『北の国から』

昭和の印象深いドラマをあげろと言われたら、『北の国から』と『おしん』と答える人は多いだろう。

その『北の国から』の主演俳優の田中邦衛さんと『おしん』の脚本家の橋田壽賀子さんの訃報が続いた…。

田中邦衛さんは88歳との事で、父とほぼ同世代だったので、邦衛さん演じる、北の国からの黒板五郎を父親的な感じで見ていた。

あのドラマを当時中学生だった私は、東京の実家で見ていて「早く東京を脱出して、自然の中で暮らしたい。」という思いをつのらせた。

それほど、北海道の雄大な自然は魅力的であり、黒板五郎の生き方にとても惹かれた。

虫の知らせか、3月頃から「黒板五郎の流儀」という本を本棚から引っ張り出して、時々眺めていた。

その本は、主人公・黒板五郎が純と蛍を連れて故郷の北海道富良野に戻って、ボロボロの生家を修復し、沢の水を引き、風力発電を造り、その後の丸太の家や石積みの家や風呂、最後に建てた廃材で造った家など、ドラマのセットとして、実際に富良野の地に建てられた数々の家の図面やその造り方を写真と共に詳しく解説されており、お金をかけずに自然にあるものや人間達が捨てるものを無駄にせず活用して、自力で家を造り続ける黒板五郎の流儀をまとめたとても楽しい本である。

私もいずれ、自然にある素材や廃材を集めて、眺めの良い場所に自分で家を建てたいと思っているので、時々この本を引っ張り出しては眺めている。(以前、自分の薬草カフェの内装は、そうやって自分で作った事はあるが…。)

北の国から』というドラマは、東京のガソリンスタンドで働く主人公の黒板五郎が、美容師をする妻に不倫という形で裏切られ、心傷つき、妻も東京も何もかもが嫌になった五郎が、幼い純と螢を連れ、故郷の北海道・富良野に戻り暮らし始める所から始まる。きっと五郎の様に地方から東京に出て来て、いろいろあって心傷つき、夢やぶれて、東京を去り故郷に帰る人は、毎年たくさんいるだろう。

私が高校生の時、こんな事があった。

ある年の年末、東京の下町・江東区門前仲町で一人暮らしをしていた姉の家を訪ねた帰りの事である。地下鉄門前仲町駅の地下道を歩いていた時に黒い長財布が落ちており、拾うとずっしり重く、すぐに駅近くの交番に届けた。

お巡りさんが、財布の中身を確認すると、現金が20万円以上、銀行のカードやクレジットカードが何枚も入っており「これを落とした人は、今頃困っているだろうな…。」と思っていると、持ち主の身分証明書も入っていたので、お巡りさんが「先方に連絡を取ってみますので、あなたのご連絡先も教えてください。」と言われ、当時は携帯電話がない時代だったので、自宅の電話番号をお伝えして帰りました。

その夜、自宅にお巡りさんからご連絡があり「持ち主が見つかり、無事にお渡しできました。お礼の電話が入ると思います。」との事で「良かった…」と喜んでいるとしばらくして、財布の持ち主の人から連絡が入った。電話に出ると、男の人の声で「玲さんですか?財布を拾ってくれてありがとございます!あなたの様な親切な人が東京にもいるのですね…。」といきなり号泣し始めた。聞けば、その人は、北海道出身で、大学卒業後、東京の企業に就職し、数年働いたのだが、東京に来てから仕事も生活も辛い事が続き、人間関係もうまくいかず、心身ともに傷つき疲れ果て、会社に辞表を出し、この年末に荷物をまとめて故郷の北海道に帰郷する予定で、その引っ越し費用と飛行機代を銀行で降ろした矢先にその財布を落としてしまったそうで「東京で財布を落としたら、おそらく現金は絶対戻ってこない…。僕は、最後の最後までついていない…本当に東京は肌に合わない場所だったと自宅で落胆していた所に警察から電話があり、あなたが財布を交番に届けてくれたと知り、本当に嬉しくて。東京にも、あなたの様に心のキレイな人はいるのですね。本当にありがとうございます。最後に良い思い出と共に北海道に帰れます。」と言われ「東京でこの人にいったい何があったのだろう…?」と思いながらも都民として東京の名誉挽回が少しできて良かったと思った。

年が明けて、財布のお礼で北海道から新巻鮭一本と海産物が届いた。よほど嬉しかったのか、夏には、北海道でとれた野菜が送られてきた。

あの時の人は、北海道で元気に暮らしているだろうか…?今でも時々思い出す。おそらく今は還暦ぐらいになっているだろう。

北の国から』の五郎さんもこんな風に東京で傷つき、故郷の北海道に帰って行ったのかな…と思った出来事だった。

あのドラマは、不倫や夜逃げやリアルな人間模様を描きながらも、物質社会から自由になり、電気も水道も何もない状態から、暮らしを作り上げていき、厳しい自然と向き合いながら生きる生き様を父親が子供達に見せてゆく。

そんな父をみっともなく感じる息子と父を支える娘。大きくなるにつれ、次第に考え方が変わってくる子供の人間的な成長も描いており、年をとっても相変わらず、自力で家を作り続け、不自由な暮らしをし続ける黒板五郎の流儀に、私はとても感銘を受け、大きな影響も受けた。

大学生の時、青函トンネル開通に伴い、青函連絡船がなくなるとの事で、美術学科の友人8人で、冬の北海道を旅しようと、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞の通り、上野発の夜行列車に乗り、雪の青森駅に着き、廃止寸前の青函連絡船に乗り、津軽海峡冬景色を眺めながら、北海道・函館に渡った。ちょうど、国鉄が、JRに民営化したばかりで、JRの北海道周遊券という切符で、自由に乗り降りしながら、冬の北海道を巡った。その時、知り合って皆で泊めて頂き、いろいろご馳走になった旭川のKさん一家には、その後何度もお世話になり、今でも親戚の様にお付き合いしている。

その後も北海道を一人旅したくて、車の免許を取り、東京ドームで中古車ジャンボフェアーやっていたので、見に行って車を買い、その車に食料と毛布などを積み込み、北海道を一ヶ月以上、一人旅した。

雄大な自然を走っている時「あー!何て自由なんだろう!東京であくせく暮らしているのが、嘘の様なこの解放感!」と思いながら、釧路湿原を走り、網走を通って、知床半島まで走った。まだ世界自然遺産になる前で、知床を開拓したアイヌの酋長さんの家にお世話になり、バイトもさせていただいた。そこで、夫になる奧野と出会った。オホーツク海に向かって、堤防に座ってギターを弾きながら、歌っている変な人だった。彼がリスペクトしているインディーズのミュージシャンが、なんと私の友人だった事もあり、すぐに意気投合した。そんな人生を変える出会いも北海道であった。

大雪山系や層雲峡を走りぬけ、北の国からの舞台である富良野や美瑛の美しい風景も満喫した。一人旅の最後に嵐になり、暴風雨の中、車を運転するのがしんどく、車中泊も続いたので、札幌にたどり着いて宿を探したが、当時は女性の一人旅は、傷心旅行が多く、自殺する可能性もあり、どんなに「そうゆう旅ではない」と説明してもなかなか泊めてくれる所が見つからなかった。

困り果て、車で走っていると、大雨の中、ポツンとラブホテルのネオンが見えた。どうしても、ゆっくりとお風呂に入って、ベッドでぐっすり眠りたかった私は、一か八か受付のおばちゃんにこれまでの事情を話し、一人だけど泊めていただけないか頼むと「一番小さい部屋が空いているから貸してあげるよ」と言ってくれて、おばちゃんのおかげで、ゆっくり身体を休める事が出来た。そんな事も今や楽しかった思い出です。

その後も北海道に通い続け、北海道で出会った夫と結婚して、新婚旅行も寝台列車北斗星で北海道に行って、出会った知床で流氷を見て、二人で北海道移住を計画していましたが「埼玉の山奥に移住しなさい」と御神託が降りて来て、数年の埼玉移住のつもりが、ターニングポイントを迎えるたびに北海道移住を考えると「お前はまだここでやる事がある…」と次にやらなくてはならない事の御神託が来る、そんな事が三度続き、気がつけば、20年が経ち、その間に夫も亡くなり、一人で北海道に移住するか考えていたら、徳島の阿波忌部に関するメッセージがたくさん来て、ついに徳島の阿波麻植からお迎えの人達が埼玉まで来て、徳島に通う事になり、御神託で移住する事になった。結局、長きに渡る北海道移住計画は、実現しませんでした。

知床のアイヌの酋長さんの家も今だ付き合いがあり、羅臼昆布や海産物を送っていただいたり、数年前は、酋長の民芸品店をリフォームしてほしいと言われ、徳島から埼玉のもう一軒の家に行き、車に電動工具や無垢材を詰め込み、10代の頃から私を手伝ってくれていた20代半ばの開くんをアシスタントとして連れ、北海道の旭川のKさん一家宅に一泊泊まりつつ、知床まで車で行き、持っていった無垢材と現地で調達した材木とオホーツク海の流木をたくさん使って、二週間ほどかけて、黒板五郎ばりに民芸品店をリフォームした。そして『ここは知床を開拓したアイヌの酋長の家です』という手書きの看板を日本語と英語で書いて、取り付けて来た。

知床から徳島に戻って、テレビをつけたら、いきなり私が書いた看板がアップで映っており、驚いた!朝の情報番組の知床からの中継で私がリフォームしたばかりの民芸品店が紹介されていた。アイヌの酋長さんの家なので、アイヌ文様の布とアイヌの木彫りを入り口に取り入れたデザインにして、外と内にアイヌ製品のコーナーを流木で作り、かなり前面にアイヌ色を出した事が良かったようだ。さすが、世界自然遺産。取り上げられるのが早い!貢献できて良かったと徳島で一人喜びました。

北の国から』のドラマでは、黒板五郎の一家は、四国・徳島の蜂須賀藩の家臣・稲田家の末裔で、先祖が北海道静内へ移住してきて、その後に富良野に移り住み、五郎は富良野で生まれ育ったという設定だと最近知り、驚いた。

あわたま山の山主・後藤田さんの知人が徳島の稲田家の古民家を数年前に解体を任され、とても立派なお屋敷だった話しを聞いていたからだった。

北の国からの黒板五郎のルーツは徳島だった。なんだか繋がってうれしい。

そういえば、私が19の頃から親戚付き合いをしている北海道旭川のKさんも先祖が四国・愛媛から北海道に移住したと言っていた。江戸末期から明治にかけて、開拓民として蝦夷地(北海道)に移り住んだ人は多く、四国からもたくさんの人達が移住している。

私はアイヌの先住民のお話しも聞いているので、そこには悲しく、痛ましい歴史もある。

その事は、いずれまたブログで書く事にします。

私に大きな影響を与えてくれたドラマ『北の国から』の主人公・黒板五郎を演じた田中邦衛さん!

黒板五郎という人が本当に富良野に暮らしているのではないかと思ってしまうほどの名演技でした。

ありがとう!お疲れ様でした(^_^)

 

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