『美しい星』

ウィルス感染拡大・水害と何でこんなに各県や医療現場そして災害被災地は、混乱しているのに、国会を閉じたままで、各県の現場任せで国として具体的なこの先の対策を決めていかないのだろう…。もはや理解不能である。

多くの国民の経済がひっ迫している中、政治家達の高額な給料が税金から支払われているのだから、ちゃんとやるべき事をやってもらわないと、税金の無駄使いでしかない。

75年前の8月のこの時期は、広島・長崎に核爆弾が投下され、地球人類史上初の核兵器によって一般市民が大量虐殺された、忘れてはならない悲惨な出来事の時です。

前回のブログでジョンレノンがオノヨーコと「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れていた事に触れましたが、実は日本のある有名作家も反戦核廃絶のメッセージを残して亡くなっています。

皆さんは、作家・三島由紀夫が1冊だけSF的小説を書いている事をご存知ですか?

タイトルは「美しい星」。

日本の埼玉県飯能市が舞台で、ここに暮らすある一家が、飯能のあちこちでそれぞれ空飛ぶ円盤(UFO)に遭遇して、自分達が地球とは別の天体(火星・水星・木星・金星)からそれぞれ飛来した宇宙人であるという意識に目覚め、この美しい星「地球」を守るために核兵器を持った人類に警告を発してゆく…というストーリーです。

三島由紀夫といえば、ノーベル文学賞の候補にも上がった世界的な文豪で「ミシマ文学」として、世界にファンが多い作家ですが、最近公開された、TBSだけが持つ貴重な三島由紀夫のスクープ映像を映画化した「三島由紀夫vs東大全共闘」でも見られる様に、晩年は政治的な傾向を強め、民兵組織「楯の会」を結成。

1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)に立てこもり、バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。

享年45歳だった。

この一件は社会に大きな衝撃を与え、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与え、三島由紀夫に右翼的なイメージが色濃く残った。

そんな三島由紀夫がなぜ「美しい星」というSF的小説を1冊だけ書いたのでしょうか?

新潮文庫から出版されている三島由紀夫「美しい星」の最後に書かれた解説や三島の創作ノートにその意図が書かれていた。

三島由紀夫は、二十歳の時に広島・長崎の原子爆弾投下・日本の敗戦を体験し、その目で世界の崩壊、人生の終末を見た。戦時下に二十代での死を宿命として感じていたこの世代は、

「戦争とは何か?人間とは何か?生とは何か?死とは何か?」を問い続け、敗戦により、全てが崩壊したその原体験から、「世界崩壊と人類滅亡」について考えを深める様になった。

昭和36年「美しい星」執筆当時のアメリカとソビエトによる東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の不安・世界終末観を背景に、その当時、作家仲間の影響で三島は空飛ぶ円盤(UFO)に異常なほど興味を示し、円盤観測の会に参加し、宇宙人の宇宙的観点から見た地球人類の物語を描いた。

人間を地球に住む人類として客観的に眺め、そこから自由に地球人の運命を論じることができる。

核兵器と言う人類を滅亡させる最終兵器を自らの手で作り出した現代と言う状況を踏まえて、人類の存在の根源と地球人の生存と滅亡を問いた。この小説は三島由紀夫による、人類へのメッセージである。

三島由紀夫美輪明宏永六輔霊性の高い長年の友人で、永さんの話しによると三島由紀夫が小説を書いている時、美輪明宏が霊視すると霊が取り憑いて文章を書かせている事があり、書き直したくても、そうさせない力が働いたりしたそうです。

美輪さんは「日本の美意識のレベルの高さ、三島さんがおっしゃってたことは、あらゆる芸術作品は霊格が高くなければならないとおっしゃってたんですよ。スピリチュアルのね、霊格が高いものでないと本物の芸術とはいえない。

今に日本はとんでもない時代になるよって言ってたんですね。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。」と語っている。三島は霊視で先読みしていたのだ。

この小説の舞台になった埼玉県飯能は、私が20代半ばから40代半ばまで、御神託により導かれ、何度引っ越そうとしても、

「おまえは、ここでまだやる事がある」という声が何度も聞こえ、何かをやらざるを得ない状況になり、私は毎日の様に御神託が降りて来て、実際にUFOも何度も見た、チャンネルと波動が合う場所です。

三島由紀夫も霊力でそれを感じていたのでしょう。埼玉県飯能に「空飛ぶ円盤観測」によく来ていて、美しい星の創作ノートには、飯能の街をくまなく調査しており、私が30代に10年間経営していた、薬草オーガニックカフェの周辺も小説にたくさん出てきた。

当時私は、文部科学省の助成を受けて、定期的にテーマを決めて歴史ツアーをやっており、「三島由紀夫の小説・美しい星の舞台をバスで巡るツアー」を企画して、ネットで参加者を募集した所、たくさんの応募がありました。

純文学である「ミシマ文学」の根強いファンには、異色小説「美しい星」は受け入れがたい人が多く、また逆に「美しい星」の熱烈的なファンも多くいるので、その熱烈的なファンの方々の多くが参加されました。

その参加者の中になんと「楯の会」の中心的メンバーで生き残った方もいて、三島が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をする直前に三島本人から受け取った手紙を持ってきて私に見せてくれました。その手紙は、三島の直筆で

「○○君、きみは、生き残って、この地球の行く末を見届けてほしい…。そして、将来この地球のためになる事をやってくれ。」と言う様な事が書かれており、あんな壮絶な最後を遂げた事で右翼的なイメージが国民に印象づいてしまったけど、彼は、この地球の未来を先読みして案ずる、やはりとても霊性の高い方だったのだと思います。

その手紙を受け取った、元・楯の会の方は、三島の遺言通り、今は水質汚染を改善して水の星地球を浄化する活動をされています。

最後に霊能者・出口王仁三郎の元で裏神業をし続けた京都に住む96才のおばあさんに3年前にお会いして、彼女に広島原爆投下の日の話をお聞きしましたので、お伝えします。
彼女は、生まれ育った京都から広島の神主さんに嫁ぎ、広島の田舎町に住んでいました。
近所に住む大工さんが広島市内にお仕事で行っており、市内を案内してくれるとの事で昭和20年8月6日の朝に広島駅行きの登り列車を待っていると遠くが光りキノコ雲が見え、そのまま登りの列車は止まってしまいました。しばらく待っていると下りの列車が来て、そこから降りて来たのは、血まみれの人、皮膚が焼けただれてぶら下がっている人、黒焦げの人…瀕死の状態で列車で逃げて来た人達でした。看護婦だった彼女は、そこからは被爆者の看護にあたる日々だったそうです。
1本前の列車に乗っていたら、自分も原爆投下の広島市内にいたかと思うと人ごとではなかったと言ってました。

唯一の被爆国として核兵器禁止条約に署名しない日本政府は本当に理解しがたい。
こんな事を繰り返してはいけないと日本人は世界に伝える役目があるし、各国のリーダー達が目を覚まして欲しいものです。 
今の自国主義で独裁的な国のトップが集まる世の中に危機感を感じています。

三島由紀夫が危惧した「世界崩壊と人類滅亡」に向かわない事を祈ります。

 

私は仕事で個人セッション(カウンセリング)をしています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろです。

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