『誰もが将棋の駒の一つであるという事』

これまで『名の持つ二つの意味』や『生きて来た場所のルーツを知る』 など書いて「いろいろな事が偶然はなく必然だ」と言って来ましたが、具体的に何が言いたいかと言うと「結局のところ、人生って自分で選択しているようで、そうではなく、見えない何かの力(私は"宇宙の意志"と読んでいる)に動かされている将棋の駒の一つに過ぎない。」と言うこと。よく「お釈迦様の手の平の上で動かされている」と言いますが、そんな感じ。

まず、名前自体、自分で決める事ができず、人から与えられる。生まれた場所も。育った場所も。自立してからは、自分で選択している様に思うけど、実は、何かに動かされて選択している。(選択させられている)

だから、その事に気づいた時に自分に来るものを逆らわずに受け入れてみる事にしてみた。

例えば「水害が来るから船を造りなさい」と言うお告げの様なものを10年以上前に受け取った事があるのだけど、私は船など造った事もないし、造りたいと思った事もなかったのですが、とりあえず、メッセージを受け入れる事にして、動き出したら、人も大勢集まり、場所も提供され、材料や道具などかかる費用も国から1千万円支払われ、週末の土日を使って2年間かかって、50人乗れる大きな木造船を造り、東京の隅田川でお披露目した事があります。

そんな経験から、その見えない何かには大いなる意志や意図がある様だと気づいた時、その意図を知るために自分の名前の持つ意味や生きて来た場所のルーツを知ることで見えてくるキーワードによって「今世、自分に与えられた使命」みたいなものに気づく。それは、全く自分が望んでいた道ではないかもしれません。

私は地方の過疎の山奥で農作業している自分なんて、想像もしていなかった現実です。"宇宙の意志"を受け入れ、導かれるままに動いていたら、東京から埼玉経由で阿波にたどり着いた。50年かかって探求した結果、私が阿波に来るべくして来ており、この先しなければならない「天命」とやらも、はっきりとわかった。

明確になったが、実現できるかは私にかかっている。

これは、私だけではなく、みんなに言える事で、人それぞれ今世の使命(役目)を持って生まれて来ているので、それに早く気づくには、自分のキーワードを見つける事で何をしなければならないか見えてくる。

それに気づかず一生を終えたり、メッセージを受け入れず我を通したり、気づかないふりをしたり、逆らってみたりするのが人間で、生まれた使命や役割りを果たせる者は少ない。

たとえ今世やりたい事と使命が違うものでも、自分の夢を果たしたくても、他人よりも自分の事が大事でも「将棋の駒の一つに過ぎない」事を受け入れる勇気と今の地球規模の状況をみて与えられた使命や役割りを実行する行動力が必要である。

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