『自分の痛みを知り、人の痛みを知る』

先日、俳優の三浦春馬さんが自ら命を絶つという悲しい出来事がありましたね…。

私も過去に大切な友人を同じように亡くした経験があります。亡くなる数日前に電話をもらい「どうした…?ちょっと元気がないね…。」と言いつつ、たわいもない話しをして電話を切った。「あの時、もっと突っ込んで、話しを聞いてあげればよかった…」と後で悔やんでも、時すでに遅し…ただ深い悲しみだけが残る。

日本の自殺率は、3万人を超えていた一時期と比べると減少してきたが、まだ深刻な状況で、昨年は2万人ほどの人が命を絶った。

先進国で最悪の自殺率です。

私も死にたくなった事や死にそうになった事は、人生で何度かあった。

以前、80代の巫女体質(霊媒師)の方にお会いした時に「あなたは、子供の頃から普通は見えないものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、周りから理解されずに、辛い目にたくさん合って、本当に苦労したわね…私も同じだったから、よくわかるわ…。」と初対面で言われて、おもわず涙した事があります。

ブログの『巫女体質』でも書きましたが、日本のシャーマニズムのユタ・ノロ・イタコなど霊媒体質の女性は、幼い頃に「巫病」という、死の淵を彷徨うような病を経験させられ、霊力を周りから理解されずに監禁されたり、虐待を受けたり、そんな環境下に身を置いてしまうことがよくあります。

私もそうでした。幼い時に巫病で死にかけ、完全看護の病院に半年間閉じこめられた後、いろんなものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、先ほどの霊媒師の方の様に、同じ体質同士であれば理解し合える部分がありますが、ほとんどの方からすると、まったく理解することができず「頭がおかしい」と思われ、周りから気違い扱いをされ、同級生からはいじめられ、学校の先生からは酷い虐待を受けたり、親姉弟からも理解されず、周囲に誰も理解者がいなかった。

一般的な環境で育った巫女体質の人間は、自分の感じ方や物の見方がおかしいのだと言うことを周囲により徹底的に叩き込まれるプロセスがはじまります。

そのプロセスのあまりの辛さに、その間は自分の生きている意味が分からなくなり、人生から希望が少しずつ消えていきます。

「自分はおかしいんだ。」

「何かが見えたとか聞こえたと周りに伝えたらとても恐ろしい目にあう」

という思いが潜在意識の深い場所に刻み込まれていき、「生まれてきてはいけなかったのではないか」と死さえ考える事もあります。

巫女体質(霊媒体質)の人は、幼い頃にそうやって、巫女としての目覚めを促す辛い体験をいくつもして、自分自身が巫女であることを自覚し、周りからほとんど理解されずとも、心の奥底に深い孤独感を持った状態で生きていきますが、繰り返し起こる、そういった辛い経験さえも、必要なプロセスで修行だったりします。

自ら経験をする事で、病気で苦しんでいる人・いじめにあっている人・虐待にあっている人・差別を受けている人の辛さや苦しみが理解できる。たくさん傷ついてきたから人の痛みがわかることもあるのです。

ユタ・ノロ・イタコなど日本のシャーマニズムの巫女達は、壮絶な人生を体験してきている人が多い。そうやって、厳しい修行をさせられて巫女となり、人々を救済する。

時々「私も巫女なんです!」とお気軽な感じで言ってくる人がいますが、本当の巫女体質の人は、壮絶な体験をしてきているので、すぐにわかります。

20代の時に、文化村オーチャードホールで東京フィルハーモニー楽団とある音楽家の方のコンサートを見に行きましたが、コンサート終了後、その音楽家の方のスタッフに呼び止められ、その方の所に連れて行かれました。

そして会うなり「あなた何て名前?どこから来たの?何している人?」と聞かれました。

後に30代の時に永六輔さんからも全く同じ事を聞かれたのですが、その方もインドのあるマスターの元で修行し、霊性が開眼して、ステージの上から私が見えたそうです。

その方の音楽は、当時テレビやラジオのテーマソングとして様々な曲が毎日のように流れており、ヒーリングミュージックやヒーラーとしてミュージックセラピー療法をやっている方でした。(現在は、音楽活動はお休みされています)

芸術に力を入れて、美術館や音楽堂を作ったりしており、芸術系の学校でずっと学んで来た私に手伝ってほしいと依頼され、一時期お手伝いして事があります。

その方がロサンゼルスに住んでいた頃、ある霊性の高いセラピストの方の個人セッションとセラピーのプログラムを受けたそうです。

それは、自分でも気付かない心の奥底にある思いや、閉ざしてしまっている心の傷を引き出して、目をそむけて来た事やふたをしてきた出来事と真剣に向き合い、その思いや出来事を本当に抱きしめ、本気で受け止めるという、自分の根幹に直面するかなり覚悟のいるもので、それを受けて彼は、生き方が変わり、音楽も変わったという。

そこで全く同じプログラムをあのジョン・レノンも受けて、自分の根幹に直面し、ショックで崩れ落ち、直後に書いた曲が、あの名曲「Imagine(イマジン)」なのだそうです。

Imagine(=想像してごらん) という歌い出しが印象的な「平和や人類愛」を歌った曲ですが、

彼がそのセラピーで自分の痛みを知り、辛い体験にふたをして来た事に真剣に向き合って、初めてあの曲が生まれた。

ジョンは幼い頃に両親が離別し、一時はジョンを取り合いしていた両親に結局は捨てられ母親の姉に育てられる。育ての母は、ジョンを育てる事に責任を感じ、努めて厳格に育てたという。そんな母にジョンは反発もせず、終生育ての母を愛したという。しかし、生みの母が交通事故で死亡し、この悲劇は、ジョンの人格形成に大きな影を落とした。
ジョンは寂しさを紛らわし、自己の欲求を満たす為、ロックンロールに傾倒していき、学校でも札付きのワルになってゆく。

しかしその後、ポール・マッカートニーと出会い、仲間とビートルズを結成して、大成功を収める事になる。しかし、大成功を収めても彼の心は満たされる事はなかった。

美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人の影響で、ジョンは日本や東洋文化に興味を持ち、禅や空の概念に強い好奇心を寄せていて、これを色濃く反映させた小野洋子のアートに強い興味を示し、小野洋子の個展に出かけたのが二人の出会いだった。

その後、ジョンはしばらくインドで修行して、妻と離婚して、小野洋子と二人で「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れてゆく。

しかし、ジョンがセラピーのプログラムで、自分の心の深くと向き合い、溜まっていた鎮圧を解放した時に「自分の内側に戦争はあった…」と泣き崩れたそうです。

そうして、本当の自分の痛みを知り、人の痛みを知った時に素直な気持ちで書いた曲「Imagine(イマジン)」は、人々の心に響く名曲となり、9.11アメリ同時多発テロの後には、アメリカのラジオ局にリクエストが殺到し、今回のコロナでも世界中で歌われた。

今私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事のひとつとしてやっております。15年くらい前までは「人の助けになるのなら」とお金をもらわずに来る人を見てあげていました。しかしタダなら見てほしいという人が殺到し、パワースポットにも案内してくれと集団で押しかけてくる人も絶えず、対応していて疲れ果てました。

最初に紹介した霊性の高い年配の巫女の方から「貴方は、過去世も今世もとても修行して学んで来ており、皆に伝えるお役目もあるので、ちゃんと仕事として、個人セッションをしなさい。タダだから来る人は、人の時間とエネルギーを奪う(テイクする)テイカーです。与える人ギバーにはなれません。テイカーは、感謝の気持ちもない。振り回されて疲れ果てるだけです。なので、テイカーと距離を置く意味でも、対応に見合った報酬は頂くことにしなさい。

そして、貴方の薬草の知恵は皆を病から救い、貴方の作る物は、皆に喜ばれる物なので、どんどん作りなさい。」と言われ、日中は、農作業や物作りに専念して、個人セッションは、夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろありましたが、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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