『政治家の劣化』

安倍政権の終息は、突然やってきた。

長期政権の腐敗。もり・かけ・桜と総理大臣の不透明な金の流れの詳細は、トップの顔色を伺い忖度する政治家達や官僚達によって、公文書の改ざんや証拠隠滅され続け、その事で悩んで精神を病み、自殺する人まで出した。

「安倍さん、ご病気でお気の毒…」などと、テレビの街頭インタビューで言っている人が多くいるが、安倍総理の個人的で不透明なお金の問題で、上層部から命令され、尻ぬぐいに奔走させられ、体調を崩したり、自殺に追い込まれた人達の方がよっぽど気の毒である。

もっと早く退陣する機会は何度もあったが、隠ぺいしてまで見苦しいほどに首相の座にしがみつき、首相連続在任期間が、大叔父である佐藤栄作の記録を抜き歴代1位になった頃合いに以前からの持病悪化を理由に辞めた。

国民からしたら、記録なんてどうだってよいのだが、歴史に名を残したい彼にとっては、記録更新は重要な事なのだろう…。

国のリーダーたる者は、災害や疫病やどんな有事にも迅速に対応出来るだけの危機管理能力は、必要であり、普通の政治家と違い、首相とは、国や国民の代表であるのだから、命がけでやるぐらいの覚悟が必要であるが、世界を見ても権力思考が強く、独裁的な人間がトップに立っている事が多い…残念な事です。

以前、池上彰さんが「菅官房長官は、安倍総理のいいなりで、昔の後藤田正晴官房長官の様に総理にはっきりものが言え、総理の暴走を食い止めるぐらいの人物ではない。」

と言っていたが、安倍総理に代わる次期総理を選出する、今の動きを見ても、安倍氏や麻生氏に都合がよくいいなりになる、言わば「飼い犬」を次期総理にする動きがあからさまに見られる。

菅氏は「安倍政権の継承」を掲げているが、安倍総理・麻生副総理・今回立候補している岸田氏と決定的に違う所は、菅氏は東北の農家出身である事。

安倍・麻生・岸田・小泉その他多くの政治家は、祖父や父など代々政治家の家系に生まれ、政治家の家庭で育つことから、親の知名度や人脈、支持基盤、財力をうまく活かして、若くして政界入りし、政治家として名を馳せる事ができるいわば「世襲政治家」である。

しかし政治は「家業」ではない!

近年の政治家の劣化は、この世襲の「お坊っちゃま政治家達」に原因があると感じる。

権力者である親をもつ彼らは、生まれた時から裕福な家庭に育ち、おそらくまわりの大人も彼らの言いなりで、わがまま放題に育っているのだろう…。そんなお坊っちゃま政治家達に一般庶民の気持ちがわかる訳が無い。お金の苦労など経験した事がないのに、このコロナで経済的に追いつめられ、明日の生活に苦しんでいる人々の気持ちをわかるはずもないのです。

わがままお坊っちゃま達は、おそらく、これまでも自分達に逆らうものは潰して来たのでしょう。もう一人の候補の石破茂氏は、誰が見てもわかりやすく「石破潰し」に合っている。

石破氏の父は官僚から鳥取県知事になった方なので、一般庶民の家庭とは言えないかもしれませんが、今の自民党安倍氏や麻生氏に一言苦言を申せる唯一の人物ではないかと思う。

それを貫く石破氏の姿勢に対する評価は、国民の支持の高さでも現れているが、権力者の顔色を伺う自民党の「忖度国会議員」達からは、不人気である。皆んな自分の身の保身が一番大切なので、「国や国民にとって今一番必要なリーダー」を選ぶ事よりも上層部の言いなりになる事を選ぶ。

そういう意味で、権力育ちのお坊っちゃま政治家達は、国民にとって害がある。

秋田の農家の長男として育った「令和おじさん」こと菅氏は、若かりし頃「日本を良くしたい」と政治家を志したそうで、その初心を思い出して、庶民に寄り添い、権力者の飼い犬にならない事を祈る…。

今回の様に、任期途中で退任した総理の中の第68代・69代の内閣総理大臣大平正芳氏は、現職総理の時に参議院選挙区の応援演説を何箇所も回った夜に自宅で倒れ、入院治療したが数日後急死した。死因は過労による心筋梗塞と発表された。

大平総理は、香川県の農家の生まれのたたき上げの政治家で、権力育ちのお坊っちゃま政治家達とは違う。その時期は自民党の中に「大平降ろし」の動きがあった。

実は、その大平総理は私の亡くなった夫の叔祖父である。

そんな事は全く知らずに結婚し、夫の実家で家族でテレビを見ていて、原子力発電所から出る核廃棄物の処理の問題のニュースを見て「自民党がこんなものを日本全国に作るから…」と呟いてしまい、家族に変な空気が流れた。

「あれ?この家は自民党派?」と思っていると姑が「私は旧姓『大平』で大平正芳総理の姪なの。」と言い、元総理大臣とがっつり親戚で自民党派である事を知ってあせった…。

「言ってなかったっけ?」と笑う夫に内心「おじいさんが大平総理と兄弟だなんて知らんがな!先に教えておいてくれれば、自民党の話題を避けたのに…」と思った。

その大平正芳氏を総理大臣に後押ししたのが、同じ四国・徳島の後藤田正晴氏だ。

平氏は、後藤田氏の人間性を「本物だ」と高く評価しており、後藤田氏も大平氏の器の大きさを尊敬していた。

後藤田正晴氏は、歴代首相を支え、官房長官・副総理などを歴任した「軍師」だが、後藤田氏が警察庁長官の時に「よど号ハイジャック事件」「三島由紀夫防衛省自決事件」「成田闘争」「あさま山荘事件」などの歴史的事件の指揮を取り、対応した事もあり、田中角栄総理が見込んで政界に引き入れた人物である。

カミソリ後藤田」の異名を持ち、世襲のお坊っちゃま政治家達にも、ハッキリと苦言を呈する人で、総理大臣にも顔色を伺い忖度する様な事はなかったので、中曽根総理が、イラン・イラク戦争の時に海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣すると言った時『私は閣議でサインしない』と公然と反対して総理に派遣を断念させた。日本が戦争に関わる事態を食い止めたのである。

私は、30年近く前にTBSの「時事放談」という政治家を招いて話しを聞く、長年続いた日曜早朝の番組の美術を担当した事があり、後藤田正晴氏に何度かお会いした事があるのですが、発する言葉に重みと説得力があり「自民党にもこういう人がいるのだな…。」と感じた事を思い出します。

田中角栄総理によって政界に入った後藤田氏は田中派で、同じ徳島の三木武夫次期総理の三木派とは、派閥が対立しており「自民党の阿波戦争」と言われた。三木武夫総理も農家の生まれだが、後藤田家も三木家も古代より阿波忌部を代表する家柄である。

そんなお二人の考えが共通していた事は、

後藤田氏は「軍事が政治のコントロールを踏み外して暴走を続けるなら、とんでもない事態になる」と何度も口にし、憲法九条の改正をしたがる若かりし安倍晋三氏に苦言を呈していた。三木氏ものちに「九条の会」の呼びかけ人になる妻の睦子夫人に「あなたは、なぜ自民党の首相なんかやってるの?」と聞かれ「自民党は危ない方向に暴走してしまう傾向があるから、それを食い止めるには、首相の座にいなければならない。」と言っていたエピソードを聞いた事がある。

政治アナリストの伊藤惇夫氏が著書の『消えた「風圧」~絶滅危惧政治家図鑑~』で「田中角栄中曽根康弘後藤田正晴大平正芳…彼らがいたから永田町は面白かった。」と言っており、現代の「世襲政治家」のお坊っちゃまだらけの政治家の劣化に対して、たたき上げの政治家を「絶滅危惧政治家」として紹介している。

おそらく次期総理になるであろう、菅氏も一応たたき上げの絶滅危惧政治家の1人だ。

このまま、お坊っちゃま達の言いなりで、行くのか、絶滅危惧種のたたき上げの底力を見せるのか…。

国民はリーダーの質が、自分達の生活に大きく関わる事をこのコロナ対策で痛みを持って体感したはずである。選挙で誰を選ぶのかで、国の未来も決まってくる。

見た目とか経済力とか家系とかで選ぶと自分達が痛い目みる。人間性を見極める事です。

心して毎回選挙に臨みましょう。

 

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『お盆なので霊話(れいわ)』

今日でお盆も終わりますね…。

今年のお盆は、いつもの年と違う。

皆が里帰りを控えたり、お盆のイベントが中止になったり…。

日本最大規模の盆踊りである阿波の国「徳島」の盆踊り「阿波踊り」も戦後初めて中止となった…。本来なら8/12〜15日の4日間のはずだった。

江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波踊りが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。それ以来の中止です。

私は毎年欠かさずに、阿波踊りを見て「にわか連」で踊りにも参加してましたが、「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々‼︎」「ヤットサーヤットサー」とかけ声をかけながら、4日間、街全体で踊り続けるあの人々のエネルギーに毎年圧倒される。

祭りは心が動かされ、大好きです!

関東出身の私は、東京の下町や埼玉西部で神輿(みこし)や山車(だし)の迫力ある祭りを毎年見て来たが、「阿波踊り」のマンパワー炸裂で4日間踊りまくる、人間のエネルギーの圧倒的な迫力は、本当に凄すぎる!

日頃、比較的地味な徳島県人(失礼!)のどこにこんなパワーを秘めているのかと毎年驚きます。

女踊りの可愛らしさ!あの衣装を着て、息ぴったりで踊っていると全員可愛らしく見える。

男踊りの勢いある動きは圧巻!

太鼓・三味線・篠笛の演奏に合わせて、各連がそれぞれの踊りを披露する。子供も大人もお年寄りまで、皆が踊る。「ヤットサー!ヤットヤット!」街全体が生き物の様に唸って、踊りまくる。

阿波踊りが好きすぎて、毎年楽しみにしていたけど、阿波踊りのない今年は、本当に寂しいお盆です。残念ですが、映像を見て我慢します。

本来、阿波踊りは「精霊踊り」で、亡くなった方の精霊を慰めるための盆踊りです。

せっかくお盆の終わりなので、今回は霊の話をします。

私の「玲」という名前を付けてくれた、巫女体質の86才の女性は、昔、新島に住んでいて、毎年、私の大好物の発酵食・飛び魚のクサヤを送ってくれたので、ずっと新島出身だと思っていたら、一昨年、久しぶりにお会いしたら、なんと、彼女のご両親は徳島県出身で、彼女も徳島生まれだった。生まれて50年目にして、自分の名前を付けてくれたのは徳島の人だと知り、生まれた時から徳島とご縁があった事を知った。

彼女は、とても霊感が強く、昔からたくさんの霊を見て来た。ある高僧から「あなた、それだけいろいろ見えてしまったら大変でしょう。」と言われたそうだ。

私が子供の頃、一時期、三軒隣りに住んでいた彼女は、二階の自室で寝起きしており、毎年お盆になると「トントントントン…」と壁を叩きながら、階段を上がってくる霊がいて、「いらっしゃい。」と招き入れ、お盆が終わる頃、「もうお帰りなさい。」と言うと「トントントントン…」と壁を叩きながら階段を降りてゆくと言う。「お盆だからね。会いに来るんだよね。」と言っていたのを思い出します。

私も子供の頃から、いろいろ見えたり、聞こえたりしていましたが、大人になってからリアルな体感で怖かった二つのお話しをします。

25歳の時、家具作家の夫と東京から埼玉県・飯能の山奥に突然引っ越す事になり、キャンプ場を経営している大家さんから、バンガローの様な小さな家をお借りしました。

その家は見た目はとてもかわいいのですが、小さな部屋2つと小さな流しだけがついた台所とトイレしかなくて、本当にバンガローな感じでした。

「え?!本当にここに住むの?お風呂も無いし、システムキッチンも無いし、収納もほとんどない!」と私が驚いていると、夫は、

「暮らしながら、造ってゆくんだよ。」と言いました。「北の国から…か!」と思いながらも、私も木工・溶接は得意なので、二人で、水道・ガス・電気の配管・配線もやり、キッチン・クローゼット・サンルーム・お風呂場を増築していった、その年の瀬の早朝、夫と犬二匹は山の散歩に出かけて、連日の作業で疲れ果てていた私は、まだ眠りこけていました。

すると「トントン」と北側の勝手口を叩く音がして、開けるとおばあさんと白い着物を着た若い娘さんが立っていました。

また、まずいものが見えているのを感じつつ、「どちら様ですか?」と聞くと、おばあさんは、とても怖い顔をして「ここの者だけど、あなたの夫は、とてもいい人間なので、この娘の婿にしようと思うので、あなたは、ここを出て行ってくれないか?」と言ってきたので、私は怖々「嫌です…」と言うと、おばあさんは、はんにゃの様な顔になり「お前の夫をよこせ!」と言って来た。怖くなって、家の中に駆け込み、布団に潜り「嫌だ!」と叫ぶと片足首を「グイッ」と強く引っ張られ「出て行け!」と聞こえ、布団の中で「祓いたまえ!浄めたまえ!」とひたすら祓詞を繰り返しとなえながら、意識がなくなり、散歩から帰って来た夫に起こされた。

その話しを夫にすると「悪い夢でも見たんじゃない?」と言ったので、「いや、リアルな感覚が残っている…」と思い左足首を見ると、くっきりと指の跡が付いていた。

二人でゾッとして、大家さんに話すと、以前ここに一時期、おばあさんが住んでおり、娘さんを若くして亡くして、一人暮らししていたそうで、おそらくその方じゃないかとなり、おばあさんと娘さんの冥福を祈り、供養したら、現れなくなった。

もうひとつのリアルな霊体験は、それから10年後、薬草オーガニックカフェをやっていた頃、店に来るお客さんで、私と縄文や麻文化の話しで親しくなり、ある時、彼女の住む集落に招かれました。

集落の入り口に太いニ本の杉の木が立っており、中型自動車がやっと通り抜けられるほどの幅でした。「このニ本杉は、この集落の結界なんです。この杉の木を切ろうとすると必ず、タタリが起きるのです。」

確かに、鳥居の様なニ本杉を通り抜けたら、空気が変わり、異世界に入った感じがした。

「古い時代に、このニ本杉を切る事を集落で決めたら、伝染病が集落に広がり、多くの人が亡くなり、切るのをやめた…。昭和にも、大型トラックが通れるようにニ本杉を切ろうとした人が不審な死をとげた…。」

彼女は他の地域から、この集落に嫁いで来たそうで、集落は水道が通っておらず、谷川の水を使い、電気もかなり遅れて引かれ、世の中から隔離された場所だった。

「ここは、身分の高い方をかくまう"隠し里"だったようです。実は今も、皆で護っている方がいます。今日、玲さんが来られるとお話ししたら、会いたいとの事なので、定期的にヨガで皆が集まるので、この後、参加されませんか?」と言われ、参加する事にした。

集落の人々に護られているその女性は、痩せ細っており、生気がなく、車椅子で押されて来た。年齢は私と同じ歳(当時30代半ば)。女性のお名前と家紋が宇宙の星々を現しており、くしくも、三島由紀夫の「美しい星」で宇宙人がこの地球を護るために、各星々から来て暮らしていた設定の場所がこの飯能なので、彼女も宇宙人なのでは?とリアルに感じてしまった。

ヨガをやっている間、女性は車椅子から眺めており、最後に、女性を真ん中に座らせ、周りをぐるっと皆が囲んで座った。「何が始まるのだろう?」と私も輪に入った。

すると女性は呪文のようなものを唱え始めた。

生気がなかった女性が唱えているとは思えない、あの世から聞こえるマントラのように響いており、私は直感的に「ヤバイ!」と思い、聴覚を閉ざし、頭の中で祓詞を唱えた。薄目で周りを見ると、瞑想と言うよりは、皆完全に術にかけられている感じだった。

女性を見ると、先ほどまで死んだ様な目が光っており「もしかしたら、女性は、何かに取り憑かれてコントロールされ、実際は、すでに生命力はないのかもしれない…」と怖ろしいものを感じながら、帰宅した。

その後、しばらくして、その集落で暮らす彼女から「家族が皆、体調を崩しており、何人か入院している…」

と連絡があったきり、音信不通になった。

心配だったので、夜に意識を集中して、霊視してみると、集落の古民家の住まいで布団を敷いて彼女が寝込んでいる姿が見えた。

「彼女は大丈夫だろうか?」

心配しながら、眠りにつくと、霊視の続きで、私は、彼女が青白い顔で眠っている布団の横にいた。

「あなたは、ここを出た方がいい!ここにいたら、生命力を吸い取られる!」と言って、彼女に肩を貸して、連れ出そうした時、右肩を強い力で引っ張られた。肩を見ると、手首から先の真っ黒な手が、物凄い力で肩を引っ張っていた。

私は「祓いたまえ!浄めたまえ!…」と祓詞を大声で唱えながら、目が覚めた。

リアルな感覚が残っていたので、右肩を見ると指の跡がくっきりと残っていた。

手首から先の真っ黒な手に覚えがあったので、本棚を探してみたら、チベット曼陀羅が出て来て、曼陀羅の下に「魔物」の絵がいくつか描かれており、その中に、私の肩に着いていた手首から先の真っ黒な手が描かれていた。

「やはり魔物…」

しばらくして、彼女から連絡があり、彼女も入院していたとの事で、私が霊視で見た魔物や、集落で護っている女性にもおそらく魔物が取り憑いている事を伝えたが、彼女は、あの集落に留まると言った。

それ以来、私はあの集落には、近づかなかった。

飯能では、神聖なものから宇宙的なものや魔のものまで、いろいろ体験しました。

私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

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『美しい星』

ウィルス感染拡大・水害と何でこんなに各県や医療現場そして災害被災地は、混乱しているのに、国会を閉じたままで、各県の現場任せで国として具体的なこの先の対策を決めていかないのだろう…。もはや理解不能である。

多くの国民の経済がひっ迫している中、政治家達の高額な給料が税金から支払われているのだから、ちゃんとやるべき事をやってもらわないと、税金の無駄使いでしかない。

75年前の8月のこの時期は、広島・長崎に核爆弾が投下され、地球人類史上初の核兵器によって一般市民が大量虐殺された、忘れてはならない悲惨な出来事の時です。

前回のブログでジョンレノンがオノヨーコと「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れていた事に触れましたが、実は日本のある有名作家も反戦核廃絶のメッセージを残して亡くなっています。

皆さんは、作家・三島由紀夫が1冊だけSF的小説を書いている事をご存知ですか?

タイトルは「美しい星」。

日本の埼玉県飯能市が舞台で、ここに暮らすある一家が、飯能のあちこちでそれぞれ空飛ぶ円盤(UFO)に遭遇して、自分達が地球とは別の天体(火星・水星・木星・金星)からそれぞれ飛来した宇宙人であるという意識に目覚め、この美しい星「地球」を守るために核兵器を持った人類に警告を発してゆく…というストーリーです。

三島由紀夫といえば、ノーベル文学賞の候補にも上がった世界的な文豪で「ミシマ文学」として、世界にファンが多い作家ですが、最近公開された、TBSだけが持つ貴重な三島由紀夫のスクープ映像を映画化した「三島由紀夫vs東大全共闘」でも見られる様に、晩年は政治的な傾向を強め、民兵組織「楯の会」を結成。

1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)に立てこもり、バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。

享年45歳だった。

この一件は社会に大きな衝撃を与え、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与え、三島由紀夫に右翼的なイメージが色濃く残った。

そんな三島由紀夫がなぜ「美しい星」というSF的小説を1冊だけ書いたのでしょうか?

新潮文庫から出版されている三島由紀夫「美しい星」の最後に書かれた解説や三島の創作ノートにその意図が書かれていた。

三島由紀夫は、二十歳の時に広島・長崎の原子爆弾投下・日本の敗戦を体験し、その目で世界の崩壊、人生の終末を見た。戦時下に二十代での死を宿命として感じていたこの世代は、

「戦争とは何か?人間とは何か?生とは何か?死とは何か?」を問い続け、敗戦により、全てが崩壊したその原体験から、「世界崩壊と人類滅亡」について考えを深める様になった。

昭和36年「美しい星」執筆当時のアメリカとソビエトによる東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の不安・世界終末観を背景に、その当時、作家仲間の影響で三島は空飛ぶ円盤(UFO)に異常なほど興味を示し、円盤観測の会に参加し、宇宙人の宇宙的観点から見た地球人類の物語を描いた。

人間を地球に住む人類として客観的に眺め、そこから自由に地球人の運命を論じることができる。

核兵器と言う人類を滅亡させる最終兵器を自らの手で作り出した現代と言う状況を踏まえて、人類の存在の根源と地球人の生存と滅亡を問いた。この小説は三島由紀夫による、人類へのメッセージである。

三島由紀夫美輪明宏永六輔霊性の高い長年の友人で、永さんの話しによると三島由紀夫が小説を書いている時、美輪明宏が霊視すると霊が取り憑いて文章を書かせている事があり、書き直したくても、そうさせない力が働いたりしたそうです。

美輪さんは「日本の美意識のレベルの高さ、三島さんがおっしゃってたことは、あらゆる芸術作品は霊格が高くなければならないとおっしゃってたんですよ。スピリチュアルのね、霊格が高いものでないと本物の芸術とはいえない。

今に日本はとんでもない時代になるよって言ってたんですね。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。」と語っている。三島は霊視で先読みしていたのだ。

この小説の舞台になった埼玉県飯能は、私が20代半ばから40代半ばまで、御神託により導かれ、何度引っ越そうとしても、

「おまえは、ここでまだやる事がある」という声が何度も聞こえ、何かをやらざるを得ない状況になり、私は毎日の様に御神託が降りて来て、実際にUFOも何度も見た、チャンネルと波動が合う場所です。

三島由紀夫も霊力でそれを感じていたのでしょう。埼玉県飯能に「空飛ぶ円盤観測」によく来ていて、美しい星の創作ノートには、飯能の街をくまなく調査しており、私が30代に10年間経営していた、薬草オーガニックカフェの周辺も小説にたくさん出てきた。

当時私は、文部科学省の助成を受けて、定期的にテーマを決めて歴史ツアーをやっており、「三島由紀夫の小説・美しい星の舞台をバスで巡るツアー」を企画して、ネットで参加者を募集した所、たくさんの応募がありました。

純文学である「ミシマ文学」の根強いファンには、異色小説「美しい星」は受け入れがたい人が多く、また逆に「美しい星」の熱烈的なファンも多くいるので、その熱烈的なファンの方々の多くが参加されました。

その参加者の中になんと「楯の会」の中心的メンバーで生き残った方もいて、三島が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をする直前に三島本人から受け取った手紙を持ってきて私に見せてくれました。その手紙は、三島の直筆で

「○○君、きみは、生き残って、この地球の行く末を見届けてほしい…。そして、将来この地球のためになる事をやってくれ。」と言う様な事が書かれており、あんな壮絶な最後を遂げた事で右翼的なイメージが国民に印象づいてしまったけど、彼は、この地球の未来を先読みして案ずる、やはりとても霊性の高い方だったのだと思います。

その手紙を受け取った、元・楯の会の方は、三島の遺言通り、今は水質汚染を改善して水の星地球を浄化する活動をされています。

最後に霊能者・出口王仁三郎の元で裏神業をし続けた京都に住む96才のおばあさんに3年前にお会いして、彼女に広島原爆投下の日の話をお聞きしましたので、お伝えします。
彼女は、生まれ育った京都から広島の神主さんに嫁ぎ、広島の田舎町に住んでいました。
近所に住む大工さんが広島市内にお仕事で行っており、市内を案内してくれるとの事で昭和20年8月6日の朝に広島駅行きの登り列車を待っていると遠くが光りキノコ雲が見え、そのまま登りの列車は止まってしまいました。しばらく待っていると下りの列車が来て、そこから降りて来たのは、血まみれの人、皮膚が焼けただれてぶら下がっている人、黒焦げの人…瀕死の状態で列車で逃げて来た人達でした。看護婦だった彼女は、そこからは被爆者の看護にあたる日々だったそうです。
1本前の列車に乗っていたら、自分も原爆投下の広島市内にいたかと思うと人ごとではなかったと言ってました。

唯一の被爆国として核兵器禁止条約に署名しない日本政府は本当に理解しがたい。
こんな事を繰り返してはいけないと日本人は世界に伝える役目があるし、各国のリーダー達が目を覚まして欲しいものです。 
今の自国主義で独裁的な国のトップが集まる世の中に危機感を感じています。

三島由紀夫が危惧した「世界崩壊と人類滅亡」に向かわない事を祈ります。

 

私は仕事で個人セッション(カウンセリング)をしています。夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

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『自分の痛みを知り、人の痛みを知る』

先日、俳優の三浦春馬さんが自ら命を絶つという悲しい出来事がありましたね…。

私も過去に大切な友人を同じように亡くした経験があります。亡くなる数日前に電話をもらい「どうした…?ちょっと元気がないね…。」と言いつつ、たわいもない話しをして電話を切った。「あの時、もっと突っ込んで、話しを聞いてあげればよかった…」と後で悔やんでも、時すでに遅し…ただ深い悲しみだけが残る。

日本の自殺率は、3万人を超えていた一時期と比べると減少してきたが、まだ深刻な状況で、昨年は2万人ほどの人が命を絶った。

先進国で最悪の自殺率です。

私も死にたくなった事や死にそうになった事は、人生で何度かあった。

以前、80代の巫女体質(霊媒師)の方にお会いした時に「あなたは、子供の頃から普通は見えないものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、周りから理解されずに、辛い目にたくさん合って、本当に苦労したわね…私も同じだったから、よくわかるわ…。」と初対面で言われて、おもわず涙した事があります。

ブログの『巫女体質』でも書きましたが、日本のシャーマニズムのユタ・ノロ・イタコなど霊媒体質の女性は、幼い頃に「巫病」という、死の淵を彷徨うような病を経験させられ、霊力を周りから理解されずに監禁されたり、虐待を受けたり、そんな環境下に身を置いてしまうことがよくあります。

私もそうでした。幼い時に巫病で死にかけ、完全看護の病院に半年間閉じこめられた後、いろんなものが見えたり、聞こえたり、感じたりして、先ほどの霊媒師の方の様に、同じ体質同士であれば理解し合える部分がありますが、ほとんどの方からすると、まったく理解することができず「頭がおかしい」と思われ、周りから気違い扱いをされ、同級生からはいじめられ、学校の先生からは酷い虐待を受けたり、親姉弟からも理解されず、周囲に誰も理解者がいなかった。

一般的な環境で育った巫女体質の人間は、自分の感じ方や物の見方がおかしいのだと言うことを周囲により徹底的に叩き込まれるプロセスがはじまります。

そのプロセスのあまりの辛さに、その間は自分の生きている意味が分からなくなり、人生から希望が少しずつ消えていきます。

「自分はおかしいんだ。」

「何かが見えたとか聞こえたと周りに伝えたらとても恐ろしい目にあう」

という思いが潜在意識の深い場所に刻み込まれていき、「生まれてきてはいけなかったのではないか」と死さえ考える事もあります。

巫女体質(霊媒体質)の人は、幼い頃にそうやって、巫女としての目覚めを促す辛い体験をいくつもして、自分自身が巫女であることを自覚し、周りからほとんど理解されずとも、心の奥底に深い孤独感を持った状態で生きていきますが、繰り返し起こる、そういった辛い経験さえも、必要なプロセスで修行だったりします。

自ら経験をする事で、病気で苦しんでいる人・いじめにあっている人・虐待にあっている人・差別を受けている人の辛さや苦しみが理解できる。たくさん傷ついてきたから人の痛みがわかることもあるのです。

ユタ・ノロ・イタコなど日本のシャーマニズムの巫女達は、壮絶な人生を体験してきている人が多い。そうやって、厳しい修行をさせられて巫女となり、人々を救済する。

時々「私も巫女なんです!」とお気軽な感じで言ってくる人がいますが、本当の巫女体質の人は、壮絶な体験をしてきているので、すぐにわかります。

20代の時に、文化村オーチャードホールで東京フィルハーモニー楽団とある音楽家の方のコンサートを見に行きましたが、コンサート終了後、その音楽家の方のスタッフに呼び止められ、その方の所に連れて行かれました。

そして会うなり「あなた何て名前?どこから来たの?何している人?」と聞かれました。

後に30代の時に永六輔さんからも全く同じ事を聞かれたのですが、その方もインドのあるマスターの元で修行し、霊性が開眼して、ステージの上から私が見えたそうです。

その方の音楽は、当時テレビやラジオのテーマソングとして様々な曲が毎日のように流れており、ヒーリングミュージックやヒーラーとしてミュージックセラピー療法をやっている方でした。(現在は、音楽活動はお休みされています)

芸術に力を入れて、美術館や音楽堂を作ったりしており、芸術系の学校でずっと学んで来た私に手伝ってほしいと依頼され、一時期お手伝いして事があります。

その方がロサンゼルスに住んでいた頃、ある霊性の高いセラピストの方の個人セッションとセラピーのプログラムを受けたそうです。

それは、自分でも気付かない心の奥底にある思いや、閉ざしてしまっている心の傷を引き出して、目をそむけて来た事やふたをしてきた出来事と真剣に向き合い、その思いや出来事を本当に抱きしめ、本気で受け止めるという、自分の根幹に直面するかなり覚悟のいるもので、それを受けて彼は、生き方が変わり、音楽も変わったという。

そこで全く同じプログラムをあのジョン・レノンも受けて、自分の根幹に直面し、ショックで崩れ落ち、直後に書いた曲が、あの名曲「Imagine(イマジン)」なのだそうです。

Imagine(=想像してごらん) という歌い出しが印象的な「平和や人類愛」を歌った曲ですが、

彼がそのセラピーで自分の痛みを知り、辛い体験にふたをして来た事に真剣に向き合って、初めてあの曲が生まれた。

ジョンは幼い頃に両親が離別し、一時はジョンを取り合いしていた両親に結局は捨てられ母親の姉に育てられる。育ての母は、ジョンを育てる事に責任を感じ、努めて厳格に育てたという。そんな母にジョンは反発もせず、終生育ての母を愛したという。しかし、生みの母が交通事故で死亡し、この悲劇は、ジョンの人格形成に大きな影を落とした。
ジョンは寂しさを紛らわし、自己の欲求を満たす為、ロックンロールに傾倒していき、学校でも札付きのワルになってゆく。

しかしその後、ポール・マッカートニーと出会い、仲間とビートルズを結成して、大成功を収める事になる。しかし、大成功を収めても彼の心は満たされる事はなかった。

美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人の影響で、ジョンは日本や東洋文化に興味を持ち、禅や空の概念に強い好奇心を寄せていて、これを色濃く反映させた小野洋子のアートに強い興味を示し、小野洋子の個展に出かけたのが二人の出会いだった。

その後、ジョンはしばらくインドで修行して、妻と離婚して、小野洋子と二人で「Love and Peace」や「War Is Over」など、愛と平和や反戦運動に力を入れてゆく。

しかし、ジョンがセラピーのプログラムで、自分の心の深くと向き合い、溜まっていた鎮圧を解放した時に「自分の内側に戦争はあった…」と泣き崩れたそうです。

そうして、本当の自分の痛みを知り、人の痛みを知った時に素直な気持ちで書いた曲「Imagine(イマジン)」は、人々の心に響く名曲となり、9.11アメリ同時多発テロの後には、アメリカのラジオ局にリクエストが殺到し、今回のコロナでも世界中で歌われた。

今私は、個人セッション(カウンセリング)を仕事のひとつとしてやっております。15年くらい前までは「人の助けになるのなら」とお金をもらわずに来る人を見てあげていました。しかしタダなら見てほしいという人が殺到し、パワースポットにも案内してくれと集団で押しかけてくる人も絶えず、対応していて疲れ果てました。

最初に紹介した霊性の高い年配の巫女の方から「貴方は、過去世も今世もとても修行して学んで来ており、皆に伝えるお役目もあるので、ちゃんと仕事として、個人セッションをしなさい。タダだから来る人は、人の時間とエネルギーを奪う(テイクする)テイカーです。与える人ギバーにはなれません。テイカーは、感謝の気持ちもない。振り回されて疲れ果てるだけです。なので、テイカーと距離を置く意味でも、対応に見合った報酬は頂くことにしなさい。

そして、貴方の薬草の知恵は皆を病から救い、貴方の作る物は、皆に喜ばれる物なので、どんどん作りなさい。」と言われ、日中は、農作業や物作りに専念して、個人セッションは、夜にメールのやり取りで、対応しているので、遠方の方でも大丈夫です。

これまでのご相談や質問は、体調や病気のご相談・薬草の知恵、この先の仕事の悩み、人間関係・家族との関係、いじめや虐待、霊的な話・先祖供養、隠された歴史の話などいろいろありましたが、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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『継承して後世に伝える大切な事』

本来なら、今月の23日から東京オリンピック開幕で世界中の人々が日本を訪れているはずだったのですよね…。世界的にコロナが感染拡大するなか、日本も感染者が増え続け、さらに追い討ちをかける様に今月の雨量は過去20年で最大規模で各地で水害が起きて、被災して今後どうしたらいいのか途方に暮れている国民が多くいる中、政府肝いりGo To トラベルキャンペーン。

このタイミング??

誰かが「トラブルキャンペーン」と言っていたが、二転三転する相変わらずの政府の迷走ぶりに振り回される観光地やツアー会社や旅行客、そして観光客を受け入れる各県民も皆んな戸惑っている…。

この先どうなってゆくのか、先読みする力の無い政治家達は、今後の混乱に対してまた場当たり的に対応してゆくのだろう。

本当にやる事なす事、的がはずれていたり、タイミングをはずしていたり、残念な感じですね…。

さて、ここ最近私は、新鮮便の無農薬野菜を収穫して発送に追われていたり、薬草茶をブレンドしたり、荒地を開拓して、陸稲栽培の実験をしたりと忙しく過ごしておりました。

すべて、国内自給率の低い日本が今後直面する食糧難を先読みして、その準備として経験し、皆さんに伝える必要性を感じてやっている事です。

ただでさえ、国内自給率の低い日本の貴重な国産食材を政府は、諸外国に輸出して、そしてゲノム編集され、遺伝子操作された、わけのわからない外国産を輸入しようとしている。

もうすでに昨年、アメリカ産のゲノム編集された大豆を日本政府が大量に買い取り、様々な加工品になって、スーパーに並んでしまっている。本当に国民は実験台か!

国民の命より目先の経済を優先する安倍総理のリーダーとしての資質に本当に疑問を感じる。

今回お野菜のご注文頂いた、愛媛の方が、弘法大師空海さんが開いた四国八十八ヶ所霊場を巡り終え、Facebook空海さんのことばを投稿していたので紹介します。

空海さんのことば

「 本物は目立たないと言う

目立つのはめっきであり 本物は目立たない

困ることは本物は自分が目立たない事を

何とも思わないことだという

目立とうともせず それを恥とも思わない

だから余計目立たないのだ

そこに本物だ」

空海さんのことば、本当にそうだと思います。

表で目立つ人に多くの人の目がいきがちですが、裏で目立たず、大切なお役目をたんたんとやり続けている人を何人か知っていますが、そういう人は、とても地味で表に顔を出さず、人知れず、人々の救済のために動く、とても重要な方々です。

表に立つ安倍総理のめっきは、もうとっくに剥がれているのですが、森友・加計問題があろうと何があろうと、公文書を改ざんしてまで、トップにいようとする見苦しさ、空海さんはどう感じるでしょうね。

先日の『今、一番伝えたい事』で書いた

生きるためにする仕事(表)と、お役目の仕事(裏)とは「本業と副業」と言う意味ではなく、表の仕事とは、自分や家族が生きていくために必要な経済活動を伴った仕事。対して、裏の仕事とは、たとえ経済が伴わなくてもやる大切な仕事。

例えば、様々な物作りの伝統技術を学んで継承する事。各地に伝わる伝統文化や祭などを絶やさず継承する事。各地の食文化を守り伝える事。在来種の植物の種を守り、後世に残す事。先人の衣食住の知恵を学び伝える事などなど。

「継承して後世に伝える(残す)」事が重要だけど、経済に繋がらない事も多いので、表の仕事とは別にやる大切な裏の仕事。

香川県の離島で自然食堂と民泊をして暮らしていた友人が、故郷の福島県会津の「からむし織り」を学ぶために1年間帰郷する事になりました。

彼女は、四国で麻織物に関心を持ち、会津に帰省した時に、ご実家の納屋で、先祖の紡いだ麻糸や手紡ぎの道具や織物の道具などを発見して、自分の先祖も織物に携わっていた事を知り、長い間地元を離れ、外からの目線で改めて故郷をみてみると、それまでそれほど興味がなかった会津の伝統(工芸)の素晴らしさに気付き「絶やしてはいけない、継承しなければならない」と思うようになったそうです。

また、私の一番尊敬する大学の時の恩師は、日本の宮大工の伝統工法の技術を後世に残すために、世界最古の木造建築群である国宝・法隆寺の修復の西岡棟梁はじめ日本を代表する宮大工の名棟梁10人の技術を、先生は20代から60代まで40年以上かけて各棟梁から学び、その複雑な難解極まりないほぞ組の技術を手書きで図面に起こし、日本伝統工法・宮大工技術大全集を作りあげた。表の仕事として大学で日本建築を教えて、稼いだお金や退職金まで前借りして、全てその研究につぎ込み、結婚もせずに日本の伝統技術の記録を残す事を裏の仕事としてやり遂げた。

その恩師が私を徳島と繋いでくれた。

(その話は、いずれまたブログで書きます。)

徳島県吉野川市(麻植)山川町の山崎忌部神社では、新天皇即位に伴って、平成元年より30年ぶりに令和元年11月14日から15日にかけて執り行われた新天皇大嘗祭にて、徳島県天皇大麻畑で育てられた大麻の繊維から紡いだ糸で山崎忌部神社にて大麻布「麁服」を織り、調進する重要なお役目を古代より担っており、昨年私は、その忌部神社が建つ忌部山のすぐ下の田んぼで稲を育てながら、田んぼの周辺に住む忌部の方々から声をかけて頂き、徳島の最も重要な伝統技術の継承の行事をひと通り見させて頂いた。

天皇が即位する儀式は生涯一度。「天子一代に一度の大祭」として行うのが大嘗祭である。

古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。

大麻で織られた布・麁服は大王霊が着る神衣であり、阿波忌部が作る麁服がなければ、天皇とは認めてもらえないほど重要なものでした。

天皇によっては戦乱等で大嘗祭を行わずに天皇即位された場合もありますが、この天皇は「半帝(なかばのみかど)」と呼ばれ、半人前扱いされています。それほど重要な儀式です。

先月、阿波忌部の方々から「令和の大嘗祭・麁服(あらたえ)」という本を頂きました。

昨年1年間の記録を詳細にまとめた素晴らしい本でした。

阿波忌部の方々は、普段はそれぞれ表の仕事を持っており、新天皇が即位して元号が変わる時に阿波忌部としての伝統的な仕事(裏)を行う。

天皇家と阿波忌部氏は、天の岩戸神事からの強い繋がりがあります。

天の岩戸神事を司ったのは阿波忌部氏の祖先である天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、大麻を植えて神事用だけでなく、織物や和紙の紙すきなどの技術を起こしたとして麻植神(おえのかみ)として各地で祀られています。

阿波忌部氏は古代より「神聖な仕事をする技術者」だったのです。

しかし、時代の流れで、終戦GHQにより、大麻取締法が出来た時、発祥の地である阿波(徳島県)も天皇即位の時の大麻畑しか栽培を認められず、昭和天皇の在位期間が64年間、平成天皇が30年間なので、その間の技術の継承がとても難しくなりました。

麻植郡も平成に美馬市吉野川市の2つの市に分かれてしまったので、令和天皇の即位の際は、美馬市側と吉野川市側と別々に資金を集め、それぞれ準備しており「麻植(おえ)」と言う重要な地名を無くしてしまった事で、日本の麻文化発祥の地としての一体感が無くなってしまった感じは、麻植の神も残念に思っている事でしょう。

今後、令和に続く新しい元号に向けての技術継承の難しさに阿波忌部も直面している。

難しい事を書きましたが、伝統技術だけではなく「おばあちゃんの代からのぬか床を引き継ぐ」とか「おじいちゃんから炭焼きやもみ殻のくん炭作りを教わる」とか、私達は身近な事からぜひ始めてみましょう。

今の日本政府は、残念ながら「人として大切な事」を見失っている。

私達、一人一人が先人から大切な事を学び、継承して後世に伝えてゆく事で、日本の素晴らしい文化や知恵を守ってゆきましょう。

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

お待ちしております!

(とても切実でぜひ話しを聞いてほしいと言う方の力になりたいので、興味本位やひやかしの方や人を試す様な方は、申し込みをお断りしています。)

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『上を向いて歩こう』

また水害で何人もの人が亡くなりましたね。

熊本は、地震・水害・コロナの三重苦ですね…。本当に大変だと思います。

今回の九州の水害被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。まだ梅雨の終盤の大雨が各地に降り続ける様なので、皆さんくれぐれもお気をつけください。

毎年、私は七夕が来ると二人の人に手を合わせます。

一人は、七夕が命日の故・永六輔さん。もう一人は、七夕が誕生日だった故・池林國男さん。

このお二人には、13年前に水害対策の防災船を造った時に大変お世話になりました。

永六輔さんは、皆さんもご存知の坂本九さんの「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」やドリフの「いい湯だな」や梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」や旅番組のテーマ曲「遠くへ行きたい」など数々の名曲を作詞された方で、放送作家・司会者としてラジオやテレビ放送の始まりからの草分け的存在でした。

特にラジオは東京放送(TBS)がラジオ東京だった時から、亡くなる直前までパーソナリティをやり続けて、ラジオをこよなく愛した方でした。

私は、TBSでラジオ・テレビ両方の仕事をしていたので、局内で永さんを見かける事は何度かありましたが、直接交流する様になるのは、それから10年以上経った30代の時からでした。

都内のあるホールに講演会を聞きに行った所、その司会をしていたのが永六輔さんでした。

講演会が終わって、ロビーに出演者の方と永さんが、大勢の方々に囲まれて、握手とサイン責めにあっていて、私は一瞬、永さんと目が合いました。すると、永さんは、人をかきわけて、こちらに向かって来ました。

そして「あなた何て名前?どこから来たの?何をしている人?」と早口で聞いて来ました。

当時は埼玉に移住して、衣食住のデザインやショップをやっていたので、チラシを見せてしばらくお話しをして「では、失礼します。」とエレベーターに乗った所、ファンの人が大勢待っているのに永さんがエレベーター乗り込んで来て、私の横に立ってまだ何か話したそうでした。結局、ホールの玄関まで、見送ってくださり、その日は東京の実家に泊まり、次の日埼玉に戻ると永六輔さんからもうお手紙が届いていました。「昨日は、来てくださりありがとうございました。」と言うお礼となぜ話しかけたかの理由が書かれていました。

永さんのご実家は浅草のお寺でご住職の息子さんだそうで、昔から霊的なものを感じるそうで、私に神がかったものを強く感じたそうで、「あなたは、神道系ですね。龍神も見えました。」と言われ、父方が代々神官で、宮司の祖父の後は、父は神官を継がずに父の弟(私の叔父)が継ぎ、龍神の宝を護って来た事や私が巫女体質でそれを強く引き継いでいる事など、お話ししました。

そうして、永さんとはしばらく手紙のやり取りが続きました。

水害対策の防災船を作ることになった経緯はとても不思議な話で、14年前のある朝、私は「水害が来るから船を作りなさい」と言う声で目覚めました。「水害?船?何のこと?」と思っていると、その日のうちにノアの方舟の物語や方舟の設計図や方舟がたどり着いたアララト山の舟形の跡の写真を私に届けに来る人が3人も現れました。

物語を見てみると"ある朝ノアが「水害が来るから船を作りなさい」という声で目覚める"という始まりでした。「あれ?今朝聞こえた言葉と同じ…これはご神託で私にやれと言っているのかもしれない…でもどうやって?木工は得意だけど、船なんて作ったことないし…お金は?場所は?人はどうやって集める?」

私は、宮大工の棟梁や国宝の修復を任されている木工家の方や今年亡くなった環境保護活動家のC・W・ニコルさんなど、自分の人脈で相談できる人にかたっぱしからあたっていた時に知人の紹介で池林國男さんと知り合いました。

池林さんは、東京の千代田区で出版デザインの会社をされていた方で、カヌーを作るのが趣味で、ちょうど大きな船が作りたいと思っていたところでした。

映画パイレーツ・オブ・カリビアンやアニメのワンピースなど海賊船ブームだった事もあり、子供たちとその親を集めて、埼玉の地元の木材を使って、水害対策の防災船を作ると言うような内容で、補助金を申請し、池林さんのおかげで、すべてが順調に進み、2年間の事業で50人ぐらい乗れる木造船(写真)を造りました。

船を完成させ、隅田川を子供たちと一緒に漕いで、浅草の吾妻橋ゴールのイベントを開きお披露目する事になり、永さんのラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で全面的に中継してくれて「今後の異常気象による大規模な水害に備えて欲しい!」と多くの人に伝え、ラジオの多くのリスナーが、隅田川の橋という橋に集まり、船に声援を送ってくれて、ゴールの吾妻橋では、東京消防庁の船2隻が放水して水のアーチをつくってくれてくぐってゴールしました。

池林さんは船の完成を見届けて、イベントの後に心筋梗塞で亡くなってしまいました。

その後私は、仕事で徳島県とご縁ができ、四国へ通うようになりました。池林さんが亡くなって2年目の命日に徳島県にいた私は、池林さんが香川県の琴平出身だったことを思い出し、金比羅山にお参りに行くことにしました。長い階段をひたすら上り、金刀比羅宮にたどり着いたときに、そこが船の神様の神社だったと気づきました!「あー!船を造りなさいと私に伝えた声は金比羅の神様で、琴平出身の池林さんを船を造るために私に出会わせてくれたのだ…」と思い、池林さんのご冥福を祈りながら手を合わせました。

池林さんが亡くなってしばらくして、東日本大震災が起こり、地震と大津波の大災害となりました。金比羅の神様からのご神託の通り、津波や線状降水帯の集中豪雨で川が氾濫したり、水害が毎年のように来るようになりました。

昔は、水害対策で家の梁に船を固定している家が多かったそうです。間伐材などで、船を造る事もこれからの時代必要になってくるかもしれません。そのためのシュミレーションだったのかも…。

東日本大震災の時も、今回のコロナの時も永六輔さんの「上を向いて歩こう」を多くの人が歌い継いでいますね。

全米ビルボードチャートで1位をとった時も、戦時中アメリカで辛く厳しい思いを経験していた日系人の多く人たちの心にあの歌詞が響いたそうです。メロディも素晴らしいので「SUKIYAKI」のタイトルで、日本語の歌詞のまま世界中で1位をとったのもうなずけますね。

やはりあの歌詞は、苦しい時に勇気を与えてくれる力がある永遠のメッセージです。

7月7日が誕生日の池林國男さん、命日の永六輔さん、本当にお世話になりました(^_^)

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

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『今、一番伝えたい事』

今年は、宇宙周期4の周期です。

宇宙周期とは、宇宙全体に周期的に作用するエネルギーで、もちろん地球全体に影響するエネルギーです。

4の周期は「現実を見つめること」が必要で、ふわふわした事を言っている場合ではなくシリアスな状況に地球全体が直面する年です。

個人レベルでも現実的に「今、何が起きているのか?」を見つめ、「今後何をすべきか?自分に出来る事は何か?」を見定めて、地に足をつけた地道な生き方が重要になる年です。

来年は「発展的な周期」なので、今年はしっかり、現実を見つめ、何をすべきか考え行動を起こし、来年は、それを発展的に飛躍する年になります。

こういう変化の時は、その人の意識が試される時です。今までの様な世の中では、なくなってくる。厳しい現実にも直面します。

だからって、落ち込む事ではなく、浮かれる事でもなく、それぞれが、しっかりと現実を見つめ「この現実から自分は何をすべきか…」まず立ち止まって静かに心の内に目を向けてみる。

自分がやっていた事が、とどこおったり、行き詰った時は、もしかしたら、見直したり、リセットする機会かもしれません。

それぞれ生まれ持っての役割や使命があり、やりたい事とやらなくてならない事はもしかしたら、違う事かもしれません。

私もそうでした。やりたい事は別にあった。

けど、やらなくてならない事のメッセージが次々に来て、それは自分がやりたかった事ではなくてもやらざるをえない状況になる。そうしているうちに自分の使命(天命)を知る事となる。生きるためにする仕事(表)と、生まれ持ったお役目の仕事(裏)は違っていい。

あわたまの仕事は表の仕事。生まれ持った使命(天命)のお役目は別にあり、それは、私だけが人知れずやらなくてはならない事。

皆さんも同じで、生きるためや家族を養うための表の仕事とそれぞれが生まれ持ったお役目は別にあったりする。それは自分がやりたい事ではなく、やらなくてならない事だとしても、それをやる勇気があるか試されます。

それに気づく時が今なのかもしれません。

気づいても無視して、表の自分のやりたい事だけを面白おかしくやって生きるのか、腹をくくって、気を入れて、裏のお役目にも一歩を踏み出すのか、それはあなた次第です。

世の中には、誰にわかってもらえずとも理解されずとも、世の為に人知れず、ずっと1人で動いている人がいる。表向きは、別の仕事をしているが、裏のお役目なので誰にも言えずとても孤独な作業だが、この先を先読みして、今やっておかなくてはならない事だったりする。

そうやって人々を救済するための準備を人知れずやっている人を私は何人か知っている。

そういう人は皆、一見地味で表に顔を出したりしない。それを阻止しようとする力(組織)に命を狙われたりするからだ。

こういう時代は、教祖的なカリスマがたくさん現れたりする。見た目もカリスマ性があり、人を惹きつけるようなワクワクする発言をし、メッセージ性もあるので、ファンは多い。人に憧れられ、魅力的な人。だから周りに人がたくさん集まって来る。そういう人達は、メッセンジャーとしてのお役目がある表の人だと思います。

それに対して、真に救済する裏の人は、地道に人知れず使命を果たすために裏で動き、その時が来るまで、コツコツとやり続け、誰にも理解されず、とても地味で誰にも気づかれず孤独なものです。

私のツアーに参加した事がある人は、感じたと思いますが、本当に重要な場所は、信じられないぐらい地味です。派手なパワースポット(表)は、本当に重要な場所(裏)を隠すために必要な場所なのです。人間も同じです。本物は地味で能力ゆえに孤独な孤高の人です。

でも表裏一体なので、どちらも必要だったりする。

この変革の時に自分の可能性を見つけてください。表の生きるための仕事と裏の自分が今世生まれてきた本当のお役目(使命)に気づいてください。

私のブログの「生きてきた土地のルーツを知る①②」に私の事を例えて書きましたが、あなたが生まれた場所や育った場所、働いた場所、これまで暮らした場所などは偶然ではなく意味があって導かれているので、その土地のルーツをたどってみるとキーワードが見えて来て、なぜそこに導かれたか、今世の使命は何なのか、しだいに見えて来ます。

そして「本当の豊かさとは何なのか?」今こそ考える時です。

お金がたくさんある事が幸せなのでしょうか?

お金はもしかしたら、ただの紙切れになる時代が来るかもしれません…。

友達がたくさんいる事が幸せなのでしょうか?

表面的な付き合いの友達ごっこより、少数でも腹をわって話せる人や見栄をはらずに自分の弱さをさらけ出せる人や相手を心配して心から叱ってくれる本当に大切な人が、1人でもいる事の方が幸せなのかもしれません…。

最先端の暮らしをする事が幸せなのでしょうか?

長崎にある軍艦島が海底炭鉱によるゴールドラッシュのように栄えていたピーク時の1960年代には、あの島が東京以上の人口密度で日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が密集し、電化製品もすべて揃い、当時の日本の最先端の暮らしでした。しかし、その後の時代の流れで、閉鎖され廃虚となった。

日本の産業革命の象徴として世界文化遺産に選ばれたが、あの廃虚群は文明の悲しい結末…

地球の未来かもしれない…。

何が本当に幸せなんでしょう?

私は、地に足をつけて、たんたんと生きる人が好きです。あなたは、どんな暮らしやどんな生き方が本当に豊かな暮らしだと思いますか?

他人をうらやんだり、嫉妬したり、人と自分を比べて落ち込んだり、上手くいかないと怒ったり、八つ当たりで人を傷つけたり、そういう事から、もう自分を解放して、現実としっかり向き合い、やるべき事をやってゆきましょう!

意識や生き方が変われは、暮らしも仕事も人間関係も変わってくる。新しいあなたにそぐわない物や人は離れてゆくかもしれませんが、それは仕方のない事なのです。

今年は、そういう年ですよ(^_^)

 

今、私に切実に相談したい方や緊急性のある方の個人セッション(カウンセリング)を仕事としてやっております。夜にメールのやり取りで対応するので、遠方の方でも大丈夫です。

ご希望の方は、Facebookメッセンジャーに「個人セッション希望」とご連絡下さい(^_^)

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