今世やりたい事と使命が違うものでも、自分の夢を果たしたくても、他人よりも自分の事が大事でも「将棋の駒の一つに過ぎない」事を受け入れる勇気と今の地球規模の状況をみて与えられた使命や役割りを実行する行動力が必要である。

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