『見極める力と先読みする力』

今回のコロナは、結果的に「健康面」でも「経済面」でも世界中に大きな影響を与え、考える機会も与えた。(良い意味でも悪い意味でも。)

この世に起こる事は「人為的な物」であろうと「自然発生的な物」であろうと、必ず意味がある。

メディアは「表」で起きている事を伝え、ネットでは「裏」で起きている陰謀論的な内容が多く伝えられている。人を不安にして惑わせる情報も多いので、すべてをまともに受け止めていたら、「精神的」にも「身体的」にも疲れ果ててしまう。

“やっかいな世の中“になって来ているのは事実なので、『見極める力』を養う事が大切です。

「今、何が起きているのか」を表と裏から冷静に読み解く事が必要です。

感情的になりすぎると、かたよった見方をしてしまうので、心を落ち着かせて、冷静に起きている出来事を見る。

人の意見に踊らされる事なく、自分の良い悪いの観念や評価もなく、ただ事実だけを見る。

“自分の良い悪いの観念“とは、親や教師など子供の頃から身近にいた人だったり、育った環境だったり、体験した出来事からだったりの影響がとても大きく、それを基準に物事を判断するとかたよっている場合が多いので、それは置いといて、心をフラットにして、ただ「現在」起こっている事実だけを評価なく見る事が大切です。そうしていると自分の内なる感覚が研ぎ澄まされ、見えてくる物がある。

そして歴史は繰り返されているので「過去」の出来事から先人達はどうやって困難を乗り越えてきたのかを知る事。

そこから『先読み』してゆく。

これから先に起こる事を読み解く力を『先読み』といい「未来」を予測する力であります。

それは、これまでのブログにも書きましたが、

サヌキ性(男性性)の「分析する能力」とアワ性(女性性)の「感覚的な能力」の両方をバランス良く使うと良いでしょう。

「分析する能力」とは、歴史的な過去の出来事や現在の専門的なデータなどを参考にして分析し、この先の未来に起こるであろう事を予測してゆく事。

「感覚的な能力」とは、人間の五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)をフルに使い、さらに第六感(シックスセンス)という五感以外の感知能力(危険などを察知したり、地磁気や電磁波などを感知する能力など)を使って先読みする事。

第六感は、超能力ではなく、動物や人間に備わっているはずの感覚なのですが、それが衰えている人が多い。その感覚を研ぎ澄ませるには、『不自然な生き方から自然な生き方へ』でも書きましたが「自然な生き方」にシフトしてゆく必要がある。

今回のコロナウィルス感染状況でもわかる様に経済発展で人口が密集し、観光客も多く訪れる所ほど、感染が広がっているが、それは人の移動が多いからだけでなく、「けがれてしまっている」からもある。「けがれる」とは、汚れていると言う意味だけでなく「気が枯れる」と意味もある。良い気が枯れて、淀んでいる。なので、感覚的な能力も枯れて、淀む。

私は、その事を子供の頃に気づき、生まれ育った東京にこのまま住んでいると「気が枯れる」と思い、定期的に知床や屋久島に通って、エネルギーを充電した。そして、御神託により、埼玉の山奥に導かれ、徳島の山奥に導かれた。東京にいる時よりも感覚的な能力(特に第六感)が研ぎ澄まされている。

今後を先読みすると今回のようなウィルス感染症や蚊による伝染病(デング熱マラリアなど)が増えてくるので、今回、コロナの感染が高かった大都市に暮らす人は、分散する必要性を感じる。

密集すれば、経済は発展するが、その分、気が枯れて、知らず知らずのうちにストレスも溜まり、心身共にエネルギーを喪失し、感染症で亡くなるリスクも高まる。

今後を真剣に先読みした人から地方の過疎の地域に移住している。

今、都会に生き苦しさを感じている方は、自然環境の良い所に移住する良い機会かもしれません。今回のコロナで仕事の仕方や環境も見直す機会になりましたし、悪い事ばかりではなく、起こる出来事は必ず意味のある事で、考えざるを得ない機会を与えてもらっているのです。

「現在」起こっている事実から、「過去」を振り返り、「未来」を読み解く事。そして、陰と陽、表と裏、サヌキ性とアワ性などバランスを取る事も大切です。

 

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『困難を極めた時のリーダーの資質』

昨年11月末に「もう本当の事を皆に伝えてよい。厳しい事も皆に伝えなさい。皆が目を覚まして腹をくくる時が来た。」と御神託を受け取ったので、ブログを開設して伝え始めた。

年が明け、1月中頃から、中国で謎の肺炎が発生しているニュースが伝わり、この数ヶ月であっという間に新型肺炎ウィルスが世界に広がっていった。

実は、昨年に「困難な状況でオリンピックはなくなる」と先読みし、身近な人には「オリンピックムードで盛り上がっている所、不謹慎なので大きな声で言えないけど、2020年オリンピックは開催されないと思う…。また大規模な自然災害が起こるのでは…。」と話していましたがまさか、ウィルスによって延期になるとまでは予想していなかった。

世界中で多くのイベントや伝統的な祭りも中止になっている。(残念ながら徳島の阿波踊りも中止です。)

今回の新型コロナウイルスの世界的大流行で、女性リーダーの国、ドイツ・台湾・アイスランドニュージーランドフィンランドデンマークがこの危機の中で真のリーダーシップを発揮し、世界に対して模範を示したと評価されている。「女性には混乱に対処する能力がある」と今、世界が称賛していますが、これには、明確な理由がある。

以前、私のブログの「巫女体質」でも書きましたが、古代の神代文字カタカムナ文字で書かれた古文書「カタカムナ文献」には「サヌキ・アワ」という言葉がたくさん出てきます。

サヌキとは男性の本性(陽エネルギー)を表し、目的に向かって突き進む力。現実化させる力。自己中心性。動物的な攻撃性。

アワとは女性の本性(陰エネルギー)を表し、生み出し育てる力。柔軟性があり、受容する力。植物的な環境適応性。

という特性があり、世界の多くの男性リーダーは、サヌキ性の特性から、これまで自国のために経済を発展させる事に突き進み、現実化させてきたので、今回のコロナ対策では、経済を優先させるあまり、初動対応が遅れ、感染拡大した。

対して、女性リーダーは、アワ性の特性から、母親が子供や家族を守るように、経済より人命を優先し、危機に対して柔軟に判断して、迅速な対応した。

お隣り台湾の女性リーダーは、最初の兆候が現れた1月時点で、世界で最も早期に今後を先読みして、感染拡大防止に向けスピード感を持って柔軟に対応を始めた。結果的に国民の生命を守り、医療機関を守り、他の国々で取られたような封鎖措置を回避した事で経済も守った。

我が国のリーダーは?

安倍首相は、サヌキ性の特性のまま、経済を優先し、初動対応が遅れ、後手後手の対応と的外れな対策で、感染を拡大させ、国民を心身共に不安にさせ、医療機関も崩壊しつつあり、自粛により、経済も皆追いつめられている。

同じウィルスの対応にリーダーの違いで、これだけ真逆の結果になる。

すべての人にサヌキ性とアワ性両方備わっており、女性リーダー達は一般の女性よりもサヌキ性が強い。政治の世界は最も男性社会なので、通常はサヌキ性全開で向かわないと国のトップは務まらない。

ウィルスなど命に関わる時は、人命を優先し、迅速かつ柔軟なアワ性の対応で向き合い、終息宣言後は、経済を立て直すという目的に向かって、実行力を持って突き進むサヌキ性を持って実現させる。

時と場合に応じて、臨機応変にサヌキ量とアワ量の使う分量をコントロールできるのが、これからのリーダーには求められる。

ここからは、日本人のある素晴らしい男性リーダーのお話です。

私が関東で本業の空間デザイン・施工の仕事をしていた時、友人がオープンする「酵素玄米菜食のカフェ」を限られた金額で、内装・外装・家具・照明・看板・菜園・ハーブガーデンまで全部を私一人で造った事があり、そこのお店のお客様の遠藤さんという方からご連絡をいただき、「自然素材を使ったアート的な空間がとても気に入ったので、我が家もリフォームして欲しい!」とご依頼をいただきました。

縄文好きで自然栽培の農業を趣味でやるご主人のために縄文をイメージした自然素材の外壁・庭・ウッドデッキ・農作業の用の小屋・駐車場・ご主人の書斎のリフォームを奥さんから依頼を受け、デザイン・施工させていただきました。

ある日、テレビの「ありえへん∞世界」という美輪明宏さんが出ている番組で「異色の日銀マンと呼ばれた日本銀行 神戸支店長・遠藤勝裕」というタイトルでその遠藤さんのご主人の活躍を紹介する特集番組を見て、全てに驚愕した。(遠藤さんが日銀にお勤めなのは知っていたが…)

遠藤さんが高校2年生の時、人生を左右する城山三郎の著書「小説 日本銀行」という1冊の本と出会う。それは若手日銀マンが戦後のインフレに苦しむ貧しい人々の為、何ができるかを考え奮闘する物語。

「日銀に入って困っている人々を救いたい」その思いを胸に晴れて憧れの日銀へ入行。初心を忘れずに、仕事に打ち込んだ。日銀の同僚だった奥様(私にリフォームを依頼してきた)とご結婚された。

1991年、日銀青森支店長の時、いわゆる「りんご台風」という呼び名がついた瞬間最大風速60メートル近い暴風を伴い台風19号津軽地方を襲った。数十万本ものりんごの木が倒れ、収穫間近だったりんごが軒並み落下、量にして388,000t、金額に換算すると741億円におよぶ甚大な被害に見舞われた。

台風一過の朝、遠藤さんは、いてもたってもいられず、日銀の業務を逸脱し、各農家をまわり被害状況を確認し、落ちたりんごを回収して工場に手配してジュースにして日銀関係者で販売支援して、さらに宅配業者に支援をお願いして、大型トラックに落ちたりんごを積み込み、新鮮なうちに東京に運び、りんご農家の人達を引き連れて、銀座で自ら袋詰めして無料で配布しながら、青森のりんご被害状況を伝え、マスコミにも取り上げてもらい、落ちて多少傷ついたりんごを支援として買ってほしい!とアピールして各デパートに販売交渉して、農家を励ました。

遠藤さんの行動により、支援で落ちたりんごやジュースが売れ、災害保険も出て、農家の人達の助けとなった。

また台風の風に耐えたりんごの木は、古い木が倒れて間引きされた事により、翌年たくさんの実を着けて豊作だったために前年の負債の補填が出来た。

1994年、遠藤さんは日銀神戸支店長に就任し、翌年1995年1月17日、阪神・淡路大震災を経験する。遠藤さんの脳裏には、ロサンゼルス地震で起きた生活物資を強奪し合う金融パニックが浮かんだ。

「皆にお金が渡るような環境を迅速に整え、金融パニックを絶対に防いでみせる!」

そう決意した遠藤さんはある行動を起こした。建物自体が潰れてしまい、物理的に業務を行えない銀行の為に、建物が無事だった日銀神戸支店の中に、14の銀行の手書きの張り紙の臨時窓口を開設した。それは戦後 日銀初めての事だった。

お金をおろしたくても火事や建物の倒壊で、通帳や印鑑を無くした人々が数多くいて、お金をおろす事が出来ない人々の為に、遠藤さんは【金融特別措置】を独自の判断で出した。

遠藤さんが実際に手書きで書いた【金融特別措置】の1行目には、“預金証書や通帳を紛失した場合でも預金者であることを確認して払い戻しに応じること”。「通帳も印鑑も身分証明書も何もない場合は、口頭での確認もその相手を信じて応じてくれ」と各銀行に訴えた。

「もし嘘をつかれたらどうするんですか?」という質問に「義援金だと思って渡してあげて下さい!」

こうした遠藤さんの柔軟で迅速な型破りの行動は、日銀内部からは問題視されたが、そのおかげで、神戸は震災時にお金の面で大きな混乱が起こる事はなかった。

その様子をNHKが全国的に中継し、それを見た青森のりんご農家の人達が、「りんご台風の時に助けてくれた日銀青森支店長の遠藤さんが、今度は、神戸支店長として、震災にあった神戸の人達を助けている!我々も恩返しで支援しよう!」とたくさんのりんごとジュースを神戸の被災者に配り、現地に災害ボランティアで駆けつけて、遠藤さんの勇気ある行動で助けられた人々が繋がった。

遠藤さんの青森・神戸での行動は、新聞・雑誌に掲載され、書籍になり、各テレビ局が紹介し、NHKが再現番組を作って、全世界で放送され、海外からも「彼こそ、真のリーダーだ!」と称賛され、産油国の国王が、遠藤さんに会いに来日して、天皇や総理大臣よりも一番に遠藤さんに会いに日銀を訪ねてきて、一緒にりんごの木を植樹したそうです。

そんな方とは何も知らずに、リフォームしている間、遠藤さんの事を無農薬で野菜を作るおじさん(日銀にお勤めだとは知ってました)だと思っていた私は、遠藤さんの好きな青森ひばの良い香りの木の机や本棚を作り書斎を木の空間にして、窓の外の庭には、縄文のストーンサークルをイメージした空間に遠藤さんの好きな縄文の女神アラハバキ神(遮光器土偶)の祭壇を作ったり、外壁には、遺跡発掘をイメージした、陶器のかけらをモザイクしたり、遊び心のある空間を作って、とても喜んでいただきました(^_^)

遠藤さんの様に見た目は一見地味だけど、危機的な状況の時に、柔軟性を持って困っている人々のために迅速に行動を出来る人こそが、本物のカリスマだと思いました。(見た目倒しの口ばかりの偽カリスマが多いので騙されないでね!)

困難を極めた時に真のリーダーの資質が見えてくる。今回のコロナ騒動は、世界のリーダーの資質を浮き彫りにした。

最後に私が今暮らしている、徳島の山奥の小さな集落出身で阿波忌部の故・後藤田正晴氏は、

カミソリ後藤田」とよばれ、内閣官房長官・副総理など数々歴任して、厳しい目で首相を見つめ、首相の暴走を止めてきた。「総理になって欲しい」との期待の声が良くあがったが、

「“床の間”を背にしてすわる人物には、おのずと格というものがある。私はその器にあらず」と断っていた。

さて、安倍総理は、その器にあるのでしょうか?

今回のコロナの安倍総理の対応を皆さんは、リーダーの器にありと評価されますか?

 

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『不自然な生き方から自然な生き方へ』

前回の「生と死を考える」でも書いた様に、人はある日突然亡くなったりする。いつどうなってもいい様にスッキリと身軽にしておく年かも…今年は、おそらく肺炎騒ぎが長引きそうなので(第2波・第3波と続く)、一度リセットして身辺を見直す年かもと最近考えております。

今回の世界を巻き込んだコロナ騒ぎは、いろいろ噂されている様に、世界を支配しようとしている人間達の策略かもしれない。

恐怖をあおって、人々をマインドコントロールし、解毒剤(ワクチン)を用意して、それを打たないと助からないと人々に思わせ、解毒剤という「毒薬」を体内に入れさせて、人々の身体もコントロールする…。

しかし、例えそれが真実だとしても、彼らすらも将棋の駒のひとつとして、目に見えない大いなる力(私は宇宙の意思と呼んでいます)に動かされている。

何の為に?それは、不自然な生き方をしている人間社会に目を覚まさせるためでしょう。

地球はこれまでに何度も警告を発していた。

異常気象による、水害や干ばつ・自然発火の山火事・竜巻き・巨大ハリケーン(大型台風)、それに地震津波も…。

それでも人間は経済を発展させる事を優先し、

常に世界のどこかで戦争し、大気を汚染し、放射能で土地や海を汚染し…。

地球が悲鳴を上げて、つい先日には、南極で気温20℃を記録した…。永久凍土が溶け始め、もの凄いスピードで氷山が溶け出し、今後、洪水で低い土地が水没してくるでしょう。

また、異常気象の影響か、アフリカで何十億匹も大量発生しているバッタの大群がアフリカの各地域の農作物を食べ尽くしながら移動し、海を越えて中東、さらにインドや中国に迫っている。(もう到達し始めているとも言われている。)これによって食糧不足が懸念され、コロナウィルスに続くもう一つの危機と考えられる。

世界が食糧不足になり、各国が自国を守るために輸出をストップし始めたら、自給率が低く、輸入に頼っている日本は、ひとたまりもない。あっという間に食糧飢饉になるでしょう。(今、バッタの被害にあったアフリカ諸国がその状態になっています。)

さらにもし原油の輸出もストップしたら、燃料によって動いている工場の機械・重機・飛行機・車・トラクターなどの農業器機もすべて動かせず経済が止まる。

今回、コロナウィルスの蔓延で世界のかなりの地域で経済が止まって、大気汚染も一時的に止まり、空気が澄んだ事で、インドでヒマラヤ山脈が見えたり、世界のあちこちで、星がきれいに見えたり、本来なら見えるはずのものが、大気汚染によって見えていなかった事に気づかされた。地球が肺炎になっていたのを今回、新型肺炎という形で我々人類に気付かせようとしたのだと思う。この警告を無視するのか?

私達は、地球の悲鳴や警告をこれ以上無視し続けたら、もっとひどい形で淘汰される。

今、自分に出来る事は何か?をそれぞれ考え、自分さえよければいいではなく、出来る事から行動を起こし、そこから得た経験や良い情報は皆でシェアして共有して、知恵を出しあって、これから起こるであろう危機を乗り越えなければならない。ここまで、壊してしまったのは、私達人類なのだから、やるしかないです。

30年前の1990年に「TBS宇宙プロジェクト」に美術スタッフで私もかかわりましたが、これはソビエトの宇宙船ソユーズで宇宙に特派員を送り、宇宙からリアルタイムの地球を中継するプロジェクトでTBS記者の秋山豊寛さんが日本人初の宇宙飛行士として、宇宙から地球を何周もして中継しました。宇宙から見る日本は、写真の様に深夜でもくっきり列島の形がわかるぐらい電気の明かりで光輝いていました。他の国は、首都など大都市だけは明るかったけど、それ以外は暗かった。アメリカもソビエトも中国もヨーロッパも。日本だけ国の形がわかるぐらい明るかった。原子力発電の電気を使って、深夜まで光る日本は地球で最も不自然な国に感じました。その下の写真は、昨年の秋に日本の各地に大水害をもたらした時の衛星写真です。雲がまるで龍の様に伸びており、日本に大雨をもたらせた。

今、不自然な生き方をして来たつけが、人類に様々な形で返ってきていると感じます。自然な生き方へ出来る事からシフトしてゆきましょう。

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『生と死を考える』

毎年、3月の桜の季節になると、私は"生と死"について考える。

2000年の今日3月31日は、夫の命日です。

桜が満開だったのに突然の大雪が降り、故郷に郷帰りしていた夫が車で出かけたまま突然帰らぬ人となった。まだ30才だった…。

当日、私は埼玉の自分の店にいて、アルバイトしてくれていた女の子と「3月のこの時期にこんな大雪が降ると桜が散っちゃうね…」と言いながら、桜に積もる雪を眺めていたら、何故かすごく悲しくなって涙が出た。

後ろに誰かがいる様な気がして、何度も後ろを振り返っていると、バイトの子に「後ろになにかあるのですか?」と聞かれ「いや。気のせいみたい…」と話していたが、後でわかったのですが、もうその時は夫は亡くなっていて、私に会いに来てくれていたのだと思う…。

あれから20年。私はずっと夫の姓・奧野を名乗っている。

2009年3月19日には、御神託で水害対策の大型木造船を2年かけて一緒に造ってくれた恩あるℹ︎さんが船を造り終わってしばらくして、心臓疾患で突然亡くなった。

2日前まで一緒に食事して、楽しそうにお酒を飲んでいたのに…。

2011年3月11日には、東日本大震災地震津波で多くの人が亡くなった。2週間後、東北に物資を運んで、車で走っていると、あまりの突然の死を受け入れられない魂がたくさん、さまよっているのがわかった。車を止めては、お線香をあげて手を合わせた。

また昨日、新型コロナウィルスで志村けんさんが3月29日亡くなったという訃報が伝わった。

私がTBSの美術部でセットデザイナーをしていた時、私の教育係をしてくれていたのが「8時だョ!全員集合」のセットをデザインしていたY課長だった。子供の頃から「8時だョ!全員集合」のいろんな仕掛けがあるセットが大好きで、TBSの面接でもその話をしたぐらいだったので、Y課長から当時の苦労したエピソードやドリフターズメンバーの楽しいエピソードをたくさん聞いていた。その頃は全員集合の後番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が撮影されていたので、局内でお見かけしたり、仕事でご一緒した事もあった。大好きな芸人さんだったので、コロナウィルスで亡くなるなんて、本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

つい最近まで元気だった人でも、ある日突然、人は死んでしまう…。

また逆に、私の周りで死を回避した人も何人もいます。

1985年8月12日の日航機墜落事故の時、私の知人は、大阪に単身赴任している旦那さんに会いに幼い娘を連れて、毎週羽田から大阪まで飛行機で通っていた。その日も羽田の日航カウンターで搭乗手続きをしようとした所、幼い娘が「この飛行機に乗りたくない!」と言い出し、泣き叫んで、床に寝そべりバタバタ暴れだしたので、仕方なくチケットをキャンセルして、新幹線で大阪に向かったところ、その乗る予定だった日航機が墜落した。乗っていたら命はなかった…。

1995年1月17日阪神淡路大震災が発生した。私の親戚は、兵庫県の西宮に住んでおり、テレビの映像でそのあたりは壊滅していたので、電話したけどもちろんつながらず、家族で心配していたところ、何週間かして、その親戚から「震災の数日前に急に和歌山県の古民家に引っ越したので、助かった。住んでいた西宮の家は壊滅していた…危なかった。」と連絡があった。

1995年3月20日オウム地下鉄サリン事件が起きた。

当日、私の父は地下鉄の北千住駅で列に並んでいたが、ふとスポーツ新聞を買おうと思い、売店で新聞を買い、1本後の電車に乗った。すると途中の駅で電車が止まり「1本前の電車の車内で何かあったようです」とアナウンスが流れた。父が乗るはずだった1本前の電車にサリンが撒かれたのだ。スポーツ新聞を買おうと思わなかったら、巻き込まれていたかもしれない。

そういうエピソードはまだたくさんある。

人間には、第六感(シックスセンス)と言うものがあり、五感以上の特殊な感覚で危険などを察知する能力が備わっているが、その第六感が働くか働かないかで、生死を分ける。生きるか死ぬかは紙一重なのである。

12年前に知人の書の先生より頂いた額(写真)に

「明日死ぬかもしれないし

百まで生きるかもしれないし

食べたいものは食べておこう

逢いたい人には逢っておこう

行きたい所には行っておこう

したいことはしておこう

明日死ぬかもしれないから」

ある落書きより…と書かれていた。

ほんとにそうだなぁと思います。

今、元気な私達もいつ死ぬかわからない。

日々を大切に過ごさなければならないなと思います。

2011年8月7日(旧暦7月7日)に奈良県天川村天河大弁財天社の七夕神事で毎年行われる亡くなった方々の供養に参加しました。この七夕神事は、映画ガイアシンフォニーでも何度か取り上げられており、当日は龍村監督やアラスカのシャーマンのボブ・サムも参加されていました。その年の3月に東日本大震災があったので、参加者も多く、私も夫と木造船でお世話になったℹ︎さんの灯籠を用意して参加しました。

神事の最中に突然、集中豪雨になり、上流のダムがいっぱいになったため放流したところ、天川がみるみる増水しました。

夜に灯籠流しが行われる予定で私も皆さんと待機していら「もう水はたくさん!水はたくさん!」と私の頭の中に聞こえてきました。

東日本大震災津波で亡くなった方々が自分の灯籠を水に流して欲しくないと訴えてきた。水害で亡くなった人達が水に対する恐怖を持ったままさまよっているのだ。結局、増水して危険なので灯籠流しは中止になりました。

天河大弁財天社の前にある香道神社に祀られている、般若心経の故・橘香道先生の書式の写経は「生けとし生けるものが無事に次の世に行く」強力な呪文で亡くなった人の供養や水・土・空気を浄化する力がある。

翌日の朝、天川の川原でたくさんの灯籠と全国から集まった般若心経の写経を一斉に燃やした。私もたくさん写経をして持って行き、夫とℹ︎さんの灯籠と一緒に燃やした。すると、灯籠と写経が燃えた煙と共に、灰が朝日を浴びてキラキラと美しく輝きながら、まっすぐ天に登っていった。それを見て「ああ!皆さんが成仏して天に帰っていった!」と思い涙が出ました。

天河大弁財天社宮司さんも「灯籠流しが出来なかったのは、七夕神事始まって以来初めての事ですが、今年は震災の水害で亡くなった方々の灯籠がたくさんあったので、水に流すより、お焚き上げして供養する方が良かったのですね。これで良かったのです。」とおっしゃって、その場にいた皆が納得しました。

今年も世界中で新型コロナウィルスで大勢の方々が亡くなっています。

明日は我が身かもしれません。

今、自分に出来る事を一生懸命やりましょう。

 

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『9年前の日記より・人生最悪のバースデー』

2011年3月15日は、早朝に福島原発で最後の水素爆発があり、むき出しになった格納容器から直接、最も大量の放射性物質が放出され、南向きの風に乗って関東地方へ拡散した。

人生最悪のバースデーになった…。

震災から9年目にして初めて、当時の体調を記録した日記の内容や東北に物資を届けて見てきた光景をお伝えします。

子供の頃から動物的本能と五感が鋭いので、大きな地震が来るのは、体感でわかる事が多かった。

2月半ばすぎから異常な電磁波を何度も体感し「これは巨大地震の前兆だ…」と感じた。

当時、埼玉県のときがわ町の銘木家具展示場の一画に薬草カフェを建てて、そこに来るお客さん達に「近いうちにどこかに巨大地震が来るかも知れないので、念のため備えていて。」と連日伝え、自分の体調などを記録するため日記をつけた。

3月に入り、日記には「今日も電磁波が強い。下から突き上げる感じもする。迫ってきている。」と書かれており、前日の3月10日は強力電磁波による頭痛とめまいと倦怠感で寝込み、日記には「しんどくて動けない。身体が自分の身体ではないようだ。おそらく明日、日本のどこかで大変な事になる…」と書いてました。

翌3月11日に東日本大震災が起こり、津波が東北各地と福島原発を襲ったあの時、日本は、大地震・大津波原発事故という、同時多発の困難を経験した。

地震津波はこれまでの日本の歴史でも繰り返し経験させられてきているが、原発事故はかつて経験した事ない脅威的な出来事だった。

11日の日記には「やはり、巨大地震が起きた。東北から関東にかけて被害が大きい。津波が各地を襲っている。大変な事になった…」と書かれており、地震福島原発は電力を失い、予備電源も津波によって失い、冷却水を送れずに、炉芯が溶け出し、12日にメルトダウン、1号機で溜まった水素による最初の水素爆発を起こした。

12日の日記には「おかしい。身体中にアリが何かの熱を発しながらはっているようだ。一体何が起きているのか…」と書かれていた。

福島原発で水素爆発が起こった報道があったのはだいぶ時間が経った夜の事で、爆発直後に大量に大気中に放出された放射性物質がすでに関東地方まで飛ばされて来て、身体がキャッチしていた。

13日の日記「のどが燃えるように熱い。違和感があり、食べ物がのどを通らない…。」

14日に3号機が水素爆発。

その日の日記は「のどが熱く、水分も飲み込めなくなってきた。身体の中をアリがうごめいているようだ…」

そして私の誕生日の15日早朝、水素爆発によって4号機の使用済燃料プールがむき出しになり、大量の放射性物質が放出された。

地震津波で電力を失い、冷却水を送り込めず、消防車で注水していたが、それも燃料切れで止まってしまい、高濃度の放射能の中で海水ポンプを人力で復旧させると報道され、いてもたってもいられなくなり、ときがわ町にある、縄文の女神アラハバキのエネルギーが集まる、萩日吉神社に行って、父の生家の神社のお札を置いて、そこから父の神社の御神体に祈りのエネルギーを送りました。

その御神体龍神の最も高次の神通力で水を自由にあやつる事ができる宝で、私は「福島の原子炉建屋に海水を注水して冷却してください。これ以上の悲惨な事態を食い止めてください!」と御神体にエネルギーを送りながら、1時間くらい大祓詞をとなえ続けました。すると「回復する…」と御神託が降りてきて、父の神社のお札が、スッと賽銭箱に吸い込まれました。

「冷却水が注水される…核爆発は回避できる」ほっとして家に帰った。

強力な放射性物質は風向きで関東に流れて来ており、かなり被ばくしたらしく、家に帰ったら、嘔吐と下痢がひどく、鼻血が出ました。

日記には「嘔吐と下痢が止まらない。鼻血も出た。放射能がキツい。でも原子炉に海水が注水出来たようだ。良かった…」と書かれていました。

偶然、私は毎日オーガニックのスピルリナの青汁を飲んでいたのですが、スピルリナとは、藻の一種でヨウ素を含むので、チェルノブイリ原発事故の時も被ばく症状がとても回復した。放射性物質の排出では、チェルノブイリで被ばくした子供達に炭の粉を食事に入れて食べさせた所、子供達の体内からは放射性物質は検出されず、排泄物から検出された。つまり、炭が放射性物質を吸着して排出したのです。

炭は昔から毒素や化学物質・コレラ菌赤痢菌などの菌やウィルスを吸着して体外に排出してくれるので、私も麻炭の粉を水に入れて飲み、放射性物質を排出しました。(今もコロナウィルス対策で時々、水に麻炭の粉を入れて飲んでいます。)

その後、建築仲間の大工の棟梁のご実家が、岩手の大船渡で、津波で道路も壊滅して物資が届いていないらしく、物資の支援を呼びかけたら、多くの女性たちが動いてくれて関東中から食料・衣類・防寒着・毛布・おむつ・下着・日用品などもの凄い量集まり、家具展示場の2階の体育館の様な広さがいっぱいになりました。震災から2週間で現地の仮設道路を自衛隊が作ってくれたので、棟梁のトラックと私が運転する大型車に物資を詰め込んで、手に入らないガソリンも皆さんが容器に買い集めて来てくれて、車に積んで、パーキングでガソリンを補給しながら、東北自動車道を走りました。

福島は原発事故からまだ2週間で立ち入りが制限されたので通過して、まず岩手の大船渡に行き、物資が届いていない集落に届けました。

写真はその時の大船渡の様子です。家がたくさん海の中に流され、屋根だけが見えていたり、船が高台に打ち上げられていたり、街が壊滅していました。

物資の中で一番喜ばれたのが、無農薬の野菜でした。避難所生活で、おにぎり・パン・カップ麺などばかりでビタミン不足なっており、野菜がとても喜ばれました。

大船渡から陸前高田に移動して愕然としました。あそこは地形の関係で、津波の高さが40〜50メートルはあったと思います。山の相当上の方まで、網や浮きがからんでいました。「あんな高さまで津波が来たら逃げようがない…」

その後も気仙沼・仙台・石巻・女川とあちこちに移動しましたが、津波が内陸何キロも川をさかのぼって、川沿いの集落が壊滅していました。

すざましい光景を見続けて、とても辛く、泣きながら運転していました。物資を届けつつ、亡くなった方にお線香をあげて手を合わせました。

埼玉に戻ってから、家具展示場の2階で残りの物資を関東に避難して来ている人達に呼びかけて、差し上げました。赤ちゃんや高齢者がいる家族は、避難所に入りにくく、親戚や空き家に避難して来ていたので、支援物資を受け取る事が出来ていませんでした。

「埼玉のときがわに行くと赤ちゃん用品や日用品がタダで受け取れるらしい」と避難者の人達の間で話題になり、関東のあちこちから大勢の人が物資を取りに来ました。

福島原発が建つ双葉町の方々も集団で埼玉に避難していたので、私の所に生活用品を取りに来ました。お話しすると「放射能で土地も海も汚染されて、復興しようがない」と皆さん涙ながらに悔しがっていました。漁師だった人は「津波で家も船も流されて、放射能で汚染された故郷には帰れない…あの海でもう漁は出来ない」と男泣きしていました。せつなかったです。

残った物は販売してお金にして、義援金にしました。

数ヶ月後、岩手の大船渡の人達から荷物が送られて来ました。「中古の船を買って、震災後、初めて漁に出てとれたサンマです。物資を集めてくれた皆さんで食べてください。」と書かれていました。

2011年は、あまりの出来事に普通に生活が出来ずに、般若心経の先生と地震や土地を沈めにあちこちを旅したり、亡くなった方々の供養の旅をして過ごしました。もの凄い1年でした。

震災も疫病も人間達に目を覚まさせる警告でしょうね。生き方を見直す時だと思います。

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『地震・水害・疫病を生き抜く』

日本の風土記を読むと、いつの時代にも火山の噴火や地震津波や川の氾濫による洪水、天災による飢饉や今回の様に伝染する疫病などを繰り返し経験している。

その苦難を生き抜いてきた先人達の子孫である私達は、もっとその知恵やメッセージを受け取る必要があると思います。

3.11の東日本大震災から9年ですが、あの津波が襲った青森・岩手・宮城・福島の海岸沿いには、縄文時代貝塚跡が数多く点在しており、震災後調査した所、沿岸の貝塚でそのほとんどが津波の被害を逃れでいた。

縄文時代の集落の大半は、地図上では海の近くだが、標高50メートル以上の高台に位置していた。津波自体の最高波高が30メートル、波が陸上を駆け上がった遡上高が40メートル前後であったから、ほとんどの貝塚群はそれより高台にあり津波の被害を受けていなかったのである。
これは偶然ではなく、1万年以上続いた縄文時代に、東日本大震災規模の津波が10回あったことが確認されており、単純計算で1000年に1回の割合ですが、おそらく縄文人たちは、過去の津波の記憶をしっかりと後の世代に継承し、その最も高位地に集落・貝塚を構えたと考えられます。

これはすごい事です。貝塚が出来るほど魚貝類を食べていたのであれば、海の側に住居を構える方が便利が良い。だけど、不便でもあえて魚貝類を担いで50メートルも高台の住居まで運んでいたとしたら、過去の自然災害による被害を伝承し、強い危機意識を持ち、先人の教えを守っていた縄文人は、海沿いに原発をたくさん建てる現代人よりもとても優れていると言える。

その様に自分の住んでいる場所の遺跡や地層を調べたり、風土記などの古文書を読んで歴史を調べてゆくと、いつの時代にどれ位の規模で火山の噴火や地震津波や川の氾濫があったか記録が残っていたりするので、過去の自然災害の被害を把握して、住む場所や避難経路を検討すると縄文人の危機意識に近づけると思います。

20年くらい前にガイアシンフォニーの龍村監督と少しお話しする機会があり「地球の温暖化についてはどう思いますか?」と質問した所、「縄文に戻るだけだよ」と言って笑っていた。その時は「なるほど縄文ね」と思ったけど、後からよくよく考えると「いやいや、縄文時代って東京は海の中だから!」って家に帰って一人で突っ込んだ。

縄文期は埼玉の川越あたりから陸地が始まり、東京や大阪など海沿いの低い土地はほとんど海に水没している。

27年前、東京から埼玉の秩父にほど近い山奥に引っ越した時、不思議に思ったのが地名で「浜居場」「四海橋」「中海戸」「下海戸」海の無い埼玉の山の奥地なのに海に関係する地名がついているのはなぜ?と思い秩父長瀞の自然博物館に行って納得した。

縄文以前の関東の陸地は埼玉の標高の高い所から始まり、東京湾はなく「秩父湾」があり「秩父クジラ」と言って、秩父湾にはクジラや巨大サメがたくさん泳いでおり、発掘された骨格が展示されていた。それどころか、秩父にはサンゴ礁跡まであり、縄文よりもっと古い時代は、今より相当温暖な気候で、サンゴ礁が美しい海だったのだ。

「埼玉にサンゴ礁?」その恩恵が日本の高度成長期を支えた「秩父セメント」だ。セメントの原料になる石灰岩はサンゴや貝などの海中生物が体積した物で、秩父の造山活動で隆起して石灰岩の山になっている。それをダイナマイトで崩して、東京のビル群や高速道路などができている。しかし、このまま急速な温暖化が進み、縄文の気候に近づいてゆけば、海面上昇から、東京をはじめ、海沿いの県の低い土地は水没する。関東地方の縄文の貝塚を調べると内陸奥深くに分布する。これは、縄文時代に海がそこまであった事を現している。

このことから、縄文の貝塚や集落跡の位置を調べると、今後、温暖化の海面上昇で水没していく場所や津波に安全な場所や地震に強い地盤の場所が見えてくると思います。

疫病もこのまま急速な温暖化が進めば、日本は熱帯性の気候になり、蚊が媒介するデング熱マラリアなどの伝染病が発生しやすくなる可能性があります。

新型肺炎ウィルスが世界中に広がっていますが、前回の『先人の知恵から衣食住を見直す』でも書きましたが、日本人が古来から食べている海藻類が「C型肝炎ウイルス重症急性呼吸器症候群SARS)ウイルス、 エボラウイルス感染症への感染が抑制された。」としてアメリカの国立衛生研究所の医学論文に書かれ、アメリカ保健福祉省が成分の特許を申請したそうです。SARSもコロナウィルスですから、今回のは新型ですが、試してみるのも良いかと思います。

食生活の変化で肉食が増え、海藻類・魚介類・みそ汁・ぬか漬け・梅干し・玄米ごはんという昔ながらの食事を食べなくなった日本人が多いですが、そういうシンプルな食事が、体温を上げ、免疫力を高めるので、子供達に日本人の食の継承として、3食のうち1食はそういう食事にしてみる事をオススメします!

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)も仕事として再開しました。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろありましたが、とても深刻でぜひ話しを聞いてほしいと言う方の力になりたいので、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

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『先人の知恵から衣食住を見直す」

新型コロナウィルスで世界中が、大騒ぎになっていますが、今から100年前のいわゆる「スペイン風邪」と呼ばれたパンデミックを起こした新型インフルエンザは、世界人口の3分の 1である約 5億人が感染して、死亡者数は全世界で 5,000万人とも言われていて、感染した人の約10%が死亡した。なのに何故か日本では、死亡率は約1%ぐらいだった。

なぜ日本人は死亡率が極端に低かったのか?

その答えは、日本人が古来から食べている食にあった。昔ながらの日本人の食事は、玄米ごはん・みそ汁・焼き魚・ぬか漬け・梅干し・納豆などのシンプルな和食ですが、そういった食事がとても体温を上げ、免疫力を高める。そして麹菌・乳酸菌・酵母菌などを多く含む発酵食品や海苔・昆布・わかめ・もずく・ひじき・寒天・トコロテンなど海藻類を多く食べている事がウィルスによる重症化を防いだようです。

アメリ国立衛生研究所の医学論文によると、「海藻由来のフコイダン(海藻のヌルヌル成分)は肺炎や気管支炎の症状を抑制する」そして、岩のりやてんぐさ(寒天・トコロテンの材料)の紅藻は「抗ウィルス作用」があり、ウィルスに感染しにくくなり「C型肝炎ウイルス感染、重症急性呼吸器症候群SARS)ウイルス感染、 エボラウイルス感染症への感染が抑制された。」としてアメリカ保健福祉省が、この紅藻から抽出される成分の特許を申請したそうです。

つまり、当時の日本人は、そういった海藻類や抗菌力のある梅干しや味噌・漬物・納豆など発酵食品を含む食事を日常的に食べていたので、免疫力が高く、ウィルスに強かった事が重症化を防いで、死亡率の低下に繋がったのだと思います。

日本の昔ながらの食事が病気に有効であるもう一つの例を紹介します。

10年以上前、埼玉県の秩父にほど近い山暮らしをしていた時、近くにあった古民家カフェをやっている友人に「ガイアシンフォニー第3番」のDVDを貸してあげました。

この映画は「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考えのドキュメンタリー映画シリーズで、第3番は、撮影直前に不慮の事故で亡くなった日本人カメラマンの故・星野道夫のアラスカでの暮らしや親交の深かった友人達との交流を壮大なアラスカの自然と共に映像で紹介している。

その映画の中での重要なシーンに星野道夫の友人達が集まり、アラスカ先住民の神話の語りべであるシャーマンのボブ・サムが、ワタリガラスの神話を語るのですが、私はそれを友人に見せたくてDVDを貸した所、不思議な事に「引き寄せの法則」が働き、1ヵ月後、その埼玉の友人の古民家カフェにアラスカのシャーマンのボブ・サム本人がやって来ました!私もお会いしてお話ししました。

ボブ・サムはガイアシンフォニーに出演した時よりだいぶ痩せて、小さく見えました。

お話しを聞いた所、ボブの母や妹はガンで亡くなり、ボブ自身も皮膚ガンを患っていた時にアラスカを旅していた日本人の女性に出会い、彼女からのすすめで日本の自然療法である、里芋パスターや生姜湿布を皮膚ガンの患部に当て、玄米菜食の昔ながらの日本食を食べていた所、ガンが良くなっていったそうで、それ以来ずっと玄米ごはんにみそ汁に漬物というシンプルな和食を食べていたら、体重も減ってスリムになり、体調も良いそうです。「自然を敬い、共存すること、不自然な食事から本来の食事に戻ることが大切。」と話しており、彼を救った日本人女性が、その古民家カフェの友人と繋がりがあり、突然訪ねてきたのでした。

次の日、埼玉の三峯神社がある聖なる山・三峰山をボブ・サムと一緒に登り、山頂の磐座で映画ガイアシンフォニーのシーンと同じ、アラスカのワタリガラスの神話を語ってくれ、自然と涙が出て止まりませんでした。

山頂付近で一緒に玄米の梅干し入りおにぎりを食べましたが、ボブが日本語で「玄米おにぎり美味しい!」と言いながら、感謝して食べている姿は日本人そのものでした。

これは余談ですが、数年後に奈良県天河大弁財天社でまたしてもばったりボブ・サムと再会しました。東日本の震災後、恩がある日本を巡って、大切なお話しをしているのだそうです。どうもご縁がある方で、ガンを克服して元気そうでした。私の父の実家が神社で古事記日本書紀に出てくる日本の神話に深い関係があり、その神話をボブに話したら「それとよく似た神話がアラスカにもあるよ」というお話しをしました。

埼玉に住んでいる時、私の本業である空間や家具のデザインや施工を地元の西川材という木材を使ってやっていたのですが、ハウスメーカーが建てた家の新建材から出る化学物質で苦しんでる人がとても多く、なんとかしてあげたいと思い、日本人の昔ながらの暮らしに馴染みのある自然素材(木・土・石・和紙・草・布)を使って、薬草の発酵液で化学物質を無毒化して、安全に暮らせるようにリフォームをしていました。しかし、化学物質過敏症やアレルギーに一度なると、空間を自然素材で直しただけでは、身体は完全には元に戻らず、やはり衣・食・住の全てを見直す必要がある事に気づき、その後、薬草オーガニックカフェをやって、そこで草木染めの自然素材の服を販売したりもしていました。

その後、徳島県とご縁があり、移住して、無農薬の野菜やお米を作ったり、大麻(おおあさ)の布の服を阿波の発酵藍「すくも」の藍染で染めた組み合わせが「着る薬」と言うぐらい、人間の免疫力や治癒力を高める事を知り、インナーを作ったりと、先人の知恵から学んだ衣・食・住を実践してみました。

写真は、徳島での私の暮らしの様子です。

地震・水害・疫病など次々に厄災が起こって来ますが、先人の知恵から、今の自分達の住まいや暮らしや食生活や着るものなどを見直すよい機会かもしれませんね(^_^)

私に真剣に相談したい方に限定して、個人セッションを行なっています。ご希望の方はFacebookメッセンジャーで「個人セッション希望」とご連絡下さい。

(興味本位やひやかしの方はお断りします。)

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