『ジョン・レノン没後40年』

12月8日はジョン・レノンの命日でした。

あれから40年。あの時の事は忘れない。

中学生だった私は、姉がビートルズポール・マッカートニーのファンで、部屋でビートルズがいつも流れていたので、私もすっかりハマっていた。特にジョン・レノンの声が好きだった。

その頃は、ちょうど80年代に入った頃だったので、日本のアイドルの黄金時代で、ビートルズを好きだと言う同世代は少ないのだが、たまたま同じクラスに、私の様に姉や兄の影響でビートルズが好きな友達が4人いた。ファンクラブに入っている強者もいた。

40年前のあの日、そのうちの1人が教室に駆け込んで「ねぇ!ジョン・レノンが撃たれて亡くなったらしいよ!」と叫び、ファンクラブの子が、ショックで号泣し、つられて皆も泣いていると、担任の50代の女の先生が「あなた達もビートルズのファンなの?私もよ。そんなに好きなら、いい物を見せてあげるから、日曜日に私の家に遊びにいらっしゃい。」と誘ってくれた。

その先生の暮らす家は、銀座の歌舞伎座の隣りに建つビルの最上階で、先生はそのビルのオーナーで、そこが先生のご実家だった。

先生の家にビートルズファンの4人で遊びに行き、リビングに通されると、そこには、ジョン・レノンとその先生が一緒に写る写真が何枚も飾ってあり、ビートルズのレコードにジョンのサインがしてあり、ジョンが使ったコーヒーカップなどいろいろ飾ってあった。

「えー!先生どうして?!」驚く私達に、先生は、紅茶を入れながら話してくれた。

「ジョンはね、大の歌舞伎好きで、お忍びで日本に来た時は、夜の歌舞伎公演を見て、終わった後に必ず、歌舞伎座の隣りのこのビルの1階のカフェでコーヒーを飲んでゆっくり過ごして行ったの。カフェの店長が私の親しい友人で、私がビートルズの大ファンだと知っていたので、ジョンが来店した時は、電話をくれて、急いで1階に降りて『このビルのオーナーでビートルズファンです。』とご挨拶して、しばらくお話しさせていただいた。ジョンは『日本が好きで日本の文化にとても興味があり、特に歌舞伎は大好き。』と見終わった歌舞伎の話しをしてくれて、それ以来、来店するたびにご挨拶させていただいたのよ。」とジョン・レノンの貴重なエピソードを話してくれた。先生もジョンの死をとても悲しんでおり、写真に皆んなで手を合わせ、ご冥福を祈った。

それ以来、その担任の女の先生とは、ビートルズファンとして、いろんな話しをする様になった。

去年、徳島からカーフェリーで東京の実家に帰省した時、晴海埠頭にフェリーが着いて、車ごと下船して、しばらく走ると銀座の歌舞伎座が新しくビルになっていた。「あれから40年近く経つので、先生は90代…お元気だろうか?」と思いながら、信号待ちをしながらスマホで新しい歌舞伎座の写真を撮った。

中学の担任の先生に続いて、もう一人ジョン・レノンと直接交流した人から話しを聞いた事がある。

TBSの美術部でデザインの仕事をしていた時、隣りの席の先輩が、情報番組のプロデューサーから頼まれたと言って、子供の頃のアルバムを持って来ていた。見せてもらうと、ジョン・レノンが写っている写真がたくさんあった。

「何これ?!」と聞くと「オレ、ジョンと親戚なんだよー。正確に言うと奥さんのオノ・ヨーコと親戚。子供の頃、二人が来日すると、葉山の自宅でいつも遊んでもらっていたんだ。」

よく見ると、オノ・ヨーコもたくさん写っていた。ジョンとヨーコの間に子供の頃のその先輩が写っていたり、ジョンに肩車してもらっていたり!「すっ、すごすぎる…」と私が驚愕していると、「うち、安田財閥だからね」とさらっと言った。そんなお坊っちゃまがなんでテレビ局なんかで働いているんだ…と思いつつ、いろいろエピソードを聞いた。

「ジョンは、葉山と軽井沢をとても気に入っていて、来日すると、そのどちらかでヨーコと過ごしていたよ。僕は葉山の家に住んでいるから、いつも遊んでもらっていたんだ。」

当時もその先輩は、葉山の家から愛車のベンツで赤坂まで通勤していた。

オノ・ヨーコは、海外では「ジョン・レノンの未亡人で財を成した人」と見られがちだそうだが、安田大財閥の直系なので、ジョンの遺産をはるかにしのぐ、財産をすでに持っていたそうです。

ジョンは、ヨーコの現代アートの作品に惹かれて、彼女と知り合ったので、大財閥のお嬢様とか関係なく、素晴らしい音楽やアートを生み出すクリエイター同士、惹かれあい、結ばれ、お互い影響し合ったと聞き、その幸せそうな日常写真をたくさん見せてもらい、ジョン・レノンを少し身近に感じた。

その後私は、結婚を機に埼玉県に引っ越してから、埼玉県が主催する埼玉スーパーアリーナでのイベントのセットデザインを依頼され、埼玉県庁の方の案内で埼玉スーパーアリーナに下見に行くと、4階・5階にオノ・ヨーコ全面協力の「ジョン・レノンミュージアム」が併設されていて、特別に見せていただいた。

ジョン・レノンの使用していたギターや楽譜や衣装やメガネなどゆかりの品々が並べられ、ビートルズ時代の品々もあった。

シアターでは、ジョンの生涯の映像を視聴する事ができ、最後のスペースは、白一色の大空間で、その時は特別展示で、ジョンが名曲「イマジン」の歌詞が頭に浮かんだ時に、泊まっていたホテルの名前(ニューヨーク・ヒルトンホテル)が入ったメモ用紙に歌詞を走り書きしたものが、透明のケースに飾ってあり、それを見ていると、突然,白い壁に大きくモノクロのジョンが映し出され、イマジンを歌い始めた。私は、その空間の真ん中に置かれた一脚の透明の椅子に座った。歌っているジョンのアップの映像の下に日本語訳の歌詞が出た。その白い空間でたった一人のためにジョンがイマジンを歌ってくれるという演出だった。

涙が止まらなかった。

その、世界で唯一のジョン・レノンミュージアムも惜しまれつつ閉館したそうですが、10年間でのべ61万5000人が来場したそうです。でもなんで埼玉だったのだろう…?

その後、セラピーの先生からもジョンがアメリカでセラピーを受けた時のエピソードを聞いたり、引き寄せの法則なのか、ご縁があるのか、不思議と私は、ジョンに直接お会いした人から彼の人となりを聞く機会が多く、彼を身近に感じる機会が多かったように思います。

彼が、イマジンに込めた、本当の愛と平和のメッセージを一人一人に伝える様にと言われているのかな…なんて最近思うのです。

コロナ禍で世界中でジョンの「イマジン」が歌われた。日本では、永六輔さん作詞の名曲「上を向いて歩こう」が宮本亜門さんの呼びかけで歌われた。以前のブログにも書いたが、永六輔さんとも私はご縁があり、直接交流させて頂いた。この2曲の名曲は、人類が困難に立ち向かう時に必ず歌われる、人々の魂に響くメッセージ性の強い歌であり、大切な事を思い出させてくれる歌である…。

ジョンも受けたセラピーを学び、私も個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。

夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。ご相談を受けて、御信託を降ろします。

ご希望の方は「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『今、何をすべきか見極め動く』

ブログを始めて今日で2年目に入った。

昨年の11月末に「もう本当の事を皆に伝えてよい。厳しい事も皆に伝えなさい。皆が目を覚まして腹をくくる時が来た。」と御神託を受け取ったので、ブログを開設して伝え始めた。

Reiの話なので「Rei-waブログ」。

これまでの体験や気づいた事に加えて、御神託で受け取ったメッセージなど巫女体質でちょっと特殊な体験もしている私だが「もう伝えてもよい!」とGoサインが出たので、これからも徐々に伝えてゆきます。

読んで関心を示す人や更新を楽しみにしてくれる人もいれば、理解不能だと思う人や私の真意が伝わらず、その人らしい解釈で批判する人もいる。

でも皆さんは、一度は私やあわたまに興味を持ってくれて、ご縁が繋がった方々だから、完全に拒否されない限り、私は伝えてゆく。

受け取り方や反応は人それぞれ違ってOK!

世の中みんな同じ考えなわけがなく、どちらかに片寄っているのはバランスも悪い。

同じ出来事でも表側から見るのと、裏側から見るのでは、まるで違ったりする。

違う視点の考え方もあって良いのです(^_^)

私は、意見の相違ぐらいで人を否定したり、嫌いにはならない。

だって、同じ親から生まれて、同じ環境で育った兄姉弟妹でさえ、考え方が違ったりするでしょう?ましてや他人同士で、すべて同じ考えな訳がないのです。違っていてあたりまえ。

意見の違いよりも、その人間の本質が悪意あって人をだます様な人間性じゃなければ、こちらから拒絶する事はない。相手から離れてゆくのは、仕方ないですけどね。

本当にご縁のある人とは、また繋がる時が来るし、たとえ人との付き合いが終わってしまったとしても、その人との今世の関係の寿命を全うしたという事だと思います。悲しむ事はない。

しかし今思えば、ブログを始めるきっかけになった御神託の「皆が目を覚まして腹をくくる時が来た…」と言うメッセージを受け取った昨年の今頃、中国でコロナが発生して、じわじわと広がり始めていた。

年が明け、2020年になって瞬く間に広がり、世界が一変した。

あわたまの仲間の後藤田さんに、昨年から

「来年のオリンピックは、天変地異か何かの原因で、延期になると思う…」と話していたが、まさか疫病が世界中に広がって延期とまでは思ってなかった…。

しかし、人類の歴史を見れば、いつの時代も感染症や伝染病は発生しており、多くの犠牲を払いつつ、乗り越えてきている。

今に始まった事じゃないので、先人の経験を無駄にせず、そこから学ぶ事はあるはずである。

今、この世にいる人達は全員、先祖がそれを乗り越えてきた人達の子孫なのだから(^_^)

ちなみにコロナに関しては、インドの大学の研究で日本茶カテキンがコロナウィルスを無害化する確率が最も高かったと何ヶ月も前に伝えましたが、昨日も日本の奈良県立医科大学が「試験管内でウイルスが1分間日本茶に触れることで最大99%が感染力を失っており無害化した」と研究結果を発表しているので、日本茶を持ち歩いて、1口ずつこまめに飲むのも良いかもしれませんね。ウィルスは喉に付いて感染するので、日本茶をこまめに飲む事でウィルスを無害化して流し、胃液でとどめを刺す(^_^)v

今後、地球温暖化でますます、蚊が媒介する感染症などが増えるでしょう。日本でも蚊に刺されて、デンク熱やマラリアに感染する人が多く出て来る事態になる日が近いかもしれません。

今、コロナで仕事が制限されて、経済的困窮している人も多いし、今後の展開を悩んでる人も多いと思います。

私もそうです。地方の山奥の高齢化率の高い所で暮らし活動拠点にしているので、80代以上のご近所のお年寄り達に感染させない様に、ウィルスを集落に持ち込まない事に注意して過ごしました。自分達が良くても、後で地域のお年寄り達に迷惑をかける事になってしまうわけにはいかず、移住者としては肩身の狭い思いをする事になるので、今年は、人の行き来も制限して、農業体験イベントや自然塾もお休みしましたので、無農薬野菜や果物や薬草茶など、あわたまで育てた物を販売したり、手作り品を販売したりと、世の中同様、経済的にもギリギリです。今後、あわたまで計画していた事もまだしばらく進められず、方向性を考えている所です。

しかし、今後はこういう状況が、繰り返し起こってくる。とにかく、今後起こるであろう事を先読みして、それを想定した上で、今何をすべきか見極める事です。これまでと同じことをしていても乗り切れない時代が来る。

いつまでも給付金に頼ってもいられないのです。政府に不満をぶつけ続けても仕方ない事もある。

自力で新境地を切り開いて、展開する時です。

これから地球は「大峠」を迎えてゆく。その大峠を乗り越えた先に「弥勒の世」と皆がよく言う世が待っているのだけど、どれだけの人が、大峠と言われる、大きな困難を乗り越えてその弥勒の世を迎えられるのか…。

それぞれの意識と行動にかかっています。

とりあえず、今出来る事からやりましょう。

私が取り組んでいる、先人の知恵から学ぶ衣食住を伝える、あわたまのFacebookのページです。興味がある方はご覧ください。

https://www.facebook.com/awatama2017/

ちなみにあわたまのマークは「勾玉の鳥」。

鳥は阿波忌部の神・天日鷲命。尾には麻発祥の地・麻植の麻文様。羽は、フトマニと阿波の禊ぎの鳴門の渦潮を表しています。

私は、個人セッション(カウンセリング)も仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。ご相談を受けて、御信託を降ろします。

ご希望の方は「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『真実は鏡の中にある』

アメリカ大統領選は大詰めを迎えているが、悪口をまくしたて、なりふり構わないあの姿は、とても見苦しい…。

自己保身が強く、自己中心的で破壊的な人間達に「核のボタン」を任せている現実に「地球は本当に大丈夫か…?」といつも思う。

そんなアメリカと、日本はいつまで「仲良しごっこ」をするのだろう…。

アメリカだけじゃない。世界中で自己中心的で独裁的なリーダーが増えている。

以前、ブログの「困難を極めた時のリーダーの資質」でも書きましたが、古代の神代文字の「カタカムナ文字」で書かれた古文書「カタカムナ文献」には「サヌキ・アワ」という言葉がたくさん出てきます。

サヌキとは男性の本性(陽エネルギー)を表し、目的に向かって突き進む力。現実化させる力。自己中心性。動物的な攻撃性。

アワとは女性の本性(陰エネルギー)を表し、生み出し育てる力。柔軟性があり、受容する力。植物的な環境適応性。

(現代の香川と徳島の県民の特性を表しているわけではありませんので、誤解なき様に。)

サヌキ性の人間は、積極的に目的に向かって突き進み、実現させるのでリーダー向きと思われるが、その反面、自己中心的で攻撃性も強いので、権力争いや戦争が起こりやすい。

政治だけではない。現代は競争社会・受験戦争・いじめや虐待と争いが多く、心が殺伐としており、サヌキ性に偏っている世の中である。

本来、日本人はアワ性が強く、優しさや思いやりのある国民性なのだが、軍国主義でサヌキ性が強まった時は、戦争でアジア諸国の人々を傷つけた事もあり、リーダーの資質が国民に大きく影響する。

その事は、今のアメリカを見たらよくわかる。

攻撃性の強いリーダーによって、国民が分断され、激しく争っている。ああなってしまうと、収集をつけるのが難しい。

世界は今こそ、失われたアワ性を取り戻し、バランスを取る時である。

アワ性を養うには、相手に対する「思いやりの心」を持つ事が大切で、相手を思って時には、厳しい言葉をなげかける事もあるが、それは攻撃(サヌキ性)からではなく、思いやり(アワ性)から伝える。

私は、本当の事を相手に伝える事が多いが、それは、本当に相手を心配して、厳しい事も伝えたりする。相手によって、その真意がちゃんと伝わる時と伝わらない時もある。

その事でたとえ相手が離れていったとしても、こちらから相手を切る事は今はしない。

時々、こちらの情報をお伝えしたり、連絡するようにしている。

それでも関係が途絶えたとしたら、それは仕方がない…その時は伝わらなくても「本当にご縁のある人ならまたきっと繋がる。」と思っていますし、実際そうなっています。

前回のブログ「弱さをさらけだせる強さ」で、私の子供の頃の経験をシェアしましたが、これは、セラピーの基本で、人間だれしも大なり小なり重しを背負って生きているので「他の人に比べたら、自分の悩みなんてたいした事ない…」などと、人と比較して内に秘めてしまわずに、自分の痛み・辛い出来事・悩みを人に打ち明ける事が「心にたまった鎮圧の解放」の第一歩になります。

そして、トラウマになっている出来事や人物にたいする鎮圧を時間をかけて解放してゆきます。感情をその相手や他の人に直接ぶつけるのではなく、自身の内から外に解放してゆきます。

時間をかけて、心の痛みを解放し、その出来事や人物を気持ちの中で受けとめられる事で、アワ性の「受容する力」が養われてきます。

先祖が影響している場合も多いので、供養が必要な時もあります。

個人セッションでそういう相談も受け、サポートしています。

前回、左利きについて書きましたが、人類の右利きと左利きの割合は9:1。右利きが大多数なのは、人間が言葉をしゃべることで左脳が発達したことにより右利きが増えていったと言われています。左利きが使う右脳は、直感力に優れ、感性と創造性の高い脳とされています。

古代、人間も動物の様にテレパシーで交信できた時代は、左利きが多かったのかもしれません。

芸術家には左利きが多いと言いますが、私は、高校・大学と美術や音楽など芸術系の学校に進学しましたが、美術科クラス50人のうち、3分の1が生まれつきの左利き(元・左利きも含め)で、左利き率の高さに驚きました。

皆、クリエイティブで感性豊かな人間だったので、群れる事よりもそれぞれの個を大切にし、自分の世界を持っていたので、とても居心地が良く、心が通じ合える人が多かった。

左利きあるあるで、私の様に強制されてとても苦労した人や、いじめられた人も何人かいたし、世の中が右利き様にすべて出来ているので、両手を使いこなす人も多く、しかし無意識でいると左手を使ってしまうので、例えば、自動改札で左手を使ってしまい、隣りの改札が開いたりする様な小さな失敗が日常で多々あり、生活の中で少しずつストレスが溜まって、左利きは寿命が短いとも言われている。

私は、小学1.2年生の時は、右手のみしか使わせてもらえず、とても苦労しましたが、3年生からは、担任の先生もクラスも変わったので、強制生活からは解放され、安心して右手も左手も使いこなせる様になりました。

でもその大変な1.2年生の時期に、私はとても重要な事に気づきました。

それは、『見えているこの世界は、全て左右が逆転している』という事実。

わかりやすく説明すると、2人以上いる時に、ぜひやってみてほしいのですが、お互いに向き合って立って、右手を上げてください。

目の前の人の右手はどちら側に見えますか?

答えは左側です。

実際は右手なのですが、向き合ってるから左側に見える。

つまり私たちが見ているものは、すべて向き合っているから、左右が逆転して見えているのです。

では、鏡の前に立って、右手をあげてみてください。鏡に映った自分の右手はどちらに見えますか?

答えは右側です。

鏡には、右手はちゃんと右側に映るのです。

つまり「鏡は真実を映し出す」のです。

日本の三種の神器の一つに「鏡」が入っているのは「真実を映し出す物」と言う理由ではないかと私は思っています。神社の御神鏡もしかり。

私は、幼い頃から小学1年生頃まで「鏡絵」を描いたり「鏡文字」を書いていました。

それは、左右を逆転した絵や文字のことです。

私は「実は、これが真実なのではないか…。」と思っていました。

先ほども説明した様に、私達が見ている全てのものは、向き合っているので、左右逆転して見えている。文字も私たちが見えているものが、正しい文字だと教え込まれ、信じているが、向き合ってみているのだから、左右が逆転しているはずである。

鏡は真実を映し出す。鏡に文字を映してみて下さい。どの様に見えますか?

答えは、左右が逆転した鏡文字です。

それが、真実の文字。

その事に私は幼少期に気づいていたのですが、「私が書いている文字や描いている絵が真実だと思う。」と大人たちにうまく説明ができませんでした。

はんこに彫られている文字は鏡文字なので、はんこ彫り職人さんは、毎日真実の文字を彫っているのですね。はんこの文化無くさないで欲しいと個人的には思います。

その真実に気づいていた、歴史上の人物がいました。

その人の名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。

あの有名な『モナ・リザ』や『最後の晩餐』など数々の傑作絵画を残した偉大な芸術家であり、建築家でもあり、その他、音楽、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に業績をのこした「万能の天才」と呼ばれる、おそらく人類の歴史で最高の天才といえる人物です。

彼は左利きで、絵画のサインは鏡文字で書いていましたし、膨大な手稿や論文を残しているのですが、その多くが鏡文字で書かれている。

映画『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチが作品を通じて暗号(コード)を残し、その隠された暗号を発見し、真実を解明すると言ったサスペンスミステリーですが、鏡文字は、暗号や秘密を隠すという意味もあったかもしれませんが、それよりも彼は、鏡文字こそ「真実の文字である」と気づいていて、使っていたと思います。

私が大学生くらいの時にテレビでCBSドキュメントという海外のドキュメント番組を見たら「世界中で左利きの子供達が、障害や知恵遅れと言われ、いじめられたり、親や周りの大人にも理解されず、心を閉ざしてしまったり、施設に入れられたりと不幸な幼少期を過ごしている事が多い。しかしそれは、右利きが大多数なために世の中が右利き用に出来ており、それに対応できずに幼少期に起こる一時的な脳の混乱であり、周りはそれを理解して、暖かく見守ってあげなくてはならない。

何故なら、そういう左利きの子供が、後に天才的な才能を発揮する事が多い。

ナポレオン、ミケランジェロダ・ヴィンチモーツァルト、ベートーべン、ピカソ、バッハ、アインシュタインダーウィンニュートンエジソンチャップリンなど左利きの偉人は多く、彼らの多くが、幼少期に周りの大人から理解されずに、苦労したり、辛い体験をしている。それを乗り越えて、彼らの様に才能を発揮できた人は良いが、繊細な子供達の中には、精神的に追い込まれ、命を絶ってしまったり、心を閉ざしてしまい、不幸な事なっている。」

という内容のリポートで、それを見た時に、自分の幼少期を思い出して号泣した。

古代ギリシア文字や古代エジプトヒエログリフでは文字の進行方向や改行方向が右か左かに限定されておらず、文字や改行の進行方向に合わせて文字の向きも左右反転していた。

やはり古代は、人間も直感的・感覚的生き物で、五感が優れており、今より左手(右脳)もフルに使っており、左右のバランスが良かったのではないかと思います。

右利き(左脳)に偏っている現代は、やはりバランスを崩した世の中なのかもしれません。

よく「人間の脳は10%しか使っていない」と言われていますが、左利きの人が右も使う様になり、両利きになると右脳も左脳もバランス良く使うので、残りの90%から新たな潜在能力が開発される可能性がある。

右利きの人も意識的に左手を使ってみると身体のバランスも良くなり、潜在能力が発揮できるかもしれませんよ(^_^)

そして私達がこれまで正しいと教え込まれていることが、真実は真逆なのかもしれない…と疑ってみる事も必要ですね。

あなたの大切な人の普段見ている顔は、右目が左、左目が右と左右逆の顔を本当の顔だと思っていつも見ている。

ぜひ鏡に映ったその人の顔を見てください。

それが、その人の「真の顔」です。

真実は鏡の中にある…。

私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。ご相談を受けて、御信託を降ろします。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『弱さをさらけ出せる強さ』

政府の肝いりのGo To キャンペーンは、国民に国内旅行や飲食や買い物に積極的に行ってもらい、コロナの影響で売り上げが減少し、苦境に立たされている観光・運輸業や飲食店・商店などを支援するために、多くの税金を投入して補助する事で、消費を喚起する施策ですが、それに参加している企業やホテルや飲食店やキャンペーンを利用している人々には、ありがたいのかもしれない。

しかし、そのキャンペーンにすら参加できないほど、コロナで倒産寸前や潰れてしまった会社や飲食店や明日の暮らしもままならない人々や困窮してもう何日も食べる物も食べられない子供達や一人暮らしのお年寄りなどが増えていて、今この瞬間にも、この日本で餓死や孤独死をしている人達がいて、経済的にも精神的にも追い詰められて自ら命を断つ人達がいる。また、災害で今も避難所や仮設住宅で暮らしている人々も多くいる。

そういう人達は、全くカヤの外の中、少しでも自分が得をしようとあの手この手で補助を受けようとしたり、給付金詐欺をしたり、人間のあさましさが目につく。

災害や疫病など究極の状況になると、人間の本性がわかりやすく表れる。常に自分さえ良ければいいと思っている者は、わかりやすく自分の欲望を満たそうとするし、常に他者に配慮する者は、まず困っている者に手を差し伸べる。

政府も、困窮して死に直面している国民にまず

手を差し伸べてほしいものである。

税金は、ずる賢い人間や欲深い人間よりも、本当に弱っている人間のために使ってほしいと個人的には願う…。

今年はコロナ疲れやその影響で、また自殺率が上がっているそうです…。

芸能人の自死も相次いでますが、亡くなった方々は、皆の前で愚痴や悩みを口にする事なく、いつも明るく、仕事に取り組む姿勢も真面目だったので、周囲の人々は「その兆候に気づかなかった…」と驚いている。

周りに気遣い、自分の痛みや苦しみや不安などを内側に秘めてしまう人ほど、心のコップが一杯になった時、衝動的に死を選んでしまう…。もっと身近な人達に自分の弱さをさらけ出せていたら、違ったかもしれない…。

私の友人も優しく、才能溢れる人だったが、優しい人ほど、今の皆が自分の事しか考えない、自分さえ良ければいい世の中に心痛めており、傷つき、生きにくい世の中になっている。

先月、最終回だったTBSの「半沢直樹」で、半沢の妻・花のセリフ「生きていれば何とかなる。生きていればね…」が今の時期とても感慨深かった。

学校でいじめ・家庭で虐待・会社での人間関係などいろいろあって、生きているのが辛くなる事もある。でも生きてほしい…。

今、あなたの目の前の現実だけが、この世の全てではなく、もっと広い世界があり、まだまだ知らない事もたくさんあり、あなたは多くの可能性を秘めており、生きる事をあきらめなければ、また違う生き方ができる。居場所が無いのなら、自分で作ろう。自分の可能性を見つけてほしい。死ぬ以外の選択肢は必ずある。

「そんなポジティブには考えられない…」

と言うつらい状況の人も多くいるだろう。

でもこれは、きれいごとではなく、全て私のとてもつらく苦しかった体験から言っている。

以前のブログ「自分の痛みを知り、人の痛みを知る」でも書きましたが、ジョン・レノンがあるセラピーや個人セッションを受け、幼い頃に両親に捨てられ、叔母に育てられた過去の寂しさや悲しみや心の痛み、自分の心の深くと向き合い、自分を捨てた親に対する溜まっていた鎮圧を解放した時に「自分の内側に戦争はあった…」と泣き崩れ、本当の自分の痛みを知り、人の痛みを知った時に素直な気持ちで書いた曲が「Imagine(イマジン)」だった。彼がそのセラピーで子供の頃の辛い体験にふたをして来た事に真剣に向き合って、初めてあの名曲が生まれた。

痛みを知ったから表現できる事もあるのです。

自分の弱さを人にさらけ出せる事は、とても勇気のいる事だが、心に溜まった鎮圧やストレスを解放してあげる事が必要なのです。

このエピソードは、世の中ではあまり知られていない事です。ジョンが受けたアメリカのセラピストの先生から直接セラピーや個人セッションを受けた、音楽家でありセラピストの方から同じプログラムを私も20代の時に受け、お聞きしたのです。

私の心の痛みは、7才の時、小学校に入学したその日から始まりました。

担任の女の先生(とても年配の女性に見えましたが、おそらく50代)は、昭和初期の生まれで、戦争を経験して、昔ながらの考えの人で「皆んなが同じでなくてはいけない。足並みを乱す者は正さないといけない。」という強い信念を持っており、まず左ききの私に違和感を感じ、入学初日に皆んなの前で私の左手を強く掴み「今日から左手を使う事を許しません!」といきなり言われ、何を言われているのか理解できず、ただ恐怖で頭が真っ白になった。すぐに親が呼ばれ「学校の教材は右きき用に出来ているので、すぐに右ききに直す様に、家でも訓練してください!」と言われ、その日から暗黒の日々が始まった。

世界の人口のうち左ききは、約10%と少数派ではあり、日本では「左ぎっちょ」と差別視されてきた歴史がある。

その日から左手で文字を書く事も食べる事も絵を描く事も禁止されたが、習慣でどうしても左手を使ってしまう。先生は常に見張っており、私が左手を使った瞬間、左手をぶったり、つねって「また左手を使って!」と皆の前で怒られた。

今なら「虐待では?」と思われる行為だが、当時は問題にはならなかった。

私は、恐怖と極度の緊張で常に手汗をかくようになり、とても精神的に追い詰められていった。

先生は「左手から右手に持ち変えるだけ!」と簡単に言うが、想像してみて下さい「今日から利き手を使っていけない!」と言われて、その日から簡単に逆の手だけで生活できますか?

右ききの人が右手を骨折して、左手だけで生活しなくてはならなくなったら、どんなに不自由で苦労する事か、利き手を怪我した人なら経験はあると思います。

今なら「簡単におっしゃいますけど、先生はできるのですか?」と言えるが、まだ小学1年生の私は、つらくて毎日ただ泣き続けているだけでした。

右手をうまく使いこなさないと先生に怒られるので、その事に必死で集中するあまりに、授業が全く頭に入らず、テストもまともにできず、

給食も右手がうまく使えずに食べられない日々が続いたので、食べる事だけは左手を使う事を許された。なので今も食べるのは左手、書くのは右手です。

そもそも右手と左手では使う脳が逆なので、脳をバランス良く使うという意味では、両ききになった事で、結果的には良かったのですが、当時は、切り替えがつかず、脳が混乱を起こして、とても苦労しました。

先生に「あなたは、知恵おくれだから、教室の隅で他の事をやっていなさい。」と授業を受けさせてもらえない日々が続いた。

左ききがきっかけで差別され、人権も否定され、さらには教育を受ける権利まで奪われ、それがきっかけでクラスメイトからいじめられ、教室に私の居場所はなかった。

今なら問題教師とされるが、その後その先生は「教育熱心な教師」として当時の女性教師としては異例で「校長」に昇進しました。

多くの大人は、自分の理解出来ないものに「違和感」を感じ「異物」として「排除」しようとする。

私は、左ききの子供によくある症状で左右が逆転して見えたり、鏡文字・鏡絵を描いたり、さらに巫女体質で他には見えない存在と話していたので、先生にとっては「異物」でしかなかった。

先生から「右手を訓練する様に」と強く言われた母親は、私に習い事に通わせた。

母が私に紹介した先生は、琴・三味線・華道・茶道・書道を教える、白狐の様な顔をした女性の先生で、担任の先生と同じにおいを感じ、いやな予感がした。

我が家には先祖代々のお琴があり、右手の訓練として、その先生の元で琴と書道を学ぶ事になった。右手が上手く扱えずもたつき、演奏を中断するたびにその先生はイラつき、三味線のバチで右手の甲を叩いた。怖くて手汗をかき、琴の爪が汗で滑って何度もとんだ。先生は怒って「何でこんな事になるの!」と言いながら、琴爪を私の指にテープでグルグル巻きにした。

琴の音色を楽しむ余裕などなく、涙を浮かべながら、弾いていた。

小学1.2年の頃は、精神的に追い詰められ、胃が痛く、ストレスで下痢が続いた日々だった。

20代の時にセラピーを受け、そうやってインディゴチルドレンやクリスタルチルドレンと言われる超自然能力(テレパシーや神通力など通常を超えた能力・左ききに多い)を持つ繊細な子供達は、それを理解できない大人達によって、幼い頃に虐待を受けたり、心や身体を傷つけられ、精神的に追い詰められ、命を経ってしまったり、引きこもって心を閉ざしてしまい、不幸な結果になる事が多いそうです。

私の場合は、精神的に追い詰められると、私を守護してくれる存在からの声で「れい、れい。光の子、光の子。大丈夫、大丈夫。」などいつも励まされていたので、なんとか、耐えてこられた。

それ以後、私は、人の悪口や噂話をする人達とは群れず、誰かの顔色を伺いながら生きる事はせず、自分の直感を信じ自由に生きると決めた。セラピーで自分の心の痛みと向き合い、その先生達に対する溜まっていた心の鎮圧を時間をかけて解放していった。

大人は子供達に教える事で教わる事がたくさんあるはずです。自分の思い通りにならないからと言って、頭ごなしに叱りつけたり、虐待や暴力で言う事を聞かせても、ただ子供を追い込み、皆が不幸なだけで、何の解決にもならず、「負の連鎖」をうむだけです。

今の虐待をしている大人も子供の頃に虐待されていた事が多い…。その連鎖を断ち切る必要がある。セラピーやカウンセリングで、幼い頃からの心の痛みと向き合う事をおすすめします。

私は、幼い頃に辛く苦しい思いをしたけれど、今は、両手をほぼ50%ずつ用途に合わせて使いこなして、右脳も左脳も両方使っているので、身体のバランスが良く、最近は、日本の雅楽器のひとつとして琴をまた学びたいと思えるようになりました。

人間に必要な3つの大切なこと

・人と人のつながり(弱さを出せる関係性)

・人と自然のつながり(自分を解放できる場所)

・心と身体のつながり(心身のバランスを保つ)

そして誰もが皆、期間限定の命なのだから、死に急ぐ事はない。

今世与えられた期間を全うしよう(^_^)

私も個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。ご相談を受けて、御信託を降ろします。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『古代から守り継いできた日本の麻文化』

先月、日本一の生産量を誇る栃木県の大麻(おおあさ)農家の大森由久さんより、お電話とお手紙をいただきました。

日本麻振興会の会長である大森さんとは、私が関東にいる時から栃木県の大森さんのおお麻畑での縁農で、種まきから収穫して精麻になるまでを2年に渡って通って学ばせて頂きました。

私が暮らす徳島県吉野川市は、古代・阿波国麻植(おえ)という、阿波忌部の方々が、おお麻を栽培して、神事に使い、おお麻布を織り、おお麻紙(和紙の原点)を漉き、日本全国に伝えていった原点の場所で、数年前、その吉野川市が「麻植の麻を産業として復活させる事業」に力を入れるという事で、栃木県の大森さんの麻畑に吉野川市役所の方々をご案内して、お互いを繋げるお役目をさせて頂きました。

私も吉野川市が麻産業を復活させるのであれば、衣食住でのおお麻製品の開発をして行こうと試作品をいろいろ作っており、7年前の2013年にその徳島県吉野川市で大森さんの日本麻振興会主催の「日本麻フェスティバル」が開催された時や栃木県の鹿沼兵庫県の伊丹で開催された時も、あわたまブースで「おお麻の服」や麻植の土で焼いた「麻文様の陶器」や「麻の実入りのゆず味噌」や「麻の実・麻炭入りの発芽玄米餅」などのあわたま製品を販売させて頂いたり、兵庫県の麻フェス後、徳島県に大森さんをお連れし、吉野川市主催の「麻文化について」の講演会でお話し頂いたりと、いろいろお世話になりました。

しかし残念な事に、個人的快楽のために違法行為をする若者達の相次ぐ逮捕によって、吉野川市が力を入れていた「産業としての麻復活」は、断念せざるを得なくなった経緯があり、麻植の麻復活に期待して動いていただけに、本当にがっかりした事もありました。

また昨年の令和の天皇の麁服も大森さんが足しげく徳島の吉野川市に通い、阿波忌部の方々にご協力して頂き、無事に天皇の麁服調進する事が出来ました。その際、何度か私の家やあわたま山にも遊びに来てくださりました。

神社の注連縄・鈴緒・御幣や大相撲の横綱天皇の麁服など日本の神事や麻の産業には大森さんが丹精込めて育てた精麻や栽培技術が欠かさず、日本にとって本当に重要な方で、とても尊敬しております。

その大森さんからのご連絡は、この令和2年の9月にこれまでの日本麻振興会を法人化して、活動をより充実したものとする為に「一般社団法人・日本麻振興会」を設立し、新たに会員を募集し、これまでの会員の方も改めて入会手続きをする事になりますので、ご入会希望者のとりまとめ代表者の一人として皆さんに呼びかけてほしいとの事でした。

一般社団法人・日本麻振興会は、日本人の生活における麻文化や神事など伝統文化やその技術の継承と麻に関わる情報交換やイベントの開催などを目的とした法人で、あくまで、古代から守り継いできた日本の麻文化や麻産業が今とても厳しい状況にある事を踏まえて「日本の麻」について、一人でも多くの日本人へ認知を広げ、麻の素晴らしさと希少性を一人でも多くの人に知って頂くための活動なので「大麻解放」の立場はとっておりません。

会の規約では「大麻取締法違反者は除名」とうたっており、個人的快楽を求める若者達の自分の事しか考えない違法行為は認めてはいません。日本の衣食住の麻文化とマリファナの欧米文化を一緒にしてもらったら困る。逮捕者が出るたびに、日本の伝統的な麻産業や麻農業に大きな悪影響があり、危機的状況にある。

天皇の神事にしろ、神社の神事にしろ、相撲の神事にしろ、日本の神事はすべて、大麻(おおあさ)が必要であり、石油化学製品やビニールが世界的に見直されている今だからこそ、原点回帰して、生活における麻製品が見直されて日本で復活していかなくてはならない大切な時期なので、個人の快楽で逮捕されて、大森さんの様な麻産業を支えている人達の足を引っ張る様な軽はずみな行動は控えて頂きたいし、その様な人は今回の法人では会員にはなれません。

原点の地である阿波の国(徳島県)の一の宮大麻比古神社(おおあさひこ神社)で、そこの地名は、大麻町(おおあさ町)であり、そこの裏山は大麻山(おおあさ山)であり、日本では大麻と書いて「おおあさ」と呼んでいました。

日本古来の大麻(おおあさ・英名ヘンプ)と苧麻(からむし・英名ラミー)は、明治時代に日本に入ってきた「亜麻(あま・英名リネン)・黄麻(こうま・英名ジュート)」などと区別するために大麻(おおあさ)を「たいま」・苧麻(からむし)を「ちょま」と呼ぶ様になりました。「あま・こうま・たいま・ちょま」と呼び名を揃えたのです。しかし、アサ科アサ属は大麻だけで、亜麻はアマ科、黄麻はアオイ科、苧麻はイラクサ科で、実際は麻ではありません。風合いが麻に似ているという事で、日本では、すべて「麻」と表示されていますが、古代から栽培されてきた日本の伝統の麻は大麻(おお麻)です。

『継承して後世に伝える大切な事』でも書きましたが、昭和の終戦GHQにより大麻取締法ができ、発祥の地である阿波(徳島県)も天皇即位の時の大麻畑しか栽培を認められず、技術の継承がとても難しくなりました。

大麻取締法という法律で日本の伝統的な麻を封じ込めて、日本人の精神性を断つ事が目的の人間達の思う壷にならない様に、日本全体・地球全体の事を考えて、行動できる様な視野の広い人になってほしいと若者達に伝えたい。

写真は、左上が今年の2月に「阿波を学ぶ・特別講演会」もう一度聞きたい大麻(おおあさ)の話と題した講演会が吉野川市忌部神社そばで開催され、お話し頂いている大森さんです。コロナが心配され始めた頃で、観客は少なかったのですが、とてもいいお話しでした。

講演の最後の大森さんの言葉で印象的だったのは、「手仕事は感性が育てる。」でした。

大森さんは常に日本の未来の事を考えて「自分の代で終わらせるわけにいかない」という意識で、若い後継者達を育てています。

今、日本の麻文化が継承されなければ、日本の精神性は絶たれて、日本の力は衰退してゆくでしょう。そうしたら、日本に未来はない。

感性豊かな若い世代の継承者が育ってゆく事を願ってます。

写真右下は、昨年の令和天皇即位の大嘗祭に調進するための阿波麻植で育てた天皇大麻の抜麻式の様子です。

阿波忌部も伝統技術を継承してゆく事に力を入れ、若い後継者を育ててゆく体制を作る準備をしています。

右上は、大麻(ヘンプ)100%の布に私が型を抜きした麻文様を阿波の発酵藍「すくも」で型染めした物です。大麻布の服を阿波の発酵藍で染めた組み合わせが「着る薬」と言うぐらい、人間の免疫力や治癒力を高めるので、インナーを作ったり、左下は、麻文様の陶板をあわたま山の工房で作っています。麻文様は、古来より魔除け・厄除けの縁起の良い文様で、六角形はハニカム構造としてミツバチの巣や様々な結晶など自然界で多く見られるバランスのとれた形で、調和や安定を表し、中央に良いエネルギーを集めます。麻文様の陶板やペンダントを厄除けのお守りとして、あわたまで作っております。

先人の知恵から学んだ衣・食・住をあわたまで実践しています。

ぜひ、日本の麻文化・麻農業・技術の継承や阿波忌部の歴史や麻のものづくりなどに関心のある方は、一般社団法人・日本麻振興会にご入会(入会金・年会費は無料です)頂ければ、麻に関する情報やイベントなどの開催をお知らせいたします。希望される方は、奧野までご連絡下さい。

また、法人の運営はご寄付で活動をして参りますので、今後の日本の麻の振興活動と継承して後世に残すための資金として、一口5千円からの寄付金も募集しております。お力添え頂ける方は、ご案内を送らせて頂きますので、ご連絡よろしくお願いします(^_^)

 

それから私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。お悩みやご相談がある方は、ご連絡頂ければ、夜にメールのやり取りで、対応いたしますので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。ご相談を受けて、御信託を降ろします。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『政治家の劣化』

安倍政権の終息は、突然やってきた。

長期政権の腐敗。もり・かけ・桜と総理大臣の不透明な金の流れの詳細は、トップの顔色を伺い忖度する政治家達や官僚達によって、公文書の改ざんや証拠隠滅され続け、その事で悩んで精神を病み、自殺する人まで出した。

「安倍さん、ご病気でお気の毒…」などと、テレビの街頭インタビューで言っている人が多くいるが、安倍総理の個人的で不透明なお金の問題で、上層部から命令され、尻ぬぐいに奔走させられ、体調を崩したり、自殺に追い込まれた人達の方がよっぽど気の毒である。

もっと早く退陣する機会は何度もあったが、隠ぺいしてまで見苦しいほどに首相の座にしがみつき、首相連続在任期間が、大叔父である佐藤栄作の記録を抜き歴代1位になった頃合いに以前からの持病悪化を理由に辞めた。

国民からしたら、記録なんてどうだってよいのだが、歴史に名を残したい彼にとっては、記録更新は重要な事なのだろう…。

国のリーダーたる者は、災害や疫病やどんな有事にも迅速に対応出来るだけの危機管理能力は、必要であり、普通の政治家と違い、首相とは、国や国民の代表であるのだから、命がけでやるぐらいの覚悟が必要であるが、世界を見ても権力思考が強く、独裁的な人間がトップに立っている事が多い…残念な事です。

以前、池上彰さんが「菅官房長官は、安倍総理のいいなりで、昔の後藤田正晴官房長官の様に総理にはっきりものが言え、総理の暴走を食い止めるぐらいの人物ではない。」

と言っていたが、安倍総理に代わる次期総理を選出する、今の動きを見ても、安倍氏や麻生氏に都合がよくいいなりになる、言わば「飼い犬」を次期総理にする動きがあからさまに見られる。

菅氏は「安倍政権の継承」を掲げているが、安倍総理・麻生副総理・今回立候補している岸田氏と決定的に違う所は、菅氏は東北の農家出身である事。

安倍・麻生・岸田・小泉その他多くの政治家は、祖父や父など代々政治家の家系に生まれ、政治家の家庭で育つことから、親の知名度や人脈、支持基盤、財力をうまく活かして、若くして政界入りし、政治家として名を馳せる事ができるいわば「世襲政治家」である。

しかし政治は「家業」ではない!

近年の政治家の劣化は、この世襲の「お坊っちゃま政治家達」に原因があると感じる。

権力者である親をもつ彼らは、生まれた時から裕福な家庭に育ち、おそらくまわりの大人も彼らの言いなりで、わがまま放題に育っているのだろう…。そんなお坊っちゃま政治家達に一般庶民の気持ちがわかる訳が無い。お金の苦労など経験した事がないのに、このコロナで経済的に追いつめられ、明日の生活に苦しんでいる人々の気持ちをわかるはずもないのです。

わがままお坊っちゃま達は、おそらく、これまでも自分達に逆らうものは潰して来たのでしょう。もう一人の候補の石破茂氏は、誰が見てもわかりやすく「石破潰し」に合っている。

石破氏の父は官僚から鳥取県知事になった方なので、一般庶民の家庭とは言えないかもしれませんが、今の自民党安倍氏や麻生氏に一言苦言を申せる唯一の人物ではないかと思う。

それを貫く石破氏の姿勢に対する評価は、国民の支持の高さでも現れているが、権力者の顔色を伺う自民党の「忖度国会議員」達からは、不人気である。皆んな自分の身の保身が一番大切なので、「国や国民にとって今一番必要なリーダー」を選ぶ事よりも上層部の言いなりになる事を選ぶ。

そういう意味で、権力育ちのお坊っちゃま政治家達は、国民にとって害がある。

秋田の農家の長男として育った「令和おじさん」こと菅氏は、若かりし頃「日本を良くしたい」と政治家を志したそうで、その初心を思い出して、庶民に寄り添い、権力者の飼い犬にならない事を祈る…。

今回の様に、任期途中で退任した総理の中の第68代・69代の内閣総理大臣大平正芳氏は、現職総理の時に参議院選挙区の応援演説を何箇所も回った夜に自宅で倒れ、入院治療したが数日後急死した。死因は過労による心筋梗塞と発表された。

大平総理は、香川県の農家の生まれのたたき上げの政治家で、権力育ちのお坊っちゃま政治家達とは違う。その時期は自民党の中に「大平降ろし」の動きがあった。

実は、その大平総理は私の亡くなった夫の叔祖父である。

そんな事は全く知らずに結婚し、夫の実家で家族でテレビを見ていて、原子力発電所から出る核廃棄物の処理の問題のニュースを見て「自民党がこんなものを日本全国に作るから…」と呟いてしまい、家族に変な空気が流れた。

「あれ?この家は自民党派?」と思っていると姑が「私は旧姓『大平』で大平正芳総理の姪なの。」と言い、元総理大臣とがっつり親戚で自民党派である事を知ってあせった…。

「言ってなかったっけ?」と笑う夫に内心「おじいさんが大平総理と兄弟だなんて知らんがな!先に教えておいてくれれば、自民党の話題を避けたのに…」と思った。

その大平正芳氏を総理大臣に後押ししたのが、同じ四国・徳島の後藤田正晴氏だ。

平氏は、後藤田氏の人間性を「本物だ」と高く評価しており、後藤田氏も大平氏の器の大きさを尊敬していた。

後藤田正晴氏は、歴代首相を支え、官房長官・副総理などを歴任した「軍師」だが、後藤田氏が警察庁長官の時に「よど号ハイジャック事件」「三島由紀夫防衛省自決事件」「成田闘争」「あさま山荘事件」などの歴史的事件の指揮を取り、対応した事もあり、田中角栄総理が見込んで政界に引き入れた人物である。

カミソリ後藤田」の異名を持ち、世襲のお坊っちゃま政治家達にも、ハッキリと苦言を呈する人で、総理大臣にも顔色を伺い忖度する様な事はなかったので、中曽根総理が、イラン・イラク戦争の時に海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣すると言った時『私は閣議でサインしない』と公然と反対して総理に派遣を断念させた。日本が戦争に関わる事態を食い止めたのである。

私は、30年近く前にTBSの「時事放談」という政治家を招いて話しを聞く、長年続いた日曜早朝の番組の美術を担当した事があり、後藤田正晴氏に何度かお会いした事があるのですが、発する言葉に重みと説得力があり「自民党にもこういう人がいるのだな…。」と感じた事を思い出します。

田中角栄総理によって政界に入った後藤田氏は田中派で、同じ徳島の三木武夫次期総理の三木派とは、派閥が対立しており「自民党の阿波戦争」と言われた。三木武夫総理も農家の生まれだが、後藤田家も三木家も古代より阿波忌部を代表する家柄である。

そんなお二人の考えが共通していた事は、

後藤田氏は「軍事が政治のコントロールを踏み外して暴走を続けるなら、とんでもない事態になる」と何度も口にし、憲法九条の改正をしたがる若かりし安倍晋三氏に苦言を呈していた。三木氏ものちに「九条の会」の呼びかけ人になる妻の睦子夫人に「あなたは、なぜ自民党の首相なんかやってるの?」と聞かれ「自民党は危ない方向に暴走してしまう傾向があるから、それを食い止めるには、首相の座にいなければならない。」と言っていたエピソードを聞いた事がある。

政治アナリストの伊藤惇夫氏が著書の『消えた「風圧」~絶滅危惧政治家図鑑~』で「田中角栄中曽根康弘後藤田正晴大平正芳…彼らがいたから永田町は面白かった。」と言っており、現代の「世襲政治家」のお坊っちゃまだらけの政治家の劣化に対して、たたき上げの政治家を「絶滅危惧政治家」として紹介している。

おそらく次期総理になるであろう、菅氏も一応たたき上げの絶滅危惧政治家の1人だ。

このまま、お坊っちゃま達の言いなりで、行くのか、絶滅危惧種のたたき上げの底力を見せるのか…。

国民はリーダーの質が、自分達の生活に大きく関わる事をこのコロナ対策で痛みを持って体感したはずである。選挙で誰を選ぶのかで、国の未来も決まってくる。

見た目とか経済力とか家系とかで選ぶと自分達が痛い目みる。人間性を見極める事です。

心して毎回選挙に臨みましょう。

 

私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

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『お盆なので霊話(れいわ)』

今日でお盆も終わりますね…。

今年のお盆は、いつもの年と違う。

皆が里帰りを控えたり、お盆のイベントが中止になったり…。

日本最大規模の盆踊りである阿波の国「徳島」の盆踊り「阿波踊り」も戦後初めて中止となった…。本来なら8/12〜15日の4日間のはずだった。

江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波踊りが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。それ以来の中止です。

私は毎年欠かさずに、阿波踊りを見て「にわか連」で踊りにも参加してましたが、「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々‼︎」「ヤットサーヤットサー」とかけ声をかけながら、4日間、街全体で踊り続けるあの人々のエネルギーに毎年圧倒される。

祭りは心が動かされ、大好きです!

関東出身の私は、東京の下町や埼玉西部で神輿(みこし)や山車(だし)の迫力ある祭りを毎年見て来たが、「阿波踊り」のマンパワー炸裂で4日間踊りまくる、人間のエネルギーの圧倒的な迫力は、本当に凄すぎる!

日頃、比較的地味な徳島県人(失礼!)のどこにこんなパワーを秘めているのかと毎年驚きます。

女踊りの可愛らしさ!あの衣装を着て、息ぴったりで踊っていると全員可愛らしく見える。

男踊りの勢いある動きは圧巻!

太鼓・三味線・篠笛の演奏に合わせて、各連がそれぞれの踊りを披露する。子供も大人もお年寄りまで、皆が踊る。「ヤットサー!ヤットヤット!」街全体が生き物の様に唸って、踊りまくる。

阿波踊りが好きすぎて、毎年楽しみにしていたけど、阿波踊りのない今年は、本当に寂しいお盆です。残念ですが、映像を見て我慢します。

本来、阿波踊りは「精霊踊り」で、亡くなった方の精霊を慰めるための盆踊りです。

せっかくお盆の終わりなので、今回は霊の話をします。

私の「玲」という名前を付けてくれた、巫女体質の86才の女性は、昔、新島に住んでいて、毎年、私の大好物の発酵食・飛び魚のクサヤを送ってくれたので、ずっと新島出身だと思っていたら、一昨年、久しぶりにお会いしたら、なんと、彼女のご両親は徳島県出身で、彼女も徳島生まれだった。生まれて50年目にして、自分の名前を付けてくれたのは徳島の人だと知り、生まれた時から徳島とご縁があった事を知った。

彼女は、とても霊感が強く、昔からたくさんの霊を見て来た。ある高僧から「あなた、それだけいろいろ見えてしまったら大変でしょう。」と言われたそうだ。

私が子供の頃、一時期、三軒隣りに住んでいた彼女は、二階の自室で寝起きしており、毎年お盆になると「トントントントン…」と壁を叩きながら、階段を上がってくる霊がいて、「いらっしゃい。」と招き入れ、お盆が終わる頃、「もうお帰りなさい。」と言うと「トントントントン…」と壁を叩きながら階段を降りてゆくと言う。「お盆だからね。会いに来るんだよね。」と言っていたのを思い出します。

私も子供の頃から、いろいろ見えたり、聞こえたりしていましたが、大人になってからリアルな体感で怖かった二つのお話しをします。

25歳の時、家具作家の夫と東京から埼玉県・飯能の山奥に突然引っ越す事になり、キャンプ場を経営している大家さんから、バンガローの様な小さな家をお借りしました。

その家は見た目はとてもかわいいのですが、小さな部屋2つと小さな流しだけがついた台所とトイレしかなくて、本当にバンガローな感じでした。

「え?!本当にここに住むの?お風呂も無いし、システムキッチンも無いし、収納もほとんどない!」と私が驚いていると、夫は、

「暮らしながら、造ってゆくんだよ。」と言いました。「北の国から…か!」と思いながらも、私も木工・溶接は得意なので、二人で、水道・ガス・電気の配管・配線もやり、キッチン・クローゼット・サンルーム・お風呂場を増築していった、その年の瀬の早朝、夫と犬二匹は山の散歩に出かけて、連日の作業で疲れ果てていた私は、まだ眠りこけていました。

すると「トントン」と北側の勝手口を叩く音がして、開けるとおばあさんと白い着物を着た若い娘さんが立っていました。

また、まずいものが見えているのを感じつつ、「どちら様ですか?」と聞くと、おばあさんは、とても怖い顔をして「ここの者だけど、あなたの夫は、とてもいい人間なので、この娘の婿にしようと思うので、あなたは、ここを出て行ってくれないか?」と言ってきたので、私は怖々「嫌です…」と言うと、おばあさんは、はんにゃの様な顔になり「お前の夫をよこせ!」と言って来た。怖くなって、家の中に駆け込み、布団に潜り「嫌だ!」と叫ぶと片足首を「グイッ」と強く引っ張られ「出て行け!」と聞こえ、布団の中で「祓いたまえ!浄めたまえ!」とひたすら祓詞を繰り返しとなえながら、意識がなくなり、散歩から帰って来た夫に起こされた。

その話しを夫にすると「悪い夢でも見たんじゃない?」と言ったので、「いや、リアルな感覚が残っている…」と思い左足首を見ると、くっきりと指の跡が付いていた。

二人でゾッとして、大家さんに話すと、以前ここに一時期、おばあさんが住んでおり、娘さんを若くして亡くして、一人暮らししていたそうで、おそらくその方じゃないかとなり、おばあさんと娘さんの冥福を祈り、供養したら、現れなくなった。

もうひとつのリアルな霊体験は、それから10年後、薬草オーガニックカフェをやっていた頃、店に来るお客さんで、私と縄文や麻文化の話しで親しくなり、ある時、彼女の住む集落に招かれました。

集落の入り口に太いニ本の杉の木が立っており、中型自動車がやっと通り抜けられるほどの幅でした。「このニ本杉は、この集落の結界なんです。この杉の木を切ろうとすると必ず、タタリが起きるのです。」

確かに、鳥居の様なニ本杉を通り抜けたら、空気が変わり、異世界に入った感じがした。

「古い時代に、このニ本杉を切る事を集落で決めたら、伝染病が集落に広がり、多くの人が亡くなり、切るのをやめた…。昭和にも、大型トラックが通れるようにニ本杉を切ろうとした人が不審な死をとげた…。」

彼女は他の地域から、この集落に嫁いで来たそうで、集落は水道が通っておらず、谷川の水を使い、電気もかなり遅れて引かれ、世の中から隔離された場所だった。

「ここは、身分の高い方をかくまう"隠し里"だったようです。実は今も、皆で護っている方がいます。今日、玲さんが来られるとお話ししたら、会いたいとの事なので、定期的にヨガで皆が集まるので、この後、参加されませんか?」と言われ、参加する事にした。

集落の人々に護られているその女性は、痩せ細っており、生気がなく、車椅子で押されて来た。年齢は私と同じ歳(当時30代半ば)。女性のお名前と家紋が宇宙の星々を現しており、くしくも、三島由紀夫の「美しい星」で宇宙人がこの地球を護るために、各星々から来て暮らしていた設定の場所がこの飯能なので、彼女も宇宙人なのでは?とリアルに感じてしまった。

ヨガをやっている間、女性は車椅子から眺めており、最後に、女性を真ん中に座らせ、周りをぐるっと皆が囲んで座った。「何が始まるのだろう?」と私も輪に入った。

すると女性は呪文のようなものを唱え始めた。

生気がなかった女性が唱えているとは思えない、あの世から聞こえるマントラのように響いており、私は直感的に「ヤバイ!」と思い、聴覚を閉ざし、頭の中で祓詞を唱えた。薄目で周りを見ると、瞑想と言うよりは、皆完全に術にかけられている感じだった。

女性を見ると、先ほどまで死んだ様な目が光っており「もしかしたら、女性は、何かに取り憑かれてコントロールされ、実際は、すでに生命力はないのかもしれない…」と怖ろしいものを感じながら、帰宅した。

その後、しばらくして、その集落で暮らす彼女から「家族が皆、体調を崩しており、何人か入院している…」

と連絡があったきり、音信不通になった。

心配だったので、夜に意識を集中して、霊視してみると、集落の古民家の住まいで布団を敷いて彼女が寝込んでいる姿が見えた。

「彼女は大丈夫だろうか?」

心配しながら、眠りにつくと、霊視の続きで、私は、彼女が青白い顔で眠っている布団の横にいた。

「あなたは、ここを出た方がいい!ここにいたら、生命力を吸い取られる!」と言って、彼女に肩を貸して、連れ出そうした時、右肩を強い力で引っ張られた。肩を見ると、手首から先の真っ黒な手が、物凄い力で肩を引っ張っていた。

私は「祓いたまえ!浄めたまえ!…」と祓詞を大声で唱えながら、目が覚めた。

リアルな感覚が残っていたので、右肩を見ると指の跡がくっきりと残っていた。

手首から先の真っ黒な手に覚えがあったので、本棚を探してみたら、チベット曼陀羅が出て来て、曼陀羅の下に「魔物」の絵がいくつか描かれており、その中に、私の肩に着いていた手首から先の真っ黒な手が描かれていた。

「やはり魔物…」

しばらくして、彼女から連絡があり、彼女も入院していたとの事で、私が霊視で見た魔物や、集落で護っている女性にもおそらく魔物が取り憑いている事を伝えたが、彼女は、あの集落に留まると言った。

それ以来、私はあの集落には、近づかなかった。

飯能では、神聖なものから宇宙的なものや魔のものまで、いろいろ体験しました。

私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

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