『亡くなった方々が残した大切なメッセージ』

東日本大震災から今日で11年。
地震津波原発事故という
“この世の終わり“かと思うほどの大災害…。

東北に物資を運びつつ、目の当たりにした光景は、今も目に焼き付いている。

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その時に車の中からこの現実を忘れないために少しだけ撮った写真です。

「街は壊滅し、放射能で汚染され、この先いったいどうなってしまうのだろう…」という不安と「いや!まだあきらめちゃいけない!」という思いで、避難している方々に物資を届けつつ、被災して亡くなった方々の霊に祓詞を唱え祈り続けた。

その後、2011年は、地震を鎮める祈りの旅を東北・関東・北陸と数回巡った。

この11年の間にも自然災害や疫病のパンデミックなどが世界を襲い、今度は戦争で人々が殺し合い、原子力発電所を破壊して、放射能でまたこの地球を汚染し、壊そうとしている…。

人間はいつになったら、大切な事に気づくのだろう…。

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私は、もう亡くなられている著名人の身近にいた方々と知り合い、親しくなる機会がなぜか多く、いろいろなエピソードを聞いたり、メッセージを受け取る事がある。

例えば、海外の亡くなった著名人では

ジョン・レノンマイケル・ジャクソン

日本の亡くなった著名人では

三島由紀夫出口王仁三郎

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以前『ジョン・レノン没後40年』というブログにも書いたが、引き寄せの法則なのか、ご縁があるのか、不思議と私は、ジョンと親しかった人から彼の人となりを聞く機会が多く、彼を身近に感じる機会が多かった。

中学の時、担任の女性の先生は、東京銀座の歌舞伎座すぐ横のビルのオーナーでそこに暮らしていて、ジョンがお忍びで日本に来るたびに歌舞伎を見て、先生のビルの1階のカフェでお茶をして、よく親しくお話しをさせていただいており「歌舞伎や日本の文化がとても好きで、とても影響を受けている」と話していたそうだ。

ビートルズを結成する前のジョンは美術学校で東洋文化専攻の友人から日本や東洋文化のことを聞いて「禅」や「空」の概念に興味を持っており、ビートルズで成功した時に、ふらっと入ったロンドンのギャラリーでみたオノ・ヨーコのアートはそれを反映したもので、ジョンは、深い感銘を受けた。

オノ・ヨーコは、日本の前衛的な芸術家で、

のちに「ビートルズを解散させた女」として世界から非難を浴びる一方、ジョンとともに平和活動や音楽活動・創作活動を続けてきた世界的なアーティストです。

私の母も絵を描く芸術系の人で、髪を下ろすとオノ・ヨーコにどこか似ていて、しかも名前がヨーコなので、私はオノ・ヨーコさんには親近感を感じていた。

テレビ局の美術部でデザイナーをやっていた時、隣りの席の先輩が、オノ・ヨーコさんとがっつり親戚で、子供の頃にジョンとヨーコに可愛がられて、葉山の家や軽井沢の別荘で一緒に写っているプライベート写真をたくさん見せてもらった。その先輩からとても貴重な話しを聞いた。

「イマジンという名曲は、ヨーコがいなかったら、この世に誕生しなかった。」

1964年にオノ・ヨーコの著書『グレープフルーツ』は、わずか500部の限定版として東京で出版され、実はその本を読んだジョンが、ヨーコの言葉を歌詞に使ってイマジンは生まれた。

そのエピソードは、最近NHKでも「イマジンの誕生秘話」として番組になっており、1980年にジョン・レノンが生前に残したBBCのインタビューでも話していた。

「実は、あれ(イマジン / Imagineの曲の作者)は ”Lennonono(レノン/オノ)” と表記されるべきだった。歌詞やコンセプトの大部分はヨーコから来ていたんだ。

あの頃の自分は今よりちょっと自己中心的で、ちょっと男らしさを履き違えてたから、彼女の貢献についてあえて言及しなかった。

でも彼女の本『グレープフルーツ』からまるまる着想を得ていた。“Imagine this”(これを想像してごらん)、“Imagine that”(あれを想像してごらん)って(言葉が本の中には)たくさん出てくるんだ」

そうしてイマジン(想像してごらん)という名曲の歌詞が生まれた。

実は、私はジョンが「イマジン」の歌詞を作詞した時の直筆の走り書きのメモを目の前で見た事がある。それは、泊まっていたホテル(ニューヨーク・ヒルトンホテル)の名前が入ったメモ用紙に歌詞を走り書きしたもので、埼玉スーパーアリーナでオノ・ヨーコ全面協力の「ジョン・レノンミュージアム」の特別展示で透明のケースに飾ってあった。

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東京のテレビ局のデザイナーを辞めた私は、結婚を機に埼玉県に引っ越してから、埼玉県が主催する埼玉スーパーアリーナでのイベントのセットデザインを依頼され、県庁の方の案内で埼玉スーパーアリーナに下見に行くと、4階・5階に「ジョン・レノンミュージアム」が併設されていて、特別に見せていただいた。

ジョン・レノンの使用していたギターや楽譜や衣装やメガネなどゆかりの品々が並べられ、ビートルズ時代の品々もあり、特別展示で、イマジンが誕生した時の歌詞の走り書きメモも展示されており、それを見て感極まり、最後の白一色の大空間の壁に大きくジョンが映し出され、イマジンを歌い始めた。私は、その空間の真ん中に置かれた一脚の透明の椅子に座った。歌っているジョンのアップの映像の下に日本語訳の歌詞が出た。その白い空間でたった一人のためにジョンがイマジンを歌ってくれるという演出で感動で涙が止まらなかった。

テロや紛争が起こるたびに世界中の人々がイマジンを歌う。オリンピックの開会式でも必ずイマジンは歌われる。そんな世界共通のメッセージソングの原点は、ジョン・レノンの妻のオノ・ヨーコであると、2017年に全米音楽出版社協会がやっと、”イマジン / Imagine” のクレジットに、ジョン・レノンの共作者としてヨーコ・オノを加えることを発表した。1971年に発売されてから、実に46年も経ってからである。

この曲に込められたメッセージを今世界は真摯に受け止めてほしい。

https://m.youtube.com/watch?v=wARpk54fv8U

そのジョンがまだビートルズで人気をはくしていた頃、ビートルズのメンバー全員、1968年にインドのヨギ・マハリシと出会い、マハリシの元で過ごし瞑想を学んで、当時のビートルズの音楽に反映していた。

そのマハリシに弟子入りして瞑想を学んだ音楽家でセラピストでもある私のセラピーの先生は、当時ヒーリングミュージックで日本のテレビやラジオの主題歌やテーマソングでかからない日はないと言うほど、使われており、私に作曲してくれた曲もNHKのとある番組の主題歌として、1年間流れていた。(その曲はそれから15年後に徳島の神山の道の駅で繰り返しかかっていて驚いた経緯があるのだが…)

その方がロスにいた頃にマイケル・ジャクソンと対談した事があった。

シンガーソングライターである彼のとても壮大なヒーリングミュージックをたいそう気に入ったマイケルは、後日彼を訪ね「僕と一緒にヒーリングミュージックを作って、この世界を愛が溢れる世界に癒やしてゆかないか?」と言ってきた。しかし、真のセラピストである彼は、「あなたが、生まれた時のありのままの自分を受け入れ愛せた時に、本当の意味での愛の曲が作れるのだと思います。」と伝えたそうだ。

マイケルは、その言葉を受け止め「そうだね…」と言って帰って行った。

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当時のマイケルは、昔の面影もないくらい、容姿が変わり、肌も白く、黒人として生まれてきた自分を明らかに否定してしており「その自分自身の中に人種差別があり、苦しいのだよ。ありのままの自分を受け入れたら、きっと本当の意味で自分も人も愛せるよ。」と彼はマイケルに伝えたのだと思います。

その気持ちが伝わったのかは、定かではありませんが、その後マイケルが作詞作曲して1991年に発表したのが「ヒール・ザ・ワールド」(世界を癒そう)でした。

生前、マイケルはあるインタビューでこんな質問を受けた。

「もし残りの人生で、1曲しか歌うことができないとしたら、どの曲を選びますか?」と質問され、こう答えたそうです。

「1曲だとしたら、それはヒール・ザ・ワールドだね。あの曲は、僕がレコーディングしてきたすべての楽曲の中で、特別な1曲なんだ。無垢で、とても大切なことについて歌っている。きっと多くの人々の心の中にこれからも長く生き続ける曲だと思っているよ。何かとても特別なもの、何かとても大切なものについての曲だから。」

本当にこの曲は、愛のエネルギーに溢れていて、何度聞いても涙が出る。

日本語に訳した歌詞を読みながら聞くと、とても大切な事を伝えていて、心に響きます。

「国々が剣をクワに持ち替えるのを見届けよう。必ずたどり着けるよ。君が命を大切に思いさえすればね。」

戦争・貧困・飢餓・差別・自然破壊…人類が様々な問題を抱え、経済至上主義でやって来た事のひずみが今、表面に現れて来ている。

剣を置いて戦争を終わりにして、クワを持って皆が土を耕して、生命を大切に思い生きてほしいです。

この地球に住むすべての人にこの曲を送りたい。

https://m.youtube.com/watch?v=-nkWacjF710

ジョン・レノンのイマジン

マイケル・ジャクソンのヒール・ザ・ワールド

という20年差で生まれたこの2大名曲の誕生に、それぞれ日本人が、もしかしたらきっかけとして関わっていたかもしれないというお話しでした(^_^)

彼らが残した、大切なメッセージを今しっかりと受け止める時だと感じます!

日本の亡くなった著名人の三島由紀夫出口王仁三郎が残したメッセージは、次回に書きます。

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