『続・武蔵国から阿波国へ』

前回のブログ『武蔵の国から阿波の国へ』の続きです。

2008年に徳島県の阿波麻植の方々が、大学の恩師に連れられて、埼玉県の私の拠点の地に来られた時、私には、その方々が麻植の神が派遣した使者で「阿波国よりお迎えが来た!」と感じた。

f:id:Rei-wa:20220201211351j:image

当時は、御神託により「水害が来るから船を造りなさい。」とメッセージを受け取り、その日のうちに『ノアの箱舟』の設計図や情報を持って来る人が3人も現れた事で「やるしかないか…」と腹を決め、当時人気の映画「パイレーツ オブ カリビアン」やアニメ「ワンピース」など海賊ブームだったので、埼玉の森林組合や東京のNPOと一緒に「水害対策の防災船(海賊船)を地域の木材を使って子供達と造る」という名目で国からの助成金で、毎週末に地元の子供達や大学生や大人達を集め、2年かけて大きな木造船(海賊船)を造り、東京の隅田川で船の完成お披露目イベントをして、その後処理仕事などでバタバタしていた。

f:id:Rei-wa:20220201211431j:image

その後、東日本大震災が起こり、実際に水害は来たが、その船を使う事はなかった。

「造らなければならなかったのは、この木造船ではなかったか…」と思った時、ハッ!と思い浮かんだのが、私が大学の卒業制作で設計し、芸術学部賞をいただいた、海に浮かぶ建築物だった。それは木造とは真逆の金属と強化ガラスで出来た建物で、今よくよく見ると六芒星の宇宙船の様だった。

f:id:Rei-wa:20220201220316j:image

このデザインが頭の中に降りて来たのは、実に30年以上前、20歳の時に神戸で六甲山を眺めていた時だった。

今思えば、六甲山中の金鳥山の神社で御神体として護られていたのが『カタカムナ文字』で書かれた巻物で、古代カタカムナ文明の事が書かれており、その中に「アメノトリフネ サヌキアワ」「トリノイハクスフネ オホケツヒメ」という一節がある。日本の神話にも「鳥之石楠船(トリノイワクスフネ)の神、亦の名は天の鳥船(アメノトリフネ)といふ。次に大宣都比売(オホゲツヒメ)の神を生みたまひき」という場面もあります。ちなみに『オオゲツヒメ』とは、阿波の女神の事である。

「船を造れ…」とは、天の鳥船=六芒星の宇宙船のことなのでは…そのために私はあれを設計をしたのかもしれない…などと思ったりもした。

今で言ったら、人が大勢乗れる巨大なドローンみたいな物を造れと言う事か…。

いやいや、模型なら作ったが、私に現物を造れというのは無理でしょ…(^_^;)

f:id:Rei-wa:20220220120243j:image

そんなことで、震災の翌年2012年にやっといろいろな活動も一段落し、阿波に行ける体制が整った事をご連絡したら、徳島県のプロジェクトなので、徳島県助成金で、交通費と宿泊費を負担してくれて、先方が往復の飛行機のチケットを用意してくれるとの事だったのですが、私は20歳の時に、ニューヨークからロンドンに移動する飛行機に一人で乗っていて、乱気流に巻き込まれて、飛行機が大揺れしながら一気に高度を下げ、墜落しそうになり、酸素マスクをつけながら、恐怖で震えた経験がトラウマとなり、以来飛行機が苦手で、国内はよほど急ぎでない限りは、他の交通手段を使って移動する様にしている。

それと御神託で「神戸は『神の戸』で『鳥居』を表し、淡路島は『阿波に至る路』で『参道』を表し、鳴門海峡の渦潮は『お清めのための禊ぎ』を表し、その先の阿波(徳島)が真のお社(やしろ)である」と受け取ったので、やはり飛行機で空を飛び越えるよりも、神戸から淡路島を通り、鳴門の渦潮の上を通り、阿波までの道のりを地を走って至るのが、正式な道筋だと感じた。

f:id:Rei-wa:20220202102813j:image

深夜の高速バスで東京を出発し、朝焼けで空が美しく染まって来た時に神戸(鳥居)を通過し、明石海峡を渡り、神話の始まりの島・淡路島(参道)を通り、鳴門海峡の渦潮(禊ぎの聖地)の上を通過し、阿波(お社)に辿り着くまでに「いよいよ、日本の真の聖地・阿波国に渡る」という覚悟をしっかり持った。

f:id:Rei-wa:20220202094840j:image

着いた初日は、徳島県の職員の方が、県内を1日案内してくれるとの事で、事前に行きたい場所を聞かれたので「麻に関係する所」と伝えていました。

朝6時に徳島に着いたら「奧野さんですか?お待ちしておりました。」と早朝にもかかわらず、県の職員の方が出迎えてくれた。

車に乗り込み、走り出してすぐに見えた標識に『神山』の文字が目に入り「神山…」とつぶやくと県の職員の方が「あっ!奧野さん卑弥呼!いま急にそう思っちゃった!」と突然叫んだ。

「うわ…またか…」と思ってしまった。

実は、私は霊感の強い方に会うと必ず「あなたの後ろに卑弥呼がついている…」ともう何人もの方に言われてきた。私の店を手伝ってくれていた不登校の中学生の女の子も巫女体質で昔から霊感が強く、人の守護霊やオーラの色が見える子で「玲さんの後ろに古代の服を着た高貴な女性がついて守護しています」「何回か言われた事あるのだけど、もしかして卑弥呼?」と聞くと「あっ、そうみたいです」と言って、絵で描いてくれた事がある。

まさか、初めて徳島県に着いて、初対面の人に会って5分で言われると思わなかった…。

実は、その数ヶ月後に初めてお隣りの香川県に行き、初対面の女性に会って5分で「あっ!奧野さん卑弥呼!いま急にそう思っちゃった!」と徳島の時と全く同じ事を言われた。その方もとても霊感が強い方でいろいろ見えるのだと娘さんが言っていた。

「恐るべしサヌキアワ…。四国に着いて初めて出会った人達にすぐに『卑弥呼』と言われた…。これは核心をついた場所に来てしまったのかもしれない。隠されている邪馬台国は四国か…。」と直感で思った。その後の10年間で御神託でいろいろなことがわかったが、邪馬台国については、またそのうちにブログでお伝えします。

f:id:Rei-wa:20220220133245j:image

初めて徳島に着いて「麻に関する場所」としてまず最初に案内されたのは、鳴門の阿波国一宮・大麻比古神社でした。

ここは「おおあささん」と呼ばれて親しまれている徳島を代表する神社で、鳥居をくぐってまず迎えてくれるのは、天然記念物に指定されている樹齢1000年以上のくすの木の大木で、この御神木が大麻比古神社でいちばんのパワースポットといわれています。

パッと見、象が鼻を上げている様にも見える御神木の幹にあいた大穴(象の目のあたり)を見ると「才能の扉が開かれる」と言われており、大きく枝を伸ばした御神木の姿は生命力にあふれ、パワーを感じます!

f:id:Rei-wa:20220228101739j:image

阿波国淡路国(淡路島は江戸時代まで徳島藩で明治の途中から兵庫県側になる)両国の総鎮守である大麻比古神社は、社伝によれば「神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖して開拓し、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命大麻比古神)を阿波国の守護神として祀った」のが始まりだと言います。

神社の社紋も麻文様です。

f:id:Rei-wa:20220228102206j:image

裏の大麻山(おおあさやま)には、大麻比古神社の奥宮が祀られており、山頂直下には「真名井の水」という名水も湧き出している。

すぐ隣りには四国八十八箇所霊場第一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)があり、四国遍路の「始まりの場所」なので、大麻比古神社にも道中の無事を祈願するお遍路さんの姿を多く見かける。

私は記念に桐箱に入った大麻織物の御守りを購入させていただきました。

f:id:Rei-wa:20220228102056j:image

さて、次に案内されたのは、鳴門から車で2時間ほど山奥まで走り、徳島県の真ん中あたりの旧・麻植郡木屋平村(現・美馬市木屋平)の高地にある、国指定重要文化財の三木家住宅。

f:id:Rei-wa:20220228181533j:image

ここは1650年頃に建てられた県内最古の古民家で、ご当主の三木氏は、阿波忌部の直系で、古代以来、この地で大麻(おおあさ)を育て、その繊維を麻糸にして、大麻織物の麁服(あらたえ)を織り、天皇即位の大嘗祭における御殿人(みあらかんど)として調進していた。

f:id:Rei-wa:20220228183228j:image

三木氏は今は大阪に住まわれているのだが、この時は、県の職員の方が事前にアポを取って徳島に来られているのを確認して、なぜか私の事を「東京の麻の研究者」とお伝えしており、わざわざ出迎えてくださった。

天皇の麻畑の場所や重要な資料や道具類を見せていただき、古い時代の貴重な麁服の糸や残りの麻布なども見せていただいた。

とても興味深いお話しをたくさん聞かせていただき、感謝しつつ、三木家を後にして、次に案内してくださるのは、剣山にほど近い、つるぎ町貞光の忌部神社(御所神社)との事だった。

忌部神社なら、大嘗祭の麁服を織る、吉野川市の山崎忌部神社の方では?」と聞くと「これから阿波麻植森林組合と木材を使って吉野川市を拠点にものづくりをするので、吉野川市忌部神社はいつでも行けるから、剣山の方をご案内しました。ここは、私の故郷なのです。」との事。というわけで、私は麁服の山崎忌部神社よりも先に剣山の忌部神社(御所神社)に導かれました。その二箇所の神社は明治時代にどちらが正当な忌部神社か揉めて決着がつかずに徳島市眉山に新たな忌部神社を造ったとの事で、ややこしい経緯があります。両方共、もともとは麻植郡になり、山崎忌部神社は、忌部山に建っており、忌部山の山中には、立石で結界がはられており、古墳が点在してかなり古いと思われる。

つるぎ町貞光の山間部の御所平と呼ばれる場所に鎮座する忌部神社(御所神社)は「式内大社忌部神社奥社」とされ、近くには巨石の磐座があり、こちらもかなり古いと思われる。付近の集落は、その方のご両親のそれぞれの生家や親戚の家があり、その方は、剣山系貞光忌部の方だった。

f:id:Rei-wa:20220228215628j:image

御所神社に着くと最近では珍しい無垢の木製の鳥居で、自然木のごつごつした形をそのまま生かしていて、とても良い感じでした。

f:id:Rei-wa:20220228224413j:image

神社もとても人々に大切にされている様で、立派ですごくきれいに管理されており、松の木やエドヒガン桜が見事でした。

初めて来た徳島は、初日から鳴門・大麻比古神社から木屋平三木家を経由して剣山貞光・忌部神社まで、ディープスポットをかなり広範囲に動き、最後は阿波富士と呼ばれる吉野川市忌部神社近くの聖なる山・高越山のふもとの「ふいご温泉」に案内され、宿泊しました。

10年前の事ですが、やはり阿波国は、なかなか濃い場所だと実感しました。

【個人セッションを受けてみませんか?】

私は、個人セッション(カウンセリング)も仕事としてやっています。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵・仕事の悩み・地方移住・人間関係・家族との関係・いじめや虐待・霊的な話・先祖供養などいろいろです。

ご相談を受けて、数日間やりとりをして、最後に御神託を降ろし、お伝えします。

私に何か聞きたい事や話したい事がある方やご相談がある方もぜひ個人セッションでやりとりしましょう。女性が多いので、男性もぜひご相談ください!

基本、日中はあわたまの仕事があるので、個人セッションは、夜にメールのやり取りで、対応していますので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は「個人セッション希望」とご連絡お待ちしております(^_^)