『美しい星』

ウィルス感染拡大・水害と何でこんなに各県や医療現場そして災害被災地は、混乱しているのに、国会を閉じたままで、各県の現場任せで国として具体的なこの先の対策を決めていかないのだろう…。もはや理解不能である。

多くの国民の経済がひっ迫している中、政治家達の高額な給料が税金から支払われているのだから、ちゃんとやるべき事をやってもらわないと、税金の無駄使いでしかない。

75年前の8月のこの時期は、広島・長崎に核爆弾が投下され、地球人類史上初の核兵器によって一般市民が大量虐殺された、忘れてはならない悲惨な出来事の時です。

前回のブログでジョンレノンがオノヨーコと「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れていた事に触れましたが、実は日本のある有名作家も反戦核廃絶のメッセージを残して亡くなっています。

皆さんは、作家・三島由紀夫が1冊だけSF的小説を書いている事をご存知ですか?

タイトルは「美しい星」。

日本の埼玉県飯能市が舞台で、ここに暮らすある一家が、飯能のあちこちでそれぞれ空飛ぶ円盤(UFO)に遭遇して、自分達が地球とは別の天体(火星・水星・木星・金星)からそれぞれ飛来した宇宙人であるという意識に目覚め、この美しい星「地球」を守るために核兵器を持った人類に警告を発してゆく…というストーリーです。

三島由紀夫といえば、ノーベル文学賞の候補にも上がった世界的な文豪で「ミシマ文学」として、世界にファンが多い作家ですが、最近公開された、TBSだけが持つ貴重な三島由紀夫のスクープ映像を映画化した「三島由紀夫vs東大全共闘」でも見られる様に、晩年は政治的な傾向を強め、民兵組織「楯の会」を結成。

1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)に立てこもり、バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。

享年45歳だった。

この一件は社会に大きな衝撃を与え、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与え、三島由紀夫に右翼的なイメージが色濃く残った。

そんな三島由紀夫がなぜ「美しい星」というSF的小説を1冊だけ書いたのでしょうか?

新潮文庫から出版されている三島由紀夫「美しい星」の最後に書かれた解説や三島の創作ノートにその意図が書かれていた。

三島由紀夫は、二十歳の時に広島・長崎の原子爆弾投下・日本の敗戦を体験し、その目で世界の崩壊、人生の終末を見た。戦時下に二十代での死を宿命として感じていたこの世代は、

「戦争とは何か?人間とは何か?生とは何か?死とは何か?」を問い続け、敗戦により、全てが崩壊したその原体験から、「世界崩壊と人類滅亡」について考えを深める様になった。

昭和36年「美しい星」執筆当時のアメリカとソビエトによる東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の不安・世界終末観を背景に、その当時、作家仲間の影響で三島は空飛ぶ円盤(UFO)に異常なほど興味を示し、円盤観測の会に参加し、宇宙人の宇宙的観点から見た地球人類の物語を描いた。

人間を地球に住む人類として客観的に眺め、そこから自由に地球人の運命を論じることができる。

核兵器と言う人類を滅亡させる最終兵器を自らの手で作り出した現代と言う状況を踏まえて、人類の存在の根源と地球人の生存と滅亡を問いた。この小説は三島由紀夫による、人類へのメッセージである。

三島由紀夫美輪明宏永六輔霊性の高い長年の友人で、永さんの話しによると三島由紀夫が小説を書いている時、美輪明宏が霊視すると霊が取り憑いて文章を書かせている事があり、書き直したくても、そうさせない力が働いたりしたそうです。

美輪さんは「日本の美意識のレベルの高さ、三島さんがおっしゃってたことは、あらゆる芸術作品は霊格が高くなければならないとおっしゃってたんですよ。スピリチュアルのね、霊格が高いものでないと本物の芸術とはいえない。

今に日本はとんでもない時代になるよって言ってたんですね。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。」と語っている。三島は霊視で先読みしていたのだ。

この小説の舞台になった埼玉県飯能は、私が20代半ばから40代半ばまで、御神託により導かれ、何度引っ越そうとしても、

「おまえは、ここでまだやる事がある」という声が何度も聞こえ、何かをやらざるを得ない状況になり、私は毎日の様に御神託が降りて来て、実際にUFOも何度も見た、チャンネルと波動が合う場所です。

三島由紀夫も霊力でそれを感じていたのでしょう。埼玉県飯能に「空飛ぶ円盤観測」によく来ていて、美しい星の創作ノートには、飯能の街をくまなく調査しており、私が30代に10年間経営していた、薬草オーガニックカフェの周辺も小説にたくさん出てきた。

当時私は、文部科学省の助成を受けて、定期的にテーマを決めて歴史ツアーをやっており、「三島由紀夫の小説・美しい星の舞台をバスで巡るツアー」を企画して、ネットで参加者を募集した所、たくさんの応募がありました。

純文学である「ミシマ文学」の根強いファンには、異色小説「美しい星」は受け入れがたい人が多く、また逆に「美しい星」の熱烈的なファンも多くいるので、その熱烈的なファンの方々の多くが参加されました。

その参加者の中になんと「楯の会」の中心的メンバーで生き残った方もいて、三島が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をする直前に三島本人から受け取った手紙を持ってきて私に見せてくれました。その手紙は、三島の直筆で

「○○君、きみは、生き残って、この地球の行く末を見届けてほしい…。そして、将来この地球のためになる事をやってくれ。」と言う様な事が書かれており、あんな壮絶な最後を遂げた事で右翼的なイメージが国民に印象づいてしまったけど、彼は、この地球の未来を先読みして案ずる、やはりとても霊性の高い方だったのだと思います。

その手紙を受け取った、元・楯の会の方は、三島の遺言通り、今は水質汚染を改善して水の星地球を浄化する活動をされています。

最後に霊能者・出口王仁三郎の元で裏神業をし続けた京都に住む96才のおばあさんに3年前にお会いして、彼女に広島原爆投下の日の話をお聞きしましたので、お伝えします。
彼女は、生まれ育った京都から広島の神主さんに嫁ぎ、広島の田舎町に住んでいました。
近所に住む大工さんが広島市内にお仕事で行っており、市内を案内してくれるとの事で昭和20年8月6日の朝に広島駅行きの登り列車を待っていると遠くが光りキノコ雲が見え、そのまま登りの列車は止まってしまいました。しばらく待っていると下りの列車が来て、そこから降りて来たのは、血まみれの人、皮膚が焼けただれてぶら下がっている人、黒焦げの人…瀕死の状態で列車で逃げて来た人達でした。看護婦だった彼女は、そこからは被爆者の看護にあたる日々だったそうです。
1本前の列車に乗っていたら、自分も原爆投下の広島市内にいたかと思うと人ごとではなかったと言ってました。

唯一の被爆国として核兵器禁止条約に署名しない日本政府は本当に理解しがたい。
こんな事を繰り返してはいけないと日本人は世界に伝える役目があるし、各国のリーダー達が目を覚まして欲しいものです。 
今の自国主義で独裁的な国のトップが集まる世の中に危機感を感じています。

三島由紀夫が危惧した「世界崩壊と人類滅亡」に向かわない事を祈ります。

 

私は仕事で個人セッション(カウンセリング)をしています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『自分の痛みを知り、人の痛みを知る』

先日、俳優の三浦春馬さんが自ら命を絶つという悲しい出来事がありましたね…。

私も過去に大切な友人を同じように亡くした経験があります。亡くなる数日前に電話をもらい「どうした…?ちょっと元気がないね…。」と言いつつ、たわいもない話しをして電話を切った。「あの時、もっと突っ込んで、話しを聞いてあげればよかった…」と後で悔やんでも、時すでに遅し…ただ深い悲しみだけが残る。

日本の自殺率は、3万人を超えていた一時期と比べると減少してきたが、まだ深刻な状況で、昨年は2万人ほどの人が命を絶った。

先進国で最悪の自殺率です。

私も死にたくなった事や死にそうになった事は、人生で何度かあった。

以前、80代の巫女体質(霊媒師)の方にお会いした時に「あなたは、子供の頃から普通は見えないものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、周りから理解されずに、辛い目にたくさん合って、本当に苦労したわね…私も同じだったから、よくわかるわ…。」と初対面で言われて、おもわず涙した事があります。

ブログの『巫女体質』でも書きましたが、日本のシャーマニズムのユタ・ノロ・イタコなど霊媒体質の女性は、幼い頃に「巫病」という、死の淵を彷徨うような病を経験させられ、霊力を周りから理解されずに監禁されたり、虐待を受けたり、そんな環境下に身を置いてしまうことがよくあります。

私もそうでした。幼い時に巫病で死にかけ、完全看護の病院に半年間閉じこめられた後、いろんなものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、先ほどの霊媒師の方の様に、同じ体質同士であれば理解し合える部分がありますが、ほとんどの方からすると、まったく理解することができず「頭がおかしい」と思われ、周りから気違い扱いをされ、同級生からはいじめられ、学校の先生からは酷い虐待を受けたり、親姉弟からも理解されず、周囲に誰も理解者がいなかった。

一般的な環境で育った巫女体質の人間は、自分の感じ方や物の見方がおかしいのだと言うことを周囲により徹底的に叩き込まれるプロセスがはじまります。

そのプロセスのあまりの辛さに、その間は自分の生きている意味が分からなくなり、人生から希望が少しずつ消えていきます。

「自分はおかしいんだ。」

「何かが見えたとか聞こえたと周りに伝えたらとても恐ろしい目にあう」

という思いが潜在意識の深い場所に刻み込まれていき、「生まれてきてはいけなかったのではないか」と死さえ考える事もあります。

巫女体質(霊媒体質)の人は、幼い頃にそうやって、巫女としての目覚めを促す辛い体験をいくつもして、自分自身が巫女であることを自覚し、周りからほとんど理解されずとも、心の奥底に深い孤独感を持った状態で生きていきますが、繰り返し起こる、そういった辛い経験さえも、必要なプロセスで修行だったりします。

自ら経験をする事で、病気で苦しんでいる人・いじめにあっている人・虐待にあっている人・差別を受けている人の辛さや苦しみが理解できる。たくさん傷ついてきたから人の痛みがわかることもあるのです。

ユタ・ノロ・イタコなど日本のシャーマニズムの巫女達は、壮絶な人生を体験してきている人が多い。そうやって、厳しい修行をさせられて巫女となり、人々を救済する。

時々「私も巫女なんです!」とお気軽な感じで言ってくる人がいますが、本当の巫女体質の人は、壮絶な体験をしてきているので、すぐにわかります。

20代の時に、文化村オーチャードホールで東京フィルハーモニー楽団とある音楽家の方のコンサートを見に行きましたが、コンサート終了後、その音楽家の方のスタッフに呼び止められ、その方の所に連れて行かれました。

そして会うなり「あなた何て名前?どこから来たの?何している人?」と聞かれました。

後に30代の時に永六輔さんからも全く同じ事を聞かれたのですが、その方もインドのあるマスターの元で修行し、霊性が開眼して、ステージの上から私が見えたそうです。

その方の音楽は、当時テレビやラジオのテーマソングとして様々な曲が毎日のように流れており、ヒーリングミュージックやヒーラーとしてミュージックセラピー療法をやっている方でした。(現在は、音楽活動はお休みされています)

芸術に力を入れて、美術館や音楽堂を作ったりしており、芸術系の学校でずっと学んで来た私に手伝ってほしいと依頼され、一時期お手伝いして事があります。

その方がロサンゼルスに住んでいた頃、ある霊性の高いセラピストの方の個人セッションとセラピーのプログラムを受けたそうです。

それは、自分でも気付かない心の奥底にある思いや、閉ざしてしまっている心の傷を引き出して、目をそむけて来た事やふたをしてきた出来事と真剣に向き合い、その思いや出来事を本当に抱きしめ、本気で受け止めるという、自分の根幹に直面するかなり覚悟のいるもので、それを受けて彼は、生き方が変わり、音楽も変わったという。

そこで全く同じプログラムをあのジョン・レノンも受けて、自分の根幹に直面し、ショックで崩れ落ち、直後に書いた曲が、あの名曲「Imagine(イマジン)」なのだそうです。

Imagine(=想像してごらん) という歌い出しが印象的な「平和や人類愛」を歌った曲ですが、

彼がそのセラピーで自分の痛みを知り、辛い体験にふたをして来た事に真剣に向き合って、初めてあの曲が生まれた。

ジョンは幼い頃に両親が離別し、一時はジョンを取り合いしていた両親に結局は捨てられ母親の姉に育てられる。育ての母は、ジョンを育てる事に責任を感じ、努めて厳格に育てたという。そんな母にジョンは反発もせず、終生育ての母を愛したという。しかし、生みの母が交通事故で死亡し、この悲劇は、ジョンの人格形成に大きな影を落とした。
ジョンは寂しさを紛らわし、自己の欲求を満たす為、ロックンロールに傾倒していき、学校でも札付きのワルになってゆく。

しかしその後、ポール・マッカートニーと出会い、仲間とビートルズを結成して、大成功を収める事になる。しかし、大成功を収めても彼の心は満たされる事はなかった。

美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人の影響で、ジョンは日本や東洋文化に興味を持ち、禅や空の概念に強い好奇心を寄せていて、これを色濃く反映させた小野洋子のアートに強い興味を示し、小野洋子の個展に出かけたのが二人の出会いだった。

その後、ジョンはしばらくインドで修行して、妻と離婚して、小野洋子と二人で「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れてゆく。

しかし、ジョンがセラピーのプログラムで、自分の心の深くと向き合い、溜まっていた鎮圧を解放した時に「自分の内側に戦争はあった…」と泣き崩れたそうです。

そうして、本当の自分の痛みを知り、人の痛みを知った時に素直な気持ちで書いた曲「Imagine(イマジン)」は、人々の心に響く名曲となり、9.11アメリ同時多発テロの後には、アメリカのラジオ局にリクエストが殺到し、今回のコロナでも世界中で歌われた。

今私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事のひとつとしてやっております。15年くらい前までは「人の助けになるのなら」とお金をもらわずに来る人を見てあげていました。しかしタダなら見てほしいという人が殺到し、パワースポットにも案内してくれと集団で押しかけてくる人も絶えず、対応していて疲れ果てました。

最初に紹介した霊性の高い年配の巫女の方から「貴方は、過去世も今世もとても修行して学んで来ており、皆に伝えるお役目もあるので、ちゃんと仕事として、個人セッションをしなさい。タダだから来る人は、人の時間とエネルギーを奪う(テイクする)テイカーです。与える人ギバーにはなれません。テイカーは、感謝の気持ちもない。振り回されて疲れ果てるだけです。なので、テイカーと距離を置く意味でも、対応に見合った報酬は頂くことにしなさい。

そして、貴方の薬草の知恵は皆を病から救い、貴方の作る物は、皆に喜ばれる物なので、どんどん作りなさい。」と言われ、日中は、農作業や物作りに専念して、個人セッションは、夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろありましたが、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『継承して後世に伝える大切な事』

本来なら、今月の23日から東京オリンピック開幕で世界中の人々が日本を訪れているはずだったのですよね…。世界的にコロナが感染拡大するなか、日本も感染者が増え続け、さらに追い討ちをかける様に今月の雨量は過去20年で最大規模で各地で水害が起きて、被災して今後どうしたらいいのか途方に暮れている国民が多くいる中、政府肝いりGo To トラベルキャンペーン。

このタイミング??

誰かが「トラブルキャンペーン」と言っていたが、二転三転する相変わらずの政府の迷走ぶりに振り回される観光地やツアー会社や旅行客、そして観光客を受け入れる各県民も皆んな戸惑っている…。

この先どうなってゆくのか、先読みする力の無い政治家達は、今後の混乱に対してまた場当たり的に対応してゆくのだろう。

本当にやる事なす事、的がはずれていたり、タイミングをはずしていたり、残念な感じですね…。

さて、ここ最近私は、新鮮便の無農薬野菜を収穫して発送に追われていたり、薬草茶をブレンドしたり、荒地を開拓して、陸稲栽培の実験をしたりと忙しく過ごしておりました。

すべて、国内自給率の低い日本が今後直面する食糧難を先読みして、その準備として経験し、皆さんに伝える必要性を感じてやっている事です。

ただでさえ、国内自給率の低い日本の貴重な国産食材を政府は、諸外国に輸出して、そしてゲノム編集され、遺伝子操作された、わけのわからない外国産を輸入しようとしている。

もうすでに昨年、アメリカ産のゲノム編集された大豆を日本政府が大量に買い取り、様々な加工品になって、スーパーに並んでしまっている。本当に国民は実験台か!

国民の命より目先の経済を優先する安倍総理のリーダーとしての資質に本当に疑問を感じる。

今回お野菜のご注文頂いた、愛媛の方が、弘法大師空海さんが開いた四国八十八ヶ所霊場を巡り終え、Facebook空海さんのことばを投稿していたので紹介します。

空海さんのことば

「 本物は目立たないと言う

目立つのはめっきであり 本物は目立たない

困ることは本物は自分が目立たない事を

何とも思わないことだという

目立とうともせず それを恥とも思わない

だから余計目立たないのだ

そこに本物だ」

空海さんのことば、本当にそうだと思います。

表で目立つ人に多くの人の目がいきがちですが、裏で目立たず、大切なお役目をたんたんとやり続けている人を何人か知っていますが、そういう人は、とても地味で表に顔を出さず、人知れず、人々の救済のために動く、とても重要な方々です。

表に立つ安倍総理のめっきは、もうとっくに剥がれているのですが、森友・加計問題があろうと何があろうと、公文書を改ざんしてまで、トップにいようとする見苦しさ、空海さんはどう感じるでしょうね。

先日の『今、一番伝えたい事』で書いた

生きるためにする仕事(表)と、お役目の仕事(裏)とは「本業と副業」と言う意味ではなく、表の仕事とは、自分や家族が生きていくために必要な経済活動を伴った仕事。対して、裏の仕事とは、たとえ経済が伴わなくてもやる大切な仕事。

例えば、様々な物作りの伝統技術を学んで継承する事。各地に伝わる伝統文化や祭などを絶やさず継承する事。各地の食文化を守り伝える事。在来種の植物の種を守り、後世に残す事。先人の衣食住の知恵を学び伝える事などなど。

「継承して後世に伝える(残す)」事が重要だけど、経済に繋がらない事も多いので、表の仕事とは別にやる大切な裏の仕事。

香川県の離島で自然食堂と民泊をして暮らしていた友人が、故郷の福島県会津の「からむし織り」を学ぶために1年間帰郷する事になりました。

彼女は、四国で麻織物に関心を持ち、会津に帰省した時に、ご実家の納屋で、先祖の紡いだ麻糸や手紡ぎの道具や織物の道具などを発見して、自分の先祖も織物に携わっていた事を知り、長い間地元を離れ、外からの目線で改めて故郷をみてみると、それまでそれほど興味がなかった会津の伝統(工芸)の素晴らしさに気付き「絶やしてはいけない、継承しなければならない」と思うようになったそうです。

また、私の一番尊敬する大学の時の恩師は、日本の宮大工の伝統工法の技術を後世に残すために、世界最古の木造建築群である国宝・法隆寺の修復の西岡棟梁はじめ日本を代表する宮大工の名棟梁10人の技術を、先生は20代から60代まで40年以上かけて各棟梁から学び、その複雑な難解極まりないほぞ組の技術を手書きで図面に起こし、日本伝統工法・宮大工技術大全集を作りあげた。表の仕事として大学で日本建築を教えて、稼いだお金や退職金まで前借りして、全てその研究につぎ込み、結婚もせずに日本の伝統技術の記録を残す事を裏の仕事としてやり遂げた。

その恩師が私を徳島と繋いでくれた。

(その話は、いずれまたブログで書きます。)

徳島県吉野川市(麻植)山川町の山崎忌部神社では、新天皇即位に伴って、平成元年より30年ぶりに令和元年11月14日から15日にかけて執り行われた新天皇大嘗祭にて、徳島県天皇大麻畑で育てられた大麻の繊維から紡いだ糸で山崎忌部神社にて大麻布「麁服」を織り、調進する重要なお役目を古代より担っており、昨年私は、その忌部神社が建つ忌部山のすぐ下の田んぼで稲を育てながら、田んぼの周辺に住む忌部の方々から声をかけて頂き、徳島の最も重要な伝統技術の継承の行事をひと通り見させて頂いた。

天皇が即位する儀式は生涯一度。「天子一代に一度の大祭」として行うのが大嘗祭である。

古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。

大麻で織られた布・麁服は大王霊が着る神衣であり、阿波忌部が作る麁服がなければ、天皇とは認めてもらえないほど重要なものでした。

天皇によっては戦乱等で大嘗祭を行わずに天皇即位された場合もありますが、この天皇は「半帝(なかばのみかど)」と呼ばれ、半人前扱いされています。それほど重要な儀式です。

先月、阿波忌部の方々から「令和の大嘗祭・麁服(あらたえ)」という本を頂きました。

昨年1年間の記録を詳細にまとめた素晴らしい本でした。

阿波忌部の方々は、普段はそれぞれ表の仕事を持っており、新天皇が即位して元号が変わる時に阿波忌部としての伝統的な仕事(裏)を行う。

天皇家と阿波忌部氏は、天の岩戸神事からの強い繋がりがあります。

天の岩戸神事を司ったのは阿波忌部氏の祖先である天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、大麻を植えて神事用だけでなく、織物や和紙の紙すきなどの技術を起こしたとして麻植神(おえのかみ)として各地で祀られています。

阿波忌部氏は古代より「神聖な仕事をする技術者」だったのです。

しかし、時代の流れで、終戦GHQにより、大麻取締法が出来た時、発祥の地である阿波(徳島県)も天皇即位の時の大麻畑しか栽培を認められず、昭和天皇の在位期間が64年間、平成天皇が30年間なので、その間の技術の継承がとても難しくなりました。

麻植郡も平成に美馬市吉野川市の2つの市に分かれてしまったので、令和天皇の即位の際は、美馬市側と吉野川市側と別々に資金を集め、それぞれ準備しており「麻植(おえ)」と言う重要な地名を無くしてしまった事で、日本の麻文化発祥の地としての一体感が無くなってしまった感じは、麻植の神も残念に思っている事でしょう。

今後、令和に続く新しい元号に向けての技術継承の難しさに阿波忌部も直面している。

難しい事を書きましたが、伝統技術だけではなく「おばあちゃんの代からのぬか床を引き継ぐ」とか「おじいちゃんから炭焼きやもみ殻のくん炭作りを教わる」とか、私達は身近な事からぜひ始めてみましょう。

今の日本政府は、残念ながら「人として大切な事」を見失っている。

私達、一人一人が先人から大切な事を学び、継承して後世に伝えてゆく事で、日本の素晴らしい文化や知恵を守ってゆきましょう。

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

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『上を向いて歩こう』

また水害で何人もの人が亡くなりましたね。

熊本は、地震・水害・コロナの三重苦ですね…。本当に大変だと思います。

今回の九州の水害被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。まだ梅雨の終盤の大雨が各地に降り続ける様なので、皆さんくれぐれもお気をつけください。

毎年、私は七夕が来ると二人の人に手を合わせます。

一人は、七夕が命日の故・永六輔さん。もう一人は、七夕が誕生日だった故・池林國男さん。

このお二人には、13年前に水害対策の防災船を造った時に大変お世話になりました。

永六輔さんは、皆さんもご存知の坂本九さんの「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」やドリフの「いい湯だな」や梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」や旅番組のテーマ曲「遠くへ行きたい」など数々の名曲を作詞された方で、放送作家・司会者としてラジオやテレビ放送の始まりからの草分け的存在でした。

特にラジオは東京放送(TBS)がラジオ東京だった時から、亡くなる直前までパーソナリティをやり続けて、ラジオをこよなく愛した方でした。

私は、TBSでラジオ・テレビ両方の仕事をしていたので、局内で永さんを見かける事は何度かありましたが、直接交流する様になるのは、それから10年以上経った30代の時からでした。

都内のあるホールに講演会を聞きに行った所、その司会をしていたのが永六輔さんでした。

講演会が終わって、ロビーに出演者の方と永さんが、大勢の方々に囲まれて、握手とサイン責めにあっていて、私は一瞬、永さんと目が合いました。すると、永さんは、人をかきわけて、こちらに向かって来ました。

そして「あなた何て名前?どこから来たの?何をしている人?」と早口で聞いて来ました。

当時は埼玉に移住して、衣食住のデザインやショップをやっていたので、チラシを見せてしばらくお話しをして「では、失礼します。」とエレベーターに乗った所、ファンの人が大勢待っているのに永さんがエレベーター乗り込んで来て、私の横に立ってまだ何か話したそうでした。結局、ホールの玄関まで、見送ってくださり、その日は東京の実家に泊まり、次の日埼玉に戻ると永六輔さんからもうお手紙が届いていました。「昨日は、来てくださりありがとうございました。」と言うお礼となぜ話しかけたかの理由が書かれていました。

永さんのご実家は浅草のお寺でご住職の息子さんだそうで、昔から霊的なものを感じるそうで、私に神がかったものを強く感じたそうで、「あなたは、神道系ですね。龍神も見えました。」と言われ、父方が代々神官で、宮司の祖父の後は、父は神官を継がずに父の弟(私の叔父)が継ぎ、龍神の宝を護って来た事や私が巫女体質でそれを強く引き継いでいる事など、お話ししました。

そうして、永さんとはしばらく手紙のやり取りが続きました。

水害対策の防災船を作ることになった経緯はとても不思議な話で、14年前のある朝、私は「水害が来るから船を作りなさい」と言う声で目覚めました。「水害?船?何のこと?」と思っていると、その日のうちにノアの方舟の物語や方舟の設計図や方舟がたどり着いたアララト山の舟形の跡の写真を私に届けに来る人が3人も現れました。

物語を見てみると"ある朝ノアが「水害が来るから船を作りなさい」という声で目覚める"という始まりでした。「あれ?今朝聞こえた言葉と同じ…これはご神託で私にやれと言っているのかもしれない…でもどうやって?木工は得意だけど、船なんて作ったことないし…お金は?場所は?人はどうやって集める?」

私は、宮大工の棟梁や国宝の修復を任されている木工家の方や今年亡くなった環境保護活動家のC・W・ニコルさんなど、自分の人脈で相談できる人にかたっぱしからあたっていた時に知人の紹介で池林國男さんと知り合いました。

池林さんは、東京の千代田区で出版デザインの会社をされていた方で、カヌーを作るのが趣味で、ちょうど大きな船が作りたいと思っていたところでした。

映画パイレーツ・オブ・カリビアンやアニメのワンピースなど海賊船ブームだった事もあり、子供たちとその親を集めて、埼玉の地元の木材を使って、水害対策の防災船を作ると言うような内容で、補助金を申請し、池林さんのおかげで、すべてが順調に進み、2年間の事業で50人ぐらい乗れる木造船(写真)を造りました。

船を完成させ、隅田川を子供たちと一緒に漕いで、浅草の吾妻橋ゴールのイベントを開きお披露目する事になり、永さんのラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で全面的に中継してくれて「今後の異常気象による大規模な水害に備えて欲しい!」と多くの人に伝え、ラジオの多くのリスナーが、隅田川の橋という橋に集まり、船に声援を送ってくれて、ゴールの吾妻橋では、東京消防庁の船2隻が放水して水のアーチをつくってくれてくぐってゴールしました。

池林さんは船の完成を見届けて、イベントの後に心筋梗塞で亡くなってしまいました。

その後私は、仕事で徳島県とご縁ができ、四国へ通うようになりました。池林さんが亡くなって2年目の命日に徳島県にいた私は、池林さんが香川県の琴平出身だったことを思い出し、金比羅山にお参りに行くことにしました。長い階段をひたすら上り、金刀比羅宮にたどり着いたときに、そこが船の神様の神社だったと気づきました!「あー!船を造りなさいと私に伝えた声は金比羅の神様で、琴平出身の池林さんを船を造るために私に出会わせてくれたのだ…」と思い、池林さんのご冥福を祈りながら手を合わせました。

池林さんが亡くなってしばらくして、東日本大震災が起こり、地震と大津波の大災害となりました。金比羅の神様からのご神託の通り、津波や線状降水帯の集中豪雨で川が氾濫したり、水害が毎年のように来るようになりました。

昔は、水害対策で家の梁に船を固定している家が多かったそうです。間伐材などで、船を造る事もこれからの時代必要になってくるかもしれません。そのためのシュミレーションだったのかも…。

東日本大震災の時も、今回のコロナの時も永六輔さんの「上を向いて歩こう」を多くの人が歌い継いでいますね。

全米ビルボードチャートで1位をとった時も、戦時中アメリカで辛く厳しい思いを経験していた日系人の多く人たちの心にあの歌詞が響いたそうです。メロディも素晴らしいので「SUKIYAKI」のタイトルで、日本語の歌詞のまま世界中で1位をとったのもうなずけますね。

やはりあの歌詞は、苦しい時に勇気を与えてくれる力がある永遠のメッセージです。

7月7日が誕生日の池林國男さん、命日の永六輔さん、本当にお世話になりました(^_^)

 

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『今、一番伝えたい事』

今年は、宇宙周期4の周期です。

宇宙周期とは、宇宙全体に周期的に作用するエネルギーで、もちろん地球全体に影響するエネルギーです。

4の周期は「現実を見つめること」が必要で、ふわふわした事を言っている場合ではなくシリアスな状況に地球全体が直面する年です。

個人レベルでも現実的に「今、何が起きているのか?」を見つめ、「今後何をすべきか?自分に出来る事は何か?」を見定めて、地に足をつけた地道な生き方が重要になる年です。

来年は「発展的な周期」なので、今年はしっかり、現実を見つめ、何をすべきか考え行動を起こし、来年は、それを発展的に飛躍する年になります。

こういう変化の時は、その人の意識が試される時です。今までの様な世の中では、なくなってくる。厳しい現実にも直面します。

だからって、落ち込む事ではなく、浮かれる事でもなく、それぞれが、しっかりと現実を見つめ「この現実から自分は何をすべきか…」まず立ち止まって静かに心の内に目を向けてみる。

自分がやっていた事が、とどこおったり、行き詰った時は、もしかしたら、見直したり、リセットする機会かもしれません。

それぞれ生まれ持っての役割や使命があり、やりたい事とやらなくてならない事はもしかしたら、違う事かもしれません。

私もそうでした。やりたい事は別にあった。

けど、やらなくてならない事のメッセージが次々に来て、それは自分がやりたかった事ではなくてもやらざるをえない状況になる。そうしているうちに自分の使命(天命)を知る事となる。生きるためにする仕事(表)と、生まれ持ったお役目の仕事(裏)は違っていい。

あわたまの仕事は表の仕事。生まれ持った使命(天命)のお役目は別にあり、それは、私だけが人知れずやらなくてはならない事。

皆さんも同じで、生きるためや家族を養うための表の仕事とそれぞれが生まれ持ったお役目は別にあったりする。それは自分がやりたい事ではなく、やらなくてならない事だとしても、それをやる勇気があるか試されます。

それに気づく時が今なのかもしれません。

気づいても無視して、表の自分のやりたい事だけを面白おかしくやって生きるのか、腹をくくって、気を入れて、裏のお役目にも一歩を踏み出すのか、それはあなた次第です。

世の中には、誰にわかってもらえずとも理解されずとも、世の為に人知れず、ずっと1人で動いている人がいる。表向きは、別の仕事をしているが、裏のお役目なので誰にも言えずとても孤独な作業だが、この先を先読みして、今やっておかなくてはならない事だったりする。

そうやって人々を救済するための準備を人知れずやっている人を私は何人か知っている。

そういう人は皆、一見地味で表に顔を出したりしない。それを阻止しようとする力(組織)に命を狙われたりするからだ。

こういう時代は、教祖的なカリスマがたくさん現れたりする。見た目もカリスマ性があり、人を惹きつけるようなワクワクする発言をし、メッセージ性もあるので、ファンは多い。人に憧れられ、魅力的な人。だから周りに人がたくさん集まって来る。そういう人達は、メッセンジャーとしてのお役目がある表の人だと思います。

それに対して、真に救済する裏の人は、地道に人知れず使命を果たすために裏で動き、その時が来るまで、コツコツとやり続け、誰にも理解されず、とても地味で誰にも気づかれず孤独なものです。

私のツアーに参加した事がある人は、感じたと思いますが、本当に重要な場所は、信じられないぐらい地味です。派手なパワースポット(表)は、本当に重要な場所(裏)を隠すために必要な場所なのです。人間も同じです。本物は地味で能力ゆえに孤独な孤高の人です。

でも表裏一体なので、どちらも必要だったりする。

この変革の時に自分の可能性を見つけてください。表の生きるための仕事と裏の自分が今世生まれてきた本当のお役目(使命)に気づいてください。

私のブログの「生きてきた土地のルーツを知る①②」に私の事を例えて書きましたが、あなたが生まれた場所や育った場所、働いた場所、これまで暮らした場所などは偶然ではなく意味があって導かれているので、その土地のルーツをたどってみるとキーワードが見えて来て、なぜそこに導かれたか、今世の使命は何なのか、しだいに見えて来ます。

そして「本当の豊かさとは何なのか?」今こそ考える時です。

お金がたくさんある事が幸せなのでしょうか?

お金はもしかしたら、ただの紙切れになる時代が来るかもしれません…。

友達がたくさんいる事が幸せなのでしょうか?

表面的な付き合いの友達ごっこより、少数でも腹をわって話せる人や見栄をはらずに自分の弱さをさらけ出せる人や相手を心配して心から叱ってくれる本当に大切な人が、1人でもいる事の方が幸せなのかもしれません…。

最先端の暮らしをする事が幸せなのでしょうか?

長崎にある軍艦島が海底炭鉱によるゴールドラッシュのように栄えていたピーク時の1960年代には、あの島が東京以上の人口密度で日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が密集し、電化製品もすべて揃い、当時の日本の最先端の暮らしでした。しかし、その後の時代の流れで、閉鎖され廃虚となった。

日本の産業革命の象徴として世界文化遺産に選ばれたが、あの廃虚群は文明の悲しい結末…

地球の未来かもしれない…。

何が本当に幸せなんでしょう?

私は、地に足をつけて、たんたんと生きる人が好きです。あなたは、どんな暮らしやどんな生き方が本当に豊かな暮らしだと思いますか?

他人をうらやんだり、嫉妬したり、人と自分を比べて落ち込んだり、上手くいかないと怒ったり、八つ当たりで人を傷つけたり、そういう事から、もう自分を解放して、現実としっかり向き合い、やるべき事をやってゆきましょう!

意識や生き方が変われは、暮らしも仕事も人間関係も変わってくる。新しいあなたにそぐわない物や人は離れてゆくかもしれませんが、それは仕方のない事なのです。

今年は、そういう年ですよ(^_^)

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

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『これからの暮らしや食と農を考える』

この数ヶ月間、ウィルスに対する反応は人それぞれでしたね。

新型ウィルスは、インフルエンザより感染力が高かったり、肺炎が急激に重症化したり、血栓が出来やすかったり、まだよくわからない事が多く、不安になった人が多かったと思いますが、自分は大丈夫と気にせずあえて行動する人、陰謀論をとなえる人、冷めた目で世の中を見る人、中には変わらずに普段通りの日常を過ごす人などなど。

私の暮らす山間部の過疎集落は高齢化率がとても高く、自分がウィルスを持ち込まない様に気を着けましたが、おじいさん・おばあさん達は、あまり気にしておらず、みんなで集まって草刈りやお掃除をしたり、農作業したり、普段と変わらない日常を過ごしており「こんな地方の山奥に感染が広がる頃には、日本中が感染しているよ」とお茶飲んで話している感じでした(^_^)

私も自然塾はお休みしたものの、山菜を収穫して「春の恵み便」を発送したり、薬草を収穫してお茶を作り、畑の準備・種まき・苗作りなど、ほとんどいつもの春と同じでした。コロナで薬草茶の注文が増えたり、あわたま山の山猫2匹が子猫を合わせて10匹も生んだので、少しあわただしい春でした。

東京で暮らす85才の母は、生まれつき心臓に疾患があり、家にいましたが、88才の父は現役で経理の仕事をしており、50年以上経理を任されている得意先の会社が東京のあちこちにあって、5月いっぱいまで法人の申告があるので、非常事態宣言が出て、自粛期間中も結局毎日、仕事で東京を動き回っていました。

「この時期に東京をウロウロしないで家にいて!」と言っても「仕事だ!」とコロナより仕事の責任を果たす事が重要な父でした。

それぞれの会社の資料やデータを持ち出す事は出来ないので、自分が出向くしかないそうです。88才でスマホも使ってLINEもやってますが、テレワークとか難しいのでしょうね…。

両親の側で暮らす、弟夫婦も医療従事者で毎日、院内感染リスクが高い中で働き、勤務中は乳児の子供を病院の中にある託児所に預けたり、時々高齢の母が預かったりしているので、コロナピーク時は、家族間感染が心配でしたが、のんびり田舎で暮らしている私が、東京の家族に出来る事は、身体に良い山菜や薬草茶を送ってあげる事ぐらいでした。

長年、北里大学病院で検査技士をしていた姉は、今は介護士として夫婦で長野県諏訪で老人達のシェアハウス施設を経営しており、お年寄り達と暮らしているので、最新の注意を払っていましたが、コロナを避けて大阪から移住してきたお年寄りもいたりして、忙しそうでした。

結局、私の家族は、コロナでも仕事も生活も何も変わらない日常を過ごし、むしろ少し忙しかったぐらいでした。

このコロナで、生活や仕事の環境がガラッと変わった人が多くいますよね。

フリーアナウンサーの方もご夫妻でコロナに感染し、幼いお子さんのお世話をどうするかという問題に直面されていましたが、ご家族に病気や疾患のある方やお年寄りがいる方や妊婦の方や乳幼児がいる方は、とても気を使われたと思いますし、家族間で感染した時どう対応したらよいか悩まれたでしょうね。

医療従事者の方々やそのご家族も毎日感染リスクにさらされて、肉体的にも精神的にも大変な日々だったと思います。

お店や会社を経営されている方々は、休業を余儀なくされて、維持するためにデリバリーや通販やテレワークなどいろいろ工夫してしのいだり、ご苦労も多かった事と思います。

SNSでも不安になる人や反対に楽観的に捉える人いろいろですね。

あわたまでは、今後を先読みして、どんな事態が起きても生き抜くすべを身につけて、対応する事だと思って活動しています。

『見極める力と先読みする力』でも書きましたが、今回のコロナでは、仕事の仕方や生活環境も見直す機会になりましたし、悪い事ばかりではなく、起こる出来事は必ず意味のある事で、考えざるを得ない機会を与えてもらっているのです。

今後繰り返し、今回の様な事が起きたり、それ以上の事が起こる事を想定して、どうすべきか考え、備えておけば、いざという時に慌てる事も不安になる事もなく、柔軟に対応する事が可能です。

そして、災害大国の日本は地震やこれから台風シーズンをむかえて、暴風や水害などで避難所に避難する機会もあるかもしれませんが、今回他国で自然災害による避難所でコロナウィルスの感染者が1人入ったら避難していた方の6割が感染し、複合災害になったとニュースで聞きましたが、そういう事も実際に起こってから慌てる事のない様に、これから先の感染症対策と自然災害時の分散避難の仕方も現実的に考えていく必要もあると感じました。

「他力より自力で生きる」でも書きましたが、他国や他人に依存する事より、自力で生きる力を身につける。

怖がらせたり、不安にさせるつもりはありませんが、現実的に今後を先読みすると、感染症だけでなく、年々、威力を増す台風の暴風雨被害、大雨による水害や逆に日照り続きによる干ばつ、火山の噴火により大気中の火山灰による日照不足や太陽の異変による日照不足で軽めの氷河期的状況など様々な異常気象によってもいずれ食糧危機が予想される。

とりあえず、今後の食糧難を見越して「自分で食べる物は少しずつでも自分で作る」事かとも思います。

もし今後、食糧の輸入や燃料の輸入がストップする事態が起きたとしたら、農業機器が動かせなくなると農家が生産できなくなり、ただでさえ国内自給率の低い日本は、たちまち食糧難になるでしょう。震災の時みたいにスーパーから食べ物が消えてしまう。

個人自給率を上げる事が重要!

ラクターなど農業機器がなくても、自分の手と足で、私は米作りをやっています。田植え前の田んぼの土と水を混ぜる代掻きでさえ、自分の足で踏み込んでやっています。それでもちゃんと立派な米は育ちます。

災害で断水して水が供給できなくても、水なしで栽培できる陸稲不耕起栽培で育てる実験もしています。土壌によっては不耕起栽培が向かない土地もあるでしょうが、実践できれば、今後の食料自給率の低下や耕作放棄地などの問題解決の糸口になるかもしれません。

野菜も意外と手軽にできる物から育ててみましょう!

ミニトマトは、脇芽を摘むたびに土に刺しておくと根が出て、繰り返し刺してゆくと1本の苗から20本に増やす事ができたりして、夏じゅう毎日トマトを食べられます(^_^)

農地がなくても大丈夫!私の義母は、岡山の街中で暮らしていますが、家と駐車場で敷地がいっぱいで、植物を育てるのが好きなのに、庭がないので、植木鉢やプランターで花やハーブや野菜をいたる所に置いて育てています。

義父が海釣りが趣味だった事もあり、30年くらい前から義母は、魚を入れる発泡スチロールをプランターにして、2階のベランダから1階の屋根の上にたくさん置いて、驚くほど多くの種類の野菜を立派に育てていました。今で言う「屋上菜園」の走りですが、普通の斜めの瓦屋根なので、屋根の上の発泡スチロールで立派なスイカがなったりしているのは不思議な光景でした。家族が食べる分の野菜をかなりまかなってました。今、義母は70代後半ですが、ずっと現役で看護師をやっており、コロナでも病院に勤めて忙しく働きながらも、土いじりはストレス解消だと言って、楽しそうに屋根で野菜を育てています。

どんな環境でも、どんなに忙しくても、ちょっとの努力と工夫をすれば野菜は育てられるのです。

写真は、私があわたまで取り組んでいる食と農です。上左からあわたま山の山菜・養蜂(日本ミツバチのハチミツ)・薬草のお茶作り・無農薬の季節の野菜・自家製の稲わらで作る納豆・くぬぎを切り出して菌を埋め込んで育てたしいたけとなめこ・除草剤を入れず手作業で安全な米作り・収穫した果実の酵素や保存食作りなどなど。

あわたま山の地主の78才の陶芸家・後藤田喜一さんが先生になって、あわたまに協力してくれているので、ここまでやっていますが、東京で生まれ育った私でも出来るのだから、みんな出来る!まずは、行動を起こす事ですよ。

私の好きな映画「リトルフォレスト」は、自給自足をたんたんと1人でやる女の子の話ですが、いろいろ参考になるのでオススメです!

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

お待ちしております!

(とても切実でぜひ話しを聞いてほしいと言う方の力になりたいので、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。)

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『他力より自力で生きる』

5月25日に緊急事態宣言が解除された。

「日本の新型コロナウイルス感染対策はことごとく見当違いに見えるが、結果的にはG7で最も死亡率を低く抑えた国であり、対応は奇妙にもうまくいっているようで不可解な謎だ。」と 新型コロナウイルスを抑え込んだかに見える日本の状況を、海外メディアは驚きと共に伝えている。強制力のない外出自粛やPCR検査数の少なさにもかかわらず、日本で感染が広がらなかったことに注目し、「不可解な謎」「成功物語」などと報じている。

WHOも、死者数を最小限に抑え、新型コロナウイルスの感染拡大防止に成功したと日本を評価した。

成功と言われて安倍首相は「日本の感染症への対応は、世界において卓越した模範である。まさに日本モデルの力を示したと思います」などと調子に乗った事を言っている。

いやいや、国民はあなたのリーダーとしての資質の無さと失敗の連続をしっかりと見ていましたから。

当初、クルーズ船での日本政府の明確な指針、方針が定まらぬ中の不手際の連続でドタバタして多くの感染者を出し、船内の惨状は外国人客らのSNSによって世界中に拡散され、まるで日本が感染症の発生源であるかのようなニュースが世界を駆け巡った事。

お隣の台湾では、昨年末の12月31日には国民に注意喚起を行い、同時に、武漢からの帰国便に対する検疫官の機内立ち入り検査、空港等での入国時の検疫強化を指示し、即実行している。

しかし日本では、1月6日に注意を呼びかけたものの、オリンピック開催や来日予定だった中国の習近平に配慮して、厚労省が「ヒトからヒトへの感染リスクは比較的低い」などとコメントして、中国からの検疫強化をせず、台湾に比べて初動対応が大幅に遅れた結果、中国から観光ツアー客などが多く来日し、東京など首都圏や大阪・京都・北海道など観光地に感染拡大した事。台湾の様に早期対応していれば、感染拡大やその後の自粛を最小限に抑え、皆が経済的に追い込まれる事を防げた。

37.5℃以上の発熱が4日以上続くなど、新型コロナウイルス感染の疑いがある症状が生じていても、感染の有無を調べる「PCR検査」を受けさせてもらえない!という声が患者から上がり、現場の医師たちからは「これまで何人も、感染の疑いがある患者を検査してもらおうと保健所に相談したが、ほとんど受けられていない。」など検査数の少なさを指摘されるも、いっこうに改善されず、検査待ちで自宅待機している人が重症化したり、死亡したりと犠牲者が多数でた結果に対しての厚生労働大臣の5月8日の記者会見で「相談目安の37.5度以上の熱が4日は誤解であった。目安であって基準ではない。」などと責任逃れとも思えるような発言をして、検査待ちをしながら亡くなった方々の遺族や国民から非難を浴びた事。

安倍首相の肝いりの対策として、布マスクを配ることを4月1日に発表し、郵送費を含めて約466億円かかることが発覚し批判を浴びて、後日90億円程度と修正され、何をどうしたら、こんなに金額が変わってくるのか不信感しかない「アベノマスク」は、カビなどの不良品が大量に発覚したことから、慌てて検品を依頼し、その検品費用が8億円とさらに多額の税金が投入されている。

一般社会では、不良品の場合、回収や検品費用は、納品業者が責任を持つのが当然なのだが、そんな費用も全部税金を使って国が支払うのであれば、不良品を納品した業者(政府と繋がりの深い)を儲けさせているだけである。

5月25日の時点で届いたのは2割ほどでほとんどの国民にまだ届いていない。(昨日、徳島の山奥に届きました。)

日本製の3層フィルターマスクが5枚入りで100円で徳島で昨日買いましたが、市販のマスクが出回り始めている現時点で今さらその多額の税金がかかる布マスクを欲しいと思う国民はいるのだろうか?それにかかる費用を経済的に追い込まれている国民に支援金として回すべきではないかと思うが、支援金を支払いたくないのが見え見えで、諸外国では、コロナウィルスによって突然、生活の糧を絶たれた国民にスピード感を持って支援金を支払っている。

ドイツのメルケル首相は、ドイツ国民のみならず、外国からの労働者にも多額の支援金を支払っている。ドイツ滞在で働く日本人も「とてもわかりやすい申請方法で2日後には、60万円振り込まれて、とても助かった」と素早い対応に喜んでいた。

日本は給付金を決めるのも遅く、ドイツに比べたら雀の涙の国民に一律10万円を支給する「特別定額給付金」が決まってからもオンライン申請などにも問題が多く、今だに国民のかなりの人が受け取れていないのが現状。(徳島県吉野川市は昨日振り込まれていました。)

自粛した店舗に対する休業協力金もなかなか支払われない様だし、安倍政権の対策はどれもこれも何のスピード感もなく、後手後手で、緊急を要する国民の助けになる動きになっていない。支援金が支払われない割に自動車税法人税など各税金の支払い期限を見直す事などなく、請求はやって来る。皆が大変な思いをして支払っている税金はそれぞれ有効に使うのなら納得もいくが、不透明な使いみちやアベノマスクとかトランプから「人工呼吸器を作りすぎて困ってる」と電話で言われて「不足はしていないが、予備があるに越した事は無い」と1000台程度の購入の約束をしたりとか、税金を自分のポケットマネーと勘違いしているのではないかと思うほど、簡単に使う安倍首相の感覚を本当に疑問に思う。

このすべての日本政府の対応を「世界において卓越した模範である。」と言い切ってしまう安倍首相には、失笑しかない。

こんなリーダーを持った日本国民は不幸であるが、この人を政治家として支持して選んでしまったのも、多くの日本国民なので、そのつけが今回コロナ対策の失策と経済危機として国民に返ってきたのだと反省し、今後は、政治家としての資質を見極めて、選挙で選ばないと自分達がえらい目に合うと、今回の痛い思いから国民は学ばなくてはならない。

そうでなければ、今回政府の対応の遅れで、重症化して亡くなった方々や経営が回らなくなって自殺された方々など犠牲になった命が浮かばれない…。

今回、G7で最も死亡率が低くかったのは、安倍政権の手柄でも何でもなく、諸外国が分析する様に、日本人の衛生意識の高さ(こまめな手洗い・日常的なマスク着用)や握手をしない習慣や日本の医療制度などが死者数の低さにつながっているとの見解ももちろんあるが、私が2月からFacebookやブログでも再三伝えて来ているが、日本人の古来からの食文化(海苔や昆布などの海藻類や緑茶のカテキンなど)がコロナウィルスに有効性があり、そういう食文化から日本人にしかない消化酵素や腸内細菌などがあるとアメリカ・イギリス・インドなどの医学論文や研究結果からも実証されている。(その割には、海外メディアは「謎だ」としか言っていないが…)歴史的に見ても100年前のスペイン風の時も世界の中でも日本人の死亡率はやはり低かった。

今回のコロナで、日本をはじめ世界中が中国製のマスクを取り合った。フランスの政治家が「中国に発注していたマスクをアメリカに横取りされた」と話し、アメリカの高官が否定するなどマスクの横取り疑惑まで起きました。

医療現場で不足した医療用マスク・ガウン・フェイスシールドなども、おそらく中国など海外製だったのでしょう。

今回のウィルスの様に短期間で世界的大流行になり、世界中が国交断絶する事態が起こると医療用品に限らず輸入に頼っている物が不足する事態が起こる。「他人(国)任せにすること」のつけがまわってきてから、とりあえず代用品を手作りしたり、慌てて国内の異業社が作るというドタバタ劇が今回起こった。

日本はいつから「他人任せ」の国になったのだろう…。

かつての日本は「ものづくり大国」と呼ばれ、日本人の手先の器用さや精密で丁寧な仕事は、世界中から高く評価され、アイデアや発明をする力も優れており「Made in Japan」マークがついた日本製は世界で信頼される人気のブランドであった。

しかし大量に作って、それを安い価格で大量に売る時代が来て、人件費や原料費の安い海外に生産工場を作るようになってから、ものづくりは海外に依存し、日本の国内メーカーの製品でも日本国内で作られる事は少なくなった。

海外輸入品にシェアを奪われている現状で、日本の中小製造業が衰退していった…。

食料品も輸入品が多く、国内で消費された食料のうち、国産の占める割合である「食料自給率」は、先進国で最も低い。

今後を先読みすると今回の様な感染症地震・水害・台風被害・火山噴火など様々な天変地異が次々に起こってくる。

追い詰められ、行き詰まった時に、ずっと人に頼ってはいられないので、自分で生きる力「自力」を身につける必要がある。

「自分の身は自分で守るしかない」のだ。

今こそが大きな成長と自己革新の時で、『他力より自力で生きる』事を学ぶタイミングです。

自らの意識が変わった時、初めて次の一歩が踏み出せる。行動を起こしましょう(^_^)

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

お待ちしております!

(とても深刻でぜひ話しを聞いてほしいと言う方の力になりたいので、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。)

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